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2011年9月

2011年9月12日 (月)

”介護力士士”を馬鹿にする者達に、物申す

相変わらず、三好春樹の「介護職よ、給料分の仕事をしよう」を読んでいる。

ヒマを見つけては開いているのだが、私は読書のスピードが遅い。とにかくノロい。マンガでさえも、友達と読みあっている時に私だけ読み終えることができず、「まだ終わらんのか」と文句を言わることがよくあった。昔の話だが...。文字ばかりの本ではいわんや、である。もっとも、大学教員の頃はそれでは通用しないので、適当に読み飛ばして知ったかぶりで物を言うというテクニックも身に付けたのだが....それじゃぁ本物にはなれないことも痛感した。そのことは、とても良い勉強であったかもしれない(苦笑)。

だから、地道でノロノロで良いから、一生懸命、本を読むスタイルを貫きたいと思う。読むのが遅いのは、読みながら色々なことを考えるためである。時には、ネットで関連する記事を探し始めたり(それで脱線することになる)、ノートを取り出してあれこれメモしたりと、ノロくても無駄な時間は使っていないと思うのだ。仕事をするうえで、生きるうえで、実になる時間だろう。だから、1か月に1冊しか読めなくても、一冊を一年以上かかっても、メゲずに頑張って読むことにしている。「ランド 世界を支配した研究所」という本は、名古屋へのスケート練習に行く電車の中で読み始めたのだが、まだ30ページほど残っている。多分、2年くらいかかっているのではないだろうか?

で、頑張って三好春樹の本を読んでいるだが、苦痛で仕方がない。

ノロくても本を読むこと自体は好きな性分だが、この本は苦痛だ。馬鹿馬鹿しいマンガも喜んで読む私だが、この本に満ちている無知と嘲笑と尊大さには辟易とする。よく、活字にしたもんだ。「そういうことはブログに書け!」と言いたい、小一時間言い続けたい!!そんなことを読む度に愚痴るので、「読むのを止めたら?」と妻に言われるのだが、途中で止めるのもシャクなので、ブツブツ言いながら頑張っている。スミマセン。

頑張って124ページ読み、まだ80ページ残っている。本当は全部読み終わってから、文句をこのブログに連ねようと思っていたのだが、どうしても物申したい言葉に突き当たった。「介護力士士」である。

もっとも、この本自体にはこの言葉はp.113に、次のように記してあるだけだ。

介護現場から生まれた、「介護力士士」というコトバも入っているし、私が介護という仕事の意味に気付かされた「ブリコラージュ」という項目も入っている。

言葉に侮蔑的なニュアンスを感じたので、ググってみた。キャリアブレインの記者ブログに紹介が載っていた(リンクはこちら)。

疑問を呈したいのは、”介護する動作に力を使うことは否定されるのか?”ということである。全否定はまずないであろう。人が動作する以上、いくらかの力は必要だから。問題になるのは、(主観的な表現で申し訳ないですが)「大きな力を要するか?」であろう。例えば、本職の力士が相手を寄り切るような莫大な力を使わないと、利用者をベッドから車椅子に移せないか?という問題である。

この問題を肯定すれば、介護は力仕事であり、介護力士士を養成せねばならないと考えるのかもしれない。逆に、否定し、それほどの力を用いなくても介護動作が可能なテクニックはあるとするならば、介護力士士となることも否定されるのであろう。

似た問題に記憶がある。「フィギュアスケートに力は必要か?」という議論を、大人初心者同士で熱心にしたことがあった。私は肯定派だった。私自身は、姿勢の制御や動作のコントロール、あるいは力の向かう方向の変化(ジャンプの踏切など)では、多大な力を求められると考えている。身体における”静止”を保つためには相当な筋力を必要とする。でなければ、グラグラ動いてしまう。ましてや、滑走運動中に上半身を真っ直ぐにしてきれいなスケーティングフォームを保つためには、腹筋や背筋はもちろん、首周りや肩回りの筋肉によって頭の位置を一定に保つことが必要だと考えるのである。きれいに滑れるということは、決して当たり前のことではないし、日常的な動作ではないのである。だから、ランニングや筋トレ、あるいは水中トレーニングのようなオフアイスの練習に熱心であった。ランニングの時には、苦しくても前かがみにならず、しっかりと頭を上に保つように心がけた。ただ走るのではなく、きれいな姿勢で走り続けることに、フィギュア的意味があると考えたのだ。

