« 2012年6月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月29日 (水)

国道(酷道?)152号線北上記(その3)

やって来ました!北川露頭に!!

Kitagawa

中央構造線博物館のサイトにある写真と同じ場所で撮りました!!

Koutei3

Kitagawa2 

中央構造線博物館のサイトの説明に従えば、↑のような感じだと思います。この崖の下に、鹿塩川が流れており、川原から崖を見上げております。サイト説明文によれば、この露頭は、昭和36年の大雨で大きく露出したそうです。おそらく、前のエントリー最後に記した、大西山大崩壊をもたらした三六災害の豪雨のことだと思うのですが、思わぬ置き土産も残してくれたのだと感じました。

もともとは離れていた(水平距離で60km、深さで5~20km)領家帯と三波川帯の二つの岩石の帯が、大規模な断層の活動で少しずつ近づき、今では中央構造線として、1000kmの長さで接しながら、日本列島を貫いているそうです。この地質の違う二つの層の境界では、断層活動によって粘土の層(ガウジ帯)ができますので、写真左から、領家変成帯(内帯)、断層ガウジ帯、三波川変成帯(外帯)と並んで見えます。

正直、「ただ、土と砂を別々に盛った山じゃん」というのが第一印象でした。でも、色々と勉強していくと、日本列島の成り立ちや治山の重要性も含めて、多くのメッセージが地形には籠められているのだなぁと、感じるようになりました。

Kitagawa3

崖の上にある遊歩道から撮りました。「地質境界としての中央構造線」という言葉の意味が、わかる気がします。個人的には、境界面のくぼみが気になりました。

断層の境目は脆弱な地質になり、侵食(削られ)やすいことは、前にも記しました。大断層である中央構造線上を山の尾根が走る場合には、やはり断層の上は脆いため、そこだけ凹んだ地形(鞍部)になるそうです。そのことは、中央構造線博物館の屋外展示板を読んで知りました。同じ説明がパンフレットにも書いてありますので、スキャンさせてもらいます。

Anbu_2

Kitagawa4_2

上の写真は、北川露頭から(私の目でも)明らかになっている中央構造線の向き(静岡県方向)に山々を写したものです。やはり、向こうの山の尾根が凹んでおります。

パンフレットの説明では、鞍部を結ぶと中央構造線の上にならぶとのことですので、おそらくは...

Kitagawa5

こんな具合になるのではと、想像してみました。あくまでも、素人のあて推量ですが、地形を見るのが楽しくなってきました。鞍部の出来る理由は、断層以外にもあるそうです。ですので、あくまでも素人の楽しみの範囲であり、厳密性には欠けますが、「あ、あの尾根、鞍部っぽい!」と楽しみが増えたことは確かです。

で、北川露頭の窪みですが、断層粘土(ガウジ帯)が他と比べて脆いことは確かですので、そこが窪んでいるのは、山脈と並行の場合には渓谷の形成、山脈から流れた山の尾根が横切る場合には鞍部の形成と関係があるのは確かでしょう。なので、

Kitagawa6

このような模式的な理解も、そう見当外れではないのでは?と、考えました。

45分ほど眺めたあと、北川露頭を出て152号線沿いに北上します。そこから10分もかからずに分杭峠にたどり着きました。時間は11時45分頃、走行距離は142kmです。中央構造博物館に1時間あまり、北川露頭で45分間停車しておりましたので、6時出発からの通過時間は、すでに意味がなくなっております(ノンストップではないので)。それでも、便宜上、通過時間を記していきます。

Bungui

峠から伊那市の方を臨みます。渓谷はまだ続きますが、やや緩やかな盆地の風景になっているようです。峠のあたりには、観光客や自転車ツーリングの人たちが結構いました。パワースポットということで人気があるようです。峠を下ると、すぐに中沢峠に続き、そこも越えると道幅が広くなります。記しませんでしたが、博物館を出て北川露頭に向う最中から、152号線は、かなり道幅が狭くなっておりました。あと、結構な山道の連続です。

分杭峠→中沢峠と越えて、そういう酷道ともやっとオサラバです。時間は11時45分。147kmです。快適にドライブを続けていると、美和湖が見えて来ました。下調べの段階では、美和湖をゴール間近のサインとしていましたので、「やっとここまで来た!」と感慨ひとしおでした。

美和湖は、美和ダムによるダム湖です。ダム堤の近くに駐車できるスペースがありましたので、車を降りてみました。さすがに妻はグロッキー気味で、車の中で休憩していると言うので、私だけの散策です。

Miwadam1

若い稲穂を見ると、疲れも飛んでいきます。

Miwadam2

ダム堤の苔の緑色が、上の山肌と下の公園とにマッチしております。名前からか、女性的な優しいダムだなと感じました。

Miwadam3 

再出発です!目指すは、山の向こうの、更に向こうです!!

美和湖を離れると、すぐに高遠の町並みに入ります。町名表示を見る度に、”サーシャは元気かなぁ”と思っておりました。トリノ五輪のダークアイズ(黒い瞳)が懐かしいです。高遠の読み方は、正確には「たかとお」なのですが...(^^;。

そして、この町を過ぎると、国道152号線の呼び名は、秋葉街道から杖突街道に変わるようです。

Koutei4

最初のエントリーにも記しましたが、この呼び名は、諏訪大社の神事により、神様が降りてきて最初に杖を突く峠を杖突峠としたことに拠るようです(Wikipedia「杖突峠」より)。その記事によると、傾斜がきついとか、見晴らしが良いとか書いてありますが、さすがにそこまで気を配ることはできず、とにかく無事に茅野市に入ることだけを考えておりました。

そして、13時少し前に茅野市の新井交差点に着きました!走行距離は190kmを過ぎていました。交差点近くのドラッグストアで飲料や菓子を補給し、小休止をしました。昼食は妻がサンドイッチやおにぎりを用意してくれていたので、運転しながら食べておりました。ありがたかったです。

