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2011年3月

2011年3月30日 (水)

投げやりにならない方が良いのかもしれない

昨日のエントリーは4時間をかけて作成したのだが、結論に詰まってしまった。

今までの政府・東電の説明の煮え切らなさにイラ立ちというよりも焦りを感じ、その思いを記したのだが、それでも私達は彼らに日本の明日を託すしかない。どう考えても、私よりも原発の問題解決に長けているのは間違いないわけであるし。

「当事者意識」という言葉を社会福祉で使うことがある。

医療で言うインフォームド・コンセント(説明と同意)に近い感じもするのだが、要するに、困難な事柄への対応を人任せにしないということだと理解している。前回エントリーでも記したが、原発の問題では、間違いなく私達も当事者である。その行く末に自分達の未来がかかっているのだから...。ただ、「今頃、当事者面するなら、もっと早くから原発問題に関心を持つべきだったのでは?」という批判には、正面から向き合わねばならないだろう。災害が起こってからあわてたのでは、実際のところは遅いのかもしれない。今まで、原発について無関心であったこと、電力需要を考えれば原発は不可欠と疑問を持たずに考えていたことは、大人として恥じなければならないのかもしれない。

しかし、気付くのが遅いとの批判は受けるとしても、今回の事故は私達の重大な関心事に他ならないことは確かである。その気持ちで、今までの経過と今後への見通しに、不安と不満と焦りを感じずにおれないのである。

でも、本日は胸がスッとしたことが幾つかあった。

一つは、フランスのサルコジ大統領の来日が予定されているというニュースである(ソースはこちら

文面の最後にある、アレバ社については、事故現場で作業するロボット貸しだしを申し出たにもかかわらず、東電が断ったという記事(リンクはこちら)で知った会社である。

今回、改めて日本がフランスに支援を要請したと伝える記事のコメント欄には、「1週間ほど前、今回の支援で送られる予定のロボットの貸し出しを申し出たのに、日本は現場でロボットを試すこともなく、特に有用でないという理由で断った」「東京電力は、ようやくフランスの原子力技術が必要と考えたようだ」など、東電の事故対応の甘さなどへの批判が見られる。

上の引用は、記事へのコメントなのでフランスの一般読者からの意見だと思う。このコメントでも触れている、東電の対応の変化に、私は期待を寄せたい。事態は、もはや一企業で封じ込めるレベルを超えている。国際的な関心事になっているのだ。事故現場に各国のスペシャリストを入れて、事態改善について援助を乞うことは、決して恥ずかしいことではない!むしろ、東電だけで事態を抱え込んでカタストロフィーな結末に至ってしまうならば、それこそ世界に顔向けができない恥になるだろう。

ないとは思うのだが、もしも、日本の原発の安全技術への未練が邪魔して、他国からの助けを拒んでいたとするならば、未練は捨てるべきなのだろう。そういう思いはないとは思うが...。ゲームは終わったのだ。「技術立国日本」のプライドとか国際イメージとか、そういう付随的なものではなく、福島第一原発が広範囲に高レベルの放射性物質を撒き散らすことは避けられたという事実が、何より大切なのである。そのためには、他国の助けも得つつ、とにかく最善を尽くすしかないのではないだろうか。

他国の支援を得るという意味では、菅首相がオバマ大統領との電話会談を行って、今後も緊密な関係を続けていくことを確認し合ったというニュースも良かった。なにしろ、他国からの支援申し出を断ったり、画像を公表しなかったりといったニュースばかり目にしていたのだが、今日あたりから風向きが変わってきたように思う。アメリカが原発上空で飛行させている、無人偵察機グローバルホークの撮影画像も、日本政府は私達に公表してくれるようになると良いのだが(関連記事はこちら)。

漏出している汚染水の回収と処理については、やはり、既存のタンクだけでは間に合わないということで、タンカーの利用やタンク増設などが検討されているようである。素人が「こうすべき」と意見するレベルの問題ではないと思うが、国を挙げて取り組んで下さることを願うだけである。この問題については、おそらく、フランスのアレバ社からのアドバイスも得られるのであろう。

そして、一番の朗報と思われるのは、東電のトップが真摯に取り組む姿勢を見せてくれたことである。清水社長は病気入院のために現場を離れるそうだが、代わって会見に臨んだ勝俣会長の姿勢に、私は感銘を受けた。今までの東電会見と異なり、明確な姿勢と冷静な現状認識を持っていることを感じさせてくれた会見であった。何より...

  • 多くの方々に迷惑をかけていることを謝罪する姿勢を示したこと
  • 他企業や政府機関、そして他国の支援も受けることを明言したこと
  • 収束への見通しは未だに立たないこと、原子炉はかろうじての安定状態であること、1~4号機は廃炉になるであろうという、厳しい状況を明らかにしたこと。(東電初動の遅れはこの状況判断があいまいであったためと私は考えている)

これらに大きな安心感を得た。この人が指揮をとるのであれば、もしかしたら、東電の今後に期待しても良いのではないかと感じたのである。昨日のエントリーとは全然違う気持ちなのだが、トップの実質的な交代は、それだけのインパクトがあるのだと思う。もちろん、今後の東電会見で変化があるのかも見ていかねばならないが...。

私とて、悲劇的な結末は、絶対に避けてほしいと考えている。日本を沈めてほしくない。

どうしても、一部の指導者層に不信の思いを抱いてしまうが、それでも、日本の自浄作用も信じていかねばならないのかもしれない。前回エントリーでは、もう駄目だのような、投げやりな言葉になってしまったが,,,でも、まだまだ結論は出ていないのかもしれない。厳しい局面をなんとか打開し、日本を駄目にしないでくれるトップもいることを、信じていきたいと考えを改めた次第である。