だが、フィギュアでもそれほどの筋力は必要ない、という意見もある。そして、その意見にも全面的ではないが、大事な部分で私も同意せざるを得ない。「力任せにやってはならない」という点である。

ジャンプの踏切では、背筋を中心に爆発的な力を要すると思う。脚力ももちろん重要だが、それ以上に背中を使えるかが、フィギュアのジャンプでは物を言うのではないか?でも、それと「力任せ」とは全然違う。どう違うかを一言でいえば、”力をコントロールできているか?”の違いである。練習で培った経験により、力の掛け具合(使う筋肉、タイミング、力の方向、力の強弱)は、より合理性を増してくる。それが”上手になる”ということではないか?でも、”下手”な人は、そういう掛け具合を習得していない。だから、力を無造作に使うしかなくなるのではないか?そういう状態を「力任せ」というのだと思う。

フィギュアスケートにしても、介護動作にしても、「力任せ」ではうまくできない、なにより危ない!その考えには、私は強く同意したい。

そう考えれば、介護動作で求められることは、「力任せ」ではない”上手な動作”ができることではないか?適度な力を適切なタイミングで使う。それが、介護される方への安心感にもつながるし、介護する者の怪我の予防にもなるであろう。

しかし、強調したいのだが、上手に力を使えるようになることと、筋力が不要になるということとは直結しないということである。私は、そう考えている。確かに、経験上、介助が上手になればそれほどの力は要しないように思う。持ち上げる力に関しては...。身長174㎝の私なら体格の利を生かせるし、80kgの体重も、自分の足の裏を支点としたテコの応用で、やはり介助動作に利することができる。でも、”持ち上げる力”よりも大事な力がある。”支える力”である。

御大、三好春樹自身が解説している、立ちあがりの介助法がNHKのサイトにある(リンクはこちら)。

最初の写真、介助者が相手に密着する図であるが、大笑いだ。プロレスのベアハッグじゃないのだから....(爆笑)。あれで立ちあがりを”よいしょ!”と介助したら、相手の背骨を痛めるかもしれない。三好春樹の現役時代は、そういう危険な介助法がまかり通っていたのか?私が教わった、「相手に密着しての立ちあがり介助法」の最初の姿勢は、むしろ二枚目の写真に似ている。「肩と膝はクロスしていますが、おへそとおへそは離れていますね。」と苦し紛れのコメントを付けているが、私はこういう姿勢を「密着しての介護」と習った。

全介助レベルの方を相手にするのなら、この方法もアリだと思う。でも、このサイトで紹介されている半介助(部分的にサポートするレベルの介助)での支援では、介助者と相手との肩と肩とをどう密着させないかが大事になると、私は考えている。現場で立ちあがりや移乗の介助が求められる人は、まずマヒのある方だからだ。マヒがなければ介助は必要にならない(例外もあるが....)。この事情は、家庭での介護でも同じであろう。

上肢(=腕)にマヒのある人を相手にして、NHKの写真のような姿勢をとってもらえるか!?

まず、マヒのある側の肩を痛めるだろう。私だったら、相手に腕をまわしてもらうのではなく、自分から相手の肩の下に手を差し入れ、相手の肩甲骨をしっかりとホールドする。そして、よく動く側(=健側)に軸をとってそこに重心がかかるようにもってきて、相手の上半身の重みを介助者の腕で支えるようにする。そうすれば、相手も安心して足で踏ん張ってくれるだろう。「下肢筋力の低下」とよく言われるが、そういう方々が難儀しているのは、頭を含む上半身の重みを自力では支えられないことなのである。

