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2012年5月

2012年5月22日 (火)

動画を見て

お気楽さんのサイト、スケートコムコム「暖房室」の動画配信コーナーに、5月19日のマスターズの演技が掲載された(リンクはこちら)。毎年会場に来て下さり、一日中ボランティアで撮影をして下さることに、心から感謝している。本番前日に、サイトの掲示板にも書かせて頂いたが、「動画見ました!」と大人スケーターの方々から言われることは多い。大人のフィギュアスケートの大会としてのマスターズの認知度は、「暖房室」の動画配信コーナーに拠るところも小さくはないのではないか、と私は感じている。

楽しみにしていながらも、不安にも思いながら、動画を見させて頂いた。正直、びっくりした。一番最初に見始めた時、「倍速モードの再生?」と思った。今シーズンは、練習をビデオ撮影する機会がなかったので(これは反省すべきところだが...)、自分の動作を客観的に見たのは久しぶりだった。カルメン前奏曲をインテンポで演技しようとすると、こんなにも速く動かなければいけないのかと、つくづく感じた。

冒頭の4拍のポーズから滑り出すところは、雑にはなっていないと思うが、インパクトに乏しい。テンポに遅れないのに必死という感じが出てしまっている。こういうところが、上手な人との違いなのだなぁと思う。5月18日のエントリーに記した、滑り出しの部分(RFI-LBIのモホークから右足に踏み替えながらLBIをロンデ)は、ロンデしながら上半身を右側に捻って前屈せねばならないのだが、その動作はもっと徹底できるはずだと思う。おっかなびっくり感が出てしまっている。こういうのは、普段のステップ練習で、似たような動作をいかに練習しているかが問われるのだろう。そういう意味では、私のお手本になるような人がリンクで頑張ってくれているので、見習っていきたい。ただ、左足のエッジチェンジ(左足ロンデ中はLBI、ロンデ後にLBOにしてバッククロスに入る)はスムーズにできているようである。ただ、バッククロスの一つ目の左足が伸び切っていなかったため、馬の後ろ蹴りみたいに雑な印象でもある。やはり、曲から遅れないので精一杯感の表れであるが、こういうところも気をつけられるようになりたい。にしても、速いなぁ....。

時計回りのバッククロスは、上手だと思う。全てのストロークで後ろ足をもっと伸ばせたら更に綺麗なので、ストロークごとのバラつきを無くすように、今後は気をつけていきたい。私のスケート上の強みは、「滑走するコースを意識して滑れること」と考えている。ただ、漫然と滑っていくのではなく、”自分はここへ向いたい”という道筋を氷上に見ている。その意識が、このバッククロスから1F-1Tに行く部分では、よく現われていると思う。

時計回りのバッククロスからLFOに踏み替え、右足前のビハインドをひとつ入れてLFIで滑る動作が、最初のジャンプの前にある。4小節の動作なのだが、その前の忙しさから一息ついたゆとりが出るといいなぁと思いながら練習してきた。とにかく、「観ている方も力が入る」という感想をよく聞く。それが私の持ち味かもしれないが、ずっとそれではイヤになってしまうと思う。だから、ここと、中間部分(ループで転倒して滑れなかったが...)だけは、間を置けたらと思っていた。

でも、間を置きながらも、エッジワークには神経を遣わなくてはならない。「この部分では、エッジを十分に使って大きなカーブを描くように」と教えて下さったのは、前のクラブの先生だった。メインコーチの先生とは別の方で、結婚して私の地元に来られたが、その前は山田ファミリーの一員でもあった先生である。とても良いことを教えていただけたと感謝している。前年の演技に比べれば、カーブの描き方は良くなっていると思う。でも、バッククロスの最後(RBI)からLFOに踏み替える動作や、LFIでカーブを滑る動作は、もっと良くなると思う。特に、フォアインの片足滑走は、もっと練習しないといけないだろう。基本中の基本であるが、バックアウトスリーやフォアインチョクトゥなど、難しいターン・ステップでものをいうのは、フォアインの乗り方だと思う。昨シーズンにそのことに気付き、フォアインやバックインのスケーティングの練習(インサイドロールくらいしか知らないが...)に拘ってみた。私のスケーティングが上手になったと感じる方がいらしたら、インサイドエッジの使い方が変わったからと思ってほしい。