2011年3月29日 (火)

それでも私は、リンゴの苗を植える

仕事が休みだったので、お昼のワイドショーを見ていた。当然、福島第一原発の状況を知りたいがためである。スタジオに厚生労働副大臣が招かれており、質問に答えていた。その中で不愉快というよりも、私が不信の思いを募らせたのは、原発で作業にあたる方々への食事や休息へのケアが不十分だという話題になった時の態度である。

昨日(3月28日)に、現場から戻った原子力安全保安院の記者会見は私も見ており、食事が日に2回だけ、ビスケットやアルファ米くらいしかない、施設内に毛布一枚で寝泊まりしている、ことなどが話されていたのは知っている。多くの方々がそうだと思うが、私も、日本の命運を担っている方々がそんな待遇に甘んじていることに憤りを感じた。物資輸送が困難だという理由はないだろう。電源や注水に必要な機材は運べても、奮闘している作業員をケアする物資は運べないという理屈は通らない。総理大臣が現地に来られたのなら、ヘリで物資を運べないはずもないだろう。

東京の本社は現場の人間へのケアをどう考えているのだろうか?

ダイヤモンドオンラインに、驚愕する記事が書かれていた(リンクはこちら)。2号機の圧力容器の破損が疑われる現在、この記事を「不安を煽る」と憤る人はどれくらいいるのだろうか?公共広告機構の”今、私達にできること”というCMの中に、デマに惑わされないというのがあるが、「政府・東電・安全保安院の説明にこそデマが含まれているのではないか?」と思っている。

副大臣はワイドショーで言っていた。原子力安全保安院は現場に指導できる立場なので、現場作業員の環境改善の指示は既に出していると思う、と....。

もう、うんざりだ!! 「思う」とか「確認していません」とか「そういう報告は入っていないので...」というあいまいな返答には、うんざりである。この気持ちには、富士川以東か否かは関係ないであろう。何度も記したが、福島の未来は日本の未来である。原発の行く末に私達は乗せられているのだ。こんな、あいまいな会見にあと何日、何週間、何カ月、何年、翻弄されねばならないのだろうか?

さすがに、副大臣は、場の空気を察したのか、「帰ったら確認したいと思う」とも付け加えていた。でも、確認した結果を私達に報告する気はあるのだろうか?原発から半径20㎞以内は避難指示区域である。要するに、報道が検証することはできない。まさに、大本営からの発表に頼るしかないのである。都合の悪い事柄については一切触れない旧ソ連の報道姿勢について「輝かしい空白」と表現した文章を、昔読んだ記憶がある。今の原発関連報道についてはどうだろうか?現場から生還した人の証言と画像(デジタル革命の恩恵だろう)のおかげで、戦士達が空腹と疲労の中で過酷な闘いを強いられていることがわかった。でも、その情報が出る前は、私達は彼らの士気の高さ、勇敢さしか知らされていなかったのである。いや、そうでもないか...。2号機後ろのタービン建屋の水たまりでの3名の被爆の報道から、東電が現場作業員をどんな風に遇しているのかを伺うことができた。安全保安院の証言は、その裏付けでしかないのかもしれない....。

副大臣は、更に言葉を続けていた。「今は、彼らの勇敢さ、命がけで復旧にあたっていることに気持ちを向けるべきだと。」 詭弁である。いや、むしろ、危弁だろう。そうであるのなら、彼らにこそ、休息と活力の源を保障すべきではないか。「腹が減っては戦はできぬ」は真実である。自衛隊がなぜ、多人数の炊き出しを手際良く行えるのか、彼らは戦闘における糧食の重要性を知っているからではないだろうか?

そこへの不手際に批判が向くと、「現地の人達への頑張りを思え」と言うのは、戦地での兵隊さんのことを思えと言うのと、私はダブって聞こえた。だが、大戦によってどれだけの兵士が犠牲になったことだろうか。その大半は補給ルートの不備によるものだと思うのだが....。

今の段階で、私は予期する。もはや、闘いは終わったのだろう。負けである。

たとえ現地で勇敢に戦ったとしても、個々に奮闘したとしても、戦略的な展望を持つべき立場の者が精神論で言い負かそうとするのであれば、闘いには勝てない。

少し前のエントリーで、私は注水される原子炉のことを、次の様に記した。

しかも、注水しても水位が上がらないという、いわば穴の空いたバケツに水を貯め続け、その水を巡回させ続けなければウラン燃料棒の崩壊熱をなだめることができない、そういう状況なのだと、一連の報道から私は理解した。

3月16日のエントリーである。あの段階で、原子炉からの水漏れがあること、冷水系の配管は無事でないことは、容易に想像していた。水蒸気爆発後の写真を見れば、原子炉から伸びている配管がズタズタにされていると考えない方がおかしいのではないか?原子炉そのものに亀裂がなくても、パイプが壊れていれば水漏れは起こるだろう、素人の私はそう考えていた。

なのに、原子力のプロ達は想定していなかったのか??

穴の空いたバケツに水を注げば漏れる。当たり前のことではないか?誰もがそう考え、電源の復旧と同時に排水の手立てを検討しているものだと思っていた。ところが、東電のプロ達は違うようである。こちらの記事の最後のコメントに、東電の楽観が見えている。もう、笑うしかない...。

東電関係者は「容量に余裕のある複数のタンクを総動員してやりくりするしかない」と話している。

注水を続ければ、水漏れは続くだろう。複数のタンクも一杯になること、いつまでたっても建屋の汚水はなくならないことは、素人目には明らかである。

私が今、知りたいことは二つである。

  1. 水漏れ箇所の補修は可能なのか?
  2. (1.が可能だとして)冷却系の配管の復旧は可能なのか?

