大会

2009年5月14日 (木)

明日...

明日、午前中に病棟実習があり、午後は学生への個別指導、それが終って身支度を整えたら、東京へと向かう。仕事がトラブルなく終わり、土曜日の本番を迎えられれば良いのだが...もう、祈るしかない。

でも、昨年よりかは気持ちは楽だ。今週に入って、火曜日にモリコロの貸切練習に出させていただけた。”アフリカンシンフォニー”の振付もして下さった、インストラクターの先生のクラブ練習に参加させていただけたのだ。私は別のクラブに所属しているので、シーズン中の貸切練習では、曲かけを先生にみていただくことはできなかった。今日、初めて、振付をして下さった先生に全体の通しを指導していただけた。

この貸切のチャンスがなければ、本番までその機会はなかったので、ご配慮くださった先生と、クラブの皆さんには本当に感謝している。火曜日の1時間半は、シーズン中の10時間に匹敵するくらい貴重な練習だったと感じる。先生からは、終末の滑走コースは変更の必用があることをアドバイスされ、それが課題として残った。あと、シット(といえるようなシロモノではないのだが...)の入りで、もっとエッジに乗ってとの指導もいただいた。自分の先生に全然みていただけない(ステップやジャンプなど、部分レベルでの指導はいただいていたが...)状態で本番に臨むのは、かなり不安があったので、これで不安は解消できた。

ただ、仕事と大学院の勉強がかなり忙しく、結局、今週は調整レベルでもトレーニングが全然できなかった。職場でもできる運動を考え、少しはやったが、量は全然足りない。なので、筋肉が緩んだままで明日に臨むことに不安はある。でも、仕方ないので、今の状態で調整していくしかない。明日の朝は、走れるだろうか...?

あと、衣装がやっと目処がついた。

振付を覚えた頃からずっと気にしていたのだが、今回の曲にどんな服で臨むのか、衣装は頭痛の種だった。結局、靴が黒なのでパンツも黒にするのは譲れず、シャツは薄手の白にして、インナーを緑にすれば、シャツから透けた緑がきれいかなと思い、それで準備した。ところが、鏡で見てもシャツからはそんなにインナーの色は透けてこない。インナーが見えるようにシャツのボタンを外したら、滑走時の風圧で膨らんでしまうだろうし...。あれこれ考え、”アフリカン~”なので、土くさい茶色のシャツ(自分が持っていたもの)を使うことにした。火曜日の貸切でも、それを着て滑ったのだが、特に抵抗はなく、これで衣装は決まったことになる。

あとは、荷造りが大きな仕事だが、もう疲れて眠いので、明日にしようと思う。

2009年5月 5日 (火)

この一週!

5月16日のマスターズ本番まで、あと2週間を切った。

直前の1週は豊橋のリンクも閉鎖となり、有給もとれないので、月~金曜日は氷に乗れない状態となる。これは、昨年も同様だったが。なので、本番の16日早朝に、やはり昨年と同じように江戸川で早朝貸切の予約をしてある。この1時間半で、干からびた感覚を戻す作業をせねばならない。

そのためにも、勝負は、このゴールデンウィークの1週間である。

4月後半の2週間は、仕事のために思うようにトレーニングができなかった。少しは時間を作ったのだが、年度始めは普段通りというわけにはいかない。なので、4月は疲労抜きの月と割り切った。それで、ゴールデンウィーク突入とともにエンジンを回し始めている。

やはり、サボリの影響はあって、体が重かったが、少しずつ感覚を戻しつつある。昨日(5月4日)は、6分間だけウォームアップをしたら、すぐにプログラムを通す(周囲のお客さんに気遣いながらだが...)という暴挙に出たが、転ばずに滑りとおすことができた。フィギュアの大会の場合、会場内でのアップはできるが、氷上では6分間練習だけですぐに演技となる。なので、このくらいの乱暴さが必要だと、最近は考えている。もちろん、出来は全然だった...。ジャンプにダブルを入れるなんて、とても考えられないくらい、体は動かなかった。それでも、転ばずに滑りとおせた。多分、本番でのパフォーマンスも、それくらいだと思う。

いきなり氷上に出て、どれだけ動けるか?それが勝負なのが、フィギュアスケートなのだろう。靴を履く前に体を温めておいた方が、怪我はしないと思うが...。

豊橋のリンクは、午前9時からオープンしているので、最初の1時間だけプログラム練習に費やした。10時くらいから混み始め、それからはスケーティングやジャンプの練習を2時間してあがった。ジャンプ・スピンもリンク中央では可というのがありがたいのだが、プログラムにある、フリップ→トゥループ→ホップを入れて→サルコウ(ジャンプは全てシングル)というシークエンスをしていたら、初心者の方の前に割り込んでしまい、そのあおりで転倒させてしまった。接触はしていないのだが、多分、私を見てバランスを崩したのだと思う。そういう迷惑をしないように注意しているつもりなのだが...プログラムを意識していると、どうも周囲が見えなくなる。貸切中でももちろんだが、特に、初心者の方々も滑る一般営業中には、リンクマナーに気をつけねばと反省した。私の場合、このあたりに課題があるような気がする...。一応、ジャンプ・スピン可のエリア内でのことだったのだが....でも、配慮は欠かせないだろう。

豊橋での練習を終えたら、東神奈川のアイススペースまで足を伸ばした。数日前から気になっていたのだが、靴紐が切れ掛かっていたのだ。名古屋で購入できないか、練習仲間の方々やリンクへ情報を求めていたのだが、結局、現在履いているリスポートの純正品が良いだろうということで、取扱店であるアイススペースへ行くことにした。

靴紐は、馬鹿にならないパーツだと思っている。以前はいていた、オオタスケートの靴の紐よりも、現在のリスポート用の靴紐は、幅が広く弾力性も富んでいる。このおかげで、靴のホールド感がオオタスケートの頃よりも増しているように感じる。特に、靴を新調する前であった昨年のマスターズでは、本番前に靴を履いたり脱いだりを繰り返しているうちに、靴紐が伸びきってしまい、その状態で更にきっちり縛ったら足首が全然動かなくなってしまった。それで、思うようなスケーティングができなかったという苦い思い出がある。

昨年の演技は、何よりも、転ばなかったということで、私は満足している。でも、あの滑りは自分の滑りではなかった。足首が全然動かず、エッジに乗れずに力で滑っていたのだ。それは、悔しかった。だから、靴紐ひとつも馬鹿にできないと思うようになったのだが...。

事前に在庫の問い合わせをしてあったので、アイススペースでの買い物はスムーズに終わり、店員の方に紐の付け替えもしていただいた。また切れた時のために、予備も購入しておいた。新しいといっても、今までと同じ紐なので特に変化はないはずだが、せっかく東神奈川まで来たので、久しぶりにリンクに寄ってみた。相変わらずの盛況で、フィギュアの練習生やホッケー愛好者達がリンク内に、いくつもの縄張りを作っており、その合間を縫うように、無所属の愛好者や初心者の方々が周回するという格好であった。東神奈川は、もともとレッスンや教室が盛んなリンクなので、そういう文化でもあるのだが、ゴールデンウィークを利用して遊びに来た人たちが笑顔で帰るか...という点では、ちょっとキツイかなとも感じる。

その点では、中京圏の方が、初心者にも優しいのではないかとも思うのだが...。

ちなみに、名古屋では地元のクラブが合同で合宿を張っている(一部のクラブは関西に遠征しているが)。地域を問わず、このゴールデンウィークに、一歩でも二歩でも前進という気持ちで、皆頑張っているのだろう。

2008年7月13日 (日)

’08年マスターズ参戦記(3)

ATC2K関係のエントリーやDOIでのランビエール、そして仕事にかまけて、気がついたらマスターズから、もう2ヶ月がたとうとしています。既に9月のエキシビション大会の案内も届いており、5月17日の大会のことはすっかり過去となりつつあります。

