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2011年7月

2011年7月19日 (火)

なでしこ力に想う

幸い、18日は夜勤後の休日だったので、心置きなくFIFA女子W杯の決勝戦を観ることができた。なでしこ達の活躍については、私は男子代表の試合を追うだけで精いっぱいだったので、こんなに素晴らしいチームであることを知らずにいた。女子スポーツで比較的マメにチェックできているのは、フィギュアスケートだけである。

だから、スェーデンとの準決勝戦(これも見始めたのは後半からだが)には度肝を抜かれた。細かいパス回しでリズムをつくり、果敢に前線へ楔を打ったり、サイドへ展開したりして崩すサッカーは、とても洗練され、楽しそうですらあった。フィジカル面でも北欧の選手達に負けていない姿には頼もしさを覚えた。”まるでバルセロナのサッカーを観ているよう!”という評価が、彼女達の意図しているスタイルを言い当てているのかはわからないのだが、最大の賛辞を世界が贈っているのは確かだろう。

忘れたくないのは、先日のU-17男子W杯での日本代表の快進撃でも、メキシコのメディアが同じ賛辞を贈っていたことである。U-17男子の代表選手達は、バルサのイメージを自分達も意識していたようだが(リンクはこちら)。ちなみに、女子W杯で試合後に選手達が掲げていた横断幕は、U-17男子の日本代表選手達も手に持って試合後の会場を巡っていた(リンクはこちら~センチュリー21プライム スタッフ公式ブログより~)。男女の垣根を越えた「感謝の心」は、日本人の礼儀とサポーターシップとの美しい調和ではないだろうか。その心は、長友選手のお辞儀パフォーマンスにも通じるものと、私は思っている。

なでしこジャパンの強さ、素晴らしさはどこにあるのであろうか?

スェーデン戦の後半戦からしか観ていないミーハーファンの意見で申し訳ないのだが....私は、つぶされても諦めない心、ではないかと感じた。一番それを感じたのは、決勝戦での日本の1点目である。高い位置で日本がボールを奪い、右サイドに振ってそこからセンタリングをあげる。丸山選手がそれに合わせて突っ込むが合わない。相手につぶされたのだが、諦めずに球際で粘ったため、クリアに焦ったアメリカディフェンダー陣から宮間選手が巧妙にボールを奪ってゴールへ蹴りこんだ場面である。あの得点は、宮間選手の巧者ぶりが光ったのだが、その前の丸山選手の粘りがなければ成し得ない得点であったと思う。

また、スェーデン戦で日本の3点目となる川澄選手のゴールは、胸でトラップした浮き玉をそのまま、はるか遠くのゴールまで蹴りこんでしまったスーパービューティフルゴールではあるが、その直前の安藤選手の果敢な飛び出しが秀逸だったのだと思う。それにあわてたゴールキーパーがペナルティエリアの外まで誘い出され、安藤選手を倒してしまった。そこに生まれた隙を川澄選手が狙い澄ましたのであろう。安藤選手は、同じ試合の澤選手による2点目でも、ゴールポストで体を張って、スェーデン選手のクリアを防いでいた。タイミング的には安藤選手が頑張らなくてもクリアはされなかったかもしれないが、労を惜しまない献身的な働きが日本の勝利を支えていることを如実に顕したファインプレー(チームプレーとしては当然のプレーでもあるが)だと思う。

献身的な攻め上がりというのであれば、右サイドを駆け上がる近賀選手の姿は、決勝戦で何度も観ることができた。必ずしもボールがもらえるわけではないが、徹底して続けた成果が、延長戦後半に日本が追いつく結果(澤選手から逆サイドの近賀選手へロングパスがつながり、それが同点のきっかけとなるコーナーキックを生んだ)となったのであろう。

ドイツ戦の決勝ゴールについて、「そこにボールが出ると信じて走った」と丸山選手がコメントしていたと記憶している。想像なのだが、パスの出し手も、「そこに味方が走ってくれている」と信じて蹴っているのではないだろうか。もちろん、その関係がいつも成功するわけではない。サッカーは失敗のスポーツとよく言われる。しかし、失敗を繰り返しながらもメゲない、諦めない。90分、あるいは120分のあいだ、何度でも繰り返す。そうしてつながった一度か二度かのチャンスが花開く。あるいは、潰されたかに見えても粘り続けることが味方のチャンスにつながる。そういう、「がまんする心」「あきらめない心」が、なでしこジャパンの魅力なのかと感じたのである。

