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2011年11月

2011年11月19日 (土)

半年ぶりの氷上

昨日、仕事が休みだったのでリンクで1時間滑った。

地元のリンクも営業を始めているが、プリペイドカードがあまっていたので車で1時間ほどの隣の市のリンクへ行った。5月のマスターズが終わってからは全く滑っておらず、ちょうど半年ぶりとなる。

一番心配したのは、靴の状態。手入れはしてあったので、ブレードのサビなどがないことは確認してあったが、靴の革が硬くなって足に馴染まなくなっているのではないかと思っていた。身体の動きは、陸トレを細々とは続けていたし、テニスもしていたので、ある程度は大丈夫だと考えていた。でも、半年も乗っていなければ、氷上で滑る感覚は失っているだろうなと、カンが鈍っていることは覚悟していた。トレーニングをしていたといっても、昨年よりも量も質も低下しているので、体重は増えているし、筋肉も落ちている。それによるパフォーマンスの低下は、もう仕方ないだろうなと、半ば諦めながらの、氷上復帰であった。

入場口で顔見知りのスタッフの人が「ひさしぶりね」と声をかけてくれた。それだけで、嬉しかった。その日は慣らし程度のことしかしないつもりだったので、ストレッチもウォームアップもせず、すぐに靴を履いた。靴はそれほど硬くなかったが、立った時にいつもの安定感がないように感じた。やはり、常時練習していた時のようなフィット感が薄らいでいたのだろう。平日の午後だったので、リンクはガラガラだった。

リンクサイドに数人係員がいたが、その人たちとは顔見知りではなかった。私はリンクに一礼してから滑り始めたのだが、一歩目から後ろにのけぞってしまい、あやうく尻餅をつくところだった。急いでバランスをとりなおして転ばずに済んだが、「おぉ~」という係員達の声が横から聞こえた。「大丈夫か、このオジさん?」と思ったのではないだろうか。

後ろにのけぞったのは、ブレードがきちんと綺麗な氷に触れて滑った証拠だと思った。だから、焦ったけど嬉しかった。自分の靴はまだ生きている、という感じ。でも、初心者並にカンが無くなっている自分に比べ、ブレード(wilson社のファントム)は相変わらず凶悪なのには手こずった。かろうじてフォアで滑り続けたが、エッジが全然言うことをきかず、バランス(左右だけでなく前後も)がとれなかった。よく、こんなブレードで滑ってたなと、全然言うことをきいてくれないブレードに驚きつつ、氷をガリガリ削り、前後左右に身体をグラグラさせながら、それでも滑り続けた。

とにかく、”フォアに乗る”という重心の位置を忘れてしまったことを、激しく自覚した。

「踵の前、土踏まずの後ろ」という知識はあるが、感覚としてどこだったのか、もしくは、そこに重心を乗せるにはどうすれば良いのか、そういうベーシックな身体感覚が、綺麗に無くなっていた。それでも転ばずに滑り続けたのは、意地とか、根性という類のものだったが...(笑)。クロスは、更に悲惨だった。いちおうカーブを曲がれるし、片足で滑ることもできた。だが、クロスの最初から最後まで、インとアウトの両方のエッジが氷に触れており、無理やりに氷を削って曲がっていることは、容易に自覚できた。「もっとアウトエッジを使って!」と自分でも思うのだが、どうすればそれができるのか、全然わからなかった。足首のコントロールが死ぬほど甘いのである。

ああ、昔のオレって、結構うまかったんだな。それなりにエッジを使っていたんだな...と、失ったことにより、初めてわかったという感じである。

それでも、自信はあった。失ったものは多いが、それらは無くしたというよりかは、忘れてしまったという方が正確だと考えていたので。筋力は落ちたし、体重は増えた。だから、運動能力は低下しただろう。それでも、挽回できるものはあるはずだし、低下した能力に対応した練習や工夫で、パフォーマンスもある程度回復するはずと、予め覚悟していた。大人だし、社会人だし、十分に練習できない時期はある。それは言い訳ではなく、現実である。そういう状況でも腐らず、賢くチャンスを待つことが大事なのだと思う。