今日のレッスンでは、”アフリカンシンフォニー”の2分24秒のうち、3分の2くらいまで振り移しが終わりました。怒涛のストレートラインを先生が作って下さり、アップアップです。先生から、「(ステップの)ループだけどできる?」と尋ねられたら、「できませんけど、頑張ります」と答え、「ロッカーだけど...」と尋ねられたら、「教わってませんでけど、頑張ります」と、一時が万事、そんな調子で返事をしていたら、本当に鼻血が出そうなステップシークエンスを振付けて下さいました。アップテンポ゚(アレグロより少し遅いくらい?)の4分の4拍子で16小節、最初はストレートラインですが、途中からサーペンタインになります。スタミナもつのかなぁ...。

先生の了解もいただきましたので、9月のエキシビション大会でお披露目できたらと思います。かなり内容の濃いプログラムになりそうです。振付が全部終わってから、個々のエレメンツの指導をしていただく予定なので、9月はほとんどマーキング程度で、冬に滑り込み、来年の5月に形になればと考えております。振り付けが間に合わなかったら、エキシビション大会は応援に回ります。

そんな感じでアフリカンな現在ですが、2ヶ月前の5月17日はコンチネンタルな「夜のタンゴ」でした。

私の出番のすぐ前は、flip-flopさんの”スペイン奇想曲”でした。フィギュアスケートを始めた時からflip-flopさんのサイトにはお世話になっています。特に用語集はフィギュアファンなら必見ではないでしょうか。昨年の今頃、関東のリンクで偶然お会いしたので、そのお礼を申したことがありました。それ以来の再会となった今年のマスターズです。そういえば、flip-flopさんのプログラムも、ストレートラインのステップシークエンスが大きな見せ場だと感じています。

演技を終えてリンクから戻られるのを待って、私は氷に降りました。点数表示の間にやることは決めてました。普段は、クラブの先生の指導もあり、緊張をほぐすためにリンクサイドで膝の屈伸をするのですが、今回は、ホッケー用のサークルを使ってフォアとバックのクロスをしました。信じられないことに、フォアクロスで円周から大きく外へ逸れていきます。バックはそれほどではなかったのですが、やはり変な感じでした。クロスして前にかぶせる足のインエッジがどうしても入ってくれず、きれいなカーブを描けないのです。

でも、もう覚悟はできてました。「エッジが入らないなら、力で向きを変えるしかない」、およそフィギュア的ではない発想ですが、それしかないと思ってました。

コールされてセンターへ向かう時に、「頑張って~」と子供さんの声が聞こえました。多分、練習場所でお世話になっているご夫妻のお子様だと思います。私の先輩の応援に来られたようでしたが、ついでに私も応援して下さり、とても心強かったです。でも、センターの位置でストップする直前に軽くつまづいて、後ろへバランスを崩しそうになりました。極度に緊張し、足がガタガタ震えているのも感じました。ただ、発表会や大会ではいつものことなので、仕方ないとも思ってました。

曲が始まる前のポーズは、普段よりもスタンスを狭くして、動き始めのランジ滑走も腰高で良しとしました。もう、本調子でないことはわかってましたので、とにかく転ばないこと、そのために無理はしないことを咄嗟に判断したのです。その後のクロスはやはりエッジが入らず、「あ~あ」と思いながら向きだけ変えて、左フォアアウトでの片足滑走からモホークでスリージャンプ。高さは出ませんでしたが、すっぽ抜けなくて良かったです。イントロはここまで。

1回目の主題のアウフタクトを聴きながら、反時計回りのフォアクロスを2回入れるのですが、これもカーブが描けず。仕方ないので、右フォアのイン→アウトのチェンジエッジを省略して、すぐに右フォアアウトスリーから左バックアウトの足替えダブルスリーに入りました。これは、バランスを崩さなくて良かったのですが、直後の左インモホークで右バックインのエッジが入らず、勢いでごまかし、足を踏み替えての右フォアアウトのスリーもヘロヘロになりました。

上記が、唯一のステップシークエンスだったのですが、結局勢いでごまかす感じになり、かなり失速してしまいました。本当だったら、最初のフォアクロスでトップスピードに乗るはずだったのに...。

この後、時計回りのバッククロスを2回入れるのですが、スピードは回復しません。それでも、「根性で決めてやる」と下唇をギュっと噛んで、シングルトゥループの助走に入ったのを覚えています。根性を出せば、このジャンプはまず降りれますので、なんとかなったのですが....後が悪かった。

ここから2度目の主題になります。トゥループで根性を出せたことで油断したのか、アウフタクトでのフォアクロスでつまづきました。それでも、なんとか次のシングルフリップを(またぎジャンプでしたが)降りて、ランディングから右バックアウトスリーで前に向きを変え、反時計回りの細かいクロスに入ったのですが、ここで再びつまづきます。「足が動かない」と感じてました。ここでまごつくと、次のスリージャンプ+トゥループの時間がなくなるので(なんといっても、1分10秒のプログラムに5回のジャンプですので)、かなりあわてました。そのせいか、スリージャンプに入るためのモホークで3度目のつまづき...しかもバック滑走中でしたので、大きくバランスを崩しました。幸い転ばなかったのですが、「時間切れ!」の言葉が頭の中に響きました。曲はどんどん進んでいますので、スリージャンプ+トゥループは省略し、泣きたい気持ちでジャッジ席前を素通りしました。

本当に、泣きたかったです。こんなに足が動かなかったのは初めてでした。今振り返れば、やはり前夜の強行軍と徹夜をおしての貸切練習が災いしたのだと思います。それでも、つまづきながらも体だけはプログラムの進行方向へと動いており、曲から完全に置いてきぼりにならなかったのは、やはり、江戸川での貸切で滑り込んでおいたおかげだと思います。コンディションは最悪でした。でも、失敗してもリカバリーできるための保険は、あの貸切で得られたと思います。

それまでは、マスターズの準備としての曲かけ練習は全くできていなかったも同然(一度だけ営業時間中にマーキング程度はできましたが)でした。仮に休息を十分にとれたとしても、曲かけを経験していない状態で試合に臨む方が無謀だったと私は考えています。貸切がとれなければ仕方ありませんが...。

ボロボロのスケーティングでジャッジ前を通過し、3回目の主題になります。ここはスパイラルからですが、ヤケで普段よりも長めにやりました。エッジには乗っていたのですが、途中からフリーレッグがかなり落ちてます。でも、拍手をいただけたのが嬉しかったです。そのままシングルサルコウなのですが、この日の公式練習では一度も成功してなかったです。なのに、なぜか焦りはなかったです。個人レッスンで踏み切りを直していただいてましたので、先生から教わったとおり、左バックインで十分に滑る、意識というよりも体が自然とそのように動いた感じでした。やはり、繰り返し練習したことが、本番には生きるのかなと思います。動画を見返すと、ランディング時にフリーレッグが変な方向に泳いでいますので、あまり良いジャンプではなかったです。でも、無我夢中のなかでも転ばずに降りられました。

コーダに入ってスタンドスピンですが、やはり軸がとれずにヘロヘロでした。なのに、曲の結びの直前にジャッジ側が見えたので、結びの2拍でのポーズだけは決めることができました。偶然というか、たまたまなのですが...。ここは、5月7日に下見に来て、最後のスピンをさらっていたおかげかもしれません。

終わり良ければ全て良しといいますか、最後だけ決めることができたので、少しだけホっとしました。挨拶をし、リンクサイドに戻ったら、同じH組の先輩達が歓迎してくださいました。「良かったよ」と一人一人が握手して下さり、本当に嬉しかったです。もう、自分の採点なんぞ聞いてなかったです...すみません。ただ、「1.8」というアナウンスが耳に入ってきましたので、やっぱり2点台はとれなかったかと、ちょっと残念に思いました。でも、リンクサイドや客席で応援して下さった方々がいらしたことがわかり、本当に嬉しかったです。

