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2013年4月

2013年4月13日 (土)

「ときどき黒猫」に書き込まれていたコメントについて

今朝ネットニュースで知ったのだが、ブログ「ときどき黒猫」の管理人さんが、猫宮黒埜という著者名で自費出版をされたらしい。それに対して、訴訟問題検討の動きが持ち上がっているそうだ。

フィギュアスケートの採点問題については、私はコメントしたくない。正直、競技会としてのフィギュアスケートにはあまり関心がないので、どの選手が何点獲得して何位になろうと、全然構わない。ただ、自分が応援している選手が、最後に良い笑顔でいてくれれば幸せである。私にとってフィギュアスケートは観るというよりも、自分で取り組むスポーツなのである。その延長線上で、選手達の優れた演技を観ているし、一生懸命演技する選手達を応援するのである。結果よりも経過(プロセス)の方が、自分にとっては大事である。

その意味では、ギエムが言った、「芸術に優劣をつけるのは馬鹿げている」という意見に近いのだと思う。もっとも、フィギュアスケートが芸術とは、私は考えていないが...。しかし、異なる音楽、異なる振り付け、異なるコスチュームで、その出来栄えに優劣をつけることは、やはり無理だと思う。それを承知で選手達は競技に参加し、観客は観に行くわけなのだが...。無理を承知で競技にするのなら、多少の疑義や不消化もいた仕方ないのではないだろうかと、私は思ってしまう。

もちろん、”多少の...”の部分には人によって許容範囲が異なるだろうし、そういういい加減さがフィギュアスケートの価値を損なうから、厳正さや透明性を追求すべきだ、という意見もあるかもしれない。でも、ヤグディンが著書で書いていたが、最終的にはジャッジの好み、リンゴが好きか、オレンジが好きかという問題になると思うし、異なる対象を比較して優劣をつけること自体に限界があると、やはり思えてしまう。ISUのジャッジシステムはとても優れていると思うが、結局はPCSという人の主観に拠る部分も大きいわけだし。

やはり、関ジャニの仕分けの番組でのカラオケ対決ではないが、同一曲に条件を合わせなければ、比較は無理なのだろう。あの番組は、歌っている時から採点の状況が一目でわかるし、得点が出た後で採点理由も解説してくれるし、わかりやすくて面白く観ている。野田前首相ではないが、試合が終わればノーサイドだとも思う。誰が優れていて、誰が劣っているのか、リンクを去れば問題にしなくても良いのではないか。お互いを競技者としてレスペクトし合えば、それで良いと私は考えてしまう。私はマスターズでは最下位の常連だし、それを悔しいと思う気持ちは、人一倍ある。だからこそ...なのだが、順位でクヨクヨ悩むよりかは、良い演技を目指し続ける気概を持ちたいのである。今年も最下位かもしれないが、それならそれでも良いと思う。また、来年に向けて頑張れるから(^^)v。

フィギュアスケートでむしろ、私が危惧しているのは、ドーピング問題である。

パフォーマンス向上だけでなく、選手寿命の延長や傷害の症状緩和のために、筋肉増強剤や消炎鎮痛剤(これの乱用が若年アスリートの間で広まっていると、サッカーに関する記事で読んだ記憶がある)に選手達が走らないか、それを心配している。そういった事柄については関心をもっていきたいし、機会があれば、このブログにも書けたらと願っている。

さて、「ときどき黒猫」に、ねくすとなる読者から不遜なコメントが寄せられていると、私のブログに教えて下さったことがある(そのエントリーはこちら)。もちろん、その読者は私ではない。そのことは、自分のブログのコメント欄にも、黒猫さんのブログにも記させて頂いた。それで、事は収束したのだが、ネット検索で私のハンドル(ねくすと)にフィギュアスケートなり任意の言葉を入れると、黒猫さんの問題のエントリーに行ってしまうことを、実は憂慮していた。「ねくすとって誰?」と、あるインストラクターの先生が私の知人に尋ねたことがあったらしい。リアルで私を知っている人が、このブログや私のハンドルを知って、”ねくすと”で検索したら、黒猫さんのところで大暴れしているのを読んでしまった。コメント欄を最後まで読んでくれれば誤解は解けるのだが、自分も知っている人らしきネット住人が悪態をついている様を、最後まで丁寧に読んでくれることは期待できないだろう。

結局、あいつはなん何だ!! という気持ちを持つことになりかねないのでは?と心配もしていた。もっとも、このブログでもかなり偉そうなことを書いているし、親父さんのところでも暴走したりしていたから、結局自分はその程度の器なのだが....。でも、黒猫さんのところの”ねくすと”氏は、あまりに失礼だと思う。断じて、あれは自分ではない!!