ここまでは、私一人で運転し、妻には助手席で地図を見てのナビと通過地点の時刻や走行距離の記録をしてもらっていました。というのは、このブログのためだけではありません。果たして、高速道路を使わずに太平洋側から日本海側まで一日で走破できるのかを検討せねばならなかったからです。

Kouzousen_2

前のエントリーで紹介した、中央構造線博物館のパンフレットからです。佐久間のあたりから北上していた中央構造線は、諏訪湖のあたりで再び東へ向きを変えます。そこで直交するのが、糸魚川ー静岡構造線です。私達静岡県民にとっては、こちらの構造線(略称、糸静線)の方が馴染みがあると思います。なにより、フォッサマグナの西端を形成するという意味で有名ですし。糸静線の静岡側の端は安倍川、あるいは由比と言われています(Wikipedia「糸魚川静岡構造線」より)。由比町の薩埵峠の景色は、私にとっても心の故郷みたいなものです。生まれも育ちも浜松ですが...東名高速道路から何度も見ておりますので....。東海の親知らずと言われているこの地形と同じものが、日本海側にもあり、しかも、糸静線の反対側であることをネットで知った時には仰天しました。是非、見たいものだと思い続けておりました。

なので、この旅の更なる目標は、諏訪湖以北は、糸魚川ー静岡構造線に沿って日本海側を目指し、向こう側の親知らずを目にすることにあります。

地元から諏訪湖まで国道152号線を使ったのは、その道に憧れがあり、いつかは北上したいと思った私の拘りからでした。でも、さすがに諏訪湖以北は、高速道路を使おうと思っていました。ところが、目指す糸魚川から松本までの間も「塩の道」であることを知ったため、地元から152号線を北上してのソルトロード、そして松本から糸魚川への「塩の道」と、二つの塩の道で日本列島を横断することを考えたのです。 しかも、この道は、中央構造線と糸魚川ー静岡構造線という、諏訪湖で交差する第一級の大断層に沿った道でもあります。

妻が図書館から借りてきた、「最新47都道府県危険度マップ」という本の85ページのコラムに次のように記されています。

図を見ると、塩の道が活断層である糸魚川ー静岡構造線に沿っているのがわかる。塩の道は活断層がつくった谷を利用しているのである。活断層は地震を起こす悪者ではあるが、山の深い土地では重要な物資の輸送路となったよい面もある。

これは、国道152号線(秋葉街道ー杖突街道)にも当てはまります。中央構造線の全てが現在も活動しているわけではありませんが、太古からの断層活動によって脆弱となった地質に渓谷が走ることは、何度も記しました。その渓谷を利用して道ができたのが、152号線の前身である、秋葉街道や杖突街道です。また、尾根が凹んだ鞍部は、山を越えるために峠として利用されてきました。鞍部の形成には断層が関っている場合もあることは、既に記しましたので、峠と断層とは縁が深いと言えます。この峠を村落の境とする場合が多いため、峠には寺社仏閣が建つことが多いそうです。これが、現代では有名な峠をパワースポットとみなす理由の一つだと私は考えております。

同じ理由か否かはわかりませんが、中央構造線に近い鳳来寺山と、糸魚川ー静岡構造線の静岡側の端に近い久能山には、東照宮があります。そうすると、肝心の日光東照宮はどうなのか?というと、断層には関係がないようです。でも、中央構造線が伊勢市の伊勢神宮のすぐ北側を走っているのは、中央構造線博物館のマップでも確認できます。

私自身は、パワースポット云々ということには関心はありませんが、そう言われる寺社仏閣や山地、峠などが構造線の近くにあることには、興味がひかれます。断層、特に地震を引き起こす活断層は恐ろしいことは確かです。しかし、昔から人々は、そうして出来た地形を利用して、生活を営んできたことは、上の引用文からもわかります。中央構造線が諏訪湖へと向きを変える佐久間に、佐久間ダムという大規模な発電施設を建設したことも、あながち構造線と無関係ではないかもしれません。もちろん、構造線が形成した大渓谷を利用して塩が内陸へ輸送され、それが街道となったこともです。

そういう、人と断層との地縁を感じたいという思いもあり、松本以北も、高速道路を使わずに、昔からある道を辿っていこうかと考えた次第です。妻も賛成してくれてますし。

ただ、日没後や日の出前の峠道はあまりに危険ですので、中間点の松本までどのくらいで到着するかを計り、その結果で、日没前までに日本海側に出られるかを検討しようと思いました。結果、152号線から分かれる茅野市までは、博物館や露頭に寄った、約2時間の休憩時間を抜けば、地元から5時間ほどで着くようです。茅野市から松本市の間は道が混んでロスが多いので、この間だけ長野自動車道を使うようにして、松本市(豊科IC)で降ります。そこから国道147&148号線(糸魚川街道)を通れば、17時くらいには日本海に出られそうです。

もちろん、計画通りに進むかわかりませんし、ぶっ続け(長野自動車道は妻に走ってもらうとしても...)で10時間運転というのは、結構大変です。こまめに休憩を入れなければなりません。トイレも考えないといけませんし....。でも、今回の旅行で、ちょっと自信を深めました。

Yuukidou1

今回の旅行でも松本市に行きました。茅野市からは、妻に運転してもらい、私は助手席で昼寝をしてました。諏訪湖が綺麗だったみたいです。松本での目当ては、上の写真の煎餅屋です。屋内の工場で実際に作っているそうです。”信州有喜堂”というお店で、岐阜県高山市の”有喜堂”と姉妹店だそうです。

きさくな、おばさんが応対してくれました。私達が静岡県から来たことを話すとびっくりされていました。このお店を知ったきっかけが、愛知県新城市の「三河三石」という道の駅で売っている、くるみみそのザラメ煎餅だったのですが、おばさんは、メモを取りながら熱心に聞いてくれました。自分達の製品が、愛知県のそんなところまで流通していることを、知らなかったそうです。まさに、塩の道ならぬ、煎餅の道かと...(笑)。