水漏れ箇所を補修できなければ、建屋内の排水は困難であろう。しかし、水が貯められた状態で、穴の空いた原子炉やパイプを修理するなどという芸当ができるのか?もし、できたとしても、配管を復旧させて冷却水を放射能の管理区域内だけで循環する閉鎖的なシステムを構築できるのだろうか?

東電も、安全保安院も、マスコミも、注水に頼らない冷却系の復旧の必要性を訴えていたので、てっきり可能性を見とおしていたのだと、私は思っていた。だが、まさか....漏水による放射能汚染の可能性を見越していなかったとは....。本気で、原子炉が無事だと考えていたのか....!!! もういちど記すが、あれだけ水を撒いたり注いだりしているのだ。それでも満水にならないというのなら、水漏れはあってしかるべきだろう。そして、今後も漏水が大きな壁になるであろうことは、素人なら予測できるはずである。

ロシアから興味深い提案があった(リンクはこちら)。もしも、原子炉に錫を注入するのなら、原子炉の穴を塞げるのではないか。注水による漏水という終わりの見えない悩みからも解放されるのではないだろうか?錫を注入しても、外から冷却はしないといけないらしいが、原子炉内からの水漏れよりかは、放射能汚染の度合いは少ないと思うのだが....。

でも、日本の学者は一蹴したらしい(笑)。記事の2ページ目の文章だが。

宮健三・東大名誉教授(原子力工学)は「(スズを冷却に使うというのは)今まで日本でやったことのないこと。やってないことを、今からやろうというのは論外。検証しなければならないし、今はそんな実験データを採っている時間などない」と一蹴。

「やってないことを、今からやろうというのは論外」と言うが、空炊きになった原子炉にヘリコプターや消防車で水をかけたり、海水を注入したりしたことは、過去の日本でやったことなのだろうか?今、現在、進行中の事故そのものが過去に例のないものである以上、「やってないことかどうか」を問題にする余裕こそ、ないのではないか?

また、専門家は次のようにも続けている。

そのうえで「大事なのは一刻も早く、3号機の使用済み核燃料プールに水をためることだ。水がたまれば放射線も弱まるので、いろいろな作業ができる。そうすれば事態も終息に向かうはず。日本の技術力をもってすれば不可能ではない」と分析した。

彼も、漏水による放射能物質の拡散の可能性を考えていなかったようである。今、現在の状況を踏まえたうえでの収束への見通しについて、是非、コメントをしてほしい。

素人の恥かきの上塗りだが...。核燃料が水中に混入している状況での汲み出しというと、私はJCOによる東海村での臨界事故を思い出してしまう。核燃料が含まれている水を扱う際に、臨界状態に至る可能性はないのであろうか?報道では、再臨界は起きる可能性がないと伝えられている。その根拠がわからないのだが、ネットには、メルトダウンでは非常な高温のため減速剤となる水が中性子の回りに存在しないために臨界へは達しないと記されている。もしも、この記述が正しいとしたならば、燃料棒が融解して原子炉外に漏出し、それが、水たまりに沈殿しているとしたならば、減速剤が周囲にある状況で核燃料が密集していることもあり得るのではないだろうか。ましてや、水の排出を行っているとしたならば、そのやり方によっては、燃料棒が崩壊して発生した中性子が未崩壊の核物質に衝突して更なる中性子を発生させるという連鎖が起こらないとも限らないのではないだろうか?

そういう心配を感じるので、現在の注水作業でもホウ酸は使用されているのかが気になっている。まさか...とは思うのだが、そのまさか...を裏切らずにいるのが東電の様にも思えるのだ。ライブ映像では、複数の原子炉から白煙があがっている。もはや、その現象の説明を東電も、安全保安院も、政府も、マスコミもしてくれなくなった。あの煙は、高温になった燃料棒が水と接するために生じる水蒸気ではないのだろうか?燃料棒が原子炉と燃料プールだけにとどまらず、建屋の内外に飛散していることを示しているのでは、ないのだろうか?

専門家からすれば、素人がネットでかじった浅薄な知識を振り回す愚をたしなめたいところだろう。でも、私達も当事者なのである。何度も記すことだが、今回事故の影響は、東北・関東に限られるものではない。大事故に至るのではないかと世界規模で危惧されている。ましてや、国土を同じにするものが関心を持たずにはいられないのは当然である。そして、私達は次のことを身に沁みて感じているのである。

原子力は危険であり、怖い。

その思いと、原発の是非とは直接に結び付けられないのであるが、切実な思いで、怖さを実感している。だから、原子力は安全であり、福島第一原発の圧力隔壁が破損することはあり得ないと説明しいた学者の言うことを、もはや私は信じる気持にはなれない。

再臨界もあり得る。現場で奮闘されている方々の撤退もあり得るのではないだろうか。どんなに現場が頑張っても、作戦立案者が無能ならば戦には勝てない。

東電は、既存の冷水系を復旧させることは諦めて、恒常的に外部から冷却する仕組みをつくるべきではないだろうか。要するに、注水量に比例して増えるであろう排水を貯留させ、処理できる大規模施設の建設を急ぐべきであろう。既存のタンクでのやりくりだけでは間に合わなくなるのは目に見えていると思うのだが....。ロシアからの申し出を蹴り、フランスからのロボット提供を断り、アメリカからの無人機撮影映像の公開を渋るのは、よほどの不都合があるからではないだろうか。もはや、復旧への青写真が描けないほどの壊滅的な打撃を受けたことが、東電や政府関係者にはわかっているのではないだろうか。