私の後に、最終滑走の方が演技して、H組は全員が終わりました。着替えをして、レフェリーの杉田先生から一人一人講評をいただきましたが、それはマスターズから帰った直後のエントリー(「マスターズに行ってきました」)でも報告してますので、ここでは割愛します。H組のジャッジの中に、以前私が出場した大会でもジャッジをされた先生がいらっしゃいました。その先生に挨拶したら、「動きが重かった。体重が増えたのではないか?」と言われてしまいました。動きについては、やはりコンディションの問題だと思いますが、体重については耳の痛いところです。

ただ、減量も考えてはいますので、社会人の良識に沿った範囲で頑張っていきたいと思います。

H組が終わった後も、クラブの先輩が出場しましたので、リンクサイドで応援をしていました。yuujiさんやyunosukeさんをはじめとした、ネットでお世話になっている方々にもお会いでき、とても貴重な時間を過ごすことができました。私が一番頼りにしている、クラブの先輩からは、「焦っている様子が感じられた」との感想でした。やはり...(汗!!。

その先輩と観戦し、大田由希奈選手と澤山璃奈選手の法政大コンビが大学OGの選手を応援に来られているのを見ていました。大田選手は、リンクサイドで普通の靴を履いていても片足でバランスをとったり、軽くジャンプをしたりして、動きがリズミカルでした。根っからのダンサーなのでしょうか?全選手の演技が終わったところで、会場を後にして、ホテルに戻りました。途中でスタバに寄り、カプチーノとクッキーを食べながら帰り、ホテルでは爆睡でした。

翌日は、もう、悔しい気持ちで一杯でした。高井戸から環状8号線を通って用賀に向かい、そこから東名高速道路に乗って帰路につきました。車内では”アフリカンシンフォニー”を繰り返し流しており、その時点で来年はこの曲と決めていました。

地元に着いたら帰宅はせず、電車で名古屋に向かって、リンクで個人レッスンの先生に経過を報告し、スケーティングの練習をしました。なにより、滑れなかったのが悔しかったです。でも、それも全て良い経験であり、勉強になりました。

振り返って思うのですが、フィギュアスケートの大会は、ほとんどがアウェーです。移動の負担、練習場所の確保、その中でのコンディション調整ですので、不利があって当然なのかもしれません。特に大人は、仕事が優先となりますし、私達のように地元には通年リンクがなければ練習不足は仕方がないものでもあります。その中でどれだけ頑張れるか、それを試すのが楽しいのであり、思い出になると思います。仕事が終わったら速攻で東京へ向かい、道に迷ってとんでもない東京見物をした。やっとの思いで江戸川の貸切練習を確保し、独りで曲かけをした。その成果と疲れを背負いながら東伏見へ向かい、公式練習と先輩達への応援をし、いよいよ自分の出番。演技は不本意でしたが、転ばなくて良かったという気持ちも正直なところです。それに、少しは練習の成果もあったと思いますし。

とにかく、楽しい2日間でした。来年、また参加できるならば、もう少し賢い時間の使い方をしたいですが、できたら江戸川での貸切はまたやりたいなとも思います。一緒に借りてくれる人がいたらですが....。

大会を企画し、運営に携わって下さった全ての方々、特に”F.S.C.銀盤サテライト”の皆様にお礼を申し上げます。

2008年6月 8日 (日)

'08年マスターズ参戦記(2)

東名高速に乗ってから、ここまではトイレ休憩はなし。

リンクの夜間出入り口を探し、係員に貸し館の申し込み手続きと代金支払いをする。今回は遠方からの申し込みということで、利用直前の手続きで受け付けてもらえる約束になっていたが、本来は前日までに手続きが必要と言われていた。詳しい情報が必要な方は、江戸川スポーツランドに直接確認して下さい。貸し館の料金もサイトに案内があるが、とてもリーズナブルだと思う。それでも、この料金を一人だけで負担して1時間半を滑るのは、余程のことがなければしないだろう...多分。今回は、私には余程の事情であったし、洋服を買ったと思えば許容できる散財でもあったと思う。

リンクでは、アイスホッケーの練習がされていた。背中に”Sophia”と記してあったので、多分上智大学なのだろう。確か、”St.Paul's”なら立教大学だと記憶している。

手続きを終え、トイレに寄ってから車に戻り、2時30分くらいだった。予定より大幅に遅れたが、少しでも眠らないととシートを倒すが、全然眠くならない。まだ...アドレナリンが脳内を巡っている感じ。せめて、体だけでも休めようと、街灯がほんのりと照らす駐車場の車内で静かに過ごす。江戸川の川ベリを時々車が走るが、それほど気にならない。3時15分くらいに携帯電話のアラームが鳴り、リンクへと向かう。結局全然眠れなかった。ホッケーの練習も終わり、たった一人で夜勤をしている係員が、私のために整氷作業をして下さっていた。

ところが、怪我人が出たということで、作業は中断された。ホッケーの練習中に顔を切った学生がいて、救急車を呼ぶことになったそうだ。その旨を係員に告げられた時、応急処置くらいなら手伝えるかなと思ったが、それは既にされており、怪我人も独力で歩行していた。それなら救急車でなく、自分達の車で夜間救急外来に行くべきかとも思ったが、余分な口出しは遠慮して黙っていた。こんな深夜に受け付けてくれる江戸川区の病院なぞ、私が知る由もなかったし。

結局、事態が落ち着いて、整氷作業が終わったのは3時45分過ぎだった。「予定から遅れた15分間は余分に滑って下さい」と、係員の方はすまなそうに言って下さったが、私も予定が詰まっているので5時にはあがると返事をした。というのも、5時にリンクを出ないと、7時35分から東伏見で予定されている公式練習に間に合わないと思ったからだ。本番会場のリンクを体験せねば、何のためにここに居るのか、意味がなくなってしまう。

たった一人での滑走はとても快適だった。でも、体は既にお休みモードに入っていた。ウォームアップのスケーティングをしながら、なんとか感覚を戻そうとしたが、体が重くて仕方ない。それに、この日までの5日間は仕事でリンクに降りる機会がなかったので、その影響もあったのだろう。10分で済ませるつもりだったスケーティングを15分まで伸ばし、それから曲かけを行った。

リンクではラジカセもお借りしたのだが、MDをリピート再生する仕方がどうしてもわからなかった。係員の方にも伺ったが、要領を得ない様子だった。仕方がないので、リピートは諦めて、再生ボタンを押したらすぐに滑走開始位置に向かうようにした。でも、本来位置のリンク中央まで戻る間はなかったので、ラジカセ近くに開始位置を定めて、ズレは最初のジャンプまでに修正する仕方で繰り返した。

リンクを貸し切っての曲かけをして、本当に良かったと思う。心配していた通り、営業中の練習では気づかなかった問題点が次々とあらわになった。特に、マスターズ用に追加したシングルフリップから細かいクロスの部分で、曲から大幅に遅れてしまうのには焦った。これは、フリップの入りのスリーターンのタイミングを早めることで解決できた。動画を見ると、細かいクロスでつまづいたために次のジャンプ(スリー+シングルトゥループ)に入れなくなってしまったが、フリップからクロスに行くタイミングは間違いがなかった。曲かけ練習の成果だと満足している。

前後するが、イントロ後の最初のメロディーの部分での、ステップシークエンスは曲の速さに対応できていた。ここも今回変更した部分だが、個人レッスンで指導していただき、繰り返し練習した部分なので、ある程度の仕上がりになっていた。

半面、フリップからクロスに続いてのスリージャンプ+トゥループには、大きな不安が残った。スリージャンプを大きく跳ぶようになってきたので、ランディング後の勢いが止まり切れず、セカンドのシングルトゥループの軸が流れてしまうのだ。スリージャンプを小さめに跳ぶか、セカンドを根性降りにすれば、なんとかごまかしは効くが、きちんと跳んで降りるのでは一度も成功しなかった。先ほども記した通り、この部分は本番では跳べずに流してしまった。やはり、練習不足が露呈してしまったと反省している。

