東名高速に乗ってから、ここまではトイレ休憩はなし。
リンクの夜間出入り口を探し、係員に貸し館の申し込み手続きと代金支払いをする。今回は遠方からの申し込みということで、利用直前の手続きで受け付けてもらえる約束になっていたが、本来は前日までに手続きが必要と言われていた。詳しい情報が必要な方は、江戸川スポーツランドに直接確認して下さい。貸し館の料金もサイトに案内があるが、とてもリーズナブルだと思う。それでも、この料金を一人だけで負担して1時間半を滑るのは、余程のことがなければしないだろう...多分。今回は、私には余程の事情であったし、洋服を買ったと思えば許容できる散財でもあったと思う。
リンクでは、アイスホッケーの練習がされていた。背中に”Sophia”と記してあったので、多分上智大学なのだろう。確か、”St.Paul's”なら立教大学だと記憶している。
手続きを終え、トイレに寄ってから車に戻り、2時30分くらいだった。予定より大幅に遅れたが、少しでも眠らないととシートを倒すが、全然眠くならない。まだ...アドレナリンが脳内を巡っている感じ。せめて、体だけでも休めようと、街灯がほんのりと照らす駐車場の車内で静かに過ごす。江戸川の川ベリを時々車が走るが、それほど気にならない。3時15分くらいに携帯電話のアラームが鳴り、リンクへと向かう。結局全然眠れなかった。ホッケーの練習も終わり、たった一人で夜勤をしている係員が、私のために整氷作業をして下さっていた。
ところが、怪我人が出たということで、作業は中断された。ホッケーの練習中に顔を切った学生がいて、救急車を呼ぶことになったそうだ。その旨を係員に告げられた時、応急処置くらいなら手伝えるかなと思ったが、それは既にされており、怪我人も独力で歩行していた。それなら救急車でなく、自分達の車で夜間救急外来に行くべきかとも思ったが、余分な口出しは遠慮して黙っていた。こんな深夜に受け付けてくれる江戸川区の病院なぞ、私が知る由もなかったし。
結局、事態が落ち着いて、整氷作業が終わったのは3時45分過ぎだった。「予定から遅れた15分間は余分に滑って下さい」と、係員の方はすまなそうに言って下さったが、私も予定が詰まっているので5時にはあがると返事をした。というのも、5時にリンクを出ないと、7時35分から東伏見で予定されている公式練習に間に合わないと思ったからだ。本番会場のリンクを体験せねば、何のためにここに居るのか、意味がなくなってしまう。
たった一人での滑走はとても快適だった。でも、体は既にお休みモードに入っていた。ウォームアップのスケーティングをしながら、なんとか感覚を戻そうとしたが、体が重くて仕方ない。それに、この日までの5日間は仕事でリンクに降りる機会がなかったので、その影響もあったのだろう。10分で済ませるつもりだったスケーティングを15分まで伸ばし、それから曲かけを行った。
リンクではラジカセもお借りしたのだが、MDをリピート再生する仕方がどうしてもわからなかった。係員の方にも伺ったが、要領を得ない様子だった。仕方がないので、リピートは諦めて、再生ボタンを押したらすぐに滑走開始位置に向かうようにした。でも、本来位置のリンク中央まで戻る間はなかったので、ラジカセ近くに開始位置を定めて、ズレは最初のジャンプまでに修正する仕方で繰り返した。
リンクを貸し切っての曲かけをして、本当に良かったと思う。心配していた通り、営業中の練習では気づかなかった問題点が次々とあらわになった。特に、マスターズ用に追加したシングルフリップから細かいクロスの部分で、曲から大幅に遅れてしまうのには焦った。これは、フリップの入りのスリーターンのタイミングを早めることで解決できた。動画を見ると、細かいクロスでつまづいたために次のジャンプ(スリー+シングルトゥループ)に入れなくなってしまったが、フリップからクロスに行くタイミングは間違いがなかった。曲かけ練習の成果だと満足している。
前後するが、イントロ後の最初のメロディーの部分での、ステップシークエンスは曲の速さに対応できていた。ここも今回変更した部分だが、個人レッスンで指導していただき、繰り返し練習した部分なので、ある程度の仕上がりになっていた。
半面、フリップからクロスに続いてのスリージャンプ+トゥループには、大きな不安が残った。スリージャンプを大きく跳ぶようになってきたので、ランディング後の勢いが止まり切れず、セカンドのシングルトゥループの軸が流れてしまうのだ。スリージャンプを小さめに跳ぶか、セカンドを根性降りにすれば、なんとかごまかしは効くが、きちんと跳んで降りるのでは一度も成功しなかった。先ほども記した通り、この部分は本番では跳べずに流してしまった。やはり、練習不足が露呈してしまったと反省している。
係員には、予定通り5時に終了すると言っていたが、進捗が芳しくないため、許可をもらって5時10分まで練習を伸ばした。最後の10分間は、脚が脱力してまともに降りれなくなっていた。それでも、ジャンプのタイミングだけは覚えないといけなかったので、無理を承知で曲かけを続けた。ほとんど、ツーフットでのランディングだったが、なんとか、1分10秒のプログラムの変更部分を曲で覚えることができたと思った。