もちろん、悲観的な考えは、外れてほしい。

それによって恥をかくのであれば、いくらでもかいて良い。

しかし、カタストロフが訪れた時に、それへの心構えができていないのは嫌である。

だから、心を構えるために、今、自分が心配していることを記させて頂いた。

それでも、明日は仕事を頑張ろうと思う。心配があるからと言って、日常を崩すことはしたくない。その思いは、前回エントリーを記した時から変わっていない。とにかく、頑張らねば。

「明日、世が終末を迎えるとしても、私はリンゴの苗を植える」

                         (マルチン・ルター)

2011年3月22日 (火)

留守を預かる者として

あるじなき 居間に呼ばわる 犬ひとり

父が再入院した日に、親に代わって実家の愛犬と散歩したのだが、家に入れた時に”ワン”と吠えた様を詠んでみた。父の再入院は3月9日、愛犬の一言は胸に痛かった。でも、この痛みは私達家族の中だけのもの。まさか、それから2日後に日本中が痛みを覚えることになるとは、夢にも考えていなかった。

福島第一原子力発電所の状況に関しては、今でも緊迫が続いており、予断は許さない状況であろう。希望は見えつつある。多くの方々と同じように、私も消防庁のハイパーレスキュー隊や自衛隊の隊員、東京電力と関係会社の方々の奮闘を信じている。必ず、危機から救って下さると信じずにはおれない。私の叔父も関東地方の警察官である。3月初めに忙しい職務にもかかわらず父の見舞いに来て下さった。県警本部の責任ある立場でいらっしゃるので、おそらく今は、震災被災地の秩序の保持と回復に専心されているのではないかと思う。地震の前にお会いできて、本当に良かったと思う。

管首相の「危機を脱する光明が見えてきた」との昨日(3月21日)の言葉を鵜呑みにはできないが、とにかく現地で奮闘されている方々を信じる他はない。

職場でも、被災地の施設への生活支援のための派遣登録が先週あった。私は家庭の事情もあって免除されていたのだが、多くの方々が「行きたい!」と希望された。具体的な派遣先や期間の決定は後日のようだが、早々に出発されるのではないかと思う。被災地からは遠い地に住む者であるが、今回震災は人ごとではない。以前も記したが、被災地かいなかを問わず、私達みなが傷つき、倒れた。だからこそ、私達の職場からも多くの方々が志願されたのであろう。原発の作業にあたる方々の士気の高さが報道されているが、その高い士気は、被災地支援へと派遣される同僚達、義捐金を募るボランティア組織の方々、そして被災地への義捐金や支援物資を送る私達の志へと波及しているのかもしれない。

おそらく、私は被災地には行かないだろうが、留守を預かる者として、派遣される方々を後方から支援していきたい。彼らが安心して被災地に行けるように、また、継続して、より多くの人員派遣を法人ができるように、残った同僚達と一緒に施設を守っていくことが私達の仕事だと理解している。また、被災地からの避難者を法人が受け入れることも検討されていると聞いている。そういう方々へのお世話も、立派な仕事だと思う。現地に行けないとしても、心は一つにあわせていきたい。

幸い、父の病状は落ち着きをみせている。今週のうちには、再び退院できるのではないかと楽しみにしている。化学療法ではジェムザールという抗がん剤を毎週1回点滴しているのだが、今まで2回行ったうちでは顕著な副作用はなかったとのことである。もっとも、3回目の予定を前にした3月9日に膵炎症状が悪化して再入院したので、今後も抗がん剤を続けた時の副作用がないかはわからない。しかし、痛みや食欲不振、全身倦怠感といった癌からの症状が今はないため、病室で勉強をしたり、落語を聞いたりしており、QOL(生活の質)は十分に保たれているようである。

4月初めの発表会に父が来てくれるか、先行きは不透明である。ただ、希望をもって、練習に励んでいきたい。リンクは、数日前から行き始めた。東日本を中心として電力・エネルギー事情の悪いなか、果たしてスケートをやっても良いものか悩んでいた。しかし、私が行っても行かなくてもリンクは同じだけ電力を消費する。ならば、リンクで過ごす一分一秒をガソリン一滴と考えて大事にする方が良いのではないかとも考えられる。節電は心がけているし、移動にはなるべく自転車を使っている。でも、私にとってフィギュアスケートはなくてはならない大切なスポーツである。心を委縮させないためにも、できる時には、存分に練習していきたい。

Jリーグの試合再開に関する記事で、深く考えさせられる言葉があった。

葛藤は今、スポーツ界全体に広がっている。「きょうの毛布が欲しい人がいるのに、温かいシャワーを浴びていていいのか。大事なのは命であり、水だ」と、被災したJ2水戸の沼田邦郎社長。

(スポーツの使命か災害への配慮か・・・Jリーグ苦悩) リンクはこちら

この疑問は多くの方々が抱えるものだと思う。しかし、今だからこそ突きつけられるものではないのではないだろうか?世界中には飢えに苦しんでいる人々がいる。それでも、私達は食べ、飲み、喜んできた。私達医療者で考えれば、明日にも命が断たれそうな方々と接しながらも、勤務時間が終われば忘れてしまって明日・明後日の自分の予定を口にしてきた。他者の絶望は自分の希望を脅かすことはない、主たる関心は自分自身のことであり、それで良いのだ....。それが生きるということではないかと、私は考えてきた。

だから、私は、今でも思いっきり汗を流し、帰宅すればシャワーを浴びる。それが明日への活力となり、仕事への準備でもあるのだから。ただ、そのことに申し訳なさ、理不尽さを感じずにはおれないことも、正直な気持ちである。今、この時に苦しんでいる方々がいらっしゃるのに、安穏と生活して良いのか...とも考えてしまう。双葉町で医療者からも取り残された重傷患者が救出されたとの報道を知り、衝動的に現地へ向かうことも考えてしまった。