係員には、予定通り5時に終了すると言っていたが、進捗が芳しくないため、許可をもらって5時10分まで練習を伸ばした。最後の10分間は、脚が脱力してまともに降りれなくなっていた。それでも、ジャンプのタイミングだけは覚えないといけなかったので、無理を承知で曲かけを続けた。ほとんど、ツーフットでのランディングだったが、なんとか、1分10秒のプログラムの変更部分を曲で覚えることができたと思った。

係員に礼を言ってリンクを出ると、もう夜が明けていた。1時間後には早朝貸し切りが始まるということで、早速ザンボニーを走らせていた。ちなみに、私が利用させて頂いた時間帯は、夜間貸し切り5という枠だった。まさに、不夜城。ほとんど24時間営業なのか。

私も、寝る間もなく、東伏見へと車を走らせた。この道中はスムーズだった。途中から首都高7号線に入り、昨日間違えた4号線から外苑出口を横目で見ながら新宿も抜け、結局中央高速道路の調布インターで降りた。手前の高井戸で降りようか思案したのだが、昨年は東名川崎インターから北上して、調布→武蔵境→東伏見というルートをとっていたので、今年も慣れた道ということで、調布まで高速を使うことにした。

6時30分には、東伏見のダイドードリンコ アイスアリーナ駐車場に入った。アリーナの中に入ってみたが、受付はまだのようだった。とりあえず車に戻り、7時15分くらいまで仮眠をとり(少し眠れた)、それから再度会場入りをした。クラブと思われるグループが練習していたが、同じ時間帯に申し込みをしている人達が準備をしていた。軽くアップをして、まだ少し湿っている靴を再び履いた。

体の重さはさほど感じなかった。エッジのかかりがとても良く、すごく滑りやすい印象をもった。特に、トップスピードでもステップが踏みやすい。軸の安定もまずまずだと感じた。ジャンプも入りが良く、ランディングで乱れることも、さほどなかった。ただ、こういう状況で練習することに慣れてない年配の方々が幾人かいるようで、曲かけで滑っている人がいてもコースを空けてくれないのには閉口した。私の時も同様で、結局マーキング程度で、たった一度の曲かけは終わってしまった。その意味でも、独自に貸し切りをしておいて良かったと思う。

8時くらいまでの、30分間の公式練習が終わったら、出場エントリーを済ませ、着替えをして、後はひたすら仮眠をとった。

といっても、せっかくの記念なので開会式には出たし、普段お世話になっている先輩スケーターの方々の応援はしたかったので、細切れの仮眠となり、合計でも2時間くらいだっただろうか。コンディションは気になったが、ここに居る意味を考えると、やはり大会を楽しみたかったというのが本心である。

11時に昼食を摂り、12時くらいから本格的なアップを始めた。やはり、体は眠っている。いつもなら、ランニングで体を起こすのだが、周辺の地理に明るくないし、荷物も心配だったので、リンクの外でダッシュを数本やった。ある程度、体は動いたが、アドレナリンが足りない気分でもあった。昨日のドライブで消費し切ったのかもしれない。時々、めまいを感じた。でも、もう本番は間近。ここで頑張れなかったら、今までの練習は無駄になってしまう。

そう思いつつ、ゆっくり体をほぐし、13時過ぎくらいに更衣室へと向かう。それでも不安だったので、更衣室の近くで、携帯ステレオに合わせて振りをおさらいする。やはり、スリージャンプ+トゥループの足の運びに不安を感じる。すごく微妙な問題なのだが、フリーレッグがいいかげんなままの気がした。

更衣室は、楽しかった。文字通り、和気藹々という感じで、順位を競い合うというよりも、お互いの健闘を願うという雰囲気。特に、チョクトゥさんの衣装に皆が注目した。当然、何かやってくれるだろうと思ったが、期待に応えて下さる気持ちに拍手を贈りたい。ご自分で手づくりの衣装とのこと。チョクトゥさんとは、神宮でご一緒させてもらったことが何度かあった。私の友人の先輩でもあり、一度だけシンクロナイズドスケーティングの練習に出させてもらった時にもお世話になった。スケートに対する真摯な姿勢と、ハンドルにもなっているチョクトゥを始め、ステップのキレの良さは、是非記させてほしい。エンターティメントでの受けの良さは、そういう真面目さがバックボーンにあってのものと感じている。

13時40分には更衣を済ませ、靴も履き終える。ところが...ここで最大のミスを犯す。普段は使わない靴カバーが、試合用の衣装として用意してあったのだが、これは靴を履く前に足を通しておかねばならない。それなのに、いつもの通りに靴を履いてしまったので、もう一度靴を脱ぎ、靴カバーを通してから靴を履きなおした。これを、左右両方でやってしまった。結局、左右共に靴を脱いでは履いてという作業を繰り返したのである。

この日は、5時からの貸し切り、7時35分からの公式練習と、それまでに2度靴を履いている。更に、試合用の準備の間にも靴を履きなおしており、その都度、靴紐を固く締めてしまった。スケート靴の靴紐は、使用時間に伴って伸びてくる。それを考慮せずにきつく締めてしまったので、普段よりもかなり固く足を固定してしまったのだろう。本番を終えてから、このミスに気づいたのだが...。

それでも、いつもの練習ならば、しばらく滑っているうちに靴紐が伸びてくれるので、それほどの問題はない。でも、今日は既に延び切っていた状態できつく締めていたようだ。結局、固く締め付けられた足のままで本番を滑る破目に陥った。今回の失敗の最大の原因だと思われる。

13時55分から、競技前の5分間練習となる。既に違和感を覚えていた。エッジが全然入らない。靴が固すぎて、感覚が全然違う。もう、手遅れなので、とにかく滑る。先生(この日はレッスンの予定があったので帯同はしていない)からは、スケーティングは2~3周程度にして、ジャンプの確認をするようにと言われていた。でも、それどころではなかった。とにかく、滑らないなりに滑り、エッジの確認をした。フォアのアウトサイドは大丈夫なようだが、インサイドがなぜかアウトに入る。なので、クロスがすごくし難い。バックはそれほどでもないようだ。しばらく滑って、なんとなく落ち着いたので、スリージャンプから跳び始める。トゥループは、一回目でひどく軸が右に傾き転ぶが、踏み切りの感覚は悪くなかった。2度目は成功。拍手が嬉しかった。後のことはあまり覚えていない。ステップの練習やフリップもやったと思うのだが、すぐに5分間は過ぎてしまった。

先生に、居てほしかった。でも、仕方ない。自分で頑張るしかない。

同じグループに、練習でお世話になっている先輩がいらっしゃったので、他の方々と一緒にリンクサイドで応援する。思わぬところで転倒され、東伏見には魔物がいることを肌で感じた。本当に、多くの出場者が、ジャンプ以外の場面でつまづき、転倒していた。事前の下見で、このリンクの氷の質は均等でなく、滑走の伸びがマチマチになりやすいことは感じていたが、魔物の正体はそれだけではないかもしれない。

でも、一生懸命応援した。そして、誰もが、精一杯の演技をされていた。

全体のレベルは、年毎に向上していると思う。特に、女子の全般と、男子では30代と50代の空中戦が凄かったが、私達男子の40代もひけをとらないと思う。ダブルに挑戦し、見事に降りた方も幾人かおられた。私自身は、とても挑戦するレベルではなかったが、今後は意欲的に取り組んでいきたいと、先輩方の演技をみつつ考えていた。そして、一番感動したのは、エレメンツではなく、演技そのものだった。自分がそうなので想像してしまうのだが、ふんだんな練習環境や体力に恵まれた、大人スケーターは皆無に近いのではないだろうか。誰もが、様々な制約を抱えつつ、それでも果敢に挑んでいる。ステップの一つ一つ、ジャンプの一つ一つに、どれほどの思いと勇気が詰まっているのか?