結局、色々な種類(全部で30種類くらいあるそうな)を買って、ホクホクで帰途に着きました。帰りも下道ですが、夜道は怖いので、天竜川沿いの国道153&151号線を使いました。秋葉街道に比べたら、道幅も広く、比較的平坦な道です(途中、やはり結構な山道もありますが、152号線に比べれば...)。ノンストップで、5時間で帰れました。

Maborosisennbei

お店で購入した品々です。帰宅後に並べてみました。

しめて3千円ほどです。夫婦二人の国道(一部酷道)往復で、ガソリン代5,000円。戦利品としては、悪くないと思います。

Stone

それと、北川露頭の鹿塩川の河原で、妻が拾ってくれた小石です。箸置きとしては使ってませんが、キッチンテーブルやパソコンデスクのアクセサリーになってます。

2012年8月28日 (火)

国道(酷道?)152号線北上記(その2)

いきなり写真からですが...。

Hyougoe5

前回に続いての、兵越峠から見た山々です。見晴らしは、やはり良くありませんが、天上界といった雰囲気がなきにしもあらずです。

Hyougoe6

標高1165メートルだそうです。頭頂部が寂しいのは、歳のせいではありません。子供の頃から良く言われてました。古めかしい案内板には、兵越峠の由来が書いてありました。武田信玄上洛にあたって、軍勢がこの峠を越えて遠州地方(浜松市のあたり)に侵入してきたことにちなんで、兵越と名づけられたそうです。写真を撮影したのは、同行者の妻です。

天下人になるために京都を目指すんなら、東海道(要するに国道1号線)を通るのが筋では?と、私は思ってしまうのですが...。そういう太平洋沿岸民の感想は、信玄にとってはどうでも良いことだったのかもしれません。

信玄の時代には、「塩の道」として、このルートは使われていたそうです。いわゆる「敵に塩を送る」という故事のルートは、日本海の糸魚川から松本へ(謙信から信玄へ)なのですが、この遠州から信濃に向う秋葉街道も「塩の道」だったようです。

Saltroad

前のエントリーで載せた、草木トンネル手前の表示板のアップですが、真ん中に縦書きで「ソルトロード」と書いてあります。遠州から信濃に至る、現152号線が「塩の道」であり、松本から日本海側の糸魚川へ至る道も、やはり「塩の道」であったということは、今後の私達の旅について、大いなる伏線を感じずにはおれません。その理由については、この道中記の最後の方に記すと思います。

峠の長野県側を下ります。

Hyougoe7

静岡県側とは違い、視界が一気に開けます。向かいの山々が、間近に見えます。そして、下り始めてすぐのところに、具合良く駐車できるスペースを見つけました。そこからちょっとだけ斜面を登ると、渓谷が一望できました!!

Keikoku1

写真左右を直線的に走っているV字谷、これが、中央構造線によって形成された大渓谷のほんの一部と思われます。国道152号線を不通にしている青崩峠は、この写真の左側にあるはずです。ガスが立ち昇って見えませんが、谷の下は小嵐川が流れているはずです。

Gakekuzure

写真中央の崖崩れのアップです。地層のズレやゆがみが見えますが、これも断層によるものか?と、素人ながらも想像をたくましくしてしまいます。

Keikoku2

同じ地点から右側を写しました。こちらの方は、八重河内川が下を流れているはずです。写真よりもはるか向こうまで、中央構造線による大渓谷は続いております。この様を目にしただけで、「来て良かった!」と今回の旅の意義を感じてしまいました。

でも、まだ道半ばまでも来てません。兵越峠を降りて、長野県側の国道152号線に入ります。

Uemura

上村川流域を走ります。このあたりも中央構造線による破砕の影響か、崖崩れの場所が結構ありました。道路にも落石注意の看板が何箇所もあります。道幅も狭くなり、対向車とのすれ違いも難しそうなため、とにかく道を急ぎます。日曜日の午前8時頃という時間が幸いしたのか、対向車とは滅多に出会いませんでした。

午前8時20分頃、走行距離90kmほどで、国道474号線との分岐部に来ます。

Koutei2

左折してそちらに入れば三遠南信道路に入りますが、どうも、この道は喬木という山の中で終わっているようです。でも、直進して152号線を行き続けても、第2の不通区間である地蔵峠に行き着いてしまいます。なので、この分岐部を右折して、蛇洞林道に入ります。

今回の旅行のために、「GIGAマップル 中部北陸道路地図」を購入し、ネットでもツーリングのレポートを色々と読みました。車にはナビがついていますが、それだけでは心もとなかったのです。この下調べのおかげで、道に迷うことなく、快適に旅行することができました。特に、道路地図には助けられました。ナビでは大局的というか、おおまかな道筋の決定・変更がなかなかできにくいし、地形図が書いてないために道のイメージがつきにくいところがあります。地図で、その不足を補うことができました。また、GIGAマップルは国道の狭窄部分(いわゆる酷道部分)の情報もあるので、今回の旅行では重宝しました。

Dadou

蛇洞林道を登ります。おそらく、写真向こうの尾根を越えたところが、大渓谷になるのだと思います。林道は文字通り綺麗な林の中を通り、軽井沢に向う道を思い出しました。これが長野テイストかと...。ただ、道路の整備事情は、静岡県の方が良さそうです。遠出をする度に、浜松市の道路行政のありがたさを感じてしまいます。

Dadou2

ピンボケで申し訳ないのですが、ビスケットの袋がパンパンになっていました。こういうのを見ると、高地に来たのだなぁと思います。

不通部分の青崩峠を完全に迂回した兵越林道とは違い、この蛇洞窟林道は不通部分である地蔵峠に接続する形で終わります。そこから地蔵峠をうねうねと下っていくと、中央構造線の安康露頭があります。ここに立ち寄りたかったのですが、都合の良い駐車スペースが見つからず、しかも、「ハチに注意」という看板もあったため、先を急ぐことにしました。目当ての露頭は他にもありましたので。

地蔵峠より先は、152号線は青木川と道を共にします。

Aokigawa

のどかな風景ではありますが、国道というにはあまりに田舎道すぎるような...。もっとも、国道301号線ほどカオス感がないのが救いではありますが。

Root3011

国道301号線の岡崎市に入ったところ。道幅は、青木川沿いの国道152号線とあまり変わらないかと。しかし...