よそ様のブログのことということで、今までは特に何もお願いはしてこなかったし、このブログでも触れてこなかった。でも、黒猫さんのところは今後かなり注目されると思う。なので、改めて、私とは無関係なことを明記させてほしいと思った次第である。同時に、当該エントリーに混同しないでほしいことを私が願っていることを、追記してほしい旨をコメントさせて頂いた。正直、気が進まなかったし、愉快なことではなかったのだが、事ここに至れば、仕方ないと考えた次第である。

2013年4月 2日 (火)

闘牛士の歌

11月から振付けて頂いていた”カルメン前奏曲”は、12月までに2分間のプログラム全体の振り写しが終わっていた。1月と2月は自分の中でのおさらい期間とさせて頂き、3月に先生と最終チェックをして、プログラムはほぼ完成となっている。

「ほぼ完成」と記したのは、今後の曲かけ練習の状況で、手直ししてもらう箇所が出てくる可能性もあるからである。その曲を使わせて頂く間は「完成形」がないのがフィギュアスケートのプログラムなのかもしれない。

曲をかけての練習も、営業時間内はジャンプ・スピンは禁止なので、そこはマーキングだけでレッスンして頂いていた。仕事と大学院の都合でクラブは退会していたので、貸切練習の機会もなく、平日の休みにちょっと遠出して、ジャンプ・スピン可のリンクでおさらいしていた。いつも思うことだが、大人は制約が多い。それは、フィギュアスケートだけではなく、どんなスポーツ、あるいは趣味でも言えることだろう。その制約を受け容れて、色々と工夫しながら可能性を拡げていくのも、大人の楽しみなのだとも思う。幸い、私は交代勤務の仕事なので、平日に休みとなる機会が多い。それだけでも、純粋なサンデースケーターの方々よりも恵まれていると思う。それに、季節営業、あるいはジャンプ・スピン禁止ながらも地元にリンクがあり、車でちょっと遠出すればジャンプ練習もできるリンクにも行ける。ちょっと頑張ればチャンスが拡がることは、大人の趣味として、とても楽しいことだと思うのである。

もう一つ、大きなチャンスを、先生から頂いた。マスターズの準備になるからと、クラブの発表会の出場の機会を頂けたのである。そのクラブには、以前は自分も所属していたが、上に記したとおり、今は退会していた。なので、昨年の発表会は応援というか、観客として参加させてもらっていた。妻と一緒にリンクサイドで観るのも楽しかったが、ちょっと寂しい気持ちがあったのも正直なところであった。なので、今回のチャンスは本当に嬉しかった。生憎、その日は夜勤勤務になっていたが、勤務交代をして下さる同僚が見つかったので、ありがたく休ませてもらった。ナースTさん、本当にありがとうございます(笑)。

発表会は3月下旬だったが、2月には先生からお話しを頂いていたので、一か月あまり、とても充実した練習ができた。とにかく、出来立てほやほやのプログラムで恥をかきたくないという思いもあったのだ。レッスン中には振り付けを忘れたり、滑走方向がわからなくなったりして、立ち往生してしまうことが何度もあったので...。ジャンプ・スピンの練習は十分にできなかったが、間のスケーティングやステップの練習に重点を置いていた。貼り絵でたとえれば、台紙の部分をきちんとしておけば、上に貼り付けるエレメンツ(ジャンプ、スピン)が多少あやしくても、プログラムを滑り切れるだろうという計算だったのだ。

この計算は大体あたっていたようで、発表会の前々日と当日の2回だけ、朝の貸切練習に出させて頂いたのだが、なんとか滑り切ることができた。色々、課題は沢山あったのだが...。この朝練で、ジャンプ・スピンも入った”カルメン前奏曲”の2分バージョンは、一応の完成になったのだと思う。ただ、当日の朝練で、発表会本番の”正面”は普段の練習と反対になる、と先生からアナウンスがあった。プログラムを滑り込んでいたらあまり影響のない変更なのだが、ホヤホヤのプログラムで出る私にとっては由々しき事態であった。その日は歯医者の予約もしてあったので、午後の受診後ちょっとしてから、一般営業のリンクで最終チェックをした。幸い、正面が反対になっても大きな混乱はなさそうとの感触が得られた。

で、発表会での演技も、なんとか滑り切ることができた。途中、予想に反してというか、案の定というべきか、ステップの方向を間違えて往生したところがあったが、そこもなんとか誤魔化してプログラムを続けることができた。演技後に、先生からしっかり指摘されてしまったが...。そういうミスは、練習でクリアするしかないだろう。

とにかく、チャンスを頂けたこと、そしてリンクに立てたことが何よりうれしかった。

クラブの皆さん達からも声援をいただき、所属していた時と同じように接して下さったことにも感激してしまった。

そういう励ましがあるから、7年間もスケートを続けてこられたのだと思う。演技の中身、特に、ジャンプ・スピンについては、お粗末なところが多い。あと、バック滑走やモホークターンで氷を削ってしまう癖は、無くせないとしても、もう少し改善できたらと思う。でも、頑張ってきた軌跡は、演技の中にも出ているのではないかとも思う。スケートを始めて1年たった頃の自分の演技を、今でも見返すことがある。初心を忘れないために。あるいは、”暖房室”にお気楽さんが掲載して下さった動画を、年度を追って見返すことも時々している。改善できていない癖や欠点も目立つし、そういうのを目にすると、「このブログで偉そうなことを書いているのが恥ずかしい」と心底思う。