全日本クラスの選手達から見たら、確かに稚拙な部分、見劣りするものは多々あると思う。でも、だからといって、観るべきものはないのだろうか?もしも、トップスレベルの方々との差を理由に、私達の演技が省みられないとするならば...それは、「演奏会で聴くべきはN響やプロの演奏家のものだけで、市井のオーケストラや吹奏楽団は行くだけ無駄」という意見と、同じ理屈になってしまうと思う。

やはり、そうではないと思う。技術的には全然歯が立たないが、市民レベルの演奏や演技にも、やはり聴くべき、観るべきものはあってほしい。限られた資源や環境の中で、なんとかやりくりして努力した成果、それが認められるからこそ、文化の裾野は広がっていくのではないだろうか。そして、広い裾野がなければ頂も高みを増してはいかないだろう。

今回は、マスターズに出場する機会を頂けた。でも、私が練習するリンクでは、黙々と毎週リンクに通いながらも、個人レッスンやクラブ加入の機会を得ず、プログラムも持たずに技術習得を頑張っている人達がいらっしゃる。それぞれの方々のお考えや事情があると思うので、皆がマスターズを目指すとは思えない。でも、そういう方々のことも覚えつつ、私は私として与えられた機会を感謝したいと思うのだ。別に、どこかの代表とか、誰それの気持ちを引き受けてといった大それたものではないのだが、同じリンクで同じ時間を過ごしている人達のことは、忘れない方が良い気がする。

だから、精一杯の演技をしたいと思う。

靴の中の足は、もう痺れを覚えていた。もう一度履きなおすか、思案もしていた。あるいは、更衣室に戻って足をマッサージするか...。でも、そういう試みをするには、もう時間がなかった。履き直しをしても、そこから足をフィットさせるように滑る時間はない。ならば、5分間は滑っておいた現状で本番に臨んだ方がマシに思えた。

それに、懸命に氷上で戦っている先輩スケーターの方々を観ていて、なんだかどうでも良くなってしまった。決して投げやりになった訳ではないのだが、自分の演技を心配するよりも、今、この人の演技を見ておくこと、それの方が大事な気がしたのだ。だから、自分のすぐ前の方の演技まで、応援の気持ちで観ていた。もう、競技者ではなかった。ただの観戦者として、リンクサイドに立っていた。

そして、すぐ前の方の演技も終わった。その方がリンクサイドに戻ってくるのを待ち、リンクに降りた。

                       (3に続きます)

'08年マスターズ参戦記(1)

今年のマスターズに初出場したのが5月17日なので、もう3週間が経つ。

仕事は相変わらず忙しいし、スケートはシーズンオフなので週末スケーターの活動サイクルになっている。今日は、クラブの先生のご尽力で、ちょっと遠征してクラブの早朝貸切練習ができた。でも、夏季はこのような機会は滅多にない。

それでも、日曜日は名古屋で個人レッスンの機会があるだけ幸いだと思う。クラブの先生のご了解をいただけたので、来年のマスターズ用のプログラムの振付を先週から個人レッスンの先生にしていただいている。曲は、私の希望がかなって”アフリカンシンフォニー”。ただ、4分40秒あまりの曲を、私が2分24秒に編集(使用したアプリは、 yuujiさんお勧めの”Sound it!”です)したものなので、手作り感は否めない。でも、個人レッスンの先生が振付をして下さるので、きっと素晴らしい仕上がりになると思う。一番のネックは私が踊れるか...ということだが...。

こんな風に、既に来シーズンに向けて動き始めているのだが、記念として、マスターズ参戦の顛末を記しておきたい。反省も多々あるが、自分としては頑張ったと思っている。また、頑張れるように、文章を残しておきたいのだ。

5月16日(金)から振り返る。本番の前日だ。

午前中は病棟実習があり、お昼に大学に戻って、担当の6名の学生達と個別に面談。それを踏まえて、学生達は週末に看護計画を作成せねばならない。その支援のための面談なのだが、終わったのは18時過ぎ。それから事務処理をして、業務終了が20時になってしまった。予定では、16時に面談を終えて、17時の定時であがり、18時くらいから3時間は仮眠時間をとるつもりだったのに。予定が上手くいった試しがない。

しばし思案し、思い切ってそのまま東京へ出発することにする。靴や衣装など翌日の用意は既にしてあり、荷物は車に積んである。なので、早めに出て、現地(リンクを貸し切った江戸川スポーツランド)で車内仮眠をとるしかないだろうと考えたのだ。インターまでの間に、ガソリンスタンドとコンビニに寄る。スタンドでは給油と安全点検(含むタイヤ圧のチェック)をお願いし、コンビニで夕食と運転中の飲料水と眠気覚ましを購入する。夕食はそのままコンビニ駐車場で食べる。飲料水は缶コーヒーやペット茶、ジュース類など多数。なるべく多くの水分をこまめに摂ることが、長距離運転での疲労回避のコツのように考えている。理屈というよりも、経験から得たものだが...。眠気覚ましは、いつもはカフェイン入りのガムだが、効果があった試しがない。今回は、たまたま見つけたビーフジャーキーを試してみた。これが、大正解!!。噛み応えと味わいが良く、とても快適なドライブになった。

21時には東名高速道路に乗り、一路東京へ。とにかく、現地での仮眠時間を確保したかったので、途中休憩はなし。一気に東京インターチェンジまで走った。

23時30分くらいには、首都高速道路に入ったと思う。渋谷駅や六本木ヒルズ、東京タワーを横目で見ながら、渋滞なくトラックの後ろをついていく。だが、ここから苦難の道のりになる。予定では、首都高3号線から都心環状線に入り、竹橋ジャンクションを経て7号線に向かうはずであった。ところが、三宅坂ジャンクションで間違えたらしく、4号線に入って新宿に向かってしまう。Uターンはできないので、外苑で一度降りてもう一度竹橋方面へ目指すことにするが、それが運命の分かれ目だった。

今、ネットで調べたら、正解は新宿を過ぎたところで中央環状線に乗り、北池袋で5号線に入って一直線に竹橋へ戻るルートのようだ。でも、私の車のナビは2000年現在の道路マップしか記憶されていない。2007年12月開通のそんな便利な環状線は知らなかった。

外苑で降りたら、そこは...花金(死語?)の都心だった。しかも眠らぬ街のミッドナイト...(冷汗)。国立競技場や神宮外苑アイススケート場でおなじみの場所だが、いつもは電車で来ている。ここを車で走ったのは、20年も前の大学生の頃。最近では、グランツーリスモのレースくらいか...。もちろん、後者はゲームでのバーチャルな体験である。名古屋も結構な都会だが(必要があって車で行くことがある)、東京の交差点はもっと怖かった。片側4車線はあるのではないか...。下手すると中央分離帯の反対側に迷い込んで逆走しかねない。もう、首都高へ戻るどころではない。とにかく、事故を起こさない、それが第一課題となってしまった。

幸い、タクシーがあふれかえっているので、その後をついていく。夜の都会を走って稼ぐ人達なので、よもや車線を間違えることはないだろう。そうして、幾つかの大交差点を越える度に、外苑からどんどん遠ざかっていく。後でナビの走行記録をみてみたら、何気にカナダ大使館や首相官邸の近くを走っていたらしい。確かに、ハイソな雰囲気あふれる景色だった。

でも、「そんなの関係ねぇ!!」(やはり死語か)。

グランツーリスモならいくらぶつけてもレースは続行されるが、今はリアルな都内走行。車や人にぶつけたら、そこで私のマスターズは終わってしまう。おのぼりさん気分に浸る余裕など微塵もなく、とにかく、どうすればこの喧騒から逃れられるのか?それだけを必死で考えていた。幸い、人と同様にタクシーがあふれかえっており、ひたすら渋滞の洪水。おかげで、ナビとゆっくり検討し合う時間だけはあった。

で、出た答えは、虎ノ門経由で新橋を抜け、山手線内側から脱出。

道路の案内表示によると、今居る道(調べたところ、外堀通りだったらしい)を真っ直ぐ進むと新橋駅に行くことがわかった。とにかく花金なので、酔っ払ったオジさん達が大挙しているのは予測できたが、今はとやかく言っている状況ではない。オジさん達を抜けてでも、都心から脱出しないと、私の練習時間がふっとんでしまう!!

