仕事が休みだったので、お昼のワイドショーを見ていた。当然、福島第一原発の状況を知りたいがためである。スタジオに厚生労働副大臣が招かれており、質問に答えていた。その中で不愉快というよりも、私が不信の思いを募らせたのは、原発で作業にあたる方々への食事や休息へのケアが不十分だという話題になった時の態度である。
昨日(3月28日)に、現場から戻った原子力安全保安院の記者会見は私も見ており、食事が日に2回だけ、ビスケットやアルファ米くらいしかない、施設内に毛布一枚で寝泊まりしている、ことなどが話されていたのは知っている。多くの方々がそうだと思うが、私も、日本の命運を担っている方々がそんな待遇に甘んじていることに憤りを感じた。物資輸送が困難だという理由はないだろう。電源や注水に必要な機材は運べても、奮闘している作業員をケアする物資は運べないという理屈は通らない。総理大臣が現地に来られたのなら、ヘリで物資を運べないはずもないだろう。
東京の本社は現場の人間へのケアをどう考えているのだろうか?
ダイヤモンドオンラインに、驚愕する記事が書かれていた(リンクはこちら)。2号機の圧力容器の破損が疑われる現在、この記事を「不安を煽る」と憤る人はどれくらいいるのだろうか?公共広告機構の”今、私達にできること”というCMの中に、デマに惑わされないというのがあるが、「政府・東電・安全保安院の説明にこそデマが含まれているのではないか?」と思っている。
副大臣はワイドショーで言っていた。原子力安全保安院は現場に指導できる立場なので、現場作業員の環境改善の指示は既に出していると思う、と....。
もう、うんざりだ!! 「思う」とか「確認していません」とか「そういう報告は入っていないので...」というあいまいな返答には、うんざりである。この気持ちには、富士川以東か否かは関係ないであろう。何度も記したが、福島の未来は日本の未来である。原発の行く末に私達は乗せられているのだ。こんな、あいまいな会見にあと何日、何週間、何カ月、何年、翻弄されねばならないのだろうか?
さすがに、副大臣は、場の空気を察したのか、「帰ったら確認したいと思う」とも付け加えていた。でも、確認した結果を私達に報告する気はあるのだろうか?原発から半径20㎞以内は避難指示区域である。要するに、報道が検証することはできない。まさに、大本営からの発表に頼るしかないのである。都合の悪い事柄については一切触れない旧ソ連の報道姿勢について「輝かしい空白」と表現した文章を、昔読んだ記憶がある。今の原発関連報道についてはどうだろうか?現場から生還した人の証言と画像(デジタル革命の恩恵だろう)のおかげで、戦士達が空腹と疲労の中で過酷な闘いを強いられていることがわかった。でも、その情報が出る前は、私達は彼らの士気の高さ、勇敢さしか知らされていなかったのである。いや、そうでもないか...。2号機後ろのタービン建屋の水たまりでの3名の被爆の報道から、東電が現場作業員をどんな風に遇しているのかを伺うことができた。安全保安院の証言は、その裏付けでしかないのかもしれない....。
副大臣は、更に言葉を続けていた。「今は、彼らの勇敢さ、命がけで復旧にあたっていることに気持ちを向けるべきだと。」 詭弁である。いや、むしろ、危弁だろう。そうであるのなら、彼らにこそ、休息と活力の源を保障すべきではないか。「腹が減っては戦はできぬ」は真実である。自衛隊がなぜ、多人数の炊き出しを手際良く行えるのか、彼らは戦闘における糧食の重要性を知っているからではないだろうか?