反面、ジャンプは....。前年もあんなもんだと思うし、今シーズンの練習量を考えれば、これだけ跳べれば大したものかもしれない...。最初の1F-1Tのコンビネーションのフリップは、踏み切りよりも着氷が左にズレる、いわゆる「横っとび」になっている。程度はそれほど酷くはないと思うが、ジャッジは見逃さないだろう。

前のエントリーでは、アクセルへと向う滑走中にバランスを崩したと記したが、動画を見る限りでは全くわからない。しかも、予定のコースよりも内側に入りすぎてもいない。むしろ、予定よりも大きく外側に膨らんでいる。おそらくなのだが...演技中に自分の位置を見誤ったのだと思う。細かい話は抜きにするが、ホッケー競技用に描かれている赤ーリンク中央ーのラインを青ーリンクの左右ーのラインと見間違え、予定の位置と違う位置を自分が滑っていると勘違いしたらしい。錯覚と言えば聞こえは良いが、1Aに対する不安が為しえた大失敗である。でも、これも経験であり、そういうこともあるもんだと勉強にしたいと思う。

ループの失敗は、動画を何度見ても解せない。あれなら降りれるはずだと思う。でも、ジャンプそのものは、良くなかった。空中で軸をつかんでいないし、若干回りきっていない(1回転はしていると思うが...)。踏み切りの姿勢そのままで跳んで降りるようなループであり、綺麗ではない。やはり、ごまかしはきかず、しっかり軸をつかまないと降りれないのがループであると覚悟した方が良いのだろう。

ルッツは....あんなもんだと思う。踏み切り時にインに入っているし、トゥを氷に突く位置がスケーティングレッグに近すぎる。突き位置が近すぎるのはフリップでもそうだが、背筋の衰えの不安がそうさせているのだと思う。ルッツは一番練習量の少ないジャンプであったのだが、それでも降りれただけで、良しとすべきだと思う。

ルッツの後のフォアクロスからのターンは、ロッカーというよりも、スリーの後にチェンジエッジしているだけである。ただ、ここは「時短」が目的であり、ターンを見せる場面ではないので、結果としてインテンポでスピンに行けたのだから、予定通りにできたと思う。

唯一のスタンドスピンは、相変わらずフリーレッグのポジションが悪い。これは、次のシーズンには意識して練習していきたい。やはり、上手な人たちはスピンのポジションがしっかりしている。少しずつでも、そういうところは見習っていきたい。本番でも締めくくりの二拍にちゃんと間に合ったのは、大きな進歩だったと思う。そのためにスピンは3回転しかしなかったが...。ただ、バランスを保てなかったので、ポーズの最中にグラついてしまった。そういうところも、ジャッジの心証を損なうだろう。まだまだ、練習が足りなかったと思う。

全体としては、良く滑れたし、良く動けたと思う。点数については、元々の演技時間が短くエレメンツが少ないのに、ジャンプ2つを失敗すれば出ないのは当然である。このプログラムで参加を決めたのは私自身であり、最下位であることに文句はない。私が大切にしたかったのは、与えられたプログラムをインテンポで滑りきることであり、極力クリーンなプログラムにすることであった。この課題に取り組むには、「カルメン前奏曲」を本来の2分に戻すことは、私の力量では無理である。先生からは、2分06秒のフルバージョンの「カルメン前奏曲」のCDも頂いているのだが、それに取り組むのは、まだ何年も先になると思う。

今は「木星」で2分オーバーのプログラムを作って頂くことを考えている。しかし、2分30秒近かった「アフリカンシンフォニー」でもマスターズは最下位であった。長い曲でエレメンツを増やせば順位が上がるというものでもないだろう。正直な思いを記すが、どうすればジャッジから得点をもらえるのか、私にはわからない。その点では、アフリカンシンフォニーの結果はトラウマになっているし、最下位が自分の指定席という思いもある。

ただ、開き直りもある。上位の方々には、心からおめでとうございますと申し上げることはできる。同時に、自分の課題や目標は自分で決めれば良い。できれば、ジャッジの評価の基準を教えていただき、それを尊重しながら日々の練習をしていきたい。今回も指導講評に出ることはできなかったが、指導を受けた人たちからジャッジの考えを教えてもらうことは、今後可能であろう。そういう努力のプロセスとは別に、結果については拘らないというスタンスも貫くことはできる。たとえ最下位でも、私は決してがっかりしない。仮に2分のプログラムでそうであったとしても...。アフリカンシンフォニーでの経験はトラウマになっている。でも、そこから学んだこと、教えられたことは、実社会で非常に役に立った。「報われない努力も無駄ではない」ということであり、「他者の評価に翻弄されてはならない」ということでもあった。それが、今の自分の立場を築いてくれたといっても過言ではない。