だから、氷上で四苦八苦している時も、悲壮感はなかった。

幸い、片足滑走は距離を出せていた。それが救いだった。なので、フォアアウトのハーフサークルを少しやってフォアでのエッジの乗り位置を確認した。それから、ホッケー用の円形ラインを利用してクロスストロークを反時計周りと時計回りで練習し、クロスの感覚も取り戻すようにした。10分ほど、そんな試行錯誤をしているうちに、なんとなく、思い出してきた。ある程度(昨年に比べれば全然だが...)のスピードで周回をしているうちに、自分が今まで居た場所を思い出してきた。「ああ、こんな感じ...」と、すごく、嬉しくなってきた。「帰ってきたんだ」と、本気で感じた。

バック滑走は全然やっていなかったが、モホークから入ってのスリージャンプを始めた。とにかく、自分の感覚がどれだけ無くなっているかを知りたかったので....。本格的な練習は次からにすれば良いので、少しでも状況把握をしたかったのだ。案の定、着氷後に右脚一本では支えきれずに転倒した。筋力が無くなっているのと、右バックアウトでバランスをとる感覚を失ったのだと思った。それでも、モホークから左フォアアウトでジャンプを踏み切ることはできた。ただし、モホークは、ガリガリ氷を削りまくっていたが....これは、おいおい改善していくしかない。

踏み切りができたことは、驚きである。フィギュアスケートで難しい動作は多々あるが、「離氷」というのも、そうそうできる動作ではないと思う。滑るだけでも大変なのに、その動作から瞬間的に跳ぶのだから。でも、跳ぶことができた!とても嬉しかった。

跳べるのなら、着氷もできるはずである。そう考え、何度か転ぶうちに、右バックアウトでの着氷の感覚を思い出した。頭で描くような綺麗なチェックはとれないが、それなりにバックアウトでも滑れていた。で、アクセルを跳び始めた。もちろん、助走はかなりゆっくりにし、転倒しても危なくないようにはしていた。でも、スリージャンプで、ある程度の感覚は戻っていたので、アクセルは、相変わらず前降りだが、それほど転ばずに降りることができた。相変わらず...派手にトゥで氷を削って、それからクリンと半回転ターンをしてチェックする、インチキのアクセルだが、少なくとも、マスターズの頃のレベルは保っていた。

う~ん、アクセルは、失いたくても失いようがないほど、進歩してなかったのか....(大笑い)。でも、そこから、また始めよう。今シーズンは、後ろ向きで降りれることを目標にしたい。

スリージャンプとアクセルを試したところで満足できた。他のジャンプは、多分、それほど落ちていないだろう。練習中だったダブルジャンプは、おそらくは惨憺たるものになっているだろうけど、シングルは、なんとかなると思う。離氷と着氷の感覚がそれほど無くなっていない、要するに、陸上でのジャンプトレーニングと乖離していなかったので、陸上でのレベルと大差ないと思うのだ。スピンは、怖くて試せなかった。スピンは、ターンやスケーティングの技術がものを言うエレメンツなので、本格的な氷上トレーニングをしなければ、とても試せないと思う。

先にも記したが、この日の練習は1時間と決めていた。半年ぶりなので、とにかく、氷に馴染むことが大事だと考えていたのだ。なので、残り15分になったところで、フォアでの周回を休みなく滑ってあがりとすることにした。とにかく、滑り込むことが大事だと思う。15分滑走を始めて5分たったところで、両手を後ろに握って、スピードスケーターみたいにして滑った。これだと、もちろん腕は楽だが、バランスはとりにくい。案の定、エッジが決まらなくなり、カーブで四苦八苦した。上半身のひねりとエッジの傾きとが同調しないので、バランスがとりづらいのだ。そういうところからも、カンの狂いがわかってくる。それでも、5分間は頑張り、10分間滑走したところで、再び両腕をいつものポジション(ウェストの高さ)に戻して滑るようにした。

やはり、滑り続けると、片足で体重を支えるのがしんどくなる。何分ころからかわからないが、膝が笑うようになった。そして、13分滑った(残り2分)のところで、一気に両脚のふくらはぎが攣ってしまった。これでは滑れないし、無理をしたら肉離れになるので、この時点で練習を終えた。心肺機能的にもしんどかったが、それ以上に、筋持久力が衰えていたようである。それでも、それなりに滑れたことに、嬉しさを感じた。また、氷上に戻れたことが、本当に嬉しかった。

たとえパフォーマンスが下がっても、それでも、できることはあるし、それを手がかりに取り戻せるものもあると思う。今は、滑れるだけで、幸せだと思う。

2011年11月18日 (金)

シェヘラザードで表現すべきは...!?