ディフェンス面でも体を投げ出してのスライディング、大柄な相手選手に身を潜らせてのボール奪取など、随所になでしこらしさがあったのだと思う。それを起点にしてゴールに結びつけたのは、アメリカ戦での1点だけではないだろう。

スライディングについては、今大会では日本のスタジオ解説で活躍された大竹七未氏のブログの記事が印象的である(リンクはこちら)。指導されている東京国際大学女子サッカー部の選手達に向けてのメッセージのようであるが、

絶対に自分のボールにする!!の強い気持ちがあれば、
最後はスライディングをして球際強くいくの!!


そーゆー気持ち、姿勢が他のチームメイトにも伝わるし、ゲームの流れを変えられるんだ!!

という言葉は、現在の、あるいは将来の、なでしこ達に共通する意識なのだろう。もちろん、いわゆる「ピアノの運び屋」という意識には男女の壁はないだろうし、たとえば野球の犠打やチームバッティングのように、種目の壁すらも無いのかもしれない。そういうスポーツや組織ワークに共通する「味方を信じて、仲間のために頑張り続ける」というメッセージを、日本女子代表の今回の闘い方から強く感じた。しかも、そのメッセージがW杯優勝という素晴らしい結実となった。私は、そこに、なでしこらしさを想うのである。多くのメディアで語られている、「諦めなければ夢はかなう」という普遍的なメッセージを具現したところに、なでしこジャパンの素晴らしさがあると言っても良いと思う。洗練されたパス回しで相手を翻弄し、ボール支配率を高めながら隙を突く、という勝ち方の裏側には、味方のために労を惜しまず、相手に潰されることを厭わない献身的な働きがあること、それこそが、なでしこらしさではないだろうか?

日本の女子サッカーの現状が厳しかったことを、私は知らなかった。

私はエスパルスのサポーターなので、清水の女子サッカーチームがLリーグから撤退した報道は目にしたことがあった。それも女子サッカーに関心が向かなかった理由であったのだが、今回の活躍までに選手達がどんなに苦労してきたのか、改めてネットで情報検索をしてみてびっくりした。チームだけでなく、リーグそのものが存続の危機に立たされていたこと、存続のためにリーグの再編や規模縮小、スポンサー獲得などの努力の連続であったこと、間宮選手ら多くの代表選手達がスターと言われるには遠く及ばない報酬で生活を営んでいること、そういったことを、なでしこが世界一になったことで、初めて知った。それこそ、川端に人知れずひっそりと咲く花々のような生き方だったのであろうか?それでも、選手達が活動を続けてきた力の源泉は、「サッカーが好き」という思いであったのだろうかと想像するに難くない。プロ契約の選手達が結果に見合った報酬を受け取るのは当然の権利だと思うが、「サッカーが好き」という気持ちは持ち続けてほしいと願う。

私の想う、なでしこ力とは、味方や仲間のために労を厭わない献身性から良い結果を導く力のことである。ただ労を惜しまず献身性を発揮するというものではなく、それによってチームが活性化し、個々が高いパフォーマンスを発揮できるようになる力でなければならない。一人がしゃにむになることで、他の人達が委縮したり、働く意味を見失うことがあるのであれば、組織は上手く働かないだろうし、そういう頑張りは「力」とは言えないだろう。自分が頑張ることで、仲間も頑張れる、そういうWIN-WINの関係こそ理想であり、その理想を具現化したのが、今回のなでしこジャパンであろう。

その対極として、サムライの在り方があるのかもしれない。決して否定的な意味ではないが、サムライという立場が身分制に由来するために、日本人共通のメンタリティーとして日本人が認知することを困難にしていると思うのである。もっとも、井上雄彦の”バガボンド”に登場する鐘巻自斎のように、農民や漁民に武道を伝える者もいたのだろうから、サムライの心が身分の壁に阻まれることはないのかもしれない。でも、身分制を否定する現代日本であればこそ、サムライ魂と言われてピンとくるものは、どれほどあるのであろうか?