そこへの不手際に批判が向くと、「現地の人達への頑張りを思え」と言うのは、戦地での兵隊さんのことを思えと言うのと、私はダブって聞こえた。だが、大戦によってどれだけの兵士が犠牲になったことだろうか。その大半は補給ルートの不備によるものだと思うのだが....。
今の段階で、私は予期する。もはや、闘いは終わったのだろう。負けである。
たとえ現地で勇敢に戦ったとしても、個々に奮闘したとしても、戦略的な展望を持つべき立場の者が精神論で言い負かそうとするのであれば、闘いには勝てない。
少し前のエントリーで、私は注水される原子炉のことを、次の様に記した。
しかも、注水しても水位が上がらないという、いわば穴の空いたバケツに水を貯め続け、その水を巡回させ続けなければウラン燃料棒の崩壊熱をなだめることができない、そういう状況なのだと、一連の報道から私は理解した。
3月16日のエントリーである。あの段階で、原子炉からの水漏れがあること、冷水系の配管は無事でないことは、容易に想像していた。水蒸気爆発後の写真を見れば、原子炉から伸びている配管がズタズタにされていると考えない方がおかしいのではないか?原子炉そのものに亀裂がなくても、パイプが壊れていれば水漏れは起こるだろう、素人の私はそう考えていた。
なのに、原子力のプロ達は想定していなかったのか??
穴の空いたバケツに水を注げば漏れる。当たり前のことではないか?誰もがそう考え、電源の復旧と同時に排水の手立てを検討しているものだと思っていた。ところが、東電のプロ達は違うようである。こちらの記事の最後のコメントに、東電の楽観が見えている。もう、笑うしかない...。
東電関係者は「容量に余裕のある複数のタンクを総動員してやりくりするしかない」と話している。
注水を続ければ、水漏れは続くだろう。複数のタンクも一杯になること、いつまでたっても建屋の汚水はなくならないことは、素人目には明らかである。
私が今、知りたいことは二つである。
水漏れ箇所の補修は可能なのか?
(1.が可能だとして)冷却系の配管の復旧は可能なのか?
水漏れ箇所を補修できなければ、建屋内の排水は困難であろう。しかし、水が貯められた状態で、穴の空いた原子炉やパイプを修理するなどという芸当ができるのか?もし、できたとしても、配管を復旧させて冷却水を放射能の管理区域内だけで循環する閉鎖的なシステムを構築できるのだろうか?
東電も、安全保安院も、マスコミも、注水に頼らない冷却系の復旧の必要性を訴えていたので、てっきり可能性を見とおしていたのだと、私は思っていた。だが、まさか....漏水による放射能汚染の可能性を見越していなかったとは....。本気で、原子炉が無事だと考えていたのか....!!! もういちど記すが、あれだけ水を撒いたり注いだりしているのだ。それでも満水にならないというのなら、水漏れはあってしかるべきだろう。そして、今後も漏水が大きな壁になるであろうことは、素人なら予測できるはずである。
ロシアから興味深い提案があった(リンクはこちら)。もしも、原子炉に錫を注入するのなら、原子炉の穴を塞げるのではないか。注水による漏水という終わりの見えない悩みからも解放されるのではないだろうか?錫を注入しても、外から冷却はしないといけないらしいが、原子炉内からの水漏れよりかは、放射能汚染の度合いは少ないと思うのだが....。
でも、日本の学者は一蹴したらしい(笑)。記事の2ページ目の文章だが。
宮健三・東大名誉教授(原子力工学)は「(スズを冷却に使うというのは)今まで日本でやったことのないこと。やってないことを、今からやろうというのは論外。検証しなければならないし、今はそんな実験データを採っている時間などない」と一蹴。
「やってないことを、今からやろうというのは論外」と言うが、空炊きになった原子炉にヘリコプターや消防車で水をかけたり、海水を注入したりしたことは、過去の日本でやったことなのだろうか?今、現在、進行中の事故そのものが過去に例のないものである以上、「やってないことかどうか」を問題にする余裕こそ、ないのではないか?