しかし、それは試練の30分間(くらい)だった。

都内のタクシー達は、なぜか右側車線から私の車を遮るように左折を試みる。私は直進せねばならないのに、どないせいというのか...。もう、強気で割り込んで(どっちが?)交差点に進入させてもらった。さすがに相手もプロなので、商売道具の車を私とぶつけることは避けて下さった...良かった。でも、一番怖かったのは、新橋駅のガード下。とにかく、酔っ払ったオジさんやOL達が横断歩道に鈴なりになっている。交差点に進入する勇気はとてもない。でも...逃げれない。次から次へと後続車が居るので、戻ることはできないし、進むしかない。でも、酔っ払い。さすがに、強気に進んで相手に譲ってもらう暴挙は避けねばならない。いや、暴動で押し寄せる群集たちの中を車で進んでいる、そんな感覚でもあった。彼らは、歩行者信号なぞ関係なさそうに横断歩道を闊歩している。とても切れ間など見いだせそうもない。

「おい、本当に今日ーとっくに0時は過ぎているー、フィギュアの試合に出るのか?」と心の中でつぶやく。先生に報告したら張り倒されそうな、段取りの悪さ...。予定では、とっくに江戸川スポーツランドについて、3時半からの貸切に備えて仮眠しているはずなのに...。体中のアドレナリンが逆流しそうな緊張感。でも、アクセルはふかせない。でも、後続車のクラクションが気になる。歩行者信号が赤になって、いいかげんたち、やっと間隙を縫うことができた。その先も大渋滞で、やはり右車線から沢山のタクシーが左折しようとしているので、今度はその流れに従って左折(そこにも横断歩道がある...)した。

とにかく、酔っ払いと人身事故を起こさなくて良かった...。今、思い出しても冷や汗が出る。

タクシーの後をついて新橋駅を左折して5分ほど進むと...そこは銀座だった。

いったい、オレは何しにここに居るのか...?今でも悩む。

文字通り、黒服の男の人達が、大きな四輪駆動車に乗り込む強面の人を見送っている。自分には縁のない、別世界が車窓の向こうにありそうな雰囲気だった。とりあえず、タクシーが並んで停車している後ろに停車する。たぶん、信号待ちだろう。そうしたら、化粧をした中年女性の乗った軽自動車が駐車場から出てきて、タクシーの車列の右側をス~っと走り抜けていった。「へぇ、銀座でも軽自動車が走るんだ」と、新鮮な驚きで眺めていたら、すぐ後ろのタクシーがクラクションを鳴らす。どうも、退けと言っているようだ。仕方ないので、今の軽自動車に倣って、車列の右側を直進していく。

それでわかったのだが、タクシーの車列は信号ではなく、客を待っていたようだ。そこに私の車が割り込んでいたのだから、クラクションを鳴らすだろう。でも、おかげで、更に無駄な時間を費やさずに済んだ。感謝したい。

多分、数寄屋橋の交差点だと思うのだが、晴海通りの表示が目に入る。直進しても交通量は多いままのようなので、ナビと相談して、この交差点を右折し、築地から八丁堀に向かい、そこから京葉道路を目指すことにする。

この選択は正解だった。もう深夜1時近かったので、下町は寝静まっている。あとは、快調に車を飛ばす。京葉道路は比較的混んでおり、しかも帰り道を急ぐ車ばかりのようだったが、なんとか2時くらいには、江戸川のリンク駐車場を見つける。ちなみに、ナビはすぐ隣の団地で案内を終了してしまったので、細かい入り口は、タイミング良く通りかかったバス(江戸川スポーツランド行き)の後をついていった。こんな深夜でもバスは運行しているのか...と、少し不思議に思う。回送だったのだろうか...?

バスは隣の操車場に入り、私の車はスポーツランドの駐車場のゲートを通過した。

                                        (2に続きます)

2008年5月18日 (日)

マスターズに行ってきました

5月17日(土)に東京のダイドードリンコ アイスアリーナで開催された、第14回マスターズチャレンジカップに参加してきました。先ほど帰宅したところです。

会場でも多くの方々の応援をいただき、演技後も感想やアドバイスをいただきました。本当にありがとうございます。

既に暖房室に動画が掲載されていたので、見てみました。演技中からわかってはいましたが...足に来てます。全然足が動きませんでした。別エントリーで報告するかもしれませんが、前日からの強行軍がたたったのと、初出場で緊張したのと、両方だと思います。演技の始めから終りまでつまづいている映像をみて、よく転ばなかったと、つくづくホっとしています。フリップの後のバックスリーは上手くいったのですが、細かいフォアクロスでつまづいて、ジャッジ席前でする予定だった、スリージャンプ+トゥループのコンビネーションが抜けてしまいました。

「スケーティングが駄目なら、自分の何を評価してもらうんだ...」と半ばパニックになりながらジャッジ席前を素通りしたのを覚えています。

とにかく、滑れませんでした。5分間練習からエッジの乗りが悪く、時間のほとんどをスケーティングのチェックに費やしました。残り1分のアナウンスを聞いてから、やっとジャンプを試し始めたと思います。それでも、感覚はくるったままで、演技中は、フォアとバックのいずれも、アウトに入れるべきエッジがインに入ってしまい、バランスを保てませんでした。

このプログラムは、ステップシークエンスと5のジャンプ、そして最後のスピンのいずれも、フォアやバックのクロスでつないであります。ですので、クロスでつまづくとかなりマズい状況になるはずです...。とにかく...転ばなくて良かった...あと、スリージャンプ+トゥループは抜けましたが、他の4回のジャンプはなんとか降りることができて良かったです。トゥループとフリップの踏み切りが不安定で、いわゆる「またぎ」ジャンプになっていますが、足元がおぼつかないままでの踏み切りでしたので...それどころではなかった...というのが本音です。

帰り路は、悔しさで一杯でした。1分間のプログラムですので、転ばないことが第一ですが、スケーティングは一番力を入れていた課題です。特に、クロスはこのプログラムの肝でもあるので、集中的に練習していました。なのに、全然駄目だった...やっぱり悔しいです。ですので、地元の駅に車を置き、名古屋のリンクで練習してきました。

マスターズの素晴らしいことの一つですが、演技終了後にレフェリーから講評をいただけます。Jスポーツの中継での解説でお馴染みの、杉田秀男先生でした。国際審判の経歴を持ち、現在もISUの役員である方に演技をみていただけることは、本当に貴重な経験です。先生からは...

1.演技にメリハリがあり、タンゴで表現したいことは伝わった

2.動きは悪くない

3.全然滑れてない、練習不足ではないか

とのことでした。3.については、自分でもわかっていましたので、やっぱり言われたか、という気持ちでした。練習不足については、確かに5日間リンクに降りる機会がありませんでしたし、感覚が戻らずに本番を迎えたのは事実です。でも、そういう事情は多くの方々が抱えていることですし、それでも素晴らしい演技をされた方もいらっしゃいました。ですので、「練習不足」と言われないように自分でなんとかするしかないと思います。

もう少し付け加えると、ホームリンクが季節営業のために、4月以降クラブ貸切での曲かけ練習ができない事情は、自分でもなんとかしようと考えていました。それで、試合当日の午前3時半から1時間半、江戸川スポーツランドを一人で貸し切って曲かけ練習をしました。自分でも、そこまでやる必要があるのか?とも思いましたが、むしろ、練習不足を指摘していただいたおかげで、そこまで努力しての結果なのだから...と、悔しさを飲み込むことができました。