他者との絶えざるコミュニケーションは必要であり、その中には他者との比較も、もちろん入る。しかし、生きる主体は自分であり、その主体性を持ち続けることこそ生きるということなのである。

私の修士論文のテーマは「第4の意味としての"Life"」である。これは東洋大学教授の稲沢公一先生の示唆に拠るものが大きいのだが、生命、生活、人生につづく第4の意味として、「主体性保持の状態」があるのではないかと、私は考えている。わかりやすい日本語で言えば、「生きがい」や「(その人)らしさ」であろう。オックスフォード現代英英辞典では、Lifeの二つ目の意味として、次の様に記されている"the state of being alive as a human"、「人として生きている状態」という意味だと思うのだが、”as a human”というニュアンスが、Lifeの日本語訳には足りないのではないか?特に、「生活」という語に介護の重心を置くのであれば、むしろ、Lifeなき介護にならないかと危惧している。司法解剖の用語である「生活反応」のごとき、Lifeなき対象へ操作する技術に介護が陥らないか、そんな危惧を抱くのである。

いきなりフィギュアスケートから本職へと戻ってしまったが、言いたいことは、Lifeを持ち続けることの大切さである。最下位であろうと、スケートをすることに主体性を失わなければ、何も怖いことはないのである。私が滑り、私が演技するのであるから。専門の先生方から教わることはとても大切なことだが、氷上に立つのは、私一人である。だから、自分のLifeを見失わないことに拘りつつ、コミュニケーションを続けていきたい。もし、このスタンスでも最下位で在り続けるのなら、喜んで、その席を温めていこうと思う。むしろ、私ごときが上位をうかがう位置にいたら、「皆がこのクラスを楽しみにしている」と服部先生が笑顔で言われた、H組男子のこけんに関るであろう(笑)。

2012年5月21日 (月)

練習は裏切らない

5月19日(土)に開催された、マスターズチャンピオンカップ。40代男性のクラスに出場し、10人中10位という結果だった。

1F-1Tのコンビネーション、1A、1R、1Lの4回しかないジャンプのうち、1Aをスリージャンプに変え、1Rを転倒してしまえば、得点を出してもらえないのは仕方ないと思う。でも、結果は残念でも、練習のプロセスをちゃんと出せた演技であり、昨年よりももっと、「出て良かった」と思っている。もちろん、来年のことを今から考えている。

一番良かったと思うのは、譜面上テンポ116(四分音符が1分間に116回の速さ)のAllegroの曲から、最後まで遅れずに滑り切れたことである。もちろん、1Rで転倒したところは、滑れずに曲が流れてしまったが、4小節後のスパイラルから復帰し、それからは最後のスピンまでちゃんと合わせることができた。練習で一番に取り組んでいたことは、「曲から遅れない」ということであった。そのために、何度もエッジワークを確認し、振付にない無駄な動きを省いていった。それについては、前のエントリーにも記したが、その頑張りは、本番でも出たのではないかと思う。

妻には撮影せずに応援していてくれと言ったので、まだ自分の演技を映像では確認していない。暖房室頼みなのだが、サイト管理人であり子育て奮闘中のお気楽さんがアップして下さるのを、のんびりと待ちたいと思う。私もそうだが、家庭が一番大事なので、とにかくのんびりと、待っています。

1Aについては、演技中に回避を決めた。最初の1F-1Tを降りたので気を良くしたのだが、力みも入ってしまい、アクセルへの助走でバランスを崩したのが理由であった。ここも時間短縮のため、反時計方向のフォアクロス一回でコースを決め、そのクロスの前足(=RFI)にLBIのモホークを入れて後ろ向きになり、それで右足に踏みかえてRBOのアクセルに入る体勢になり、LFOに踏みかえて跳ぶという段取りである。本番では、この直前のシャッセから1回だけのクロスをする時にバランスを崩したように感じた。そのため、予定よりもコースが内側に入ってしまったので、「1Aを跳んでも降りれない」と判断したのである。