係員に礼を言ってリンクを出ると、もう夜が明けていた。1時間後には早朝貸し切りが始まるということで、早速ザンボニーを走らせていた。ちなみに、私が利用させて頂いた時間帯は、夜間貸し切り5という枠だった。まさに、不夜城。ほとんど24時間営業なのか。
私も、寝る間もなく、東伏見へと車を走らせた。この道中はスムーズだった。途中から首都高7号線に入り、昨日間違えた4号線から外苑出口を横目で見ながら新宿も抜け、結局中央高速道路の調布インターで降りた。手前の高井戸で降りようか思案したのだが、昨年は東名川崎インターから北上して、調布→武蔵境→東伏見というルートをとっていたので、今年も慣れた道ということで、調布まで高速を使うことにした。
6時30分には、東伏見のダイドードリンコ アイスアリーナ駐車場に入った。アリーナの中に入ってみたが、受付はまだのようだった。とりあえず車に戻り、7時15分くらいまで仮眠をとり(少し眠れた)、それから再度会場入りをした。クラブと思われるグループが練習していたが、同じ時間帯に申し込みをしている人達が準備をしていた。軽くアップをして、まだ少し湿っている靴を再び履いた。
体の重さはさほど感じなかった。エッジのかかりがとても良く、すごく滑りやすい印象をもった。特に、トップスピードでもステップが踏みやすい。軸の安定もまずまずだと感じた。ジャンプも入りが良く、ランディングで乱れることも、さほどなかった。ただ、こういう状況で練習することに慣れてない年配の方々が幾人かいるようで、曲かけで滑っている人がいてもコースを空けてくれないのには閉口した。私の時も同様で、結局マーキング程度で、たった一度の曲かけは終わってしまった。その意味でも、独自に貸し切りをしておいて良かったと思う。
8時くらいまでの、30分間の公式練習が終わったら、出場エントリーを済ませ、着替えをして、後はひたすら仮眠をとった。
といっても、せっかくの記念なので開会式には出たし、普段お世話になっている先輩スケーターの方々の応援はしたかったので、細切れの仮眠となり、合計でも2時間くらいだっただろうか。コンディションは気になったが、ここに居る意味を考えると、やはり大会を楽しみたかったというのが本心である。
11時に昼食を摂り、12時くらいから本格的なアップを始めた。やはり、体は眠っている。いつもなら、ランニングで体を起こすのだが、周辺の地理に明るくないし、荷物も心配だったので、リンクの外でダッシュを数本やった。ある程度、体は動いたが、アドレナリンが足りない気分でもあった。昨日のドライブで消費し切ったのかもしれない。時々、めまいを感じた。でも、もう本番は間近。ここで頑張れなかったら、今までの練習は無駄になってしまう。
そう思いつつ、ゆっくり体をほぐし、13時過ぎくらいに更衣室へと向かう。それでも不安だったので、更衣室の近くで、携帯ステレオに合わせて振りをおさらいする。やはり、スリージャンプ+トゥループの足の運びに不安を感じる。すごく微妙な問題なのだが、フリーレッグがいいかげんなままの気がした。
更衣室は、楽しかった。文字通り、和気藹々という感じで、順位を競い合うというよりも、お互いの健闘を願うという雰囲気。特に、チョクトゥさんの衣装に皆が注目した。当然、何かやってくれるだろうと思ったが、期待に応えて下さる気持ちに拍手を贈りたい。ご自分で手づくりの衣装とのこと。チョクトゥさんとは、神宮でご一緒させてもらったことが何度かあった。私の友人の先輩でもあり、一度だけシンクロナイズドスケーティングの練習に出させてもらった時にもお世話になった。スケートに対する真摯な姿勢と、ハンドルにもなっているチョクトゥを始め、ステップのキレの良さは、是非記させてほしい。エンターティメントでの受けの良さは、そういう真面目さがバックボーンにあってのものと感じている。
13時40分には更衣を済ませ、靴も履き終える。ところが...ここで最大のミスを犯す。普段は使わない靴カバーが、試合用の衣装として用意してあったのだが、これは靴を履く前に足を通しておかねばならない。それなのに、いつもの通りに靴を履いてしまったので、もう一度靴を脱ぎ、靴カバーを通してから靴を履きなおした。これを、左右両方でやってしまった。結局、左右共に靴を脱いでは履いてという作業を繰り返したのである。
この日は、5時からの貸し切り、7時35分からの公式練習と、それまでに2度靴を履いている。更に、試合用の準備の間にも靴を履きなおしており、その都度、靴紐を固く締めてしまった。スケート靴の靴紐は、使用時間に伴って伸びてくる。それを考慮せずにきつく締めてしまったので、普段よりもかなり固く足を固定してしまったのだろう。本番を終えてから、このミスに気づいたのだが...。