この深夜の貸切のために、ほぼ徹夜で試合に臨みました。そのために、足が動かなかったかもしれません。でも...あの曲かけをして、各エレメンツに入るタイミングをチェックをしなければ、たぶんフリップに入るタイミングが遅れて、もっとひどいミスをしたと思います。結果的にはスケーティングはメタメタで、スピンもろくに回れない、そしてコンビネーションを一つ省くというものになりましたが、曲かけ練習をせずに本番に臨むよりかはマシだったと考えています。動画を見直しても、ジャンプに入るタイミングはくるってなかった。このことは、大満足です。全力を尽くしました。これだけは、胸を張って申し上げたいです。

杉田先生から、もう一つ言われました。「1分間のプログラムでは、できることは限られるから」

順位は、H組(40歳代)男子の11人中8位でした。点数が低かった理由は、やはり滑れなかったことと、スピンが回れなかったことが大きいと思います。それと、他の先輩方が3分近くのプログラムを用意されましたので、評価のポイントとなるエレメンツの数が私とは全然違いました。今回は、様々な事情で、初級用の1分間の曲を使わせていただき、その中にできる限りのエレメンツを詰め込みました。ですが、レフェリーからも助言をいただきましたので、個人レッスンの先生にお願いして、2分間のプログラムを作っていただくことになりました。曲は、私が用意してよいとおっしゃって下さったので、決めました。

”アフリカン シンフォニー”を考えております。

もちろん、編集の都合や先生のご意見もありますので、まだわかりません。でも、辛い時、悔しい時に、いつも励ましてくれた曲です。ですので、次は、この曲で頑張りたいというのが、今の私の気持ちです。

8位という順位は、とても嬉しいです。というのも、マスターズでは8位までを入賞として表彰状をくださいます。とても立派なものをいただきました。初出場で表彰状をいただけた。何よりのご褒美です。ですので、このことを足がかりにして、できたら...来年は杉爺...をびっくりさせるような滑りを...でも、相手が手ごわすぎるかなぁ。

とにかく、頑張ります!!

2008年5月15日 (木)

出発前夜

明日の夜に東京に向けて出発するので、現在荷造り中である。

今週は月曜日から明日金曜日まで、全然氷に乗れない。当日に6日ぶりに滑るのだが、このブランクに上手く対応して良いパフォーマンスを発揮できるのか、それが一番の心配事だった。今週日曜日の個人レッスンでは、営業中にもかかわらず、先生が曲かけをして下さり、マーキング程度の踊りだったが、良い仕上がりとの評価をいただいた。プログラムの変更箇所も、なんとか曲に対応できているみたいだ。なので、今週は疲労を抜いてコンディションを整えるようにと、先生からは言われている。

その言葉で少し安心し、陸上でできることを少しずつやっている。

一つは、ランニングと水泳。いつものトレーニングだが、疲労を貯めない程度に続けている。もう一つ、エッジケースをつけたままで、自宅や職場でスケート靴を履く時間を作っている。インソールを入れてから靴の中が窮屈になり、何日か靴を履かずにいると、ブランク明けに痛みを覚えることがある。主に足の裏からなのだが、結構辛い。1時間くらい滑っていると靴と足とがフィットしてくれるようになるのだが、今回は、それでは間に合わない。なので、陸上でも靴を履いて、足を慣らすようにしている。こうしたことは、今回が初めてなので効果があるのかはわからないが、やらないよりはマシだろう...きっと。

一つだけ、安心なことができた。駄目もとで、東京近郊のリンクを調べていたのだが、深夜に個人で貸切のできるリンクをみつけた。かなり厳しい時間帯だが、17日未明に空きがあったので利用させてもらうことにした。なので、16日(金)の夜に出発し、17日未明に東京のリンクで最終チェックをし、そのまま東伏見の公式練習へと向かうことになると思う。きちんとした貸切での曲かけ練習は、3月以来になる。集中して練習できるチャンスを得て、本当に嬉しい。結果はともかく、精一杯の努力をして、本番に臨みたい。

不安要素もある。頸の調子が悪い。仕事が忙しすぎて、リハビリに通えないのが良くないのだが、首を回す度に”ミチッ ミチッ”と嫌な音がする。肩こり体操のおかげか、まだ、四十肩の症状は出ていないが、耳鳴りとめまいに悩まされている。今日の日中は、本当に辛かった。それでも、1時間くらい仮眠をとったら楽になった。

当日、この症状に悩まされないかは、正直、不安だ。でも、氷に乗ればなんとかなると思う。今までだって、滑ってこれたのだから。「神様、お願いします...」と祈りたい気持ちになる。あと、2日だけ、頸がもってほしい。事故の方は、先日、示談書を交わして解決とした。なので、今後の症状は、それこそ自己責任となる。

とにかく、頑張っていきたい。

2008年5月 7日 (水)

東伏見の氷

ゴールデンウィークに休日出勤をしていたので、本日、休日をいただいて東京に行ってきた。せっかくなので、5月17日のマスターズの下見の目的で、西武新宿線東伏見駅の近くにある、ダイドードリンコアイスアリーナで滑った。

昨年、一昨年とマスターズは先輩スケーターの方々の応援で観戦していたし、プリンスアイスワールドや2005年10月のジャパンインターナショナルチャレンジでも来たことがあった。でも、リンクに降りるのは今日が初めてだった。

目的は二つあった。一つは、氷の質を知ること。もう一つは、リンクの広さを覚えることだ。

氷質はかなり固めと色々な方からうかがっていた。それで本番で苦労するとも聞いている。ただ、自分が滑ってみたところでは、確かに固いが心配したほどではなかった。先生のアドバイスもあって1週間前に研磨したばかりだったので、エッジが上滑りすることはなかった。むしろ、かなり滑りやすい印象を受けた。しかし、インエッジでは膝をしっかり曲げて重心をたっぷり乗せないと力が氷に伝わらない感じもした。なので、他のリンクよりも一生懸命、力を使わないと思い通りに滑ってくれない。だから、結構疲れるリンクでもあると思った。

固い氷の割にストロークの伸びがないようにも感じたが、これには理由がありそうだ。ホッケーでのゴール裏になる両サイドが共に氷がゆるくなっている部分があり、特に東側サイドは表面は凍っているが、中は水になっていた。ここから中央に向かって筋状に水が浸潤しており、表面にも盛り上がりができている。一応、表面は全て氷になってはいるが、その下は場所によって状態が全然違っており、氷の密度が均質ではないようだ。しかも、屋外リンクのように表面にも筋が入っている。なので、同じようにストロークしても、スピードが出てくれる場所とあまり滑ってくれない場所とがあるようである。

特に、東側のゴール裏は注意が必要だと思う。ジャンプのランディングで滑らずに詰まったり、細かいステップワークが思うように進まない可能性があるかもしれない。私のプログラムの場合、ステップシークエンスはスピードをつけてこなしていくので、これは問題ないようだ。ただ、シングルのトゥループとフリップがこのあたりで予定されている。ランディングが詰まって、曲から遅れてしまわないように注意しようと思う。

リンクの広さも要注意だと感じた。滑ってすぐにわかったのだが、横幅が狭い。職員の方にうかがったら、はっきりしたことはわからないが、ホッケー用のベンチを設置した関係で若干狭くなっているのではないかとのことだった。2005年の世界ジュニアの会場であったキッチナーのリンクについて城田氏がコメントしていたのだが、カナダでもホッケー用で横幅が30メートルないリンクがあるそうだ。東伏見もおそらくそうだと思う。ストロークに伸びがないわりに、プログラム通りに滑るとフェンスにぶつかりそうになる。

これは、ジャンプからジャンプへと向かっていく角度を少し変えれば問題ないと思う。でも、当日だったら面くらっていただろうから、今日の段階で下見ができて本当に良かった。

初めてのリンクで慣れなかったというのもあっただろうが、4時間滑ってひどく疲れた。最後の1時間は完全にバテていた。練習内容はいつもの通りだったのだが、疲労度はかなりのものだ。おそらく、先に記した通り、頑張って滑らないと思うように進まない氷質なのだと思う。固い氷なら、スイスイ滑るはずなのに...。でも、エッジにはしっかりかかってくれるし、苦手のスピンも回りやすかったので、私には向いているリンクかもしれない。