しかし、父は言っている。「仕事に励め」と。日々を生き、当たり前のことを当たり前に行うことの大切さを教えてくれているのだと思う。父が余命わずかだからといって、仕事を疎かにすることは決して望んでいないようである。同じように、被災地に飛んでいって職場の入居者達を置き去りにすることも願ってはいないだろう。人それぞれに役割がある。私は、留守を預かり、残された施設を守らねばならない。

だから、仕事はきちんとするし、休むべき時にはしっかり休みたい。良いコンディションで仕事に臨めるためである。気持ちとしては悩みは沢山ある。でも、悩みのために日々の行動が揺らぐことがあってはならないのだろう。Jリーグに関して言えば、計画停電や被災者の広域避難が現実である限り、試合再開は難しいかもしれない。スタジアムをチームやサポーターにではなく、避難されて来た方々のために提供すべきなのは当然だとも考える。でも、それらの事情がサッカーをしてはならないという理由にはならないであろう。プロサッカー選手が震災のためにサッカーができないとしたら、選手の仕事が奪われたということである。つまり、その選手も被災したのと同じことであろう。

そうならば、Jリーグが考えるべきことは、サッカー選手がサッカーをできる環境に戻すことではないだろうか?それは、被災者への配慮、物資・心理・環境の面で貢献することとも両立するはずである。ホームスタジアムが避難地になっているのなら、代替開催地を探せないであろうか?試合日程に無理があるのなら、組み直すことはできないだろうか?数々の難しい課題が林立するだろう。でも、「それだからJリーグは当面試合ができません」では、新たな被災者を増やすだけである。サッカーの試合ができないというのは、プロサッカー選手にとっては、彼らと家族の生活にも関わる大問題ではないのだろうか?

留守を預かる者として感じることがある。震災は被災地だけのことではない、ということである。もしも、被災地の悲しい現実に打ちのめされて日々の楽しみを享受することが憚るのなら、私達も被災しているのではないだろうか?それは自然なことであり、人として当たり前な心の動きであろう。しかし、災害から立ち直るためには、私達の日常も元通りにしなくてはいけない。それは、被災された方々への関心が薄れるということではない。節約を続けて義捐金を送り続ける、食事の度に避難生活を余議なくされている方々のことを覚える、節電を心がけて富士川より東側の方々の生活を忘れずにいる、そういう日々を重ねつつ、それでも、私達も立ち直っていかねばならない。日本を元気にするために、元気をなくした方々と一緒に元気になっていくために、私達は元気に日常を送らねばならないのではないだろうか?

幸い、私は看護・介護という生活に密着した職種についている。目の前にいらっしゃる方々に元気を与えるために力を尽くしていきたい。そのためにも、私も暗い顔をせず、明るく、元気に日々を過ごしていかねばと思いなおした次第である。

2011年3月16日 (水)

具体的にしていること

前のエントリーで、「政府の発表と姿勢はアテにならない。自分で考えて行動する必要があるのではないか。」と記した。テレビ報道についても似たような思いを持つ。”昨日、本日、観測されている放射線の量は福島県内でも微量であり、通常の何百倍と表現しても人体に影響はない、近県に住む者でもあわてて行動する必要はない”といった内容を報道から知ることができる。

この内容は信用したいと思う。しかし、次の二つは言えると思う。

一つは、事態の悪化を憂慮する気持ちを抑えることはできないし、その気持ちを否定すべきではないだろう、ということである。「不安を認める」ことと「不安を煽る」こととは異なる。先のエントリーでも記した通り、福島の未来は日本の未来でもある。もちろん、宮城や岩手、その他の被災地の未来も同様である。被災地の救援と今後の復興は私達への救援と復興でもある。今回の災害で私達も傷つき、倒れてしまった。その程度は被災地の方々には申し訳ないほどに小さいかもしれない。富士川より西に住んでいる私は、計画停電で不自由な生活をされている方々よりも恵まれた生活を送っている。本当に申し訳なく感じる。

それでも、私達も傷ついている。今回の地震・津波・原発事故で、私達も倒れてしまった、もう、「それ以前の日々」には戻れないのである。

このことが、父の病気を機にわかった。父が病んだことで、母も痛み、私達子供の生活も一変した。父のことを思わない日はない。もう、自由闊達に休日を謳歌することができなくなった。父は、再び入院しているが、それによって私の日常は更に変わってしまった。再入院以来、リンクに向かうこともできなくなってしまった。でも、決して悪いことではないと思う。「あなたと共にいます」ということは、そういうことではないだろうか?

旧約聖書の哀歌3章に次のような言葉が記されている。

私の苦悩と彷徨、苦痛と胆汁を思って泣いていた。
あいつ(神)は私にくっついてすすり泣いていた。
あいつは、ずつと私のうちにいたのだった。
私は自分を取り戻した。そして私は希望を得た。

   (こちらのサイトから引用しました)

(神)と表記されている通り、この言葉に記されている”あいつ”はユダヤ教の神であるヤハウェを指すらしい。バビロン捕囚という歴史的な苦難の中で「共に苦難を受けている」(compassion)な神を発見したのが、哀歌をうたう者の希望になったようである。その希望はキリスト教徒の方々にも受け継がれているのだろう。彼らは”インマヌエル(神ともにいます)”という言葉を愛しているが、その原点は、「苦難を共にする神」の発見にあるのだと私は考えている。

