« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月21日 (土)

終わりました

無事滑り切りました。順位は11人中の10位。でも、満足していますし、納得しています。

応援して下さった方、励まして下さった皆さん、本当にありがとうございました。

午前の部、終了

ダイドードリンコのリンクは、とても気持良かったです。エッジのかかりが良く、良いイメージで公式練習ができました。

これならリラックスして本番に備えられます。調子が悪ければ高田馬場まで出てシチズンで滑ろうと考えていましたが....。

午前中は車の中で休息をとり、合間をみて近くの公園に行きました。大きな池があったので、貸しボートに妻と乗りました。結構スリルがありました。

もちろん陸トレもやり、何回か振り付けをさらいました。親子連れが多いなかで恥ずかしかったです。

今は着替え(汗をかいたので)をして休憩中です。
出番は17時すぎ。16時少し前から再起動!です。

到着

所要時間3時間弱。

モリコロまでの国道301号のおかげか、御殿場から大井松田までの間が直線道にみえた。

おかげで、比較的楽に運転できました。8時過ぎから公式練習です。

午前3時20分

今から出発です。

楽しい1日になりますように。

2011年5月20日 (金)

出発前夜

仕事の後、実家に寄ってから帰宅し、先ほど出発準備を終えた。

毎年そうだが、この時間が一番充実している。遠足の前の夜といった感じだ。

「また、この時を迎えることができた」 そのことに深く感謝したい。昨年のマスターズ当日、早朝の江戸川の駐車場での高揚感は今でも、ありありと覚えている。一昨年は首都高4号線(だったかな?)で渋谷から六本木のビル群を眺めながら聞いた、ミ・アモーレを覚えている。更に1年前は、間違って首都高を神宮で降りてしまい、虎ノ門から新橋界隈の大渋滞を泣きたい気持ちで走っていた。

明日は、江戸川貸切は予定していない。4年目にして、初めて家庭を持つ身で参加するので、そういう無謀なことは自重することにした。でも、8時からの会場リンクでの公式練習には参加したいと思っている。だから、午前3時過ぎには、妻と一緒に出発するであろう。

とにかく、明日で終わりである。もう、次のステップに跳んでいかねばならない。

でも、フィギュアスケートを6年間も頑張れたこと、そのことはとてもうれしい。その気持ちをもって、最後の演技に臨みたい。技術的には、ジャンプの軸はやはりあやしくなっている。特に、ルッツが踏切後に回転軸をつくることができなくなりつつある。そういう意味でも、「練習は嘘をつかない」のだなぁと痛感する。プログラムの最後のジャンプであるルッツ、失敗しても良いから、大きく跳びたいなぁ、と思っている。

とにかく、丁寧に、曲と振付に感謝の気持ちをもって、演技をしたいものである。

2011年5月16日 (月)

今度は、本気です

もう、疲れました。さようなら。

http://www.skate-com.com/

(間違っても自殺したりはしませんので、心配しないで下さい。全然違う趣味の世界で、頑張ります)

2011年5月 9日 (月)

数年ぶりの大須

恥ずかしい話なのだが...「親父の目」に一生懸命コメントを書いていたら、妻に怒られてしまった。「”練習時間が足りない”といつも言っているのに、親父の目に書き込みをしている時間があるの?」という訳である。どうも、親父さんのところのコメ欄のカオス的な雰囲気が好きでないらしい。「あんな人達と付き合ってちゃいけません!」みたいな剣幕で怒られた。

念のため申し上げるが、妻からアクセス禁止をくらったのは、親父さんのところだけで、まりりんさんをはじめ、他のブログに関しては、特におとがめはない。もちろん、このブログに関しても「自由にやって」と言われているし、コメントを寄せて下さることにはありがたく感じているようである。

なので、「反対されたのでブログを閉じます」ということにはならないと思います。どうか、今後とも、よろしくお願いします。親父さんのところも、あのブログが現在のフィギュアスケートの一側面を如実に示していることを理解してもらい、閲覧だけは辛うじて許してもらった。なので、のぞくことはするが、コメントの書き込みは、当面の間はできないと思う。結婚したということは、そういうことなのだろう....多分....。

