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2019年10月21日 (月)

実家にて

独身の頃に住んでいた別棟を取り壊すというので、実家に帰っている。

1か月くらい前より、処分して欲しくないDVDや漫画を持ち出し、いらないゴミは清掃工場に搬出したりしていた。

そして今日から、いよいよ家屋の解体作業が始まるのだが、業者さんが来る前にこっそり...DVDレコーダーを運び出した。

テレビやデッキ類は全て処分することにしたのだが、一つだけ、初めてのハイビジョンテレビと一緒に買ったパナソニックのDVDレコーダーだけは持ち出すことにしたのだ。自分がフィギュアスケートを始めたばかりの演技の映像が入っていたからなのだが。それを失うのは、フィギュアを止めた今でも、惜しい気がした。

それで、実家のテレビにつないで中身を確認し、ディスクにダビングしてみた。

14年前の演技を見ると恥かしくなるのだが、確かに自分だなとも思った。この時の頑張りが、10年以上たって、「カルメン」とか「四季」、そして「君膵」につながっているのだと思う。暖房室で残して下さっているマスターズの動画を見直してみると、よくここまで動けているなと我ながら思うこともある。結果は芳しくなかったけど....。とにかく、頑張った! それだけは自分の14年間で言えると思う。

ただ、演技を見返して、また滑りたくなったかというと、それはない。フィギュアスケートの大変さ、難しさをひしひしと感じてしまった。同じ演技が今後もできるかと考えると、もう挑戦しようと思う気持ちにはなれない。今年の自分を振り返ってみても、右腕の骨折をおしてまでマスターズに出場し、滑りきった自分を、もう越えられないと感じるのだ。こんなに頑張ったのだから、もう十分じゃないか、そう思えて仕方ない。頑張りたくないわけではないが、頑張る自信が湧いてこないのだ。

演技を終えた直後は、骨折を治して来年も同じプログラムで出直しをしたいと思っていたのだが、三か月、四か月と治療が長引くにつれて、氷が怖くなってしまった。もう、過去の自分に区切りをつけてもいいんじゃないかと思うようになった。生涯スポーツとしても、フィギュアスケートは本当に素晴らしい種目だし、頑張られている沢山の方々と出会えたことに感謝している。でも、それはフィギュアを続ける理由にはならない。

自分の人生を眺めたとしたら、今回のような怪我を二度と繰り返すわけにはいかないし、過去の演技を見返しているうちに、むしろ14年間大きな怪我をしてこなかった方が不思議なくらいの危うさを見つけてしまった。一言でいえば、自分の演技はアンバランスだし、無理があると思う。それが、ジャッジから評価されない理由なのかもしれない。一番、力が抜けて自然なのが、今年の「君膵」だと思うのだが、皮肉にもその練習の過程で怪我をしてしまった。「あんなに打ち込んできたのに...」という思いは今でもある。でも、怪我の影響もあり、本番での演技は全然だった。本当に、素敵なプログラムを作ってもらったのに....どうして、あそこで転んでしまったのか。言いようのない悔しさは、今でも残っている。でも、来年に向けて氷の上に立つ気力は、どうしても出てこない。

結局、私にとってフィギュアスケートは、そのような存在だったのだと思う。

5月の大会前、名古屋のリンクを往復する車中で、繰り返し聞いていたのが「AXIA~ダイスキでダイキライ」というアニソンだった。歌詞の中に「片道だけの微熱で翔ける空」という表現がある。フィギュアスケートに対する自分の気持ちを言い当てている気がしていた。熱に浮かされたように練習を繰り返しても片想いのようなもので、結果としては報われない。それでも、滑り続けてきたし、いつの間にか14年が過ぎてしまった。片道だけの空を戻っていくことはできないのだから、そろそろ、次の空を探してもいいんじゃないかと思った。少なくとも、私はフィギュアスケートが大好きだったのだが、フィギュアから自分が愛されていたという感じはなかった。うらみつらみを記すつもりはないが、やっぱり片想いであり、報われない努力だったのかもしれない。

でも、この経験は、きっと自分の宝物になっていると思う。

たとえ報われなくても、14年も愛せたのは、幸せなことに違いないのだから。

だから、エレクトーンは、もっと幸せな気持ちで長続きしてほしいと思っている。

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