本番演技直前の5分間練習の時には、何度トライしても1Aは前降りが酷く、チェックまでもっていけずに転倒してしまった。一回だけチェックできたが、他のは前向きに転んでおり、自分でも「危ない=怪我の危険がある」と感じていた。そういう酷い転び方は普段の練習ではなく、その点では、練習よりも悪かったのかもしれない。いづれにしても、1Aはまだ、本番で使えるレベルではなかったのだろう。「本番での緊張」という試験紙を通して、自分の1Aの問題が露わになったのだと理解している。それでも、練習で拘り続けたジャンプだったので、本番でも1Aにトライするつもりではあった。しかし、バランスを崩して助走コースがくるった段階で、すんなりと諦めることができた。その間、たった4小節。4分の2拍子でテンポ116の曲である。時間にして約4秒であった。

自信を持って記すが、あれだけ練習したからこそ、咄嗟に諦めることができたのだ。下手くそなりにも、自分の良いジャンプと悪いジャンプとを知っていたので、無理に跳んで転倒するよりも、1Aを諦めてテンポを失わないことを選択できたのだと思う。

ところが、1Aを犠牲にして万全のタイミングで跳んだはずの1Rで転んでしまった...。痛恨のミスだった。これでは、点は出ない。本当に、練習通り、ちゃんと跳び、回って降りたはずであった。なのに、右足のトゥに氷がかかってくれず、RBOで降りれなかった。緊急避難的なフルブレードでの踵降りにもならず、スカっと転んでしまった。「どうして?」と思ったのを覚えている。前のエントリーにも記したとおり、このジャンプがキーであった。前回のマスターズでも失敗しており、「今年こそは!」というジャンプだった。なのに、また失敗してしまった。

モリコロでは、練習仲間の方から、(プログラムのジャンプの中で)一番きれいと言ってもらえていた。本番でも一番評価してもらえそうなので、絶対に失敗したくないジャンプであった。ただ、ループはタイミングで跳ぶジャンプであり、特に、着氷で氷をつかむタイミングを間違えると降りれない。練習中に褒められたのも、プログラムの通しの時ではなく、ジャンプを繰り返し練習している時のことであった。曲の流れで跳ぼうとすると、タイミングがよくわからなくなる感じもしていた。2拍子を無視して、自分のタイミングを強引に持ってこれれば良いのだが、そこまで開き直って跳べるほどには、ループは練習していなかったし、曲かけ練習もできていなかった。結局のところ、ループは練習不足だったのだろう。ジャンプそのものは良くても、勝負はプログラムで跳んで降りれるかであり、その部分の意識が足りなかったと反省している。1Rの失敗は、残念であった。リベンジは、来年に持ち越しである。

見せ場である1Aを回避し、キーである1Rで転んでしまったのだが、最後まで演技できたのは、練習の成果だったと思う。最後のルッツは無難に降り(ジャンプの出来栄えは映像を確認しないとわからないが、本番での自覚では”普段通りのジャンプ”だった)、予定通りにスピンに入れた。昨年は、ここで曲から遅れて演技が余ってしまったので、その反省を生かせたのは、とても嬉しい。余談なのだが、この部分も時短を敢行した(笑)。ルッツを降りてスピンを回るまでに8小節ある。時間にして約8秒。でも、スピンの勢いをつけるために時計回りのバッククロスからLBIで身体を捻る必要がある。先生の指定ではフォアからバッククロスに入るステップはRFI→LBIのモホークだったが、4拍必要なので、どうしても曲から遅れてしまう。5月に入り、RFI-LBIのロッカーに変えてみた。これなら3拍で済み、S字を描くのでスムーズにバッククロスを始められる。たった1拍、1秒にも満たないアドバンテージだが、効果は大きかったと思う。先生に了解をとる機会がなかったので、見切り発車で本番に臨んだが、良い結果になってホっとした。

「カルメン前奏曲」は、難曲である。おそらく、演奏する方々にとってもそうじゃないかと思うのだが、この曲でフィギュアスケートを、しかも大人初心者が挑戦しようというのは、無謀に近いのではないかと感じている。でも、この曲を私に下さったことを、心から感謝している。それは、先生の私に対する期待でもあったのではないだろうか(先生の本心を尋ねたことはないが...)?この曲は、自分を鍛えてくれたと感じている。「とにかく曲に遅れない」その一事だけを考えていたが、雑にならないことも頑張った。なので、スケーティングの練習には、ことさらに意識を注いだ。ジャンプは練習不足だったが、スケーティングは良くなったのではないかと、自分では感じている。もちろん、まだまだ練習を続けねばならないのだが。