ドイツ人の言うゲルマン魂、ヨーロッパ人達に共通する騎士道精神、あるいはアメリカ人の持つフロンティアスピリットというほどには、侍の魂は日本人には普遍化していないのではないだろうか。私の家は地方代官に端を発しているので、私は侍の子孫だと思うのだが、だからといって自分が武士道精神を持ち合わせているとはとても思えない。「サービス精神」ならば自信があるのだが....。似たような言葉で、大和魂というのがある。日本サッカーの父であるデッドマール・クラマーが選手達に求めた精神性であるが、彼は新渡戸稲造の「武士道」からその言葉を知ったとのことである。選手達が発する気から感じたものではなく、本から得た知識であるので、おそらくは選手達にもピンとくるものではなかったのではないだろうか?「君には大和魂はないのか?」と問われても、”私にはそれはない。その代わりガッツやファイティングスピリットならあると思う”としか言いようがない。

武士道とか大和魂とか、サムライ魂というのは、日本人に共通するメンタリティーではないように感じるのである。

日本人は本来平和的であり、仲間を助け、味方を頼みとし、和を創り上げるに長けた民族ではないだろうか?もちろん、村社会の中にも諍いはあっただろうし、村同士の抗争もあったであろう。一揆はある種の身分闘争だったのかもしれない。でも、そういう非日常的な抗争にアイデンティティーを見出すことはなく、祭りや祝いのために財産を蓄え、その日を心待ちにする、優しき民族ではなかっただろうか。だからこそ、未曾有の災害に遭った方々を想って心を痛め、励ましとなることに力を尽くすのであろう。

今大会の表彰式で、岩手県出身の岩清水選手が被災した方々への応援メッセージを日の丸に記したことが報道された(リンクはこちら)。「東北のみなさん...」と呼びかけるそのメッセージは、クラマーの言う大和魂とは一線を画すであろう。梅原猛氏の「日本の真相」には、東北は縄文時代には文化の先進地であり、その後も大和朝廷と相対する蝦夷の地として独自の立場を保ってきたと論じている。ヤマト=日本ではない。大和朝廷が押し広げた稲作文化に先だって狩猟・採取と主とする縄文文化が栄えていた地はあり、それらのせめぎ合いにこそ日本の文化性や精神性があることを、梅原氏は喝破しているのだと思う。東北地方の方々のことを忘れずに戦い続けた岩清水選手の優しさこそ、私達が共感しうる精神性だと私は信じる。

なでしこの精神は、当然だが身分の壁はない。野に咲く可憐な花を美しいと感じる心に身分の違いはないであろう。

栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

(マタイによる福音書第6章)

おそらくは、男女の壁をも超えうるのではないだろうか?男子→侍 女子→なでしこ という区別は、ニックネーム以上の意味を持たないと私は考えている。なでしこジャパンの素晴らしさは、男性である私にもビンビン響いてくる。この力、なでしこ力を、私もぜひ身につけたいものである。

思うに、日本の女子サッカー以上の苦難が、今後の日本のフィギュアスケート界にはふりかかってくるかもしれない。使用していない時間帯も氷の維持のために電力を使用せねばならない、というアイスリンクの宿命は、今後の日本にとって看過しがたいものになるのではないだろうか?少なくとも、整氷施設や建物の老朽化によって消費電力の低減が見込めないアイスリンクは存続の是非を検討すべきと、私は考える。日本のフィギュアスケートが電力需給の問題に対して聖域となるべきではないだろうし、そのためにも、アイスリンクは環境負荷に対する立場を明確にすべきではないだろうか?