三好春樹実演の4枚目の写真から感じてもらえないだろうか?相手の方の上半身と下半身のバランスがバラバラである。腰が”く”の字に曲がり、尻は今にも椅子へと落下しそうになっている。背中に回してもらった腕も介助者の肩から滑り落ちそうになっている。彼が相手の方の上半身の重みに、いかに無責任か、この写真からひしひしと感じる。(もしもこの写真が、相手の上半身の重みを介助者の上半身で受け止めることを意図しているとしたら、それは全介助での支援であろう。「相手の力」を利用しながらも、相手が自分では支えられない重みを支えていく介助だから、半介助なのである。)

彼は、相手の上半身の重みを全く支えていない。支えようともしていないし、支える気がないのだろう。そして、「介護力士士」とせせら笑う!!

もしも、彼が介護のプロならば、4枚目の写真を見て、相手の膝の裏が椅子にぶつかっていることを恥じるであろう。膝が十分に伸ばしきれないから腰も曲がったまま(=腰くだけ)になる。この姿勢が相手の腰にどれだけ負担をかけるか、試してみてほしい。膝を曲げた状態で無理に腰を伸ばそうとしたら....。もっとも、2・3枚目の立ちあがる前の姿勢で、介助される方の踵が上がっている時点で、私は疑問を禁じ得ないのだが....。相手の方にも足を踏ん張ってもらうこと、あるいは、相手の方のアキレス腱を痛めないことについて、どう考えているのだろうか?

要するに、介護者が介助する上では、「持ち上げる力」はそれほどいらない。しかし、シビアな現場では、「支える力」が必要なのである。姿勢を保ってもらうことは、それほど大変なことなのである。しかし、介助時も相手方の姿勢を気遣い、より安楽で安心できる姿勢を保っていただけるように、私達は全力を尽くしているのだと信じている。

そのために必要な筋力は、立位保持であれば、いわゆる「かいな力」であり、握力である。指先でギュっと相手の皮膚を押さえつければ痛い。だからこそ、あたかも掌(てのひら)に吸盤があるかのように、てのひら全体を相手の皮膚に密着させて支えていく。そのためには、握力はあればあるほど良い。あるいは、グラグラ揺れそうな相手を支えるには、中臀筋や足底筋群のように、自分のバランスを柔軟に保つための筋肉が使えるのが理想であろう。相手のグラつきを敏感に察知して、柔軟に支持の仕方を変える時に有益と考えている。

力士を馬鹿にしないでほしい。私達は、福祉施設という生活の場で入居者の生活支援のために働いている。でも、その方々は障害や疾患、あるいは家庭の問題といった大きな困難を抱えているのである。”ジジ・ババ”とひとくくりに呼ぶのは三好春樹達の勝手であるが、家庭からの隔絶という非日常的な出来事の中で日常を営まなければいけない方々であることを、私は忘れてはいけないと考えている。ならば、私達介護者も、非日常的な文脈での支援を実施する力を持たねばならないのではないか。

三好春樹は、私達看護師のことを小馬鹿にする。

だが、忘れないでほしい。ご高齢の入居者の具合が悪くなった時に、介護職者が真っ先に相談するのは、私達ナースであることを。「急変」あるいは「受傷」という非日常的な事態にも支援する力が、私達医療者にはあることを!

同じように、障害を背負って日々を過ごす方々、寝たきりの状態を余儀なくされている方々を介護する時にも、やはり、非日常的な力、生活を超えた職業的なスキルや意識が求められることはないだろうか?彼らを支えるために発揮するためなら、私は、喜んで「力士」と呼ばれたい。ボディメカニクスを言うのなら、力士のように股を割って踏ん張りたい。キネステティクを言うのなら、土俵を丸く使う力士の感覚を思いだしたい。「相手のために全力を尽くす」ことがどんなことなのか、実感しながら介護を続けたい。

蛇足かもしれないが、もとはフィギュアスケートのために始めたトレーニングだが、テニスだけではなく、介護する上でも本当に役立っている。自身を持って言う。私は、力士の様になりたい!!

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