「これ以上の練習はできない」と言いながら臨んだ、’10年マスターズ(2回目のアフリカンシンフォニー)で最下位になって以来、最下位争いの常連となっている。それでも、毎回毎回反省を糧にして、手応えをつかんでいるのも事実である。歳をとるにつれて「出て良かった」と感謝しているのである。非常に残念で、申し訳ないのは、レフェリー(今回は杉田秀男先生)の指導講評を昨年・今年と伺いに行けなかったことである。滅多にない機会なのだが、私達のクラスの場合、本番の演技が19時頃に終わり、指導講評が21時過ぎである。全部を終えて帰路につくのが22時では、帰宅時間は翌日の2時になる。試合の翌日は早番勤務であったので、今年も断念させていただき、20時には帰路についた。

今年は、コンディショニングにも成功し、本番では嬉しいほどに身体が動いた。同様に、仕事でのコンディショニングにも心がけねばならない。翌日にも休みがとれれば良かったのだが、現実はなかなか厳しいもので...(笑)。でも、一人よがりや、自己満足で終わらないように、専門家の先生に教わる機会は、少しずつでも得られたらと思っている。「できる範囲でコツコツと」だが。

今年も大会を実現して下さった関係者の方々に、応援して下さった方々、そして、一緒に大会に出て下さった方々に、心から感謝しております。

行きは、「風の谷のナウシカ」のDVDを観ながら、帰りは「ハウルの動く城」を観ながらのドライブだった。ナウシカは最後まで観れたが、ハウルはサリマン先生との対決のところでアパートに着いてしまった。帰りの道中に、妻と相談したのだが、来年は曲を変更しようと思う。今のプログラムもやり尽くしてはいないのだが、やはり、時間にゆとりを感じて跳びたいという気持ちが強いのだ。ホルストの組曲「惑星」の4曲目である、木星の中間部分(平原綾香の”Jupiter”のところ)を少しだけ編集して、先生に志願したいと考えている。ゆっくりな曲はタメのあるスケーティングが要求され、ゆっくりな曲ゆえの難しさがあるのだが、「カルメン前奏曲」で鍛えらえた成果は、決して無駄にならないと思う。

2012年5月18日 (金)

いよいよ明日

今日は夜勤の明けだったが、かなり頑張り、モリコロに行ってきた。

リンクで2時間ほど滑り、明日のマスターズのプログラムのおさらいをした。といっても、滑り出したのが14時過ぎ(10時まで夜勤だったから...)だったので、地元のクラブの子達も来始めており、プログラム全体を通すことは、とてもできなかった。だいたい、夜勤明けにそんな体力も残っていないし...。

プログラムの部分ぶぶんを、ゆっくりさらい、エッジの使い方を再確認することに時間を使った。フィギュアスケートの振り付けの場合、指定された動作をするためにはインからアウトへエッジをチェンジしたり、バックインでのポジションを保ち続けてから次の踏み出しをせねばならなかったりする。そういう、細かいエッジの使い方は、振り付けをして下さる先生も、あまり詳しくは教えて下さらない。もちろん、モホークとかスリーターン、チョクトゥといったような典型的なステップのように、エッジワークが本に載っているわけでもない。ただ、振り付けをおさらいしながら、「こんな感じじゃないか...?」と、自分でエッジの使い方を見つけていくだけである。もちろん、わからなかったり、不安に思えば、先生の指導を仰ぐことはできるだろうが。

つくづく思うのだが、プログラムの練習をすれば、するほど、「あぁ、この部分は、こんな風にエッジを使うべきなんだ!」と発見がある。言葉にすれば、”RFI→LBIのモホークから右足でもう一度踏んで、そこからLBIでロンデした直後に時計回りのバッククロスに素早く入るためには、ロンデ後の左足のエッジは、LBI→LBOへ素早くチェンジさせねばならない”とか、そういうことなのだが....。この動作は、明日も演技する、「カルメン前奏曲」の滑り出しの部分についてである。フットワークが細かいうえに、曲が殺人的に速いため、振り付けをして頂いた時から苦手意識を持っていた部分である。それでも、何度も練習を重ねるうちに、バックでの素早いチェンジエッジが鍵になることに気付いたのだ。私は、フォアのスネークはそこそこできるが、バックスネークは苦手である。そういう不器用さが、プログラムのパフォーマンスにも影響しているようである。

