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2012年6月

2012年6月26日 (火)

リスクを獲って、モノを言う考え方

「増税の前にやるべきことがある」と主張する小沢一郎氏に、素朴な疑問を感じる。

鳩山政権時代に彼が幹事長であった時期、民主党は何をしたのだろうか?と。

迷走に迷走を重ね、普天間基地の問題で政権が頓挫した鳩山首相の一番の功績は、自身の首相辞任と抱き合わせで、小沢一郎を幹事長から降ろしたことだと私は考えている。政権交代1年目といういい訳もあるかもしれない。でも、この1年は日本の国にとっては大きな痛手の残る1年であったかもしれない。

政権を担った初心を忘れないと、小沢氏は言うが、少なくとも、一国民である私にとってはトラウマでしかならない。日本はどうなるのか?と暗澹たる気持で、政権の茶番を見ていた記憶は、今でも残っている。あの時に、あれしかできなかった輩が何を言うか!もし、今、「その前にやるべきこと」と言うのであれば、あの一年、あるいはそれまでに、彼は何をしてきたのかを、私は考えたい。

「その前にやるべきこと」と言うのは、夏休みの日々を無為に過した子供が、登校日になって「宿題がまだある」と慌てる姿にしか、私には見えない。宿題を先送り(というよりも無視し続けた)輩が、いよいよその時になって駄々をこねても見苦しい、私はそう感じている。

野田首相の手続きが適切だったとは、私は感じていない。

党内の取りまとめよりも野党との合意を先にしたのは、順序が違うのではないだろうか?しかし、小沢、鳩山といった抵抗勢力があり、しかも両者によって政権交代を果たしたという事実がある以上、消費税増税やその他のマニフェストに抵触する案件で党内がまとまる可能性は、限りなく低いであろう。抵抗勢力の前者は現実を見てみぬふりをしているし、後者は現実を現実的に語らない(語れない?)ひとであるから...。この責めは、何より国民が負うべきであろう。先の衆院選で、鳩山ー小沢ラインに夢を託して選択したのは、他ならぬ我々なのだから。もちろん、私は自民党支持者であり、麻生太郎首相を支持していた。今になっては”バラマキ4K”の呼称が定着した民主党のマニフェストに、財源をどうするのか?と批判していた麻生氏の言葉にうなづいていた側である。民主党が政権を獲ったら、日本は大変なことになる。財政再建を果たせず、日本国債暴落の日が近くなると、危惧していた側である。「無駄を無くせば財源はいくらでもある」というのが小沢氏の言い分である。しかし、日本という大きな国を切り刻み、贅肉を搾り出す荒行を政治家が為し得るのだろうか。贅肉を殺いでいくことは大事なことであるが、国も生き物である。長い取り組みが肝要であろう。過度なダイエットが健康を害するだけなのと同じように、即席の取り組みでは成果が出ないことは、数々の事業仕分けなどで明らかになったのではないだろうか?

首相時代の麻生氏について、少しだけ記させてほしい。

皆は忘れてしまったかもしれないが、リーマンショックが直撃した頃の首相であった。沈没間際の自民党時代にあって、「選挙よりも景気対策を」と半ば開き直り、周囲の解散圧力にもかかわらず、エコカー減税やエコポイント、ETC搭載車の週末高速料金1000円と、景気浮揚策を打ち出した。その実効性や財政規律とのバランスについては、専門的な検証が求められると思う。しかし、これらの政策が民主党への政権交代後も引き継がれた時期があったことを考えれば、評価されるべきではないかと、私は考える。結局は、先の選挙で大敗し、沈没する船の船長よろしく短い任期となってしまった。でも、小泉時代の後の歴代総理大臣の中で、彼だけは政権を投げ出さなかった、選挙に負けたので首相の座から落とされてはしまったが、職責を全うしたのではないかと、私は思っている。

麻生氏の任期がもっと長ければ、要するに、自民党政権の時代がまだ続けば、日本の政治の迷走は避けられたのかと考えれば、私はノーだと言いたい。自民党政権は終わるべくして終わり、政権は交代するべくしてしたのであろう。ただ、交代の担い手が鳩山ー小沢のラインであったことは、日本にとって不幸であったのではないだろうか?二人の非現実主義者が掲げたマニフェストを、いかに現実の政権運営に折り合わせていくか、それが民主党に課せられた宿題であろう。マニフェスト堅持を唱えるだけなら、「護憲」を錦の御旗にして先細った、旧社会党を矮小化しただけであろう。