で、家庭内からの叱咤激励もあり、本日は大須にある、名古屋スポーツセンターへ練習に行ってきた。

初心者の頃はここでフィギュアスケートの第一歩を踏み出し、先生に教えていただきながら初級の課題やシングルサルコウなどを練習してきた。2007年、私が転職したのを機に、先生とのレッスン曜日がどうしても合なくて別の先生に移り、私はスポーツランド邦和で練習するようになった。今は、地元にプロインストラクターの先生がいらっしゃるので、クラブもその先生のところに移籍して地元でレッスンを受けている。もっとも、今シーズンはクラブの練習で指導していただくだけで精いっぱいだったが...。

そんな経緯なので、大須へは2007年以降は、ほとんど行ってなかった。クラブの朝練で何度か早朝に滑っただけではないだろうか?昨年の夏からは、オフシーズンの練習を邦和ではなくモリコロに移して自動車で行くようになったので、電車に乗って名古屋まで行くのも随分久しぶりという感じであった。なんだか懐かしい、独身時代に戻ったような...あ、いえ、そんなことはありませんが、とにかく、「昔はこうだったなぁ」という感じの大須詣でとなった。

大須はほとんど変わっていなかった。

大須観音駅の少し暗ぼったい雰囲気も、2番出口のエスカレーターと階段も。日曜日の午前には、この2番出口から大須の街に向かうカラーは3つにわかれていた。ひとつは、古着などのファッション関係の店に行く若いカップル達、二つ目は大須観音にお参りに行く年配の方々(地下鉄ではなく観光バスで来るのが大半だが)、そして三つめは長い髪をお団子やポニーテールにして夏でも黒を基調とした長袖、長ズボンを着たフィギュアの子達。大きなリュックを背負うかキャリングカートを引いているので、リンクに向かうのだとすぐにわかる。もちろん、今日は月曜日だったので閑散としていたが。

出口から地上に上がっても、ほとんど変わりはなかった。サークルKやセブンイレブンは閉店せずにやっていたし、通りの古美術店や画材屋さん、定食屋さん(真央選手や伊藤みどりさんも馴染みだったというのでテレビでも紹介されていた)も健在なようだ。残念なのは、大須観音のういろう屋さんがセブンイレブンに変わったことだが、これは結構前のことだったと記憶している。あと、「表参道」という大きなアーチが名古屋スポーツセンター近くの交差点に立っていた。交差点から斜めに入った裏路地のような道なのだが、それが大須観音の表参道とは全然知らなかった。

リンクも全然変わってなかった。階段を上がっての”スパイラル”像がちゃんと出迎えてくれたし、自動扉を入ってすぐのガランとしたホールもそのまま。入場券の販売と検札を兼ねた入場口のあたりには、何年も前からの真央選手の記事やオリンパスのポスター(本人サイン付)もそのまま掲示されてた。新しいことと言えば、村上佳菜子選手の記事も加えられていたことか。あと、プロショップに飾られていた、伊藤みどりさんの靴が見当たらなかった。永久保存でも良いと思うのだが...。

ロッカールームのレイアウトも変化なしだし、壁の鏡も1Fのラーメン店(今はマクドナルドになっている)のままだった。あと、嬉しかったのは、スポンジボブのシールが2か所、合いも変わらず貼ってあったことである。選手達の顔ぶれは変わっても、大須はやっぱり大須なのかなぁと思った。

氷の凸凹感も相変わらずだったが、それほど固くも柔らかくもなく、フィギュアスケートに優しい氷の質感ではないかと思った。モリコロやアクアリーナ豊橋はホッケーでも使用する関係か、固めの氷である。それで、トゥが掴めずにジャンプが抜けることもあるが、大須の氷はトゥのかかりが良く、ジャンプに適しているのではないかと感じた。着氷の衝撃もそれほど大きくないし。ただ、凸凹は回転不足をごまかすのには厳しいか。