不器用なのは今でもそうなのだが、細かいエッジワークが理解できてから、プログラムのこの部分(滑り出し)は、昨年よりかはマシになったと感じている。このロンデ(片足で大きく半円を描く)からすぐにバッククロス滑走に入れなければ、曲からどんどん遅れていってしまう。プログラムの成否を決する、最初の関門でもある。明日、上手くできるといいのだが...。

2月の4大陸選手権から、このブログを随分サボってしまった。それでも、アクセス数が0になることはなく、毎日、どなたかが覗いて下さっていた。そのことに、深くお礼を申し上げたいです。そして、せっかく覗いて下さったのに、更新してなかったことをお詫びします。

練習は、続けていた。地元のリンクがジャンプ・スピンを禁止していたので、そこでは主にスケーティングやステップを、ジャンプは隣の市のリンクで集中的に練習した。どちらのリンクもゴールデンウィークまで営業してくれていたが、私の方に、あまり時間がなかった。前のエントリーにも記したが、今年の4月に大学院入学を志望していたので、冬の間に受験準備をせねばならなかった。もちろん、仕事は継続しているので、職場に迷惑をかけないよう、仕事も頑張らなくてはならない。父の関係のことは大概済んでいたが、母親のことも心配だったので、実家にはよく出入りしていた。結局、地元のクラブは退会させていただき、仕事が休みの日の1~2時間をスケートに割くのが精一杯だった。それまで一生懸命やっていた陸トレも、ほとんどできなくなってしまった。

でも、幸せだったし、今も幸せであり続けている。大人スケーターは、つくづく氷に飢えている存在なのだと、実感した。今日もそうだったが、子供達なら、当たり前のようにリンクへと向っている。でも、私達は、よほどの想いがなければ、スケートのための時間を確保することができない。その苦労が、練習を掛け替えのない喜びへとしてくれているのではないだろうか。障害の多い恋愛ほど燃えてくるのと似ているのかもしれない。

陸トレができなくなった(その時間を院の勉強や仕事の準備に充てている日々である)ことは、当たり前なのだが、不安要因である。ジャンプが低くなったのも、この影響かもしれない。そもそも、クラブ練習がなくなり、ジャンプに割ける時間が減ったのだから、パフォーマンスに影響が出るのは仕方ない。それでも、跳び、降りれることを喜んだ方が良いだろう。課題であった1アクセルは、未だに回転不足である。どうしても、踏み切りが弱いし、その後の空中姿勢の制御ができずにいる。グリ降りは得意(ほめられることではないが)なので、右片足で降りてチェックにもっていけるが、下手すればスリージャンプのオーバーターンと言われかねないジャンプである。それでも、10本のうち3本くらいは、そこそこ空中で軸を締めることができていると思う。それでも、前降りで氷を削るが....。認定には及ばないレベルであることは、自分でもわかっている。でも、アクセルの練習は楽しいし、軸が上手くつかめた時と、つかみそこなった時の違いも、少しずつわかってきている。傍目からは、出来損ないのままかもしれないが、自分の感覚では、ちょっとずつ、ちょっとずつ、前進しているのだ。この感覚だけでも、フィギュアスケートの続け甲斐だと思うのだ。

明日の演技では、1アクセルは、転ばないこと、ちょっとだけでも軸を感じられること、右片足で降りて素早くチェックにもっていけることを、目標としたい。1回転半を空中で回ってから降りられることは、あと3年くらいかかって目標にできるかどうかの世界じゃないだろうか...。キーになるジャンプは、3番目のジャンプであるループであろう。このジャンプの良し悪しが、プログラム全体のイメージを左右する。というのも、このジャンプの前後で、曲調が変わるからである。1ループで動から静への曲調変化をつなげられれば、プログラムの勢いも出てくるのだが...。