その結果、競技環境の変化が選手・指導者達に降りかかることもあるのかもしれない。でも、それを乗り越えなければ、日本や日本のスポーツ界に未来はないと私は考える。「夏でもふんだんにアイスに乗れる」環境が当たり前で良いのであろうか?そうでなければ選手育成はできないのであろうか?これらの疑問は、震災よりもはるか前から抱いていたものである。エネルギー枯渇やC02削減の問題を考えても、アイスリンクの今後を真剣に問う時期が来ることは容易に予測できるはずである。

だからこそ、限られた機会を有難いものとして、有効に使う気持ちが大事ではないだろうか?もしも、アイスに乗れない時期があるのなら、アイスに乗れるようになるまでを準備期間としてトレーニングすることはできないだろうか?私は、オフアイストレーニングの乏しさが、選手生命の短かさの原因ではないかと感じている。抜本的なトレーニング方法、選手育成システムの見直しの良い機会が、すぐそこまで来ていると信じたい。

ただ、私自身のことを言えば、今後もアイスリンクに乗る機会はあるかもしれないが、それほど多くはないだろう。来年のマスターズの夢は持ち続けているが、情熱は別の種目に移りつつある。父の看病のこともあるのでまだ開始していないが、テニスを始めるつもりでもある。採点競技としてのフィギュアスケートには限界を感じているので、自ら得点を獲っていくスポーツで頑張りたいのである。アイススケートよりかはエコなスポーツだろうし...。

それでも、フィギュアスケートが好きという気持ちには変わりはない。この競技にまとわりつく独特な雰囲気にムセそうになることはあるのだが....。そして、この競技に情熱を失わない選手達が活路を見出し、選手活動を続けていけることも信じているし、応援を続けていきたい気持ちである。

2011年7月15日 (金)

父の退院

雲晴れて 白き月射す 道ぞ険し

2011年7月12日 (火)

父の三度目の入院

仰ぎ見て 雲なお深し 初夏の月

2011年7月 5日 (火)

5年後、10年後も食っていけるのか?

もんもんとした日々を送っている...。

実際には充実しているし、迫力のある生活をしているのだと思う。幸せである。

特に、PC環境の整備ができ、以前の大学研究室のようにパソコン3台をネット接続でフルに使えるようになった。複数のパソコンに個々の役割やキャラクターを与えていくことは、仕事が捗る(はかどる)うえでの秘訣だと思う。

ただ、これはOSの進化には逆行しているのかもしれない。ウィンドウズが革命的であったのは、一台の機械(パソコン)が同時進行で複数の仕事をこなせるようにしたところであろう。別にPCが複数台なくても、一台で同時に何役もこなせるようにするのが、WINDOWSのはずである。

1995年の冬のボーナスで富士通のFMVを購入する前に、私が店員に確認したのは...

プリンターを動かしている時に、パソコンで別の仕事(ワープロの続きとか、表計算とか)はできますか?

であった。店員さんは、自信満々で、「もちろん、できます」と言ってくれた。

今となっては笑い話かもしれないが、1980年代のマイコン時代から久しくコンピューターに触れたことがなかった私にとっては、プリントアウト中でもパソコンを使えるというのは、夢のようなことだったのだ。考えてみたのだが、最新型のBlu-ray録画機器でやっと多チャンネル同時録画が可能になったのではないか?「一台で複数の仕事を同時にこなす」という機能を持つ機械あるいは道具は、世の中にあまり存在しないはずである。

もしかしたら、PCのオンリーワンの機能だったのかもしれない。

しかしながら、時代は常に変化している。本来なら、電子辞書もネット閲覧も文書作成もプレゼン資料作りも、一台のパソコンでまかなえるはずである。”WINDOWS”の名の通り、窓をどんどん切り換えていけば良いのだから。でも、パソコンは同時進行で仕事を継続できるとしても、人間はそれについていけないことに気付いた(少なくとも私は)。窓を切り換えるたびに思考が途切れてしまうことにイライラするのだ。正直、仕事がはかどらん。

文章を打ち込んでいる時に、ネットで情報を調べたくなる。でも、メインの仕事は文書作成であり、ネット閲覧ではない。ここがミソなのかもしれない。メイン機(大概は母艦であるデスクトップ機)で窓をIEに切り換えるよりかは、脇に待機させてあるノートPCで閲覧した方が、文書を作る頭を途切れさせないのではないかと思うのだ。それに、ネットでの情報を見ながら文章を練ることができるし...。