私は、野田首相を信じたい。今なら野田政権を支持できるし、支持せざるを得ない。信じたいのは、「消費税増税」が日本の財政再建へのメッセージであるということである。ヨーロッパ諸国の金融不安が日本に飛び火することを避けねばならない、そのためには、マーケットに確たるメッセージを出さねばならない。そういう意味合いであることを、私は信じたい。でなければ、早晩に日本国債は大暴落するのではないか?そして、国債を買い支えてきた国内銀行の経営が行き詰る、そういうシナリオを私は心配している。

そういうことを読むと、「不安を煽るな!」とお怒りの方もいらっしゃるかもしれない。でも、福島第一原発の事故の際はどうであったか?原子炉が壊れているのではないか?大量の放射性物質が放出されているのではないか?というネットでの不安を嘲笑した方々は、事故直後には多かった。専門家のツィッター発言を根拠に、そんなことはありえないと断じる意見もあった。しかし、現実には、不安が現実となったのである。私は思うのだが、予言者ではないのだから、先のことは軽々しく言うべきではない。特に、悲観的な予測は。しかし、「心配である」という意見の発信は、しても良いのではないだろうか?

心配の予測をせずに困難が現実になるのは、何の備えも出来ずに災害に遭遇するようなものである。欧州の金融危機が対岸の火事では済まされないのは、予測されていることである。マーケットがいつ、日本国債を標的にするか、心配である。実際、ヒステリックな相場の下落は、売り建てを増すことで儲けを拡げる意図だと思う。あるいは、政治家の面々の中にも、そういう意図を含んでいる輩はいるのかもしれない。日本を売り浴びせることでカネを肥らせる売国奴達が消費税反対の音頭をとっているのであるとしたら、彼らに追随する政治家達ほど無能な人種はないということなのだろう。

小沢新党の結成に走る、当選回数の低い議員達を哀れと感じるのは、私だけであろうか?

最も批判されるべきであるが、政治家としては有能かもしれないのは、採決では賛成に回らずに民主党に残る面々かもしれない。モノは言うが、離党のリスクは回避する選択である。これならば、地元にもいい訳はできるだろうし、支持基盤を失わないで済む。だが、彼らの意見が意味を持たないことはマスコミも認めている。彼らが反対しようが、消費税の増税は既定路線となっているのだから。「格好付け」と見られても仕方ないのではないだろうか?今回だけでなく、リスクを獲らずにモノを言うタイプには、そういう評価はつきものとも感じる。その意味では、増税は国民にとって歓迎すべきものかもしれない。

確かに、増税は私達の生活に負担となる。その意味では、「生活を営むうえでのリスク」であろう。でも、お金の支払先は国家である。国税なのだから。考え方によっては、国税を負担する私達は、日本国のスポンサーでもあろう。もちろん、一人ひとりの出資比率は天文学的に低いのだが、なけなしのお金を払って国の運営に携わっているのは確かである。この感覚は、株式会社における個人投資家の位置と同じ発想なのだが。株価低迷と株式単位切り下げのおかげで、名だたる大企業の株主に、わずか数万円でなれる時代である。私も、いくつかの大企業の株式を保有している。個人や家庭にとっては大きなお金であるが、その会社の時価総額で考えれば泡沫のようなものである。でも、その会社の株主には違いはない。それだけで、その会社の行く末を真剣に考えるようになるのだから、可愛いものかもしれない。それが、「リスクを獲る」ということではないだろうか。

”税”というと、節税することが賢さの表現とすぐに考えてしまう。確かに、節税は大事である。しかし、税金を払うということは、国とのコミットメントを有するということに他ならない。税を払わなければ国民の権利を有さないとか、そういう乱暴な話ではないが、税金を払う以上、国にモノ申す立場にあるのも事実ではないだろうか?消費税率を上げるのであれば、その使いみちに、私達も関心を持ち、意見を言っても良いであろう。賛成か反対かという二極の論議よりも大事なことが、この世の中にはある。税率アップで商売や仕事が行き詰る人たちも多いとは思う。しかし、このまま手をこまねいていても、日本の行き先は地獄しかないように、私は感じている。

低税率のうちに資産を増やし、国が倒れる直前に海外へ移住するというのも、ひとつの手である。富裕層は、真剣にそう考えているのではないだろうか?でも、この国に残り、この国を再建したいと願うのであれば、今は、モノを言うだけではなく、カネも出さなくてはならないと思うのである。いづれにしても、法案は成立し、消費税は段階的に上がるであろう。その現実をどう理解し、どういう気持で税を納めていくのか、それを考えたとき、私は、国に投資する気持を、大事にしたいと考えた次第である。

もっとも、再び小沢のブームが起き、減税・脱原発の旗印に国民が翻ったのなら、今回の法律は反故にされるかもしれない。しかし、悪夢の繰り返しは勘弁してほしいものである。

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