練習では、アクセル以外はダブルまでやっている。回転不足でもグリ降りで右片足でチェックまでもっていけるのだが、氷を削っている間に曲はどんどん進んでしまう。「カルメン前奏曲」の殺人的な速さは、ミスを許容する余地がないのである。なので、”回転不足でも根性でチェックします”的なスタイルではなく、とにかく、失速せずに一気に走りぬけるスタイルでなければならない。「見ていて疲れる」と私の演技が評されるゆえんでもあるのだが...。シングルジャンプをきちんと降りて、チェックからの流れを次の動作にスムーズにつなげられることが、今の私には、一番大事なことだと考えている。

ここでも、エッジワークが重要になってくる。ジャンプを降りてRBOでチェックをとったあと、次の動作への踏み出しは、たいがいはLFOだと思う。しかし、同じ左足のフォアアウトエッジでも、踏み出しの際のエッジの深さで、滑走の向きはもちろん、初速の具合も変わってくる。そのことに気がついたのは、昨年のマスターズでの失敗からである。「暖房室」の動画を確認すると、最初のジャンプである1F-1Tのコンビネーションの後、左足で踏み替え、そのまま反時計回りのフォアクロスに入るところで、私はつまづいてしまった。このミスは、起こりべくして起こったものと、後から激しく反省したものである。

それまでの私は、ジャンプを跳んで降りるための練習ばかりしており、プログラムの流れの中で、ジャンプを降りた直後にどう動くかを真剣に考えてはいなかった。「降りればいいんでしょ?」みたいな思いだったのである。もちろん、プログラムを通しで練習する機会は何度もあったが、ジャンプ後のつなぎの動作(この場合では、チェックの後すぐに反時計周りのフォアクロスを3回する)を軽く考え、真剣に練習していなかったのではないかと思う。

もっとも、クラブの子達が次から次へと跳んでくるリンクでは、ジャンプはできても、プログラム通りにその次の動作まで練習することはできない事情もあった。他の子達のジャンプの軌道を妨げてしまうから。でも、私のような下手くそは、降りた後にクロスストロークをちゃんと入れられるように練習する必要はある。そうでなければ、また、本番で失敗するだろう。RBOからLFOへ踏み替える時に、どのくらいエッジを入れれば良いのかを体で覚えていなければ、クロスストロークのような基本動作ですら、おぼつかないのも、プログラムの難しさであり、面白さなのだろう。

ズラズラと記してしまったが、今までの反省を思い出し、何回も何回もプログラムに取り組んでいると、「ああ、そうなのか!」とプログラムの奥深さに気付かされる。たった1分のプログラムでもそうである。とにかく、あのスピードで演技するためには、いかに効率的にエッジを使っていくか、それも課題であり、まだまだ辿り付けていないのである。トップ選手達は、シーズンごとにプログラムを替えていくが、私達大人は、使い古したカバンのように、何年でもひとつのプログラムを大事にしても、バチはあたらないだろう。

ただ、次のプログラムは、「もっとゆっくりな曲にして下さい」と、先生にお願いしたい気分でもある。

2012年5月17日 (木)

"One" for World!!

のっけから余談だが、三銃士によく出てくる「みんなでひとつ」という言葉のもとが、ラグビーの合言葉で有名な"One for All、All for One"だったことを知ったのは、「仮面の男」という映画からだった。同じ言葉は、フランスの銃士隊の合言葉でもあったようだ。三銃士のその後を描いたこの映画をDVDで観たきっかけは、言うまでもなく、ヤグディンの演技である。

で、"One"が私達夫婦のマイブームとなっている。

この"One"とは...映画でもなく、フランスでもなく、あるいは損保ジャパンの自動車保険”One-Step”でもない。MicrosoftのOfficeに入っている、"OneNote"というソフトのことである。妻が仕事で使っているパソコンにたまたま入っており、ためしてみたら、「随分いいよ」と私に教えてくれ、私も試用版をダウンロードしてみた。それから1ヶ月だが、製品版を買わずにおれるか!という状況である。今年の四月に目出度く大学生になった甥が帰省したゴールデンウィークに、自慢げに紹介したら、マック使いの彼が不機嫌そうな顔をしていたのが愉快であった(笑)。「大人げない」と妻にたしなめられたが、Microsoft侮りがたしと、彼も感じてくれたのではないだろうか。

