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2012年9月

2012年9月17日 (月)

道中記

前のエントリーでも記しましたが、国道152号線を北上して松本まで行く旅は、一般道で新潟まで着けるかを検討するためのテストでもありました。そして、GO!との結論が出たため、職場から頂いた連休を利用して、現在、2泊3日の旅行を妻としております。

本当は1日で地元浜松から松本経由で新潟の糸魚川まで行き着くことに挑戦したかったのですが、日が短くなる季節であることも心配でした。そこで、夜勤明けの一昨日の午後に出発して長野県の下栗村で一泊し、そこを足掛かりにして、昨日のうちに糸魚川までたどり着き、富山県の魚津に宿泊しました。3日目の本日は高速道路を利用して帰途に着きますが、敦賀に寄って行きたいと考えております。

日常では、仕事の合間の大学院生活でレポート作成に追われているため、前回の旅行のような力(笑)の入った旅行記は書けないと思います。せっかく写真も撮ったので、少しずつ報告はさせていただきたいとも思うのですが....。取り急ぎで申し訳ないのですが、旅行中に感じたことを雑記として記させてもらえたらと思います。

 一番感じているのは、沢山の人々が関わる事業の素晴らしさです。

 感銘を受けたのは、新潟県の親不知(おやしらず)の道路事業でした。明治以前は北陸街道の難所として、寄せる波間を駆け抜けて命がけで通っていたそうです。通る前に波よけ観音にお祈りし、通ったら”南無遍照金剛”と無事を感謝したとのことです。ググったところ、遍照は慈悲で照らされること、金剛は大日如来とかダイヤモンドとかという意味だそうです。親不知より先の道を”浄土”と呼んでいたことからも、いかにこの難所が恐ろしかったのかが偲ばれます。明治時代に海岸線より上の岩場を掘削して道路を造り、波にさらわれる危険から逃れることができました。この事業を記念して、”如砥如矢”(滑らかな砥石のようであり、まっすぐな矢のようである)という文字が道の上にある岩に刻まれています。更に国道が整備され、今では海上に橋を渡して高速道路が通っておりますが、この事業も難工事だったそうです。

土木や建設の技術は目覚ましい進歩を遂げましたが、多くの方々の犠牲があったことと想像します。そのおかげで、人の命を危険にさらす脅威から護られて、自分たちは今日を生きているのだと感じた次第です。

 また、一泊目の宿泊先とした下栗村も素晴らしかったです。”日本のチロル”と呼ばれている山中の村落で、斜面を刻むように開いて、家々や畑が造られていました。「山の村の食事だから...」と民宿のおばさん達が出してくれた料理は、地元でとれた芋や野菜が主でしたが、本当に美味しかったです。丹精こめて育てている作物の恵みなのだと思います。私はコンニャクが苦手なのですが、おばさんが手作りしたという薄いピンク色のコンニャク(最初に見たとき刺身だと思いました)は、私でも口にすることができました。食べ慣れていけば、きっとおいしさがわかるようになると思います。今回は、半分を妻に手伝ってもらいましたが...。おばさんによると、村の起源はわからず、300年は続いているとのことです。永い期間をこの地域で生き抜いて、少しずつ村を大きくしたのだと思います。”耕して天に届く”というフレーズのポスターが民宿に貼ってありました。下栗の里の心意気をあらわした言葉だと理解しました。あと、星空が素晴らしかったです。満天の星を、初めて見ました。

太平洋側の国道152号線沿いは、農業や温泉観光を中心とした地域づくりが主と感じました。山間の集落の特徴を生かした村々の様子を垣間見た感じです。その反面、松本以北の日本海側の国道147・148号線沿いは、白馬や八方尾根、栂池といったスキー場に代表される、大規模なレジャー開発が地域の特色のようです。道路も全てセンターラインが引いてあり、対向車との擦れ違いもできない酷道部分はみられなかったです。もちろんスキーシーズンではありませんが、シルバーウィークの連休中ということもあり、行楽目的の自動車やツーリング中のオートバイが沢山来ていました。おそらく、政治家や企業による国土づくりの違いが、152号線と157・8号線の違いの背景にあると思います。でもそれだけではなく、急峻な大渓谷の底を走る152号線(太平洋側)と平地部もわりとある157・8号線の地形の違いも大きいのではないかとも感じました。

