その他

2009年2月 2日 (月)

ボランティア

昨日の日曜日は、仕事の疲れもあって一日中寝て過ごしてしまった。

ただ、夜の一般営業終了後に市のスケート教室が予定されており、それへのボランティア参加を要請されていたので、行って来た。教室のボランティアは初めての体験だった。

受付などはお手のものだが、靴を履くのを手伝うのは難しかった。ある意味、爪切りやネクタイを結ぶのに似ているが、自分がやるのなら何気なくできることでも、人のをやってあげるとなると勝手が違うのだ。相対する子供の小さな足に合わせながら靴をフィットさせ、窮屈じゃないかを尋ねながら紐をしばるのだが、「あれ、どういう風にしばったっけ...?」と、とまどいながら手伝った。親御さんも恐縮して見守っておられるので、余計に緊張してしまった。それでも、靴下のシワを伸ばすとか、靴べらも伸ばしてから足を入れるとか、つま先を少し挙げて踵にフィットさせるとか、履き方のコツを説明しつつ手伝わせてもらった。

こういう、人とコミュニケーションをとりながらお手伝いするのは、看護の基本でもあるので、すごく勉強になった。

初心者が対象の教室だったので、それほど達者に滑れる子はいなかった。ほとんどが小学生だが、氷上でトコトコと歩くことができるようになると、楽しそうに周回していった。両足を揃えての滑走ができるまでが本日の課題だったが、中にはバランスよく安定した歩行と滑りをする子もではじめた。片足でのストロークには、まだまだだが、氷の上に慣れるという意味では、大きな前進だと思う。

一緒に指導させてもらって感じたのは、片足滑走の難しさだ。

元気良く、上手に滑る子でも、やはりバランスは体の中心軸にある。スケーティングレッグを変えるたびに軸を左右に移すなど、そんなダイナミックな動作の兆しはみられない。むしろ、トコトコトコトコと、小刻みに軸を振りながら歩くという感じだと思う。陸上の歩行を考えても、それが自然ではないだろうか。

片足バランスを維持しながら滑り続けるのは、かなり訓練された動作なのかもしれない。子供達なので、専門的に練習すればすぐに習得できるだろうが、自然の動作とは違うのだということが、今日の子供達の動きからわかった。

それでも、やはり子供達はすごいと思う。一番感心したのは、転び方が上手なこと。教室の最初に指導もしたが、コケそうなときには、膝から崩れるように、ペタンとお尻をついていく。なので、あまり痛そうではない。あるいは、ヘッドスライディングのように前向きにコケることもあるが、両腕をちゃんと前に出して転ぶので顔面をぶつ危険はなさそうだ。転ぶことを予測して、自然に体勢を整えるのが上手だなぁと感心した。転ぶのが痛くなく、怖そうでもないので、転んでもすぐに立ち上がり、トコトコ滑っていく。

氷上の場合、恐怖心があると動作が鈍くなるので、転んでも平気という気持ちは上達の秘訣だと思う。その点、子供達は偉大だ。身体と精神の両方で柔軟性に富んでいるのだと思う。

1時間の教室が終わり、みんな元気に帰っていったのでホっとした。教室は、今日を入れて4回ある。他の指導者の方々のお手伝いを毎回させてもらうことになっている。最終的には、バック滑走まで課題に入っているが、さて...どうなることか...。1年くらい前に、営業中に練習していたら、バックのやりかたを教えてくれと小学生達に言われたので、「バックは、後ろを向いて滑ればいいんだよ」と返事したことがあった。それでも、本当に後ろ向きで滑り始めるからびっくりした。なまじの理屈よりも、挑戦するチャンスを与えた方が、人は伸びるのかもしれない。

でも、教室では、そんな不親切な教え方はできないので、どうすれば安全にバックができるようになるか、今からイメージしておこうと思う。

子供達の様子をみていて、私自身がスケートを始めた頃のことを思い出した。私も小学生の頃に、親に連れられて友達とリンクに遊びに行ったことがある。一シーズンに2~3回くらいじゃないかと思う。最初は転んでばっかりでさんざんだったが、2回目は上手な親戚の人に手つなぎで滑らせてもらい、なんとなく感覚をつかんだ。それからは、やはりトコトコとあるきながら滑るのが当たり前になったように思う。滑走というよりも、氷上を歩き、気が向いたら滑るという感じだったような...。母親に、「全然滑ってない」とダメだしをくらったのを今でも覚えている。

バック滑走は、小学5~6年生の頃に、見よう見真似で覚えたのではないかと思う。この頃、フォアクロスにも挑戦したのでは?と。バックでのクロスは手本がいなかったので、やる気さえ起こらなかった。