世はやれiphonだ、ipadだと浮かれているが、今のアップルにはキラーアプリケーションになるソフトが全くない。マックそのものには可能性が詰まっており、プレゼンソフトのKeynoteや動画作成ソフトのFinal Cutで素晴らしいコンテンツが作れることは、甥の作品を見ればよくわかる。彼は高校時代からそういう方面で沢山の支持を得ていた。私も応援したのだが、高校入学と同時にマックを彼に与えたのは、大成功だったのだろう。もちろん、彼もiphoneを使っている。彼の母(私の姉)もiphone、彼の父はandroidというスマホ一家である。今ではありふれた姿かもしれないが。

でも、「今度は電話を変える」との言葉を遺したジョブズには悪いのだが、アップルがサムソンとかノキアとか、日本でいえばシャープ、パナソニックなどと張り合い、それらを駆逐したとして、何が楽しいのだろう?と思ってしまう。そこにエネルギーを費やしている間に、MicrosoftはOneNoteを出してしまった。このソフトの素晴らしさは、「使ってみればわかる!」と自信を持って記したい。Wordの欠点であった自由度の貧しさを克服してくれ、Internet Explorerの不満であったコピペのし難さを解決してくれたのである。ネットにある便利そうな図を、”書式を保存して貼り付け”をすれば行の幅といった面倒なことも苦にせずにOneNoteに貼り付けられる。今まではコンテンツ作成者が四苦八苦していたことを、PCやアプリケーションの方で配慮してくれ、コンテンツを作る側(=私達)は余計な負担を強いられなくなったのである。

「自由度の豊かさ」は、マックやそこで動くアプリケーションの代名詞でもあった。ある面では、やっと、MicrosftがAppleに追いついたのかもしれない。でも、きっと、既にMicrsoftが抜き去った、あるいはWIN95の頃からAppleの方が追いつけずにいる部分も多いであろう。定番中の定番であるofficeにこのソフトが入っている意味は重大だと思う。Wordについてはそれほどではないが、Excelとの連携はとても重宝している。おそらく、PowerPoinが大学で定番のプレゼンソフトとして浸透したように、OneNoteは学生たち必携のメモ帳、講義ノートになっていくと想像する。なにより、切り貼りが楽なソフトというのはポイントが高いと思う。

この部分で考えを逞しくするなら、ipadは大失敗だろう。

確かに、コンテンツを閲覧するには優れているかもしれない。でも、口を酸っぱくして言いたいのは、「コンテンツを創りやすくするソフトなり機器が大事」ということである。コンテンツの作成者はプロフェッショナルばかりではない。学生やビジネスマンのような、日常的にパソコンを使い、周囲の情報を寄せ集め、しかも、自分なりの主張をアピールせねばならない人達が扱いやすいツールが、世の中を変えていくのではないだろうか?その点で、ipadや他のタブレットPCはどこまで優しいのだろうか?

フリック操作ならサルでもできる。写メをするだけならガラケーで十分である。

大学院(2年前の転職に伴い、中京大学大学院は既に中退していたのだが、志あり、今年の4月から地元の大学院の社会福祉研究科へ入学した。OneNoteはその事情で大活躍している)の講義で話題になったのだが、自分の目の前に竜巻が迫っているにもかかわらず撮影し続けたネット投稿者の判断は適切だったのか?今、当たり前に手にして耳目を独占しているモバイルギアは、人間を思考させない生き物にさせていないか?コンテンツをただ閲覧したり、無批判でアップロードさせるだけの道具であるならば、それは前進ではなく、退化なのではないか?そんなことを感じるのである。

もちろん、Micrsoftもモバイル機器への対応に取り組んでいる。多分、私がスマホを持つ時に選ぶのは、WindowsPhoneだろう。なにより、OneNoteに親和性を持っているから。でも、今は、あわてて機種変更をしようとは思わない。フューチャーホン(=ガラケー)で何の不便もない。幸い、大学構内の無線LANのアクセスが快適なので、B5版のノートパソコンが活躍してくれている。あと、笑われてしまうかもしれないが、シャープのZaurusがいまだに現役である。Outlookとの連携の良さが魅力なのである。

つくづく、Micrsoftな人間だと思うし、時代遅れな面も否めない。でも、スタンフォードで”Stay Hungry,Stay Foolish”と他人の言葉で締めくくったジョブズよりも、「ハーバードの知性は、名も無き人々の生活向上にもっと貢献し得るのではないか?」と何度も訴えたゲイツの方が、私は好きだし、そういう人間こそが、世の中を変える資格があるのではないかと、感じるのである。

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