サイトの筆者は聖書を読むことでこの部分の感動がわかると記している。でも、私は、聖書を読んでもわからないと思う。教会で言われるように牧師の指導で読んだとしても、聖書はわからないだろう。聖書に書いてあることがわからなくても、人生にはそれほど損はない。私はただ、病む人と共に居ることは、その人が背負っている苦難を共に背負うことである、そのことを記したいがために聖書の言葉を引いただけである。

実際、父の病を家族は負って(compassion)生きている。負う分量はそれぞれの役割によって異なるかもしれない。でも、負わずにはおれない、という気持ちは家族全員が持っているのではないだろうか。

同じことを、今回の災害でも感じるのである。福島の方々、宮城・岩手・茨城をはじめ、被災されている方々と私達は共に生きている。あなた方の体験しているご苦労を、私達は負わずにはおれない。もちろん、私が背負っている程度ははるかに少ないであろう。「共にいます」と記すのが憚るくらい、私の痛みは軽い。でも、あなた方の痛みを背負わずにはいられないのが現実なのである。もう、地震の前には、私達も戻れない。そして、今回の災害の傷は、おそらくは今後を生きる私達にも大きな影響を与えるであろう。その覚悟と共に、私達も傷つき、倒れ、一緒に起き上っていきたいと願っている。

被災地の未来は、私達の未来である。被災地の灯りは、私達の灯りでもある。

だから、私達も頑張らねばならない。仕事があるものは稼ぎ、家庭を守るものは節約し、資金やエネルギーを被災地に送れるように協力していきたい。祈りの言葉は知らないけれども、被災地の方々のことを思って食べ、情報収集をし、休息を得ていきたいと思う。私達の友人、家族、先生、教え子がそこで耐えていることを覚えながら、私達も立ち直っていかねばならない。

今は、私はリンクに立つことができない。トレーニングも中断している。父の病状の悪化で、私も倒れてしまったのだ。それでも、仕事は続け、家庭を守っている。自分の家を守るために原発の状況の変化を見守り、注意深く行動していこうと考えている。

原発に関して言えば、1週間の屋内退避を自宅でできる準備を昨日しておいた。もしも、その状況で出勤することも想定して合羽の用意もした。普段は自転車を活用することで車のガソリンはできるだけ温存し、放射能物質を含んだ粒子が飛散する中で移動せねばならない事態に備えようと考えている。

これは、過剰な反応だろうか?「そこまで心配することはない」とテレビでは言っている。反面、原発災害への対処の仕方についてはNHKでも繰り返し報道している。事故を起こしている原発からの退避・屋内待機指示が出ている範囲内だけ行動し、それより外の住民は何もしなくても良いのであろうか?しかし、被害に遭われた方々のことを覚え、その教訓を受け継ぐのなら、やはり行動はした方が良いと思う。彼らが現在受けている苦難と、同じあるいはそれ以上の苦難を私達が受けないという保証は全くないのである。もし、備えが無用に終わるとしたならば、その時に思いっきり笑われれば良いのではないだろうか?

不安に拠る対処行動とパニック的な衝動行為とは異なると私は考える。

今、現在、物資を緊急に必要としている方々へ速やかに届けられることを考えることは大切である。なので、カップ麺やレトルト食品、紙製品などは買い控えるようにしている。元々、地震に備えて備蓄はしてあったので、ペットボトルの水(これも品薄状態になったようであるが...申し訳ない)とビタミン剤(野菜不足に備えて)、スキムミルク(牛乳の代用として)、飴玉やビスケットなど(カンパンは既になかった、被災地へ優先されているのだろう)を買い足したくらいである。現在、妻と議論しているのは、水道水の安全性が脅かされる事態を想定すべきか、である。飲用だけでなく調理用でも水の備蓄が必要になるのであるとしたら、更に水は購入せねばならない。でも、さすがに、今買うのは気が引ける。結論としては、品薄状態が解消されたら、少しずつ買い足していこうということになった。

これらのことは、現在、被災されている方々が懸命に訴えていることから教えてもらっていることでもある。彼らに物資が速やかに届くことを祈らずにはいられない。私と妻も、そのための資金を本日送金する。でも、「明日は我が身」かもしれない。パニック的ではなく、いつ、自分達が被災者になるかもしれないという自覚だけは、持ち続けたいと考えている。原発災害についても、「安心です」という報道を信じる気持にはなれない。テレビ局は不安を煽るとの批判を怖れて、安心を無理強いしてはいないだろうか?

不安な気持ちを認めて、備えだけはしておきたい。

  • 施設内の放射線量があまりに増大し、注水作業ができなくなり、炉心の冷却が不可能にあることはないだろうか?
  • 融解した燃料棒が制御棒から物理的に離れ、しかも燃料同士が接近し合うことにより、再臨界状態に至る可能性はないだろうか?
  • 度重なる炉外での爆発と余震活動の頻発で、原子炉の耐久性が低下していないだろうか?