浅田選手のSPが、自分的にはしっくり来なかったので、前のエントリーのようになってしまった。とにかく、「不自然!」「真央らしくない!!」というのが感想である。でも、FSは良かった。冒頭のジャンプを2Aでお茶を濁したのは残念だが、2年越しのローリー・ニコルの作品は、今年になって大輪の花を咲かせる気がする。

結局のところ、浅田選手を応援する気持ちは変らないと思う。でも、”真央ちゃん””真央さん””真央選手”と、下の名前で呼ぶのは卒業だろう。要するに、マオタ、返上である。

浅田選手自身も、何度も辛い局面や時期を乗り越えて、やっと手ごたえをつかみつつあるのだと思う。そこまで指導した佐藤コーチの手腕は、やはり凄いのだろう。ただ、どうしても、今の浅田選手には、私は煮え切らないものを感じてしまう。煮え切らないのは選手なのか、それとも観て応援する自分なのか、それがはっきりしないのだが...。胸のつっかえがとれないのである。

例えば、始めに「お茶を濁した」と表現した、FSでの最初のジャンプの扱い。今回は2Aであった。佐藤コーチは、このジャンプを2Aor3Aのオプションでシーズンを通すつもりなのだろうか?もしも、コーチも選手も、今は3Aに挑戦できないと判断したのなら、FS最初のジャンプを2Aでいいにする、そういう作戦なのだろうか!?

中野選手には、そういう作戦できていたと記憶している。時には3Aに挑み、綺麗にランドした時もある。でも、2Aを跳んだ時も多かった。それは、実に勿体無いことだと思う。FSの最初のジャンプである。一番緊張するかもしれない。でも、それは観る側も同じこと。固唾を呑んで見守る冒頭に2Aでは....何かが切れてしまわないか?そのジャンプで加点かもらえるとかそういうのではなく、「ここではこのジャンプを選択しなくてはいけない」という必然性が3Aの替わりの2Aでは感じられないのではないかと思うのである。

「マオは3Aが跳べないのね。だから2Aにしたのね。」というのがジャッジにもミエミエではないか。それがFSの第一印象になったとして、本当に良いのだろうか?私が中野友加里選手のジゼルが嫌いであった理由のひとつが、そこにあった。「狂乱の場」というジゼルのファンなら涙なくして観られない場面の音楽を冒頭で使いながら、3Aの替わりの2Aを跳んでよしとした、「音楽をジャンプの踏み台としか考えていない」と激昂したゆえんである。それに比べたら、中間部の前の彼女の3Fは、曲想に沿ってフワリと跳んで優雅なポーズで止まってみせる、本当に見事なものであった。でも、そこに至るまでに彼女は何度も跳んでいるが、それらは印象に残っているであろうか?私としては、「今日も3Aは跳んでくれなかった」というがっかり感で、その後の連続ジャンプを見過ごすというのが常であったのだが....。

そういう意味では、アクセルジャンプをチャームポイントにするジャンパーは損なのかもしれない。3-3を3-2にするより、4回転を3回転にするよりも、冒頭の3Aを2Aにしてしまうことは、そのジャンパーが本来の出来でないことを印象つけてしまうのかもしれない。もちろん、その後のジャンプをことごとく決めていけば、充分に挽回は可能である。今回のNHK杯でもそうであった。でも、挽回はしても鈴木明子選手をかわすことはできなかった。私は、2008年のNHK杯で会場の喝采を浴びながらも3位に甘んじた中野選手のことを思い出さずにはおれなかった。その時に2位だったのが鈴木明子選手。それ以降、彼女は中野選手の背を見ることはなかった(最終順位においては)。

もちろん、今回の優勝を明子選手に譲ったからといって、今後浅田選手に優勝の機会がないなどと言うつもりはない。ただ、3Aor2Aのオプションは、選手が勝つ可能性をしぼませてしまうとは考えている。負けるとは言わないが、勝ち難くする戦術ではないだろうか。何より、プログラムを一つの作品、演技と考えるのなら、冒頭のジャンプを選手の調子によって決めていくオプションにすることは、あまりにいい加減だと、私には思えるのだ。その気持ちは、案外、選手も抱くのではないだろうか?

