動画を見て
お気楽さんのサイト、スケートコムコム「暖房室」の動画配信コーナーに、5月19日のマスターズの演技が掲載された(リンクはこちら)。毎年会場に来て下さり、一日中ボランティアで撮影をして下さることに、心から感謝している。本番前日に、サイトの掲示板にも書かせて頂いたが、「動画見ました!」と大人スケーターの方々から言われることは多い。大人のフィギュアスケートの大会としてのマスターズの認知度は、「暖房室」の動画配信コーナーに拠るところも小さくはないのではないか、と私は感じている。
楽しみにしていながらも、不安にも思いながら、動画を見させて頂いた。正直、びっくりした。一番最初に見始めた時、「倍速モードの再生?」と思った。今シーズンは、練習をビデオ撮影する機会がなかったので(これは反省すべきところだが...)、自分の動作を客観的に見たのは久しぶりだった。カルメン前奏曲をインテンポで演技しようとすると、こんなにも速く動かなければいけないのかと、つくづく感じた。
冒頭の4拍のポーズから滑り出すところは、雑にはなっていないと思うが、インパクトに乏しい。テンポに遅れないのに必死という感じが出てしまっている。こういうところが、上手な人との違いなのだなぁと思う。5月18日のエントリーに記した、滑り出しの部分(RFI-LBIのモホークから右足に踏み替えながらLBIをロンデ)は、ロンデしながら上半身を右側に捻って前屈せねばならないのだが、その動作はもっと徹底できるはずだと思う。おっかなびっくり感が出てしまっている。こういうのは、普段のステップ練習で、似たような動作をいかに練習しているかが問われるのだろう。そういう意味では、私のお手本になるような人がリンクで頑張ってくれているので、見習っていきたい。ただ、左足のエッジチェンジ(左足ロンデ中はLBI、ロンデ後にLBOにしてバッククロスに入る)はスムーズにできているようである。ただ、バッククロスの一つ目の左足が伸び切っていなかったため、馬の後ろ蹴りみたいに雑な印象でもある。やはり、曲から遅れないので精一杯感の表れであるが、こういうところも気をつけられるようになりたい。にしても、速いなぁ....。
時計回りのバッククロスは、上手だと思う。全てのストロークで後ろ足をもっと伸ばせたら更に綺麗なので、ストロークごとのバラつきを無くすように、今後は気をつけていきたい。私のスケート上の強みは、「滑走するコースを意識して滑れること」と考えている。ただ、漫然と滑っていくのではなく、”自分はここへ向いたい”という道筋を氷上に見ている。その意識が、このバッククロスから1F-1Tに行く部分では、よく現われていると思う。
時計回りのバッククロスからLFOに踏み替え、右足前のビハインドをひとつ入れてLFIで滑る動作が、最初のジャンプの前にある。4小節の動作なのだが、その前の忙しさから一息ついたゆとりが出るといいなぁと思いながら練習してきた。とにかく、「観ている方も力が入る」という感想をよく聞く。それが私の持ち味かもしれないが、ずっとそれではイヤになってしまうと思う。だから、ここと、中間部分(ループで転倒して滑れなかったが...)だけは、間を置けたらと思っていた。
でも、間を置きながらも、エッジワークには神経を遣わなくてはならない。「この部分では、エッジを十分に使って大きなカーブを描くように」と教えて下さったのは、前のクラブの先生だった。メインコーチの先生とは別の方で、結婚して私の地元に来られたが、その前は山田ファミリーの一員でもあった先生である。とても良いことを教えていただけたと感謝している。前年の演技に比べれば、カーブの描き方は良くなっていると思う。でも、バッククロスの最後(RBI)からLFOに踏み替える動作や、LFIでカーブを滑る動作は、もっと良くなると思う。特に、フォアインの片足滑走は、もっと練習しないといけないだろう。基本中の基本であるが、バックアウトスリーやフォアインチョクトゥなど、難しいターン・ステップでものをいうのは、フォアインの乗り方だと思う。昨シーズンにそのことに気付き、フォアインやバックインのスケーティングの練習(インサイドロールくらいしか知らないが...)に拘ってみた。私のスケーティングが上手になったと感じる方がいらしたら、インサイドエッジの使い方が変わったからと思ってほしい。
反面、ジャンプは....。前年もあんなもんだと思うし、今シーズンの練習量を考えれば、これだけ跳べれば大したものかもしれない...。最初の1F-1Tのコンビネーションのフリップは、踏み切りよりも着氷が左にズレる、いわゆる「横っとび」になっている。程度はそれほど酷くはないと思うが、ジャッジは見逃さないだろう。
前のエントリーでは、アクセルへと向う滑走中にバランスを崩したと記したが、動画を見る限りでは全くわからない。しかも、予定のコースよりも内側に入りすぎてもいない。むしろ、予定よりも大きく外側に膨らんでいる。おそらくなのだが...演技中に自分の位置を見誤ったのだと思う。細かい話は抜きにするが、ホッケー競技用に描かれている赤ーリンク中央ーのラインを青ーリンクの左右ーのラインと見間違え、予定の位置と違う位置を自分が滑っていると勘違いしたらしい。錯覚と言えば聞こえは良いが、1Aに対する不安が為しえた大失敗である。でも、これも経験であり、そういうこともあるもんだと勉強にしたいと思う。
ループの失敗は、動画を何度見ても解せない。あれなら降りれるはずだと思う。でも、ジャンプそのものは、良くなかった。空中で軸をつかんでいないし、若干回りきっていない(1回転はしていると思うが...)。踏み切りの姿勢そのままで跳んで降りるようなループであり、綺麗ではない。やはり、ごまかしはきかず、しっかり軸をつかまないと降りれないのがループであると覚悟した方が良いのだろう。