リンクの中央あたりでは、コスチュームを着たフィギュアの子達が練習していたのを、うっすらと覚えている。あまり興味がなかったので、何をやっていたのか覚えはないのだが。私と同年代の同郷のインストラクターの先生もいらっしゃるので、その当時に練習していた子達の中に、先生もいらっしゃったのかなぁ...と思っている。まさか、それから30年もたってから、自分がフィギュアの練習をしているとは、夢にも思わなかった。本当にわからないものだ。

そういう経験があったので、4年前、個人レッスンでフィギュアを習い始めた時には、基本のストロークから始めた。バックも両足なら滑れたので、やはりバックストロークからだった。フォアとバックともにクロッシングの練習もすぐに入った。その点では、子供の頃の貯金が生きているのだが、全然滑れない人の教え方はよくわからない。きかれても、「滑りたいように滑って」としか言えない。

最初に書いたことに戻るが、フィギュアのストロークは難しいのだ。氷に全然慣れていない人が、両足で滑れるようになったといっても、そこから片足バランスがとれるようにならないと、フォームをとることはできない。だったら、最初はどんな格好でもよいから、自分が滑りたいように滑るのが一番かなと思う。最初から格好良くとか、正しい姿勢とかではなく、転びにくく、動きやすい感覚を覚えた方が、次につながるように思える。

昨日の教室で子供達をみていても、一応は、私達も基本姿勢は教えるが、結局は元気良く駆けている。それで転んで、私達がアドバイスして、両腕を広げてバランスをとることを試してくれる。でも、きちんと腕を広げるというよりも、自分達がやりやすいようにやっているという感じだった。それで、氷上を自在に動けるようになるのなら、それで良いのではと感じた。フィギュアの型にはめるのは、もっと後、滑る感覚を掴んでからでも遅くないのでは...と。

結局は、”learning by doing” やりながらわかっていく世界かな...と思う。

医療技術、特に注射などでは、「やりたいようにやって」などという指導はもっての他だが(患者への向き合い方、注射器や針の持ち方、手の添え方、注射器の使い方など、事細かに手順が決まっている。そうでないと安全は保証できない。)、スケートは、もっと自由な世界でも良いのではと感じるのだ。

2009年1月 7日 (水)

神様のひとこと

一昨日だが、プールでのトレーニング後にジムでストレッチをやっていたら、島田紳介が司会するテレビ番組をやっていた。マシンの音がフロア中に響くところなので、テレビの音はきこえず、ストレッチをしながらテロップだけを読んでいた。

どうも、ポップ吉村の思い出話をしていたらしい。

チーム・シンスケで鈴鹿の8時間耐久オートバイレースに参戦を決めた時、オートバイのチューニングではカリスマ的存在のポップ吉村が、マシン貸与を申し出てくれたとのことだ。当時も人気絶頂だった紳介だったので、仲介役がいただろうし、ヨシムラ側としても損をする話ではなかっただろうと、私は想像する。マシン貸与自体は、それほどの美談ではないだろうと。

でも、紳介が恐縮して「なんで自分のような者にマシンを貸して下さるんですか?」と尋ねたら、ポップがこう言ったというセリフが印象に残った。紳介によると、ポップは笑いながら言ったらしい。「あげることができないから、お貸しするんです。」

たぶん、紳介が求めていたのとは全然違う答えだと思う。紳介とポップとを結ぶ線が全然語られていない。でも...私は20年以上前に一度だけ講演を聴いただけだが、ポップらしい素敵な理由だなと感じた。たぶん、紳介が誰か、どれだけのネームバリューがあり、ヨシムラマシンを使用することでどれだけの宣伝効果があるかなどは、ポップにはそれほど興味がなかったのではないだろうか?それよりも、マシンを必用とするチームがあり、自分達のマシンを走らせてくれるかもしれない、だから、貸してあげる。あげることはできないけど、使って下さい、そんな感じだったのかな?と、テロップを読みながら想像していた。

もっとも、オートバイレースでは、転倒クラッシュという事態もあるので、貸与にもかなりのリスクを伴うのだとも思うが...。多分紳介にとっても、とんでもない、チューニングの神様からの贈り物だったのだろう。

この話そのものからは、あまり教訓めいたことを引き出そうとしても野暮だし、ポップ吉村の人柄を感じるだけで十分だと思う。新しい挑戦をする者にとっては、本当に神様のような人に感じられたのではないだろうか。