また、専門家は次のようにも続けている。
そのうえで「大事なのは一刻も早く、3号機の使用済み核燃料プールに水をためることだ。水がたまれば放射線も弱まるので、いろいろな作業ができる。そうすれば事態も終息に向かうはず。日本の技術力をもってすれば不可能ではない」と分析した。
彼も、漏水による放射能物質の拡散の可能性を考えていなかったようである。今、現在の状況を踏まえたうえでの収束への見通しについて、是非、コメントをしてほしい。
素人の恥かきの上塗りだが...。核燃料が水中に混入している状況での汲み出しというと、私はJCOによる東海村での臨界事故を思い出してしまう。核燃料が含まれている水を扱う際に、臨界状態に至る可能性はないのであろうか?報道では、再臨界は起きる可能性がないと伝えられている。その根拠がわからないのだが、ネットには、メルトダウンでは非常な高温のため減速剤となる水が中性子の回りに存在しないために臨界へは達しないと記されている。もしも、この記述が正しいとしたならば、燃料棒が融解して原子炉外に漏出し、それが、水たまりに沈殿しているとしたならば、減速剤が周囲にある状況で核燃料が密集していることもあり得るのではないだろうか。ましてや、水の排出を行っているとしたならば、そのやり方によっては、燃料棒が崩壊して発生した中性子が未崩壊の核物質に衝突して更なる中性子を発生させるという連鎖が起こらないとも限らないのではないだろうか?
そういう心配を感じるので、現在の注水作業でもホウ酸は使用されているのかが気になっている。まさか...とは思うのだが、そのまさか...を裏切らずにいるのが東電の様にも思えるのだ。ライブ映像では、複数の原子炉から白煙があがっている。もはや、その現象の説明を東電も、安全保安院も、政府も、マスコミもしてくれなくなった。あの煙は、高温になった燃料棒が水と接するために生じる水蒸気ではないのだろうか?燃料棒が原子炉と燃料プールだけにとどまらず、建屋の内外に飛散していることを示しているのでは、ないのだろうか?
専門家からすれば、素人がネットでかじった浅薄な知識を振り回す愚をたしなめたいところだろう。でも、私達も当事者なのである。何度も記すことだが、今回事故の影響は、東北・関東に限られるものではない。大事故に至るのではないかと世界規模で危惧されている。ましてや、国土を同じにするものが関心を持たずにはいられないのは当然である。そして、私達は次のことを身に沁みて感じているのである。
原子力は危険であり、怖い。
その思いと、原発の是非とは直接に結び付けられないのであるが、切実な思いで、怖さを実感している。だから、原子力は安全であり、福島第一原発の圧力隔壁が破損することはあり得ないと説明しいた学者の言うことを、もはや私は信じる気持にはなれない。
再臨界もあり得る。現場で奮闘されている方々の撤退もあり得るのではないだろうか。どんなに現場が頑張っても、作戦立案者が無能ならば戦には勝てない。
東電は、既存の冷水系を復旧させることは諦めて、恒常的に外部から冷却する仕組みをつくるべきではないだろうか。要するに、注水量に比例して増えるであろう排水を貯留させ、処理できる大規模施設の建設を急ぐべきであろう。既存のタンクでのやりくりだけでは間に合わなくなるのは目に見えていると思うのだが....。ロシアからの申し出を蹴り、フランスからのロボット提供を断り、アメリカからの無人機撮影映像の公開を渋るのは、よほどの不都合があるからではないだろうか。もはや、復旧への青写真が描けないほどの壊滅的な打撃を受けたことが、東電や政府関係者にはわかっているのではないだろうか。
もちろん、悲観的な考えは、外れてほしい。
それによって恥をかくのであれば、いくらでもかいて良い。
しかし、カタストロフが訪れた時に、それへの心構えができていないのは嫌である。
だから、心を構えるために、今、自分が心配していることを記させて頂いた。
それでも、明日は仕事を頑張ろうと思う。心配があるからと言って、日常を崩すことはしたくない。その思いは、前回エントリーを記した時から変わっていない。とにかく、頑張らねば。
「明日、世が終末を迎えるとしても、私はリンゴの苗を植える」
(マルチン・ルター)
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