ルッツは....あんなもんだと思う。踏み切り時にインに入っているし、トゥを氷に突く位置がスケーティングレッグに近すぎる。突き位置が近すぎるのはフリップでもそうだが、背筋の衰えの不安がそうさせているのだと思う。ルッツは一番練習量の少ないジャンプであったのだが、それでも降りれただけで、良しとすべきだと思う。
ルッツの後のフォアクロスからのターンは、ロッカーというよりも、スリーの後にチェンジエッジしているだけである。ただ、ここは「時短」が目的であり、ターンを見せる場面ではないので、結果としてインテンポでスピンに行けたのだから、予定通りにできたと思う。
唯一のスタンドスピンは、相変わらずフリーレッグのポジションが悪い。これは、次のシーズンには意識して練習していきたい。やはり、上手な人たちはスピンのポジションがしっかりしている。少しずつでも、そういうところは見習っていきたい。本番でも締めくくりの二拍にちゃんと間に合ったのは、大きな進歩だったと思う。そのためにスピンは3回転しかしなかったが...。ただ、バランスを保てなかったので、ポーズの最中にグラついてしまった。そういうところも、ジャッジの心証を損なうだろう。まだまだ、練習が足りなかったと思う。
全体としては、良く滑れたし、良く動けたと思う。点数については、元々の演技時間が短くエレメンツが少ないのに、ジャンプ2つを失敗すれば出ないのは当然である。このプログラムで参加を決めたのは私自身であり、最下位であることに文句はない。私が大切にしたかったのは、与えられたプログラムをインテンポで滑りきることであり、極力クリーンなプログラムにすることであった。この課題に取り組むには、「カルメン前奏曲」を本来の2分に戻すことは、私の力量では無理である。先生からは、2分06秒のフルバージョンの「カルメン前奏曲」のCDも頂いているのだが、それに取り組むのは、まだ何年も先になると思う。
今は「木星」で2分オーバーのプログラムを作って頂くことを考えている。しかし、2分30秒近かった「アフリカンシンフォニー」でもマスターズは最下位であった。長い曲でエレメンツを増やせば順位が上がるというものでもないだろう。正直な思いを記すが、どうすればジャッジから得点をもらえるのか、私にはわからない。その点では、アフリカンシンフォニーの結果はトラウマになっているし、最下位が自分の指定席という思いもある。
ただ、開き直りもある。上位の方々には、心からおめでとうございますと申し上げることはできる。同時に、自分の課題や目標は自分で決めれば良い。できれば、ジャッジの評価の基準を教えていただき、それを尊重しながら日々の練習をしていきたい。今回も指導講評に出ることはできなかったが、指導を受けた人たちからジャッジの考えを教えてもらうことは、今後可能であろう。そういう努力のプロセスとは別に、結果については拘らないというスタンスも貫くことはできる。たとえ最下位でも、私は決してがっかりしない。仮に2分のプログラムでそうであったとしても...。アフリカンシンフォニーでの経験はトラウマになっている。でも、そこから学んだこと、教えられたことは、実社会で非常に役に立った。「報われない努力も無駄ではない」ということであり、「他者の評価に翻弄されてはならない」ということでもあった。それが、今の自分の立場を築いてくれたといっても過言ではない。
他者との絶えざるコミュニケーションは必要であり、その中には他者との比較も、もちろん入る。しかし、生きる主体は自分であり、その主体性を持ち続けることこそ生きるということなのである。
私の修士論文のテーマは「第4の意味としての"Life"」である。これは東洋大学教授の稲沢公一先生の示唆に拠るものが大きいのだが、生命、生活、人生につづく第4の意味として、「主体性保持の状態」があるのではないかと、私は考えている。わかりやすい日本語で言えば、「生きがい」や「(その人)らしさ」であろう。オックスフォード現代英英辞典では、Lifeの二つ目の意味として、次の様に記されている"the state of being alive as a human"、「人として生きている状態」という意味だと思うのだが、”as a human”というニュアンスが、Lifeの日本語訳には足りないのではないか?特に、「生活」という語に介護の重心を置くのであれば、むしろ、Lifeなき介護にならないかと危惧している。司法解剖の用語である「生活反応」のごとき、Lifeなき対象へ操作する技術に介護が陥らないか、そんな危惧を抱くのである。
いきなりフィギュアスケートから本職へと戻ってしまったが、言いたいことは、Lifeを持ち続けることの大切さである。最下位であろうと、スケートをすることに主体性を失わなければ、何も怖いことはないのである。私が滑り、私が演技するのであるから。専門の先生方から教わることはとても大切なことだが、氷上に立つのは、私一人である。だから、自分のLifeを見失わないことに拘りつつ、コミュニケーションを続けていきたい。もし、このスタンスでも最下位で在り続けるのなら、喜んで、その席を温めていこうと思う。むしろ、私ごときが上位をうかがう位置にいたら、「皆がこのクラスを楽しみにしている」と服部先生が笑顔で言われた、H組男子のこけんに関るであろう(笑)。
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