同じ太平洋側でも、中央構造線沿いの152号線が急峻であり、それと並行する天竜川沿いの151号線が平地部もあるといった違いがあることは、前のエントリーでも記しました。この違いは、152号線は小河川の連続であるのに対し、151号線は天竜川という大河川が一貫して流れているからだと考えております。日本海側の国道157・8号線は、152号線と同じように大断層(糸魚川ー静岡構造線)を利用して造られた国道ですし、沿線を大河川が流れている様子もありません。それでも平野部も多いのはなぜか、今回の旅行での疑問になりました。とにかく、この地形を利用して、スキー場開発が進められていったのではないかと、推測しております。

今回旅行は時期が良く、各地で実った稲や収穫の様子を見ることができました。152号線では山の合間の小さな水田、日本海側では米どころにふさわしい広大な水田も、同じように稲穂が実っていました。そして、収穫の秋祭りが各地で行われていました。どこの神社にも登りや提灯が飾られていたのを見て、長い旅行の癒しとなりました。やはり今でも、日本の文化は稲作に根差しているのだと感じました。この風景には、大きな違いはないようです。

最終日である今日は、最初に記したとおり、福井県の敦賀に寄る予定です。かねてからの思いだったのですが、美浜原子力発電所のPR館を見学したいと思っております。月曜日ですが、本日は敬老の日なので開館しているでしょう。もしできたら、美浜、敦賀、もんじゅ、ふげんといった敦賀半島の原発の外観だけでも観たいのですが、おそらく無理だと思います。でも、エネルギー問題は喫緊の課題ですので、自分なりに考える材料として、PR館だけでも寄れればと願っております。

もちろん、PR館ですので、原発の推進・維持寄りの施設であるでしょう。それでも、単に「反対・再稼働やめろ」と叫ぶよりかは、理性的な思考の助けになると考えております。私自身は、原発は廃止の方向に行くことを願っております。しかし、50年弱で原子の灯を消しても良いものか、科学技術の進歩・発展の観点、化石燃料依存からの脱却の観点、なにより国民生活の保障の観点から、性急な意見には危機感を抱いております。国のエネルギー供給が維持できなければ、再生可能エネルギー生産のための施設すらも建設できないでしょうし、研究も続けられないのではないでしょうか。

電力会社に頼らず、太陽電池や風力発電機だけで自活するのは結構なのですが、その機器を生産した工場は何で動いているのか?を考えずして、明日のエネルギーのあり方を論ずるのは滑稽でしかないと思うのです。同様に、SNSを駆使して連携を図り、地下鉄を乗り継いで官邸に来て、定期的に叫ぶ方々のライフスタイルにも疑問を抱いております。彼らの行動が歴史を変えるのか?何より、人々の望ましい方向へと変わるのか??について言えば、私は”No!”と断固申したいです。同様にSNSが生んだというアラブの春の行く末がどんなだったか、結局はイスラム原理主義が付け入る隙を産んだだけではなかったのではないでしょうか?

もちろん、日本の現政権が脱原発に傾くのであれば、それは私も願うことです。その大きな力として、彼らの声が作用しているのであれば、なお結構なことです。しかし、デモ(示威行動)は民主的な意見表明としては、およそ品のない手段であり、実効性には乏しいと推測しています。むしろ、反体制的な政治思想・活動家に利用さるのがオチではないかとも考えます。危惧しているのは、現政権が脱原発あるいは脱原発依存へと傾いたことへの、彼らの対応です。現実的な歩み寄りを目指すのか、それとも、直ちに全原発廃止といった原理主義的な主張に固執するのか、おそらくは、意見が割れるでしょう。デモンストレーションに依存した政治行動の問題点は、そういう現実的対応に脆いということです。だからこそ、自分は、違う立場から、この問題を眺めていきたいと考えるのです。

福島第一原子力発電所の事故以来、原子力発電をどうするのかは、喫緊の課題となりました。しかし、核燃料の扱いは、国家百年の計どころか想像を絶する難問でもあります。この取扱いをどうするのかは、水・食糧・道・安全に満たされた現在の私達が背負うべき課題であると感じております。でも、先達の偉業を目にして、人々の生き様を感じ取り、日本に生まれて良かったなと感謝している旅行でもあります。             

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