Root3012

301号線の道端には土管があったり...しかも土管に佇んでいるのは、ゴルゴ?

そして、301号線の道端のたて看板には...

Root3013

ニンニン?? 更に、この看板の裏側は...

Root3014

あだち充テイスト満載の、タッチな明青学園バッテリーだったりします。

極めつけは...

Root3015

モノトーンなゲゲゲ...。水木しげるの貸本マンガ版より怖いかもしれません。よく見ると、親父さんの頭も肌色で、その中に小さな目玉が描かれています。それじゃ目玉親父じゃなく、全裸な一つ目小僧では?と...ひとしきり...。その向こうには、中華風なドラ猫ロボでしょうか?じつは、さりげなく、やなせたかし氏原作のキャラクターも描かれております。写真の右端に見えるイカリの刺青は、おそらく、ほうれん草が原動力のアメコミヒーローかと...。

以上の5枚のギャラリーは、国道301号線のカオスゾーン(岡崎市に入りつつも豊田市との境をなぞるように走っている区間)の写真です。地元からモリコロに行く途中、必ず通っております。今回の152号線の旅とは全然関係ありませんが、国道ならぬ酷道ぶりでは、良い勝負かと...。もっとも、152号線は過酷という意味で酷道ですが、301号線は単純に酷(ひど)いという意味での酷道なのですが...。

そんなこんなで狭い道を走っているうちに、中央構造線博物館に到着しました。午前9時20分、走行距離120kmほどです。インターネットサイトではお世話になっているところでしたので、ぜひとも、実際の博物館を訪れてみたいと思っておりました。あと、トイレ休憩も兼ねております。出発してから3時間はゆうに過ぎておりますので。

博物館は10時に開くので、それまで、のんびりと付近を散策しました。入り口の前の庭には、中央構造線に分布する岩石の標本が展示されているため、それを眺めたり、案内板に従って、実際に中央構造線が走っているであろうところまで見に行ったりしていました。その案内板によって、鞍部という言葉を初めて知りました。これについては、もう少し後、北川露頭のところで説明します。

10時に開場したので、大人一人500円の入場券を買って、二人で入場しました。真っ先にトイレへ行ったのは、言うまでもありません。入場口で係員さんに言われたのが、「今日は館長が居ませんので、質問されても答えられません」でした。熱心な来場者が多いのでしょう。私達も、あ~だ、こ~だと、二人で想像を逞しくして話をしていましたが、いかんせん、地質学については全くの素人で。それでも、昔の小学校によくあった、立体成型された地形図や、ボタンを押すと該当の箇所が点灯するジオラマとか、そういう子供でも楽しめそうな仕掛けで盛り上がれました。あと、これから訪れる予定であった北川露頭の標本(地表を削って固定したもの)には唸らされました。とても良い予習になりました。

館内で撮影して良いものか迷ったため、カメラは車内に置いてきてしまいました。せめて、博物館全景だけでも撮れば良かったのですが...。ここで唯一撮影したのが、

Oonisi

昭和36年の大西山大崩壊後です。梅雨前線による豪雨で起こった、三六災害で大西山は山体崩壊を起こし、42名の方々が亡くなったとのことです(Wikipedia「昭和36年梅雨前線豪雨」より)。その様は、中央構造線博物館からも見ることができます。また、長野県災害体験集のサイトに、当時の様子が語り継がれております(リンクはこちら)。

Tisann

博物館から更に北上すると、道路は広くなり、歩道も整備されます。でも、山にはがけ崩れの跡がところどころ見られます。上記の体験集にも記されていましたが、やはり、治山は大事なのだろうと、感じました。

ここまで、中央構造線との対面(大渓谷の一部&博物館)!でした。次回で、おそらく、松本まで行き着くと思います。今回旅行の、本当の目的が、画像入り(笑)で明かされると思います。

2012年8月24日 (金)

国道(酷道?)152号線北上記(その1)

子供の頃から、国道152号線には憧れていた。

地元、浜松市の国道1号線を起点に市街地を通り抜ける道だが、”二俣街道”という通り名で親しまれていた。天竜市(現在は、浜松市天竜区)の二俣のあたりまで続く道ということで、ずいぶん遠くまで続く道なんだなぁと、子供の頃は思っていた。もっとも、平成の大合併で巨大化した今の浜松では、二俣は市街地からちょっと出た郊外くらいの距離感なのだが...。

152号線を”二俣街道”と呼ぶのは、多分、浜松市民だけであろう。多くの人たちには、”秋葉街道”とか”杖突街道”という通り名で知られているのだと思う。”秋葉街道”は江戸時代以降に、秋葉山(浜松市の北部にある)へのお参りの道として人を集めたことに由来するらしい。一方、”杖突街道”は諏訪大社の神事に由来する名前とのこと。秋葉山は近くに、同じ名前のダムが天竜川にあるので、私も良く知っている。お参りに行ったことはないが、ダムへは、152号線を北上して何度かドライブに行ったことがある。東京の秋葉原の地名も、江戸っ子の誤解が元なのだが、この秋葉山とも関係がないわけではないらしい。要するに、AKBのルーツのような山でもあろう。

私達、地元民にとっては良く知られた秋葉山なのだが、遠く、信州の方からも参詣客を集めていたことは、今回の旅の下調べをするまで知らなかった。私にとって152号線とは、ほぼ二俣、よくて秋葉ダムまでの道でしかなかったのである。にもかかわらず、今回、152号線を北上して諏訪、松本まで行くことを思い立ったのは、もう一つの思いがあったからである。それは、「中央構造線」について知りたいという思いであった。