トップ選手の批評に対し、「お前が言える立場か」と切り返すのは粋ではないと、正直思う。そういうことを言い始めたら、誰も批評はできなくなるのは確かだろう。フィギュアスケートではなく歌舞伎の話だが、海老蔵の父上の市川団十郎について、「声がよくない」と姉がのたまっているのを聞いて、私はギョっとしたことがあった。でも、歌舞伎ファンの姉だからこそ妥協できないクリティカル(批判的)な立場があるのだと思う。歌舞伎を全然知らない私からしたら、「なんて恐れ多いことを...」と思ってしまうのだが、そんな私が姉の批評をとがめても、単なる野暮でしかないだろう。

だから、恐れ多いと思っても、フィギュアスケートについて感じていることをなるべく素直に、このブログに記していけたらと思ってはいる。

その反面、一応、自分も滑っている立場からすると、雲の上の存在の選手達を批評するのが憚れるのも確かである。自分の出来ていなさを実感しているにもかかわらず、トップ選手達のことをクリティカルに書けるほど、私は厚かましくないと思う....多分...。なので、基本的には浅田選手に対しても、応援の気持ちを前面に出しているつもりだし、素晴らしいところをきちんと記していけたらと思っている。それでも、応援しているからこそ、危惧の気持ちを禁じ得ないところがあるのも確かなのである。もちろん、それが杞憂に終わり、自分の厚かましさを恥じるだけなら幸せであるが。そういう複雑な気持ちがあるので、トップ選手についてあれこれ記すよりも、中央構造線のことや車でのドライブ記を書いている方が気持ちが楽というのも実感ではある。でも、書かずに後悔するよりも...と思い、結局は思っていることを書いてしまうのだが...。

なんにしても、浅田選手が、ソチ五輪で表彰台に乗ってくれることを祈っている。メダルの色はわからないが。でも、金メダルが無理とは限らない。もちろん、現時点では、キム・ヨナが最有力だと思う。彼女のベストのパフォーマンスを上回る演技は、今の浅田選手の延長線上では無理だとも思う。それでも確信を持って記せるのは、”スポーツは、何があるかわからない”ということである。それは、五輪で誰がベストのパフォーマンスを発揮し、誰が失敗してしまうかがわからないという意味でもある。最後に勝った選手が最も偉大であるとするなら、競技開始前の序列を覆す結果になることもあるだろう。あるいは、このオフシーズンの過ごし方によって、来シーズンの序列がダイナミックに変わる可能性もあるかもしれない。私は、コストナーがなぜ、こんなに安定して成績を残せるようになったのか、良い意味で不思議に思っている。何か、きっかけを彼女は掴んだのではないだろうか。同じようなきっかけを、浅田選手が掴まないとは限らない。実際、今シーズン、彼女のジャンプはかなり安定してきたのだから。同じように、キム・ヨナが来年も同様であるとの保証はない。もっとも、そうは言ってもヨナはヨナな気もするが...。

とにかく! 来シーズン、笑顔で終えてくれることを心から願っている。だからこそ、ツラツラと偉そうなことを書いているのだし。。。。もっとも、ここに書いても屁のつっぱりにもならないのだが。

タイトルの「闘牛士の歌」は、”カルメン前奏曲”の後半部分である。オペラの舞台では、第2幕の「ジプシーの歌」に続いて、闘牛士のエスカミーリョが酒場に登場し、人々(兵士)の歓待への返礼として、彼が歌う。埋め込んだ動画の1分10秒あたりから始まり、2分30秒あたりからの旋律が、、”前奏曲”の後半部分で使われる。今回の振り付けで新しく加わったのが、この後半部分であった。なので私にとって、「闘牛士の歌」を滑り切ることが、目下の目標である。

この旋律で繰り返し出てくる、トレアドールは闘牛士のことらしい。マタドール同様、闘牛士の役割の一つらしく、馬に乗っているらしいが、Wikipediaの「マタドール(カクテル)」の記述によれば、マタドール以外の闘牛士をひっくるめてトレアドールと呼ぶこともあるらしい。ただ、同じくWikipediaの「闘牛士の歌」の歌詞対訳を読むと、ピカドール(馬上から闘牛に槍を突く役)が出てきており、ピカドールとトレアドールは異なることがわかる。また、歌詞の内容や歌っているエスカミーリョが花形闘牛士ということを考えると、この歌で叫ばれているトレアドールは、今でいうマタドールと同じ位置ではないかと、私には思える。最終的に闘牛と対決する役割を担った闘牛士なのだろう。

そういう緊迫感を氷上で表現できるとは、さらさら思っていない。私は看護師だし...。でも、この曲で演技できることはとても嬉しいことだと感じている。そして、表現はできないとしても、歌詞の意味を噛みしめながら、プログラム完成を目指して、この後半部分に取り組んでいきたいと願っている。

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