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2016年12月 6日 (火)

"まどマギ"の劇場版新編のラストについて

通りすがりのブログに、自分なりの考察を書かせてもらいました。

自分にとっては、とても大切な見方なので、自分のところにも記します。ただ、コメントをそのまま載せると問題があると思いますので、言葉は少し変えてあります。
内容は、アニメ作品「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版新編 ”叛逆の物語”のラストシーンについてです。

 自分なりに考えているのは、キュウゥべえが現れた時点で、世界に沸いた呪いの始末が終わったのではないかということです。それを確認したほむらは、ダークオーブを軸に踊って目的の完遂を独りで喜んでいるのかなと思うのです。この時、街に雪が舞うような描写が入りますが、それはナイトメア退治後のソウルジェム浄化と同じようなものかと。要するに、インキュベーターの介入によって呪いに汚染してしまった世界の浄化が済んだので、ほむら自身も消えて無くなったというのが、崖からの転落で表現されていたのかなと思うのです。

 ほむらの悪魔化のきっかけは、私も、花畑でのまどかとのやり取りだと思います。私は、飛行船はまどかを探し求める、ほむらの心理のメタファーだと考えていますので、飛行船のライトが二人を照らしたのも、まどかの本当の気持ちを知ったほむらの心理を表現しているのだと思うのです。

 でも、悲しいことに、「本当のまどか(の気持ち)」とは、魔法少女でもなんでもない、一人の少女として友達や家族と幸せに過ごしたいということでした。ほむらとの最初の出会い(1巡目)のまどかは、既に魔法少女になっており、芸術の魔女からほむらを救ってくれたヒロインでした。その”魔法少女まどか”が、ほむらにとっては拠りどころであり、最後の道標であったはずです。ところが、友達や家族と離れ離れになりたくないというまどかの本当の気持ちの中には、魔法少女としてのまどかは存在し得ないことになります。同様に、まどかが普通の少女であり続けることは、呪いが湧き続ける世界では、非常に脆く、儚い願いでしかありません。ほむらが魔力を使う限り、本当のまどかから遠ざかってしまう理由(=因果律)はそこにあるのかもしれません。

 だから、円環の理からまどか自身を引き剥がし、自分の保護する世界(他の方がコメントされた通り、それが”君の銀の庭であり、そして、エンディング前に出てくるクルミが、ほむらによって世界が護られていることを象徴しているのだと思います)で、キュウべぇをこき使って魔獣退治を進めていた。その完了をボロ雑巾になったキュウべぇから知り、世界の浄化(白い粉雪のような風景)を確認したので、自分は存在を消したと思っております。
先に記した、ほむらがまどかに最初に出会ったのを1巡目とすれば、魔法少女になる前の、普通の少女のまどかは0巡目であり、そこには、魔法少女や魔女としての暁美ほむらの存在する余地が無いことを悟ったのではないかと思うのです。だから、世界の浄化をもって、暁美ほむらは、まどかの住む庭を去っていったのではないでしょうか。


 この解釈は、「静かに寄り添って 何処にも行かないで」という”君の銀の庭”の結びの歌詞とは矛盾しますが、自分的には一番しっくりくる見方です。敢えて歌詞に合わせれば、「幼い眠りを守りたい番人」であった暁美ほむらが、(浄化の完了という)「声が呼んだ」ので、「花のように廻る時」を終えたというのが、ラストシーンの描写かもしれません。
結局、世界を破壊することもなく、まどかと戦うこともなく、二人でワルプルギスの夜との闘いをしのいだ後(3巡目)に交わした約束を、自分が世界を浄化し、独りで消滅することで果たしたのではないかと、それこそが、彼女なりの「愛」だったのではと考えております。

 
今さらですが、「魔法少女まどか☆マギカ」あるいは、暁美ほむらに興味が無い人には、どうでも良いエントリーで、すみません。

https://www.youtube.com/watch?v=Rnk6GrX81I0

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