長野県の大鹿村にある、中央構造線博物館のサイトが面白い。特に、このサイト内の「中央構造線ってなに?」の写真はよく眺めている。書いてある内容は、難しくてよくわからないのだが...(リンクはこちら)。私が住んでいる、浜松市のすぐ北側の地域を貫くように中央構造線は走っており、その様は、大渓谷として人工衛星(例えばランドサットとか)からもくっきりと見えるらしい。もちろん、スペースシャトルや国際宇宙ステーションからも、はっきりわかるのだろう。

Googleroot152153

この写真は、私がGoogleマップからコピーしたものである。長野県飯田市のあたりである。画面中央やや右側の国道152号線が通っている渓谷が、中央構造線によって出来た大渓谷の一部である。この渓谷の左側を、天竜川が平らな土地を形成しつつ流れている。天竜川、あるいは国道153号線の谷が底の広いU字型だとすれば、画面右側の152号線沿いの谷は、切り立ったV字型の谷である。

もちろん、中央構造線の渓谷沿いにも川は流れているのだが、多くの部分は天竜川そのものではない。例えば、青木川、鹿塩川など、幾つもの河川をつなぐようにして渓谷が形成されている。要するに、国道153号線沿いの平地部のように天竜川の流れが形成した地形とは、152号線が通る渓谷は、全然違うのである。

これは、川が山を削って渓谷を作ったと言うよりも、別の要因が大きく作用して直線的な地形を創った。そこに水が流れて、河川が出来ていると考えるべきなのだと思う。「初めに河川あり」なのではなく、「初めに何か?あり、それによって河川でき...」なのである。その何かとは、中央構造線という日本を貫く大断層なのだが...。このあたりのことは、私も門外漢でよくわからないのだが、断層によって破砕帯という脆弱な地質の部分が直線的に出来、そこを川が浸食(削っていく)ことで出来たのが、152号線沿いのV字谷らしい。

想像なのだが、天竜川のような大河川が山地を削って谷を形成する場合は、侵食のスピードは緩やかで、時代によって流れる場所も変わるので、流域に幅広の平野部をつくるのであろう。それに比べ、断層によって脆弱になっている破砕帯を川が流れる際には、もともと削りやすい地質のため、切り立った渓谷が真っ直ぐに進んでいくような地形になるのであろう。これが、U字型の153号線沿いとV字型の152号線沿いの地形の違いの理由だと、私は考えている。あと、地殻そのものの運動も影響しているのだろうが、その辺りのことは勉強していないので...。

なにはともあれ、まるで背骨のように、日本列島を貫く直線的な大断層が自分の身近な地域にも走っているということに、私は驚きを感じている。その表れが地表には、直線的な大渓谷として観てとれるらしいのだ。

そして、中央構造線は、国道152号線沿いだけの話ではない。

Atera

写真は、愛知県新城市に位置する阿寺の七滝の写真である。2年前に行ったのだが、とても静かな場所であった。滝にたどり着くまでの林道の散策も面白かったところである。この滝は阿寺川の流れによるものなのだが、この滝の南側にも中央構造線が走っているそうだ(前述の中央構造線博物館のサイトの説明による)。ここを見に行ったのは、別に、中央構造線うんぬんとは関係がなかった。モリコロに行く道で馴染みになった三河地域の名所散策の旅の一環にすぎなかったのだ。他にも鳳来寺山とか千枚田とかにも行っているのだが。にもかかわらず、スケートの関係で馴染みにしている豊川流域にも中央構造線が走っているのを後で知り、スケールの大きさに、肝を冷やした次第である。

ついでに言えば、結婚前のデートで、渥美半島の伊良湖岬から紀伊半島の鳥羽までのフェリーに乗ったことがある。これも、中央構造線の海底断層の上を旅しているようなものだったのかもしれない。全然意識していなかったが...。紀伊半島に上陸すれば、松坂の月出というところに、最大の露頭(地中の様子が地表に現れている場所)があるらしい。いずれ、見物に行きたいものである。

152号線に話を戻せば、今回の旅行は、月出とは別のものだが、やはり露頭を観にいく旅でもあった。

出発は朝である。

Kasimabasi

浜松市の天竜区の入り口である鹿島橋。既に国道152号線上だが、便宜上、この旅行の出発点をこことする。午前6時少し前であった。

Tenryuu 右を見ると朝日の天竜川が眩しい。

最初に記したとおり、152号線は浜松では”二俣線”と呼ばれている。二俣町はこの鹿島橋を渡ったところにある。

Yamahigasi

二俣町を過ぎてすぐの山東の交差点。正面に秋葉神社の看板もある。この交差点を左側に行き、いよいよ山道へと入る。

ちなみに、二俣は天竜川のすぐ側の町だが、そこには赤石構造線という、中央構造線とは別の断層が走っている。車は152号線を走っているが、中央構造線に出会うには、まだ北上しなければならない。

Tatuyama

龍山村。6時10分頃。朝日の山村は綺麗である。

更に北上して、佐久間町に入る。6時20分頃、30Km走行。九州から四国、紀伊半島、そして豊川沿いへと東西に走っていた中央構造線は、このあたりから諏訪湖を目指して北上を始める。

Sakuma_2

画像を拡大して見てほしいのだが、黒の実線の左側に直線的な渓谷が走っている。周囲の山々はシワが寄ったように不規則な小さな谷を無数に持っているのとは対照的に、彫刻刀で削ったかのようにV字の谷が出来ている。赤い○が龍山町なのだが、その少し上のあたりでV字谷は向きが変わっている。龍山町より下流で天竜川は赤石構造線の上を流れるようになる(赤の実線)。私達は、この赤線の上を北上してきたのである。

「天竜川」と示した場所は、佐久間ダムによってできたダム湖(佐久間湖)である。ここから上は、天竜川はV字谷と並走するかのように流れるのだが、V字谷に流れ込むことはない。写真にある、V字谷(中央構造線によって形成されている大渓谷)が向きを変える、この佐久間のあたりだけ、天竜川は中央構造線の上を流れるらしい。

