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2012年10月

2012年10月28日 (日)

フィギュアスケートは安価なバレエなのか?

決してアンチに転じたわけではないし、コーチが嫌いだからという訳でもないのだが、ジャパンオープン2012の浅田選手のFSを観て、あまり良い感じがしなかった。

スケーティングが良くなったとか、ジャンプが安定したとか、多くの安心要素が見えた演技でもあった。今シーズンの活躍が期待できそうでもあるし、タラソワならではの細かいステップシークエンスも健在である。でも、「あれはないだろう...」と思う部分が散見した。

一番大きいのは、冒頭である。

有名な”情景”のメロディーで始まり、いわゆる白鳥のポール・ド・ブラ(腕の動き)をしながら滑走を始める。あまりに、ベタである。「白鳥の湖」といえばコレだろうという意見も多いかもしれない。でも、バレエの「白鳥の湖」にはこんなシーンは無いことは、記しておきたい。

”フィギュアスケートとバレエとは別もの”と、私は感じている。フィギュアスケートに音楽が必要である以上、バレエ音楽を選んでも、映画音楽を選んでも、あるいはポピュラーミュージックであっても、クラシック音楽であっても、ルールに従っている以上は構わないであろう。率直に記せば、フィギュアスケートに必要なのは音楽であり、その音楽が書き下ろされるきっかけとなった別ジャンルの作品の物語や雰囲気ではないと、私は考えている。

要するに、チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽の「白鳥の湖」はプログラムに無くてはならないものではあるが、バレエそのものに囚われる必要はないのではないか。ところが、振付家自身がバレエに囚われに行き、振り付けの中にバレエを意識したアイコン(偶像)を篭めてしまうことがあるようだ。そこに選手も落ち込んだ時に、選手の本来の輝きが曇ってしまう、そういう悪循環が、フィギュアスケートにはあるような気がする。

浅田選手の「白鳥の湖」で言えば、”王子のヴァリアシオン(ソロ)”(便宜上、バレエのセルゲーエフ版に対応した名前で曲を記す)が終わった直後に、両腕を真上に挙げて両手で左を指差すポーズがある。これと、ネット動画であがっているスヴェトラーナ・ザハーロワの”オディール(黒鳥)のヴァリアシオン”の最後のポーズとの関連を指摘する声は、やはりネットであった。でも、バレエであるザハーロワの黒鳥のヴァリの音楽は、浅田選手が使用している部分とは全く異なる。

タラソワが雛形にしたであろう(多分。。。他の版では、男達が群舞で踊るマシュー・ボーンの版の他は、私の知る限り、このポーズはないし...)ブルメイステル版のヴァリエーションが使う音楽と、浅田選手の使用している音楽とが全然違う以上、突然、あのポーズを見せられても、取って付けという印象しか、私には残らない。タラソワとしては、「ここから黒鳥の部分ですよ」というアイキャッチにしたかったのだろうか?だとしたら、それよりも前に”黒鳥のパ・ド・トロワ”や”王子のヴァリ”が入っているのがわからない。プログラムの構成を考えれば、最初の”情景”以外は全て黒鳥(第3幕の音楽)なのである。

フィギュアスケートの振り付けにバレエ的なアイコンを入れてしまうから、こういう訳のわからなさが生じてしまう。

そして、”情景”である...。

バレエではジークフリート王子が白鳥達を追って湖へと行く場面の音楽、あるいは、オデットが去った後に、王子が名残を惜しんでいる場面での音楽である。「白鳥」というよりも、王子のための音楽という印象が、私にはある。間違っても、オデットが羽をバタつかせて飛翔するための音楽ではない。にもかかわらず、フィギュアスケートの「白鳥の湖」というと、”情景”に合わせて腕をバタバタさせねばならないとすれば、それはバレエとは全く関係ない。もはや、コントでしかない。

どうして、浅田選手がこのようなコントに付き合わねばならないのか、私には全然わからない。彼女がバレエに向いているか?と問われれば、私はノーと言いたい。腕もそれほど長くはないし、演技中の姿勢もそれほどスラリとはしていない。そして、涼しげな首をしているわけでもない。決して悪くはないのだが、卓越した容姿を備えているわけではないだろう。昨シーズンのワグナーの「ブラック・スワン」の余韻も残っているこの時期に、浅田選手が「白鳥の湖」でベタな演技をして鮮烈な印象をジャッジに与えることができると、誰が期待したのだろうか?