午後の早いうちから滑り始めたが、すでに子供たちが練習を始めていた。とにかく、跳ぶ、跳ぶ...。狭い凸凹のリンク、しかもホッケーの愛好者も混ざっているなかでも、果敢に跳んでいく。私もその流れに混ざるようにしたのだが、空いたスペースを見つけ、そこに向かって飛び込んでいかねばならない。トレースを一定にし、同じリズムでジャンプを繰り返すことは、無理だと思う。もしも、十分なスペースが欲しかったら、それができるまで何周でもチャンスを待たなくてはいけないし、ポンポン跳びたかったら、安全と思われるスペースに自分から向かって、そこで跳ばなくてはいけない。注文通りの条件で十分な間合いをとって跳べるほど、大須は甘くない...と思う。これも、昔からのことだと思うのだが。

そういう中で、みどりさんも、中野選手も、真央選手、村上佳菜子選手も育ってきたのだろう。貸切ならば、もう少し条件は良いのかもしれない。でも、大所帯のクラブなら貸切でも混雑はしている。下手をすると、一般滑走よりも貸切の方が人数が多いこともある。しかも、プログラム練習をしている子たちは平気で逆走をする。基本、反時計回りのルールがある一般滑走よりも気が抜けないかもしれない。

結局、練習環境を注文通りに整えられるようになったのは、大学でリンクを造ってくれた2006~7年頃からではないだろうか。それまでは、助走のトレースや跳ぶ方向、着氷後の流れまで、周囲の滑走者の状況をみてコントロールせねばならない環境で跳び続けていたのではないかと想像するのである。

ならば、ジャンプに癖がついたり、その癖を治さずに次のステップへ進んだりすることも仕方ないようにも思える。今でも巻き足で回っている子は見かけるし、着氷後の流れを優雅に保っていたら次の子が跳べないみたいな忙しさである。

でも、悪いことだけではないと思う。やはり、果敢に跳ぼうとする意志の力は、困難な環境で育った子達の方が強いようにも感じる。跳んで降りるまでの一連の流れを自分でコントロールできる、いわゆる「調整力」も、のんびり構えていられない中で練習していた方が身につくのではないかとも考えられる。

日本のジャンパー達は、そういう環境で育ち、技術と精神力を身につけていったのだろう。

私自身も、年がいもなく、普段以上に熱の入った練習をした気がする。午後4時30分までは一般滑走者もジャンプ・スピンの練習ができる(その後はインストラクターの指導を受けた生徒のみ)というので、アクセル・ループ・フリップを跳んでみた。先ほども記したが、跳びやすいリンクコンディションだったので、結構ポンポン跳ばせてもらった。ただ、やはり周囲の滑走者が気になり、軸を途中で緩めてしまったり、十分な助走をせずに跳び急いだりして、ジャンプは安定しなかった。ダブルも跳んでみたが、降りたのは3割程度だったのではないか。

でも、大須では、転んでも良いように思う。「何度も転んだよぉ」と昔、みどりさんから聞いたことがあるが、果敢に跳ぶことがこのリンクでは問われているのではないだろうか。そして、何度も転びながらタイミングをつかみ、着氷のきっかけを掴んでいく。もっと滑らかで整ったリンクで成功するために、大須では何度でも転んで良いのかなぁ、と感じた練習であった。ただ、周囲の滑走者になるべく迷惑をかけないよう、転んだらすぐ起き上がることだけは心がけたつもりだが。

15時を過ぎたら練習に来た子達の数がどんどん増えたので、そこで切り上げ、帰途についた。もうヘトヘトで、地下鉄の階段が辛かった。まだ電車がすいていたのが、何よりも幸いで、寝て帰った。

2011年5月 1日 (日)