どうして、天竜川のような大河川が中央構造線を侵食せずに並走できているのか、その理由は、私にはわからない。ただ、興味深い事実と思うだけである。

佐久間から先は、いよいよ中央構造線をなぞっての旅になる。このあたりから、飯田線の線路やトンネルも車窓から見え始める。

7時少し前、走行距離50kmほどで、152号線から草木トンネルへの分岐部に来る。

Aokuzure

とは言ったものの、正規の152号線は写真右手のわき道へと続いており、センターラインの通り、道なりに進めば自然と草木トンネル(国道474号線)に入るようになっている。写真中央に青崩峠とあるが、この峠は152号線に2箇所ある、不通区間のひとつである(もう一つの不通区間は地蔵峠)。要するに、右の鳥居がある方向へ進んだら行き止まりになる。

Koutei1

この青崩峠のあたりが静岡県と長野県の県境なのだが、152号線では県境を越えることが今でもできない。そのため、草木トンネルを通って兵越林道に入って、兵越峠を通る形で県境を越さねばならない。不通区間の向こう側には、長野県の152号線が通っているので、兵越林道を降りれば、152号線北上の旅は続けられる。

Kusaki

この橋の向こうが草木トンネル。画面左側に建設途中の橋脚が並んでいる。今後、橋げたがかかる計画はあるのだろうか?

Hyougoe1

草木トンネルをくぐって兵越林道(静岡県側)を通る。センターラインはないが、対向車とのすれ違いもできるくらいの車幅で、勾配もそれほどきつくない。比較的楽に運転できる峠道であった。でも、山の頂が間近に見える。そして、この日は雨が続いてから数日後のことだったので、標高が高くなるにつれてガスの心配が出てきた。

Hyougoe2

木々の向こうに、山々が見える。見晴らしは、あまり良くない。これが静岡テイストか(天城峠もこんな感じだった...)。

Hyougoe3

兵越峠。写真は、進行方向から後ろを振り返って撮影。中央の案内表示版を拡大すると...

Hyougoe4 

やっと静岡県を越えた。というよりも、浜松市からやっと抜け出したのである。

この兵越峠が浜松市の北の端である。地元の水窪町(静岡県浜松市側)と南信濃(長野県飯田市側)との間で綱引き合戦を毎年行うことでも有名である。そして、浜松市の南の端は、遠州灘、海岸である。南北72㎞の長さである。

Hamamatu_2

ちなみに、国道152号線の総距離は248km。そのうちの1/3近くが浜松市内と考えても良いのだろう。上の図の通り、今回の旅の出発点とした鹿島橋は、浜松市のほぼ中央にある。そこを6時前に出発して、浜松市の境(=静岡県境)を出たのが7時過ぎ。写真撮影以外の停車はしないにもかかわらずである。走行距離は約60Km(山道なので、直線距離よりも長くなります)。おそるべし、浜松市...!ちなみに、飯田線でも、愛知県から静岡県浜松市に入って、1時間くらい乗らないと長野県に出なかった記憶がある。電車なのに...(飯田線がのんびり過ぎるという可能性もあるが)。 

以上、浜松脱出までの記録でした。次回は、中央構造線との対面!です。

2012年8月 5日 (日)

気分爽快

昨日未明のなでしこの決勝トーナメント緒戦(対ブラジル戦)は、夜勤だったので観戦できず、結果を朝食介助中のニュースで知った。グラスゴーへの移動を避け、カーディフでサッカー王国女子チームを迎え撃つ戦略が功を奏したのを知り、ホっとした。

もちろん、夜勤明けに録画で見たが、ほとんど負けそうな試合を耐えて2発のカウンターで試合を決めたところに、なでしこの真骨頂を見た気がする。ポゼッションサッカーは例えばスペイン男子とかブラジル(男女共通?)とかというお手本チームがあり、なでしこは、そういう先輩格のチームを目指す過程という感じがする。もちろん、このスタイルでW杯を制したなでしこの革新性は、マスコミの言うとおりなのだろうけど、ポゼッションサッカーがなでしこのオリジナルとは言えないだろう。

ブラジルに圧倒的なボール支配を許しつつも、最終的になでしこが勝った理由は、ポゼッションサッカーがなでしこオリジンでない証だとも思う。おそらく、なでしこの本当になでしこらしさは、澤の献身性ではないだろうか。オリンピックでは、センターバック二人の存在感がよく報道されているが、少なくともブラジル戦では、センターバックの前のスペースを埋める澤の姿が目立った。惜しみなく走り、ボールを持った選手にチャレンジし、あるいはボールをもらおうとする選手に併走する姿が圧巻であった。この献身的な守備があったからこそ、CBも冷静な対応ができたのではないだろうか。

とにかく、勝ってくれて良かった。まだ、金メダルを口にするのは憚るが、ウェンブリーにW杯チャンピオンチームとして雄姿を顕わすことができることは、本当に素晴らしいことだと思う。

夜勤明けで翌日休みの予定だったので、昨日夜の男子サッカーの対エジプト戦は心おきなく観戦できた。圧巻だった。2点目を決めた吉田麻也の、キングコングのような雄叫びが「ドンと来い!」という頼もしさを感じた。駆け寄った後輩選手達の表情を見ても、オーバーエイジ枠で加入した吉田選手は、本当に機能している。こういう人選をみても、代表監督の人を見る力というのは、代表チームにとって決定的な意味があるのだろうと思う。「もしも、このチームに香川が加入していたらどうだったのだろう?」と想像することもあるが、今の快進撃を見れば、「香川はA代表に専念してもらい、香川に次ぐ選手が出てくることに期待」(こちらのニュースより)と言う協会のビジョンも敬服に値するのではないだろうか?