中野選手のジゼルついでに記せば、以前、お世話になっているブログに、次のような危惧を記した。「ジゼルの解釈のあいまいさを、まじめに考えれば考えるほど、中野選手自身が悩むのではないか?」と。

本来のジゼルはメロ・ドラマである。アルブレヒトについての解釈は分かれるが、結末は日の出と共に消滅するウィリとしてのジゼルであり、生き延びたアルブレヒトとの別れである。版によってエンディングの異なる「白鳥の湖」とは異なり、ロマンティック・バレエの白眉である”ジゼル”では、変え難い約束事であろう。もちろん、マッツ・エック版など新解釈を売りにしているジゼルはその限りではないが...。それを、敢えて、「中野友加里のジゼルは、ハッピーエンドのジゼルです」とNHKの刈屋富士雄アナウンサーが語ろうとも、その無理に押しつぶされるのは、選手の方ではなかろうかと心配したのである。おそらくは、その通りのことがあったのだろう。バレエを知ればしるほど、ジゼルに一生懸命になればなるほど、無理は通らないことに直面するのだと、私は考えている。

同じ問題を、浅田選手の”シェヘラザード”が抱えている。

もしも、アナウンス通りに、浅田選手がアラビアのお姫様=シェヘラザードを表現しようと意図しているのなら、事態は深刻かもしれない。しかも、それを振り付けをしたタラソワも容認している、あるいは「そういうプログラムよ」と選手に吹き込んだとしたのなら、あのプログラムにはトラップが仕掛けられているのではと、私は感じている。誤解してほしくないが、私は陰謀論者ではない。でも、モロゾフの安藤選手からの離反、そして、ソトニコワと同一音源での”シェヘラ~”というと、何かあるのでは?と勘ぐりたくなるのが人情ではないか。五輪フィギュアスケート競技で、ソ連・ロシアと通して唯一金メダルのとれていない女子シングル、しかも地元開催、なりふり構わず、しかも綿密な策略をもって勝ちにいくとしても、それこそ北の大国らしいと私は考えてしまう。

タラソワ・トラップ(仮称)は、手首を90度曲げて手のひらを天井に向ける、独特のポーズの繰り返しにある。アラビアらしさを演出するいわばお約束なのだが、その仕草はお姫様もするのだろうか?? 

その仕草は、バレエの「くるみ割り人形」の”アラビアの踊り”でもよく目にする。

紹介文によると2000年のロイヤル・バレエ団(イギリス)の上演らしい。クララをアリーナ・コジョカルが踊っていると記されているが、肝心の、この踊りのソリストが誰なのかはわからない。残念なのだが、私は映像を見ただけでダンサーを判別できるほどにはバレエに通じてはいない。注意してほしいのは、ここに登場するアラビア人達がダンサーであるということである。決してお姫様ではない。くるみ割り人形には、クララというヒロインが登場するが、こんなに達者な踊りは披露しない(グラン・パ・ド・ドゥで金平糖の替わりに踊るバージョンもあった気がするが...)。ヒロインはヒロインらしく、控えめなのも、バレエのお約束である。

もちろん、踊りの達者なお姫様達もいらっしゃる。その点では、「眠りの森の美女」のオーロラ姫の右に出る役はないだろう。でも、オーロラにしても、オデットにしても、シンデレラにしても、「魔法」がつきものである。オーロラは生まれてまもなく、妖精たちから祝福を受け、そこから物語が始まる。オデットはロットバルトの呪いによって白鳥に変えられた姫である。シンデレラが舞踏会に行けるまでの経緯は言うまでもないだろう。いずれも、非日常的な魔力(善であれ悪であれ)を伴っての踊りなのである。

それに対して、シェヘラザードには何もない!才知と思いやりはあったのかもしれない。でも、それらは彼女が本来備えていた才能でしかない。夜な夜な伽に寄せられた女性達を殺してしまうという、魔物にも匹敵するスルタンが相手であるが、彼女はごく普通の女の子であるはずだ。そのような女性を表現する時に、東方のダンサーのようなハンドモーションが必然であろうか!?。あの動作は、あきらかに訓練を受けた、専門職がなせる技である。要するに、職業的なステータスであり、社会的ステータスを表現するものではない。いつも言うことだが、ジャンプ・スピンができたからと言って、踊りが達者だからといって、それは社会的に認められる徳とはならない。達者な技術は、その世界でしかモノを言わないのである。