私が持つ不安の核心は上の三つである。

この不安を踏まえ、屋内退避、あるいは避難してきた家族の受け入れの準備を進めているのである。杞憂に終わるならば、笑い話で済むだろう。

このブログに私の不安と行動を記すのは、不安を煽って蔓延するためではない。断じて違う。蔓延させるまでもなく、不安は皆が共有していると考えている。原発に関する報道の分量が昨日から目立って増えてきた。昨日のNHKの19時のニュースでは、原発に関するものだけで25分以上を割いていた。にもかかわらず、政府からの発表は昨日の16時から一度もない。記者への応対は東京電力と原子力安全保安委員会にまかせっきりである。政府からのメッセージの量と反比例して報道の量が増しているのは、私達の不安を反映しているのではないだろうか。

この不安を正直に認め、それを踏まえたうえで何をすべきか、何ができるかを考えて記す方が、黙って経緯を見続けることよりも誠意があるのではないかと考えたのだ。私達は、東日本の友人達に支援することができる。でも、放射線や放射性物質には東も西も、あるいは富士川の手前か向こう側かも関係ない。また、昨日の夜から私が住む地域でも地震が増えてきた。それが東海地震につながるのかはわからないが、私達も被災者となる可能性はあると思う。もしかしたら、既にそうなのかもしれない。

それでも、今日は、義捐金を送りたい。ボランティアについての情報も得ていきたい。

彼らが苦難を負っているのと同じように、私達も負っている。だからこそ、彼らと未来を共にして立ち上がりたいと思うのだ。不安を感じながらも勇気を得ることはできると信じる。

黙っていて良いのだろうか?

福島第一原子力発電所で継続中の事故について、私は非常な心配をしている。それは、誰でも同じだろう。

しかし、政府は違うようだ。

首相官邸のホームページから官房長官記者発表のページ(リンクはこちら)を見ると、3月15日は16時25分の定例記者発表以降は会見がされていないことがわかる。しかも、この日の記者発表の回数は4回だけ。前日の14日と前々日の13日が6回であったのに比べ、2回も減っている。

事態は改善の様相を示すどころか悪化の一途を辿っているように思える。にもかかわらず、政府の発表回数は減っているのである。黙っていて良いのであろうか?私達に発表せねばならない重要な事実が昨日の16時以降はないのであろうか?

特に2号機の状況は逐次説明をせねばならないのではないか?圧力容器内での水位の状況、圧力抑制室の破損の状況と復旧の見込みの有無、燃料棒の融解の有無と状況はどうなのであろうか?燃料棒が空気中に露出し続けることは「極めてまずい状況」と東京電力側の会見で言っていたと記憶しているが、その状況が現実と化していないか、私はそれを心配している。

あるいは、放射線量が関東地域で増加していること、その状況と理由、そして何より、今後の見通しを政府は説明すべきではないだろうか?「この値では人体に影響ない」という説明では私は納得できない。現状でそうであることが今後の安全をも保証できるとは限らない。看護師の経験で身に沁みていることなのだが、”評価は絶対値でなく相対値ですべき”なのである。もちろん、正常値の範囲を踏まえることも大切なのだが、時系列で値の変化を相対的に評価することも忘れてはならない。例えば、日常的に収縮期血圧が100mgHgの方がそれを少し下回ったくらいならば大したことはないが、何らかの理由で180mgHgの状態であった方が急に90mgHgに血圧が下がったとしたならば、それはショックと評価すべきかもしれない。値が正常であるか否かよりも、値の変化の幅が大きいか小さいかの方が問題になるケースは、看護の世界ではよくある。

今回のケースでもそうではないだろうか? 普段よりも何倍、何十倍の放射線量が観測されているとしたら、その値が大きいかどうかだけでなく、その変化が何によるものか原因を突き止め、その原因が今後はどう変化するのか、その予測を立てねばならない。原因の状況が悪化することが予測されるのであれば、今後の放射線量の推移も憂慮すべきであると考えるのが適切ではないだろうか?

もしも、こういう悲観的な見方が「不安を煽る」考え方だと批判されるのなら、どういう考え方が望ましいのかを問いたい。「全力を尽くしている」という政府の言葉を信じれば良いのであろうか?「全力を尽くしましたが...」というアナウンスを聞いた後でアクションを起こせば間に合うのであろうか?

もちろん、私も現地で復旧に努力されて下さっている作業員、指示を出されている関係者の皆さまが良い結果を導かれることを祈っている。電力会社を始め、ライフラインの維持を使命とする会社の方々は、いつでも災害の猛威と闘い、復旧を果たしてこられた。今回の甚大な災害に関してもいわんやであろう。

しかし、今回の相手は過ぎ去った自然災害ではない。今も暴走を続ける科学技術である。もう少し正確を期せば、甚大な自然災害によって炉の冷却の手立てを失った状況で、ウランの崩壊熱を覚まさねばならない状況なのである。しかも、注水しても水位が上がらないという、いわば穴の空いたバケツに水を貯め続け、その水を巡回させ続けなければウラン燃料棒の崩壊熱をなだめることができない、そういう状況なのだと、一連の報道から私は理解した。

もちろん、良い見通しを持つこともできる。炉の水位については計器の故障であり、注水した分だけ水位は上がっているはずだという考えである。

しかし、1~3号機の注水が順調に進んで冷却された状態で安定を保ったとしても、脅威は残されている。

  1. 4号機の使用済み核燃料のプールの水位は保たれているのか?
  2. 5~6号機の使用済み核燃料の温度上昇はコントロール可能なのか?
  3. 建屋が崩落した1・3号機や2号機には温度上昇や水素爆発の危険のある状態になった使用済み核燃料はないのか?

要するに、炉の中の核燃料の他にも、使用済核燃料という脅威があったことを、私達は昨日知ったのである。炉の内部の水蒸気を逃がすために弁を解放し、あるいは2号機の圧力抑制室の破損のために、発電機の周囲の放射線量は高値になっていると推測される。そのような過酷な状況で、限られた人員だけで、使用済み核燃料の管理までできているのだろうか?