正直、香川がU-23代表入りをして、オーバーエイジで本田圭佑が入れば、A代表のクォリティーがオリンピックでも観られるのかと、ミーハーなことを考えてしまうが、それではアタッカー陣とボランチとのバランスが保てないのかもしれない。中継で解説者が賞賛していた、ボランチの山口蛍が輝けたかもわからないだろう。

今後の準決勝、決勝は、幸い勤務の合間なので、観戦できると思う。オリンピック全日程を通してワクワクを与え続けてくれる、日本サッカーの進化に心から感謝したい。

本日、朝から実家の用事があったのだが、お使いでコンビニに向かう車の中で、競泳メドレーリレーで、男女共にメダルを獲得したことを知った。「競泳は27人でリレーをするようなもの。メドレーリレーの自由形の選手がゴールするまで、このリレーは続く」といったことを、背泳ぎの個人種目で銀メダルを獲得した直後のインタビューで、入江陵介選手が言っていた。本当に立派な選手だなぁと思ったのだが、この長い長いリレーで有終の美を飾った男子・女子選手の全員が、素晴らしい選手達なのだろう。

何より、金メダルを水泳教室の子供達に見せてあげたいとコメントしていた北島康介選手が、本当にメダルを(銀ではあるが)持ち帰ることができたことに、「良かったね」と感じている。メダルの色はともかく、本物のオリンピックに触れられることが、どれだけ子供達を勇気づけるだろうか。選手達がメダルの色に拘るのは仕方がないことなのかもしれない。でも、応援する私達は、正直なところ、色には最終的には拘っていないのではないかと思う。私達が金メダルを獲得するわけでもないし、トップに立てるわけでもない。ただ、ただ、応援できるだけである。だから、最後に臨むのは、選手達の笑顔ではないかと思うのだ。

もちろん、なでしこにも、W杯と同時期のオリンピック金メダルという快挙を成し遂げてほしい。男子代表に至っては、マイアミ(アトランタ五輪)で奇跡と言われたブラジル戦勝利を、もう一度果たさなければ、おそらくは金メダルは獲れないだろう。もしも、それができたのなら、初戦でスペインを、最終戦でブラジルを撃破することになる。そんな、マンガみたいな展開が現実になるのだろうか?できたら、観てみたい!もちろん、韓国がブラジルに勝てば、決勝戦が日韓戦になるかもしれない。それも、マンガみたいなことではあるが...。

マンガを超えた現実も、スポーツの世界ではあり得るというのは、例えば松井秀喜選手のワールドシリーズでのMVPや、イチローの大記録など、数々の実例がある。なでしこの快挙にしても、どの漫画家が想像したであろうか?あとは、どの選手が大空翼の後を追って、FCバルセロナの中心選手になるか?だろうか。

でも、こういう楽しみも、結果としてそうなったから笑顔で語れるわけで、「そうならねばならない」と肩ひじを張った論調になったら、まったく楽しくない。本田圭佑はいまだにモスクワで気を吐いているが、彼がプレミアリーグやリーガ・エスパニョーラの一員にならなければダメとかという価値観では、あまり面白くないと思うのだ。もちろん、彼が何を目指して頑張り、結果をどう受け留めていくかは、全く次元の違う話だが。

やはり思ってしまうのは、浅田選手がバンクーバーの銀メダルをどう感じているのか?ということだが、応援する者としては、やはり素晴らしいメダルであったと記したい。キム・ヨナも素晴らしかったというだけである。あの時、キム・ヨナが浅田選手に勝ったことは事実であるが、私自身はそれに拘ってはいない。それは、トリノで荒川さんが金メダルを獲ったことが嬉しかったが、スルツカヤより優れていたかどうかについては、私にはわからないのと同様である。正直、ジャッジの判定は、私にはわからないし、ジャッジが出る点数が絶対とも思わない。それは、五輪でも、子供達の大会でも、私達大人の愛好者の大会でも、私は同じスタンスである。大事なのは、選手達が納得できるかであり、最後に笑顔で終われるかであろう。

その意味では、体操男子団体競技での、内村選手の鞍馬での採点に対する、日本コーチ陣の抗議は、賞賛に値するであろう。「後味の悪い結末」と報道されているし、実際、その通りだったかもしれない。でも、選手達をサポートしているコーチ陣が、どれだけ真剣に採点を見ているのかをアピールできた機会でもあったと思う。こういう盤石のサポート体制があるからこそ、内村選手は個人総合で「五輪の魔物」に勝てたと思うのだが、考えすぎだろうか?団体としては、後味が悪かったかもしれないが、「次につなげるために」、選手達と共にコーチ陣も闘っていることが、最終的な笑顔の要因ではないかと考えるのである。

そう考えれば、今後の浅田真央選手に望むことは、最後に笑顔で「戦い抜きました」とコメントしてもらえることである。それが、国際大会であろうと、全日本であろうと、あるいはそれ以外の大会であろうと、結果はともかく、である。それを「敗北主義」と感じる向きもあるのかもしれない。でも、敢えて申し上げるが、私達の現実は、敗北の連続である。マスターズでクラス最下位となっている私の結果は、敗北以外の何ものでもないだろう。でも、その結果には納得しているし、それがフィギュアスケートを続けるモチベーションを損なうことはない。悔しさがないことはないが、その悔しさを呑み込むことも、現実世界で頑張り続けるためには、大事なことである。試合では、自分の出来ていない課題を確認できた。反面、達成できた課題もあった。それらを噛みしめつつ、日々汗を流す。それは、勝利で悔しさを晴らすことよりも、もっと大切なことと、私は考えている。「成果主義」とか「結果重視」と建前では言いつつも、プロセスこそが人を成長させるという現実も、世の中には多いのである。それを公言できる人も少ないのであるが...。

仕事で言えば、組織の中での妥協や納得できない仕事の引き受けなども、多々ある。人の死を敗北と言い切るほど古い価値観は持っていないが、”治らない病が世の中には多く、その結末は死である”という現実を認めなければ、高齢者への看護は到底できない。そういう意味では、「勝ち」に拘っていたら仕事にならない、というのが現実である。それは、仕事だけでなく、世の中で生きる多くの場面で共通するのではないだろうか。時には、「勝ち」を実感できることもあるかもしれない。でも、その背景には、数限りない「負け」が積みあがっているのが本当のところではないだろうか?