シェヘラザードには、アラビアン・ダンサー的な身のこなしは、必然ではない。

浅田選手のSPから醸し出されるのは、職業的な踊り子(百歩譲っても踊りの好きな女の子)の雰囲気であり、人間不信に陥って殺戮を続けるスルタンを諌める才女の煌きではない。

ここにトラップがあると思う。

練習すればするほど、頑張ればがんばるほど、彼女の能力は非日常性を増してくる。刈屋アナばりに、「これが浅田真央のシェヘラザードです」と言い切れば、それでも良いのかもしれない。彼女自身が、自分の演技から何かをつかみ、彼女なりのシェヘラザードに出会えれば、きっと答えは出てくるであろう。でも、掴みそこなったのなら...原点に戻ろうにも、そこにはシェヘラザードは居ないと思う。浅田真央は踊り子なのだから(少なくとも、私はそう思う)。

スケートがいくら上手になっても、ジャンプのキレが戻っても、作品理解がないがしろなら、申し訳ないのだが、私は支持できない。だから、佐藤コーチの選手には、煮え切らない思いが残るのだと思う。「魂」は、どこにあるのだろうか?

ただ、救いはある。そう悩む必要もないとも考えている。中野選手の救いようのなさは、”ジゼル”を選んだことであった。彼女のプログラムには、ジゼルは居なかった。それは、救いようのないことであったと、私は確信している。

同じように、浅田選手のSPにもシェヘラザードは居ないだろう。でも、それで良いのである!決して、シェヘラ~でなく、スルタンを裏切ったゾベイダに切り替えろというのではない。リムスキーコルサコフの音楽には、もともと物語りがないのである。それが、ロマンティック・バレエのためにアドルフ・アダンが作曲した”ジゼル”との違いであり、浅田選手にとっては救いとなるだろう(多分...)。もちろん、モチーフとなった表題はある。でも、それはモチーフ(動機)にすぎず、音楽でタイトルにある物語を、ものがたる、という性格の音楽ではない。もともとの”(交響組曲としての)シェヘラザード”は、もっと抽象的な、「音楽のための音楽」でしかないと、私は思うのである。だから、ミハイル・フォーキンは、”カランダール王子の物語”という作曲者の表題に関係なく、スルタンが出かけている間に乱痴気騒ぎをする愛人の様をバレエ化したのであろう。どう考えても、諸国行脚の苦行をする王子という本来のテーマを尊重するのなら、そんな生臭い場面にはしなかっただろう。

結局のところ、シェヘラザードには物語はあって無いようなものである。音楽が主であり、物語はその音楽を始めるためのモチーフでしかない。だから、浅田選手が自分の表現に迷うようなら、こうアドバイスをすれば良い。「感じるままに、踊りなさい。」シェヘラザードは、それで良いのである。

選手の意図と異なる表現を振り付けに入れたことを”トラップ”と記した。でも、そのトラップを見抜けば、物語に拘らず、音を聴けば自ずと身体が動けることに気付くはずである。それは、物語と役柄と踊りとが一体化していた時代の”ジゼル”との大きな違いである。もしも、そのことを明確に意識し、「考えずに、感じたままに」演じることをタラソワが望んでいたとしたら、案外、トラップでなく、ギフト、なのかもしれない。

はてさて、タラソワから与えられたトラップとギフト!?

浅田選手はこれからどんな冒険を繰り広げるのか?

続きは今後のお楽しみ!! (千夜一夜風に...笑)

2011年11月12日 (土)

浅田真央に訣別

昨夜のNHK杯SPはショックだった。予感はずっと前からあったのだが...。

おそらく、浅田選手は方向性を失っていると思う。

今までのように大技のジャンプをチャームポイントとし、他のエレメンツでも手堅く得点を獲っていく”突出型”の選手でいつづけるのか、あるいは現実を見極めて、確度の高いエレメンツでシュアに得点を積み上げていく”標準型”の選手に変わっていくのか。

標準は、フィギュアスケートの場合、決して悪い言葉ではない。ルールで基準が定められ、それに適合することが高評価となるのなら、いわゆる「癖の無い素直な」技術は高い評価を得られる。なので、そのことをアピールしてポイントを積み重ねることは現実的であろう。

でも、世界のトップに立ちたいとしたなら、やはり、チャームポイントは必要ではないか?