悲観的な見通しを記すことを申し訳なく思う。本当にすみません。

でも、私は生きるために、明日を掴むために、悪い見通しも見据えなければならない。その前提になるのは、「私は政府発表をアテにしない」というスタンスである。発表を信じないわけではない。政府や東京電力、あるいは原子力保安委員会の発表を聞かなければ、情報を得て判断する手立てがなくなってしまう。それでも、現在指示されている避難・屋内退避命令で良しとする政府の姿勢、あるいは昨日16時以降は発表をしない政府の姿勢をアテにする気持ちにはなれないのである。

私の全身全霊が私自身に訴えかけている。「大変なことが起こり始めている」と。

このように記せば、不要な不安を煽ることになるのであろうか?でも、もしも自分の不安が当たらずとも遠からずだとしたら、黙って経緯を見続けるだけよりも、「気をつけて!」と叫ぶ方が、私は誠意があるのではないかと考えるのである。

管首相は、東京電力に次ぎのように言ったそうだ。

「あなたたちしかいないでしょう。撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」と強調した。(ソースはこちら

私は言いたい。たとえ東京電力が潰れたとしても、撤退すべき時には撤退指示を出して下さいと。もしかしたら、「もう駄目だ」と思った時の踏ん張りが奇跡を生むかもしれない。そうなったのなら、悲観論者の私の面子が潰れても良いと覚悟している。それでも、政府をアテにするのでなく、自分の考えと判断で行動すべき段階に達していると感じるのである。撤退はあり得ないと退路を断つことを当事者に求める指導者を信じる気持ちは、私にはない。

私の住んでいるところは、福島からは遠い。でも、福島を失えば、私達の未来もないと覚悟している。国土に資源も食糧もない日本が富や国力も失えば、どう生活していけば良いのであろうか?福島の今後は、私達の今後でもある。福島の灯りが消えたなら、それは私達の未来の灯も消えることであろう。それでも、たとえ未曾有の原子力災害になったとしても...それでも、明日を生きるために、精一杯の努力をせねばとも考える。この国を心から愛するゆえに、明日をつなぐ努力を、私は続けねばならないと考えるのだ。

2011年3月 9日 (水)

2月の菓子

大変な一カ月となり、2月は菓子屋へ買い求めるゆとりがなかった。それでも、菓子を食する機会は沢山あったので、その中から思い出深いものを...。

その1.恵方巻き

コンビニなど中食業界の仕掛けに乗るだけと思っていたので、節分にノリ巻きを食べることはなかった。

Ehou

でも、今年は妻が作ってくれたので、ちゃんと南南東を向いて食べようと思った。ところが、そこで気が付く。「南南東ってどっちだ?」 なんとなく、窓が開いている方角が南という感じはするのだが、真南かはわからない。ましてや、南南東などという微妙な方角は...。コンビニはノリ巻きと一緒にコンパスを売った方が良いかもしれない。

結局、「たぶんこっち?」という協議を頼りにして、なんとなくの方角を向いて食べた。なんとなく、福が来てくれればラッキーか。

風習通り、黙って食べた。というか、色々な思いがよぎったが、黙って飲み込んだ。黙々と思いを飲み込むこと、それが、福来る秘訣だと、恵方巻きで覚えた。

その2.バースデーケーキ

2月24日は妻の誕生日である。昨年のこの日に私達は出会った。

セッテイングをしてくれたのは、姉だった。福祉系の大学で1年先輩だった彼女を私に紹介してくれたのだ。大学では姉の1年先輩だが、年齢は私より6歳下、でも、看護学校では私より3年先輩という、ややこしい関係なのは、三人が色々な経験を持っているからに他ならない。姉の立場から考えれば、それまで友人兼先輩だった人が義理の妹になったわけだが、どの意識が一番強いのだろうか?

出会った日が彼女の誕生日だったのは、偶然なのだろう。でも、姉は思いだしたようで、会席の途中でその話に触れた。それが彼女を感激させ、おそらくは私への好感度もアップさせたのではないだろうか?つくづく、偉大な方である。

その日の私といえば、バンクーバー五輪SPの余韻に尽きる。「あの点差なら、ヨナと良い勝負ができるはず!」そんなことを一生懸命言ってばかりいた。よく結婚できた...と、今でも思う。FSの結末が、自分を現実に戻したのだろうか?

でも、今はフィギュアスケートに一生けん命である。

滑る方は、4月の発表会の出場と、そのためのクラブ復帰を先生に許していただき、時間をやりくりしながらリンクへ向かっている。父の病状は予断を許さないが、ある程度、支えられている。もし、できれば、観てほしいと思う。その希望を持ちつつ、頑張っていきたい。

観る方も、自分の家(実家の隣にあるが、結婚後の転居のため時々しか寄ってない)の片付けをしながら2009年の全日本を観たりして、改めてフィギュアの魅力を感じつつある。ネットでの議論にしても、熱さについていけない部分もあるが、やはり最新の情報は興味深い。ロシアのジュニア勢の話題を読み、3月13日にBSで放送する世界ジュニアを楽しみにしているところである。

話が逸れたが、昨年の2月頃の熱気を、最近になって取り戻しつつある。色々な意味で、フィギュアスケートは時間と時期の芸術だと思う。

そんなこんなで迎えた今年の誕生日。妻と二人で、出会ったレストランに行った。先に記した、姉の行きつけのフランス料理店だ。こぢんまりとしたお店で、気軽に立ち寄れる雰囲気なのが嬉しい。あと、キッシュというそうだが、前菜のパイ生地に卵や野菜などを詰めたものがとても美味しい。そこでのサプライズ....!!

Birthday

姉が事前にバースデーケーキを注文してくれたらしい。

2月24日に行くことは話してあったのだが、まさか、こんな粋なはからいをしてくれるとは思ってもみなかった。料理にデザートがついていたので、ケーキは持ち帰らせてもらい、家で美味しくいただきました。

Birthday2

つくづく、偉大な姉である。

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