リンク回りの観客席と看板が前後同じであり、スピン中にどちらを向いて止まればよいかがわかりにくいとも聞いたことがある。確かに、ダイドーの缶コーヒーの看板が北と南の両側に同じように掲げてある。でも、私の回転速度が遅いためか、今日の練習ではさほど苦労せずにジャッジ側(北側)を向いてポーズがとれた。たぶん、大丈夫だろう。

あとは、当日の30分間の公式練習と、競技前の5分間練習がある。そこで、氷の機嫌をうかがい、各エレメンツの場所をチェックして、本番に臨みたいと思う。

2008年4月29日 (火)

マスターズに出場します

既に申し込みはしてあったのだが、先日、クラブの先生にマスターズチャレンジカップ出場の許可をいただいた。このところクラブの先生が多忙なために、直接お会いする機会がなかったので、見切り発車で申し込みだけ済ませておいての事後承諾との形であった。もしも、先生が出場に難色を示されるのなら、棄権という形をとるつもりだったので、「体調に気をつけて頑張って下さい」とのお言葉は、本当にありがたい。

プログラムは、2年前にその先生が編集して下さった1分間の曲のものを使わせていただく。その許可も一緒にいただいた。まだ、滑り始めて1年もたたず、初級をとったばかりの頃のプログラムなので、エレメンツの難易度も低く、ごく簡単なプログラムだった。振り付けはアシスタントコーチの先生が担当して下さったが、「こんなに簡単でいいの?」と言われたのが印象に残っている。

それを、2年の間にブラッシュアップし、さして難易度はあがってはいないが、各エレメンツの間のつなぎ方には神経を使うように努力している。例えば、指定されたステップやスケーティングの歩数をきちんと守り、無駄なストロークは入れないとか、なのだが...。

もう少し具体的に記すと。。。

曲はコンチネンタル・タンゴ(1930年代のドイツで製作された映画の主題歌らしい)なのだが、イントロに続いて同じ主題が3回繰り返される。そしてコーダに入って終わりという、ごくシンプルな構成だ。このうち、イントロの終わりごろでスリージャンプが入る。そのランディングから前に踏み出して2回フォアクロスを入れる時に、”タララ”と1回目の主題のアウフタクトが3拍入ってメロディーが始まる。メロディーの部分は...従来はRFOのスリーターン2回だけだったが、先生の了解をいただいてステップ数を増やし、

1.RFI→RFOのチェンジエッジ  2.RFOスリーターン  3.LBOに軸足を替えてのスリーターン 4.時計回りのインモホーククロス 5.RFOに踏み出してのスリーターン

という構成にした。個人レッスン(クラブの先生とは違う先生についています)の先生にもみていただいたが、なんとかプログラムには入れられそうだ。この構成、最初のチェンジエッジやモホークにクロスを入れるなど、多少のアレンジはあるが、基本は豊橋での中野選手が子供達に指導された足替えのダブルスリーである。せっかく覚えたステップなので、プログラムに入れさせていただいた。曲の要請で、アウフタクトでの2回のフォアクロスでトップスピードに入れてステップに入る必要がある。なので、転倒の可能性もあって恐いのだが、なんとか転ばずに演技できたらと願っている。先生方からは、ストレートではなく、大きくカーブを描くようにエッジに乗ることを指導されている。クロスからチェンジエッジが入るので、S字になるのだが、R(回転半径)を狭めると、バランスを崩して失速してしまう。練習では何度も転んでいるが、頑張りたいと思う。会場の東伏見の氷がかなり硬質と聞いているので、ここのステップでエッジをきちんと使えるかが、演技全体の質に関わってくるのではと、心配している。

ジャンプの構成は、現行では、

1.イントロでのスリージャンプ  2.主題の1回目でシングル トゥループ 3. 主題の2回目でスリージャンプ+シングル トゥループ 3.主題の3回目で シングルサルコウ

と4回、3種類のジャンプだけだ。これは、「こんなに簡単でいいの?」と振り付けを担当された先生が言われた時点と変化がない。私の成長がないからと言えばそれまでだが、実際のところは、シングルならばトゥループをアウトモホークからのルッツに、サルコウをフリップに変えることは可能だと思う。ただ、種類よりもジャンプそのものの質を上げることを指導されているので、無理に難しいジャンプを跳ぶよりかは、少しでも確実な踏み切りや安定した回転で演技する方を選びたいと思い、種類の変更は先生と相談しないことにした。

ところが、先週から個人レッスンでサルコウのダブルが入っており、先生としては今回の大会に間に合わせたい気持ちもあるようである...。もちろん、間に合わなかったらシングルで臨むし、私としては、緊張する演技なのであまり冒険はしたくない。シングルのサルコウも踏み切りの修正を指導していただいたので、高さが出てきた半面、ランディングが難しくなっている。でも、「シングルにすると決めるのはすぐにできます」と穏やかに言われる先生の顔を見ると、「頑張ります!」としか選択できない。とにかく、頑張るしかない。

シングルアクセルは現在も練習している。ダブルサルコウの練習のおかげで、踏み切り時にフリーレッグを思いっきり振り出すタイミングはわかってきたが、空中での軸の締め方をまだ掴んでいない。両足着氷なら1回転半で降りれるが、右軸での片脚までいけていないので、やはり回転不足だろう...。転ばないので思い切ってプログラムで挑戦するという気持ちも頭をよぎるが、やはり危ないアクセルよりかは丁寧なスリージャンプの方が自分らしいと思う。アクセルには憧れもあるので、あと2週間努力は続けるが、間に合わない可能性の方が高いと思う。でも、アクセルの練習始めの頃に痛めてしまった股関節が、現在はなんともないのは、良い徴候だろう。

フリップは、一番好きなジャンプなので、できたらプログラムにも入れたい。でも、先に記したとおり、サルコウは外せないし、トゥループとの変更では尺(私の場合、トゥループは4拍、フリップやサルコウは3拍で踏み切っている)が合わない。主題の2回目の前半で、LFOスリーから半回転のホップが入る部分がある。これを1回転にすればフリップになるので、その方向で先生と検討していきたい。

スピンに関して記せば、現在はかなり深刻になっている。元々1分間という短いプログラムであるし、作成段階ではスタンドスピンもできない状態だったので、曲のコーダの部分でスタンドスピンが1度あるだけだ。本来なら、それで問題ないはずなのだが、3月の終わりから事故の影響か、右肩から頸にかけて炎症がひどくなり、一時は首を回すこともできなくなった。かかりつけの整形外科の病院でもう一度レントゲンを撮ってもらったら、頸の関節が歪んでいる(本来ならば前方向へ弓なりになるはずが後ろ方向へ曲がっている)とのことだった。救急外来ではそんな話はなかったのに...。幸い、ムチウチではなく、四十肩の症状(年齢も相応だし...)だったので、スケートの練習は続けながらリハビリ治療を受けた。そのおかげで痛みは軽快したが、スピンだけは全然回れなくなった。高速での回転軸が本当にとれなくなったのだ...。というか、練習を繰り返すと頭が重くなって辛い...。

なので、スピンは一から、のんびりとやり直している。元々スピンの練習は嫌いだったし、練習をサボれる言い訳ができてちょっと嬉しい。それに、プログラムでは最後の締めだけなので、ここで失敗しても演技全体の影響は最小限に収められる。印象は良くないだろうが...。もちろん、気持ち良く演技が終われるように努力はするが、人間、できる範囲のことしかできないとも考えている。

1分間のプログラムというのは、マスターズの時間指定で最短になる。2分、3分のものに比べて、盛り込めるエレメンツの数も限られるし、勝敗を論じる余地はない。なので、トップスピードに入れたら渋滞なくエレメンツをこなしていき、できる限り一つの作品として質を感じていただけたらと願うばかりだ。観て下さる方にとっては、あっという間に終わってしまう線香花火のようなプログラムかもしれない。でも、2年間も練習してきたプログラムであり、私自身は心から大好きな作品でもある。

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