それがわかっているから、昨夜の鈴木明子選手は3T-3Tに挑み、成功したのだろう。更に競争が激しくなれば、ファーストジャンプの難易度を挙げて、基礎点をアップできた選手が勝つ時代になるかもしれない。男子の4回転ジャンプのように。

その流れと逆に浅田選手はいっているように、私には見える。

基本的なスキルを磨くことでジャッジの評価を高める方向の代償として、3-3や3A、あるいは弾けるようなエネルギーといった、チャームポイントを失っているように感じるのだ。特に、一番気になるのは、スピンの軸脚の曲がりである。彼女のスピンは、以前はもっと軸脚が美しかった。確かに、軸脚の膝を多少曲げていたとしても、レベルやGOEにはそれほど影響がないのかもしれない。それよりも、もっと速く、コンパクトに回ることの方が、フィギュアスケートでは大事にされているのかもしれない。軸脚を少々緩めた方が、フリーレッグは挙がるし、回転軸も安定するから。

しかし、そういう誘惑に抗してでも、一本の筋を通してきたことも、浅田真央の魅力であったはずだ。

彼女のスパイラルの美しさは、スケーティングレッグの伸びやかなラインであり、それがあるから、宙へ向うフリーレッグの緊張感も伝わるのである。I字スピンにしても、これでもかと脚を体に密着させても軸がまっすぐだからこそ、彼女は美しかったのであろう。

そういう美の追求を、20代の彼女はやめてしまったようである。

私は、彼女に何かを吹き込んだ大人がいるのではないかと、勘ぐっている。「そんなに無理をしなくてもいいんだよ。もっと賢く滑りなさい。」と。それが”大人になる”ということならば、それも成長であろう。でも、代償としてチャームポイントを、ひとつ、またひとつ、と失っていることも忘れてはいけないと私は考えているのだ。

芸術を語れるほど、私は物事に通じてはいない。ただ、今、感じているのは、芸術とは自然との対話という側面もある、ということである。自然の模倣が芸術の始まりだったのかもしれない。あるいは、自分の内にある自然、湧き上る意欲を、外へと表現することも芸術なのかもしれない。そういう芸術を体系化し、表現の原理を意識するとしたら、二つの方向性が考えられる。

ひとつは、自然に従うこと。理にかなった、無理のない、素直な表現を心がける。

もうひとつは、自然に抗うこと。痛みを伴うとしても頑張り続け、訓練の賜物として得た技術を存分に発揮して表現し続ける。

この二つは相対立するものではなく、それぞれも対話しつつ、ひとつのメソッドを築くのかもしれない。訓練によって稚拙さを脱し、それによって雄弁に自然を模倣できるようになるのかもしれないし。

浅田真央選手について考えれば、10代は自然との対話と戦いの時代であった。自然と顔がほころぶような演技と、不自然なほど高いスキルが並存していた。10代半ばの女子選手が3Aを競技会で跳ぶことは、やはり不自然なことだと思う。でも、浅田真央には可能であった。才能(自然)と訓練(抗自然)の賜物だったのだろう。

20代の浅田真央は、おそらくは、自然に妥協していく道を歩むだろう。彼女の演技には、張りがなくなってしまった。SPは、音楽で雰囲気を作っているが、演技からは醸しだされていない。自然と衰えていくジャンプには妥協を重ね、その代わりに磨けるものを磨いていくつもりだとも感じる。例えば、難しいステップとか、芸術性とか....。それが「大人への道」と言えばそれまでだが。

もちろん、浅田選手が厳しい訓練を自らに課しているのは、これからも変わらないだろう。ただ、方向性は、既に変わっているのではないか、その変化に選手本人が納得していないのではないかと感じるのである。チャームポイントであった部分を殺し、生かせる素地だけを磨いていく、という変化に、浅田選手はとまどっていると私は感じていた。

その結果、私達は何を見せられるのか?おそらくは、無残に破壊された「自然」のような、人工的な「芸術的着色」であろう。

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