先にも記したが、使用する音楽の選択肢としてバレエ音楽を選ぶのは、仕方がないのだろう。でも、振り付けにバレエ的(白鳥のポール・ド・ブラや黒鳥のポーズなど)を入れられたら、私達はどうしても、バレエの舞台と繋げてみてしまう。それがプラスに働くのなら良いが、マイナスになることもあるのではないだろうか?その意味で、タラソワの意図は失敗しているのではないかと感じるのである。

私が知っているオデットとは、こんな姿である。

ロイヤルバレエの舞台なのだが...。

コール・ド・バレエ、ソリスト達と続き、マリアネラ・ヌニェスのオデットが登場し、舞台中央でアントルシャ(真上に跳んで足を交差するステップ)とルティレ(片足を軸にして、動脚を軸脚の膝まで引き上げる動作)を繰り返す。この振り付けの中に、自由への、オデットの熱情を私は感じる。白鳥の王女としての抑制を保ちながらも、飛翔への強い意志をステップに篭めているのであろう。

演技の中に抑制を感じなければ、オデットはオデットに成り得ない。そのような表現が、フィギュアスケートで可能なのだろうか?あるいは、オディールにしても、ただ妖艶に、激しく踊ればそう見えるというものではない。王子の、あるいは観客の心を貫く直截的な表現がなければ、オディールではないのでは?と、私なぞは考えてしまう。もちろん、これは私の勝手な解釈だが、少なくとも、音楽が変わればキャラクターも変わるというほど安価なものではないだろう。

浅田選手のプログラムや演技が「白鳥」であり「黒鳥」であったか?と考えるなら、私なりの答えは一つである。衣装同様、グレーである。羽の抜け変わる前の幼鳥のような感じしか持てない。

私が今後の浅田選手に期待したいのは、TESがPCSを上回ることである。演技で何を表現するかとか、そういうことではない。音楽は、感じれば演じ方は自ずと定まってくる。頭であれこれ考えても仕方がないのではないだろうか?

それよりも、圧倒的な技術点、それが彼女の代名詞であり、強さであった。正直、PCSは水物だと思う。何を評価し、何を評価しないのかはジャッジの判断に委ねられるし、シーズン毎にトレンドが変わるかもしれない。やはり、安定して結果を出すには、技術点が卓越している必要があるのではないか?そう考えると、「白鳥の湖」は足かせになりかねないかもしれない。あまりにベタなイメージが、観客にも、ジャッジにも、選手にも染み付いているから。

技術に関しても思うのだが...ステップシークエンスやトランジッションがあまりに凝っていると(見劣りするのでは問題だが...)、それへの気持や労力で手一杯になり、ジャンプにかけるエネルギーが不十分になるのでは?と思ってしまう。トリプルアクセルを彼女はどうするつもりなのだろう?あるいは、3F+3Rは?そして2A+3Tは?エレメンツのレベルが高いのはもちろん素晴らしいことだが、ジャンプで得点を稼げないと、やはり勝つことは難しいのでは?と思ってしまう。それに、ステップが細かすぎると、今度は「滑っていない!ウォーキングステップに過ぎない」と批判する声も出そうだし...。やはり、高難度のジャンプを復活させることが、彼女の復活を意味すると思うのだが...。

要するに、変な芸術性に拘らず、自分の一番得意なこと、一番拘っているところを大切にすることが、選手の復活の鍵だと思うのである。およそ、浅田選手に「白鳥の湖」が合っているとは思えないし、バレエ的な表現が彼女の得意分野とも思えない。仮面舞踏会では彼女のパッションをそのままぶつけるような演技を求めたタラソワが、まさか、ベタな演技を要求するとは夢にも思わなかったのだが...。

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