世界選手権の感想

時間がとれないので、雑記になります。すみません。

<キム・ヨナのSP>

親父さんのところで、中野選手のジゼルと比べて優れていると書いたところ、さまざまな批判をもらいました。特にメゲたのは、中野選手のジゼルの演技を批判したことが選手本人への批判ととられたり、選手に敬意を払っていないとされたことです。そういうことを言われたら、演技の良し悪しを批評することができなくなると思うのですが...。もしも、選手達はみな頑張っているのだから批判はすべきでないとするのなら、「私はそうは思わない」と言わずにはおれないです。

常々記していますが、「良いものは良い、悪いものは悪い(あくまでも自分での基準ですが)」と言い切りたいものです。これは選手への批判ではなく、あくまでも演技への批判なのです。芸術活動で喩えれば、作品への批評・批判が作者の人格を損なうものではないのと同じです。むしろ、選手の試合やプログラムへの取り組みに敬意を抱いているからこそ、忌憚のない感想や批判を記す気持ちでいます。私の書き込みが選手に届くことはないでしょうが、「更に良い演技を期待しています」という気持ちだけでも籠めたいと思うのです。

しかしながら、よそ様のブログで横レスの応酬をするのも憚りますので、やはり選手の演技の批判をするのなら、このブログに記すべきとも反省しました。基本的には、他の方のブログには、多くの方々が読んで快く感じる表現にすべきなのかもしれません。

で、キム・ヨナのSPの”ジゼル”ですが、やはり素晴らしいプログラムだと感じました。

時間の関係で、クドクドと記せませんが、放送を観て感動したのは、ダブルアクセルの後にちゃんと5番ポジションからシュスを入れたことです。文章だけではどの場面かわからない方が多いと思いますが、また、時間のある時に「滑り始めから何分何秒のあたり」と、ご紹介できたらと思います。

冒頭の両腕を胸の前でクロスして上体を前かがみにし、フリーレッグを後ろへ伸ばす(スパイラルほど挙げずに)ポーズにしてもそうですが、ヨナのジゼルには、ロマンティック・バレエのアイコンが効果的に埋め込まれていたと思います。それは、中間にバレエのステップを入れた中野選手のジゼルでもそうだったのですが、どちらがジゼルの雰囲気を醸し出していたかという点で、ヨナのプログラムの方が優れていたと、私は感じています。何より、中野選手のジゼルは、狂乱の場の激しい音楽の使い方が乱暴でした。私には、ジャンプを勢いよく飛ばせるための踏み台のように音楽を使っているという印象が残っています。そういう点でも、ヨナのジゼルは丁寧でしたし、同じ理由で安藤選手の幻となったジゼルも好きでした。

<真央選手のSP>

感動しました。オーバーな表現かもしれませんが、自分の魂がうち震わされるような感じがしました。点数は伸びなかったし、3Aは回転が足りていなかったようです。でも、真央選手が今、現在できる、あらん限りの力を振り絞ったタンゴだったと思います。身体も絞ったというよりも痩せてしまったようです。脚の筋肉が落ちたようにもみえました。

選手のコンディションを試合に合わせるという意味では、やはり佐藤コーチの手腕には、ファンとして怒りに近い思いを持ってしまいます。といっても、真央選手と佐藤コーチとの関係を全て否定するわけではありません。親父さんのところでトラウマになりつつあるのですが、ひとつ批判すると全てを否定しているかのような捉え方をされてしまう。もちろん、私は佐藤コーチに真央選手がついたことは歓迎していませんが、でも、決断したのは真央選手とサポートされる方々なわけで、私たちはその決断を信じるしかないわけです。佐藤コーチが嫌いだからとブツブツ不満をつぶやいたとしても、真央選手サイドの決断を支持するしかないというのが、辛いところです。

下世話な言い方をすれば、惚れた女が厭な奴のところに行ったとしても、その幸せを祈ってやるしかない、そんな気持ちです。私が佐藤コーチを好きでないのは、色々な理由がありますが、別にたいした理由ではありません。私のような素人がプロコーチのことを、あ~だこ~だと言っても、そう差支えはないでしょう。佐藤先生と面識があるわけでもありませんし。鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏も嫌いですけど、私がそれをブログで公言したところで国政には全く影響がないのと同じだと思います。