本論はここまでにして、思い出したので、20年前に聞いたポップ吉村の講演で印象に残ったのを少しだけ記します。

質疑応答で、会場から「なぜ、4気筒の4ストロークエンジンにこだわるのか?」との質問があった。それに対しポップは、4気筒ならば同じ排気量でも1気筒分を小型にできる。その分高回転でまわすことができるので、パワーが引き出せると何度も繰り返していた。この考え方は、ある意味私の原点でもある。

私自身はオートバイには乗らないし、エンジニアとはかけ離れた人生を送っている。でも、「タスクをマルチ化することで一回あたりの仕事の負担が減り、結果として仕事の効率はアップできる」という持論は、ポップのこの返答から来ている。大きな仕事をかかえた場合、最初から順にやっていくのではなく、仕事をブロック化して、(一人であっても)並行して進めていく方が能率が良いのだ。

なので、論文作成でも文献検討から始めて、「はじめに」から書き始める人を良く見かけるが、私はちょっと違う。どちらかと言うと、結論を想定しながら文献をあたり、結果の出し方を思案しながら方法論を練っていくやり方をしている。その作業をパソコン上で行えば、文章は自ずと作成されていくし、「はじめに」は、結論がまとまってから仕上げに書けば良いとも思う。

同じことは、フィギュアスケートのスキル向上でも言えるかもしれない。ジャンプを強化しようと思えば、スケーティングを頑張った方が良いと思う。これは、私の直感なのだが...。ジャンプ動作を考えると、踏み切りもランディングもスケーティングスキルに依るところが結構ある。また、スケーティング動作にもジャンプの動作と共通する部分(例えば軸の移動、膝や足首の使い方)がある。なので、ジャンプを跳ぶためにはどんな動作が求められるのか、それらをブロック化し、同時に高めていく意識を持った方が良いのではないかと考えている。スケーティングの練習中も、「ジャンプの時も似たような動作があるよな」などと意識しながら行っていくのだ。

あるいは、下肢筋力だけに頼らず、足の裏や股関節周囲、そして背筋(浅田真央の広背筋や僧帽筋は本当に見事だ)も使い、体中の様々な筋肉を同時に使って跳び、軸をまとめ、着氷できるようになると、更に効率の良いジャンプになると思う。ひとつの筋肉だけでなく、様々な筋肉を同時に、効率良く使うことで、パワーは向上すると考えるのだ。

紳介へのポップのひとことから、話をむりやりに自分の考えることへ持ってきてしまったが、源流はポップ吉村の言葉にあるということで、どうかご容赦下さい。本当に素敵で、熱い人だったと感じる。

2009年1月 1日 (木)

新春の富士を撮りに行く

新年おめでとうございます。

元日の朝の晴天を見て、タイトルのことを考えました。

走行中の車窓から富士山を撮るというのは、昨年ATC2Kという小さなビデオカメラの撮影キャンペーンの時に試したかったことなのですが、モニター機能のないこのカメラでは難しくて断念しました。なので、普段から使用しているSANYOのXactiというビデオカメラを使って、行って来ました。

一番の狙いは、薩埵(さった)トンネルを出たところの景色を撮影することです。

私が東名高速道路を走る中で、一番好きな光景です。東京方面に向かってこのトンネルを出ると、右手に由比の海岸(駿河湾)、左手に富士山が見えます。この上の薩埵峠からの眺めは、広重の浮世絵でも有名になっています(峠からの眺めはこちらの写真を)。

由比に向かう途中での富士山を写しました。

Abegawa 静岡市の手前の安倍川架橋からなのですが、山頂に雲が出始めています。ちょっと焦りました。

とにかく、一人で運転しながら左手にカメラをもっての撮影なので、ちょっと大変でした。交通事故を起こしたら、もともこもないですし。カメラテストを兼ねて、おまけの撮影です。

富士山はピントがあっていませんが、カーブに従って山が右から左へ動いていき、フェンスに沈んでいくのが面白いかと思います。BGMはカーステレオの音をカメラが拾っています。以前のエントリーで紹介した”forza”というCDに収録されている曲です。あまり意識せずにかけていたのですが、太平洋側の富士山はジプシーキングスのようなラテンな音楽が似合う気がします。山梨側だともっと重厚なイメージですが...。

目的の薩埵トンネルからは、同じCDに入っている、T-SQUAREの演奏する、”TRUTH21c”に曲を変えてみました。ちょうどトンネルから出る時にタイミングが合ったかなと思います。目的の景色は一瞬なので、あとはF1グランプリのテーマ曲にもかかわらず、他の車に追い越されまくっている私のヘタレぶりを楽しんで下さい。それでも、時速80キロだったのですが...。

帰りは駿河湾がとてもきれいでしたが、準備不足のためにビデオには収められなかったです。また、これからの宿題にします。

みなさんも、良いお正月をお過ごし下さい。

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