難点は、コピペが難しいこと。

ネットワークではつながっていても、物理的には異なるパソコン同士なので、ネットに有用な情報、あるいは魅力的な画像が出ていたとしても、それを別のパソコンで作成している文書へコピペすることは、難しい。LAN接続されたPC同士の”クリップボード共有ソフト”を使えば、その問題は楽々クリアできるし、以前は使っていた。ところが...VISTAの壁...。使っていた無料ソフトはWINDOWS VISTA非対応だったので、今は使えなくなっている。お金(比較的廉価)を払えばVISTAに対応するソフトもあるようなので、やはり困ったら購入すると思う。

話が逸れたのだが、窓の切り換えで複数の仕事をサクサクできる環境になって体感できたこと。「人間の頭は機械ほどには切り換えはできない」ということ。

窓をネットに切り替えればネットに嵌って(はまって)しまう。文書作成に熱中していたら、スペルに自信がなくても、記憶している知識が危うくても、「面倒くさい」の一言で、ウラを取る手間を惜しんでしまう。それでも頑張って、キーボードからマウスに右手を伸ばして窓を切り換えたら...文章を練っていた頭はそこで中断してしまう。再び文書作成中の窓に戻ったとしても、頭の中はリセットされてしまうようだ。人間の思考には、独特の流れがあり、その流れに沿っている状態を「ノっている」というのではないかと最近考えている。

太古(といっても30年前くらい)から考えれば、WIN95の世界は革命的であった。ネットを閲覧しながら文章を打てるなんて、更に、同時に作成している表計算のグラフまでその文書に貼り付けられるなんて、本当に素晴らしいことであった。でも、本当に、マルチタスクを実現するためには、人間の仕事環境の改善が本命であることに気がついた。というか、いつの間にか当たり前になっていたのだが...。今では、仕事中に複数のPCあるいはネット端末やモバイル機器を使うのが当たり前になっているだろう。メインの作業中のパソコンは、その作業に専念させ、それをサポートする作業(検証のための閲覧や検索など)は別のパソコンにさせる。文書に貼り付ける図・表があれば、それも別のパソコンで作る。そうすれば、図・表の作成過程でひらめいたアイディアを文章に反映させることがしやすい。文章を作りながら図・表をブラッシュアップするうえでも有用であろう。補助役のPCで作成したファイルは、LAN経由でも、USBメモリやSDカードなどリムーバルメディアを使ってでも母艦に送れるし。

このような充実した環境にありながらも、悶々と悩みを抱えている。パソコン3台をフルに活用しても、当分見通しのつかない難題である。震災以降、その問題のことばかりを考えている。 

5年先、10年先も日本の福祉で食っていけるのか?」である。 

そもそも、“福祉で食っていく”という発想がおかしいのである。「福祉」が、困難な状況にある人と関係をつくり、その状況が改善するように手助けすることとするならば、“福祉で食っていく”というのは、その人の困難な状況につけこむこととも考えられる。もっとも、困っている人を相手に仕事をするということ自体は、別に問題ではない。「困った人につけこむ」というのは聞こえが悪いが、そもそも仕事とはそういう性質を持つ。パソコンが使えなくて困っている人がいるから、そういう人相手の商売が成り立つのである。 

ところが、私たちのように「福祉で仕事をする」人間の相手の困り具合は、他の仕事のお客さんとは異なる。経済的な困窮、意思決定能力の障害、日常生活維持の困難など、「これに困っているから助けて下さいよ」と言えない方々が相手なのである。施設で働いているのだが、お世話させてもらっている方々から「家に帰して!」とよく言われる。とても悲しい事実である。もちろん、そういう叫びに慣れなければ、この仕事は続かないのだが。でも、利用者様のこの言葉の意味を噛みしめる力を失ったら、福祉で仕事をする者としては終わってしまうのではないかとも考える。より快適な居住空間、優しい手当そんな天国のようなサービスがあっても、「家に帰して」という一言を受け止められなければと感じているのだ。自宅退所が無理だとしても、外泊は? 外出は? せめて写真やビデオでご自宅の現在(いま)を利用者様に知っていただくことはできないのだろうか? 