ロンドンオリンピックでは、日本の金メダル獲得数は、事前の目標には及びそうもないらしい。でも、メダルの色に拘らない獲得総数では、現在のところ堂々の5位である。特に、銅メダル獲得数は米国・中国の二大国に肉薄している。「金には届かない」という意味では負けなのかもしれない。しかし、そういう数多くの「金ではないメダル」に到達するまでに、国内選考会をはじめとして、五輪本番での予選、決勝トーナメントと、いかに多くの勝利が必要であったか。最終的には敗れたとしても、そこに至るまでのプロセスがいかに偉大であったのかを思わずにはおれない。特に、今大会の数多くの「金以外のメダル」の積み上がりが、今後の日本のスポーツ界を豊かにするかもしれないのではないか?

金メダリストとの差を知ることも、選手達にとっては必要なことなのであろう。でも、応援する者としては、やはり、その舞台にたどり着け、力を出し切ってくれたという事実を、賞賛せずにはおれないのである。オリンピックチャンピオン、メダリスト、入賞者、ファイナリスト、五輪出場選手、国内チャンピオン、国内有望選手と、様々な称号はある。それらの称号の優劣を論じるのは、野暮というものであろう。どのステージでも、力を発揮しきる選手達の姿、その現実を堪能するほうが、スポーツを観る者としては楽しいんじゃないかと考える次第である。今、現在のトップ選手だけを観るのではないという意味では、そういう姿勢は"Inspire a generation"というロンドン五輪のスローガンにも通じるのではないだろうか?

年齢的には、とうにロートルな世代に入っているのだが、フィギュアスケートや社会福祉研究では、私は初心者の部類に所属している。こういう世代間の捻じれ現象に、多いに刺激を受け、それこそインスパイアーされることしきりである。ただ、仕事と大学院との両立という意味では、やはり妥協を模索しながらの日々でもある。「両方で勝利」((Win-Win)というのは、「どっちも負け」(catch neither)にもつながるのかなと、思う日々でもある。不全感の残る仕事の経験は、茶飯事でもあるし、修士論文が不満足な出来になるんじゃないかという不安と闘う日々でもある。でも、そういう日々こそが勉強であるし、我慢を続けていけば、何事かをつかめるんじゃないかと、希望をつなぐのである。何より、今の充実感が貴重なのである。

ロンドンオリンピックで活躍する選手達の姿を見て力をもらい、自分もいろいろな場で頑張ることができる、そういう爽快な気分が嬉しい夏でもある。

2012年8月 2日 (木)

笹木監督の発言から感じる男気

佳境を迎えつつあるロンドンオリンピックでの、なでしこのグループリーグ第3戦南アフリカとの試合が、後半からひきわけ狙いであったことを笹木監督が記者会見で明らかにした。賛否ともにあるようである。

テレビで観戦していても、露骨に近い横パスの繰り返しがあり、「なかなか縦にパスが出せませんね。」と言う三浦淳寛のコメントをむなしく感じていた。それでも、笹木監督の姿勢に、ある種のフェアプレー精神を感じている。

何よりも、記者会見で監督指示と明言することで、選手に責任を負わせないことである。このことをはっきりさせなければ、メディアが選手達に疑惑の目を向け、それが過熱報道を生むかもしれない。仮に決勝トーナメントの緒戦(準々決勝)で敗れ、目論見が外れたとしても、「GL第3戦の勝ちを捨てた甲斐がなかったではないか!」との非難が選手に向けられることはないだろう。

もう一つは、日程の問題である。ロンドンオリンピックの日程は、グループリーグ3試合をわずか6日間(7月25日~7月31日)でこなしてしまう。これは、FIFA ワールドカップの南アフリカ大会(2010年)と比べると、はるかに短い。この時の男子日本代表の日程では、グループHは6月14日から24日の11日間での3試合であった。ちなみに、ロンドンオリンピックでは、グループリーグ第3戦(7月31日)から決勝トーナメントの緒戦(8月3日)までの間にわずか2日間しかないのに対し、南アフリカ大会の日本男子代表は、第3戦(6月24日)から決勝トーナメント緒戦(6月29日)まで5日あった。

3日に1回のペースで4試合をこなせというのは、正直、クレージーだと思う。条件はどのチームも同じかもしれないが、だからといって過酷な日程を呑めというのは乱暴な話ではないか。監督は選手を守る立場でもある。一つの大会で選手達が消耗し、疲労の蓄積や集中力の低下による怪我で、その後の選手生命を縮めることは、あってはならないことであろう。こんなハイペースで試合をせざるを得ない状況であるのなら、虎の子の2日間の休養日を移動で潰したくないという笹木監督の意見は、わたしはもっともだと思うのである。

気の毒なのは、ロンドンのウェンブリーからウェールズのカーディフに移動して日本と対戦せねばならないブラジルである。だが、彼女達のことを思えば、日本女子もグラスゴーまでの長距離移動や気候の違いを厭うべきではないとは、私は思わない。非人間的とも思える過密日程を、避ける選択肢があるのなら避けるのが人情であり、それを明言することで、責任を一人で負おうとしている笹木監督に、男気を感じるのである。

フェアプレー精神ということを考えれば、勝ちを目指さないのは、どうなのかと思う気持ちもある。特に、無気力試合を理由に決勝トーナメント進出を失格とされたバトミントンのことを考えると、なでしこも批判にさらされるのではないかと危惧する。幸い、FIFAは不問に付すると声明を出したが、その裏には、もともとが超過密日程であったという事情もあるのだと、私は信じたい。

« 2012年6月 | トップページ | 2012年9月 »

バナー

フォト
無料ブログはココログ