とにかく、真央選手のタンゴは素晴らしかったです。ネットでは、衣装の評判が良くないようですが、縦軸の赤が主旋律だとすれば、波模様の横軸が絶え間なく続くストリングスの刻みのようで、曲の調子にマッチしていたと思います。演技を観ていても、縦・横の軸が選手のターンやスピンに合わせて動いているようで、興味深かったです。たとえ点数は出ないとしても、あらん限りの力を振り絞った真央選手は素晴らしいと思います。その背後に佐藤コーチの支えがあるとするならば、その関係に拍手を贈るほかありません。

問題は、真央選手と佐藤コーチがどこを目指しているのか?だと思います。フィギュアスケートの表現を究め、真央選手だけの世界を銀盤に創り出すことが目的でしたら、今のままで全く問題ないと思います。ヨーロッパの選手達やアメリカのアリッサ・シズニーが支持されるのも、彼女達にしかできない表現があるからだと思います。でも、世界選手権での優勝、あるいはオリンピック金メダルを獲ることが目標ならば、今後、真央選手は再び勝てるようになるのかは、私は疑問に思っています。ジャンプの改造にしても、本当にそれが意味のあることなのか、改造を果たして得るものがあるのか、どうなのでしょう?今後時間をかけたとして、バンクーバーオリンピックや2010年世界選手権の時のような勢いを取り戻す時が来るのか、要するに「表彰台の常連」に戻れるのか、そのことを心配しています。

経験とともに、真央選手ならではの幅が広がって玄人好みのスケーターになるけれども、ジャンプの安定感に苦しんで主要大会では振るわず、万人からは愛されにくい存在になるのではないか...そんな心配をしております。どういうスケート人生を歩もうと、真央選手は真央選手ですが、「オリンピックで金メダルを獲り、アイスショーで世界中を回りたい」という夢を失わず、世界の人々から愛され続けるスケーターであってほしいと、私自身は、切に願っております。

<高橋大輔選手のFSでのアクシデントについて>

ビスの脱落は、本番ではあってはならないことです。そのために、日々、靴のメンテナンスを欠かさないわけですし。でも、とにかく、怪我がなかったことが何よりだと思います。ブレードが緩むことは本当に怖いことですが、瞬時の状況判断で危機を回避し、再滑走を果たして4位という結果を得た、高橋選手の舞台度胸に称賛の気持ちを抱いております。

つくづく思うのは、トップ選手達はギリギリの中で頑張っておられるということです。

「日々、靴のメンテナンスを欠かさない」と記しましたが、練習頻度が私たち素人とは格段に違うのですから、靴のコンディショニングは本当に難しいと思います。靴を慣らす期間を考えれば、本番前においそれと新調するわけにはいかず、現在履いている靴でトラブル(靴底や踵の劣化によるビスの穴の拡大など)が生じた時に、その対処には頭を悩ませることもあるのかもしれません。もちろん、ビス穴の拡大にはパテ(教本によっては、割り箸を削って埋めるとも書いてあります)などの対処法があるようですが、4回転も跳ぶ選手なのですから、教科書通りの対処だけでしのげる問題ばかりではないのかもしれません。

高橋選手のトラブルで思いだしたのが、モータースポーツの世界です。特に耐久レースのことなのですが、部品レベルの破損や劣化などで走行不能になることがあるようです。燃料パイプの亀裂からガス欠になってレース中に止まってしまうなどというアクシデントも、実際にあったと聞いたことがあります。プロ中のプロが長い時間をかけて造り上げたマシンでも、そういうことがあるそうです。むしろ、高いパフォーマンスを要求されるマシンほど、部品の耐久性、調整には頭を悩ませることが多いのかもしれません。

ですので、高橋選手のトラブルも、あるいはバンクーバーオリンピックでの織田選手の靴ひもの断裂も、ギリギリの世界で勝負せねばならない選手だからこその悩みなのかな、と思いました。

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

バナー

フォト
無料ブログはココログ