話がズレてしまいました(スミマセン)。 

話は、「福祉で食う」ということです。「家に帰して」と言う方々に、天国のようなサービスをして「ここでの生活も悪くないかな?」と気に入って頂く。私たちの仕事の構造は、だいたいそんな感じだと思う。このサービスの料金を、誰に請求すれば良いか?ということである。「お代はいくら?」「お財布を持っていないんだけど」と利用者様が言われることはよくある。当然だが、私たちはお代を頂くことはしない。なかば強引に施設に引き留め、帰宅の願い(「帰宅願望」という専門用語ほど傲慢な言葉はないと思う)を我慢して頂いているのに、お金まで頂くことはできないだろう。 

料金(あるいは介護報酬)の請求先は、ご家族であったり、介護保険の保険者である市町村であったりするのだろう。ここに、私たちの仕事の複雑さがある。サービスの対象者は生活が困難なご高齢の方々なのだが、私たちが契約を結んでいるのは、ご家族であったり、公共団体であったりするのだ。この状況をどう理解したら良いのかわからない。おそらくは、わからないままに、目の前のお年寄りの世話をしているのが、私たちの実態なのだろう。たぶん、そうだと思う。 

どうして、お年寄りの世話をするとお金をもらえるのか? 

単純なこの疑問に私はとまどっている。考え方はいろいろあるのだが、ここでは記さない(下書きの段階で長々と書いていたのだが、まとまらなくなったので)。「福祉で食うというのは矛盾しているのでは?」「お年寄りの世話でお金をもらえるのはどうして?」これらの疑問を意識しなければ、今後もこの業界で食べ続けることはできないとだけ、記させてもらいたい。 

この問題意識の原因については、明快である。国の財政が行き詰るから、ということだ。 

介護保険のスポンサーは、半分は国や地方公共団体である。残り半分は国民が拠出している保険料であるが、これら、介護保険の財政が破綻した時点で、私たちのビジネスモデルは崩壊する。ただ単に「お年寄りを世話するからお金をもらえる」のではない。国や地方公共団体の「政策に従ったサービス事業をしているから給付を受けられる」のである。果たして、良質なサービスをしているから、親身に高齢者の世話をしているから、だから永く仕事をし続けられるのか、そのことには疑問を持っている。 

基本的に、福祉では食っていけないのではないだろうか? 福祉で儲けてはいけないとか、それで食うことを考えてはいけないとは思わない。福祉で仕事することで豊かになるのなら、それほど幸せなことはないかもしれない。私も、今の仕事をとても気に入っている。でも、今は国が豊なので福祉がビジネスになり得るのではないだろうか? 

今後、国が貧しくなり、十分な財政の支援が受けられなくなった時、その時にこそ、働く者の福祉観が問われるのかもしれない。もしも、そうなった時にも、「自分は福祉で仕事をしています」と言えたなら、少しは胸を張れるかもしれない。今は、自分の仕事が本当にお年寄りの幸せに資しているのか、少し疑問を感じている。スポンサーから「こうしなさい」と言われるからやっているだけの仕事ではないだろうか?それでも、お金は必要なので仕事は辞めないし、制約のある中でも良質なサービスを目指しているのだが 

きっと、日本の国は貧しくなるであろう。全てではないとは思うが。高い技術力(福島第一原発での循環注水装置の構築はすごいことではないだろうか?)や優れた知見は、1020年では廃れないと思う。でも財政は、いつかは破たんするのではないかと予想している。労働者人口の1割を占めるに至った医療・介護従事者を養いきれるだけの国力を、日本は持ち続けることができるのだろうか?そのことに危機感を持っている。 

目先の仕事を大事にすることは、とても大切なことである。しかし、予測される困難に備えることも、やはり大事であろう。福祉が食えなくなった時、自分は、それでも福祉の仕事を続けるのか、あるいは転業を考えるのか、それとも日本を出て海外で活路を見出すのか(日本の老人介護の質は、国際的なブランドになりえるかもしれない)。岐路に立つ前に、今から考えておく必要があるのではないかと感じているのである。 

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