それでも、いつもの練習ならば、しばらく滑っているうちに靴紐が伸びてくれるので、それほどの問題はない。でも、今日は既に延び切っていた状態できつく締めていたようだ。結局、固く締め付けられた足のままで本番を滑る破目に陥った。今回の失敗の最大の原因だと思われる。
13時55分から、競技前の5分間練習となる。既に違和感を覚えていた。エッジが全然入らない。靴が固すぎて、感覚が全然違う。もう、手遅れなので、とにかく滑る。先生(この日はレッスンの予定があったので帯同はしていない)からは、スケーティングは2~3周程度にして、ジャンプの確認をするようにと言われていた。でも、それどころではなかった。とにかく、滑らないなりに滑り、エッジの確認をした。フォアのアウトサイドは大丈夫なようだが、インサイドがなぜかアウトに入る。なので、クロスがすごくし難い。バックはそれほどでもないようだ。しばらく滑って、なんとなく落ち着いたので、スリージャンプから跳び始める。トゥループは、一回目でひどく軸が右に傾き転ぶが、踏み切りの感覚は悪くなかった。2度目は成功。拍手が嬉しかった。後のことはあまり覚えていない。ステップの練習やフリップもやったと思うのだが、すぐに5分間は過ぎてしまった。
先生に、居てほしかった。でも、仕方ない。自分で頑張るしかない。
同じグループに、練習でお世話になっている先輩がいらっしゃったので、他の方々と一緒にリンクサイドで応援する。思わぬところで転倒され、東伏見には魔物がいることを肌で感じた。本当に、多くの出場者が、ジャンプ以外の場面でつまづき、転倒していた。事前の下見で、このリンクの氷の質は均等でなく、滑走の伸びがマチマチになりやすいことは感じていたが、魔物の正体はそれだけではないかもしれない。
でも、一生懸命応援した。そして、誰もが、精一杯の演技をされていた。
全体のレベルは、年毎に向上していると思う。特に、女子の全般と、男子では30代と50代の空中戦が凄かったが、私達男子の40代もひけをとらないと思う。ダブルに挑戦し、見事に降りた方も幾人かおられた。私自身は、とても挑戦するレベルではなかったが、今後は意欲的に取り組んでいきたいと、先輩方の演技をみつつ考えていた。そして、一番感動したのは、エレメンツではなく、演技そのものだった。自分がそうなので想像してしまうのだが、ふんだんな練習環境や体力に恵まれた、大人スケーターは皆無に近いのではないだろうか。誰もが、様々な制約を抱えつつ、それでも果敢に挑んでいる。ステップの一つ一つ、ジャンプの一つ一つに、どれほどの思いと勇気が詰まっているのか?
全日本クラスの選手達から見たら、確かに稚拙な部分、見劣りするものは多々あると思う。でも、だからといって、観るべきものはないのだろうか?もしも、トップスレベルの方々との差を理由に、私達の演技が省みられないとするならば...それは、「演奏会で聴くべきはN響やプロの演奏家のものだけで、市井のオーケストラや吹奏楽団は行くだけ無駄」という意見と、同じ理屈になってしまうと思う。
やはり、そうではないと思う。技術的には全然歯が立たないが、市民レベルの演奏や演技にも、やはり聴くべき、観るべきものはあってほしい。限られた資源や環境の中で、なんとかやりくりして努力した成果、それが認められるからこそ、文化の裾野は広がっていくのではないだろうか。そして、広い裾野がなければ頂も高みを増してはいかないだろう。
今回は、マスターズに出場する機会を頂けた。でも、私が練習するリンクでは、黙々と毎週リンクに通いながらも、個人レッスンやクラブ加入の機会を得ず、プログラムも持たずに技術習得を頑張っている人達がいらっしゃる。それぞれの方々のお考えや事情があると思うので、皆がマスターズを目指すとは思えない。でも、そういう方々のことも覚えつつ、私は私として与えられた機会を感謝したいと思うのだ。別に、どこかの代表とか、誰それの気持ちを引き受けてといった大それたものではないのだが、同じリンクで同じ時間を過ごしている人達のことは、忘れない方が良い気がする。
だから、精一杯の演技をしたいと思う。
靴の中の足は、もう痺れを覚えていた。もう一度履きなおすか、思案もしていた。あるいは、更衣室に戻って足をマッサージするか...。でも、そういう試みをするには、もう時間がなかった。履き直しをしても、そこから足をフィットさせるように滑る時間はない。ならば、5分間は滑っておいた現状で本番に臨んだ方がマシに思えた。
それに、懸命に氷上で戦っている先輩スケーターの方々を観ていて、なんだかどうでも良くなってしまった。決して投げやりになった訳ではないのだが、自分の演技を心配するよりも、今、この人の演技を見ておくこと、それの方が大事な気がしたのだ。だから、自分のすぐ前の方の演技まで、応援の気持ちで観ていた。もう、競技者ではなかった。ただの観戦者として、リンクサイドに立っていた。
そして、すぐ前の方の演技も終わった。その方がリンクサイドに戻ってくるのを待ち、リンクに降りた。
(3に続きます)
最近のコメント