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2010年5月

2010年5月17日 (月)

備忘録

今、感じていることです。

今年のマスターズの経験は、きっと今後に生きると思います。

11人中最下位で、得点が2.0にも満たなかったことは、本当に辛いことです。1分間の曲で出場した過去の大会(子供達も出場する地方大会も含みます)でも、これより低い点数はなかったと記憶しております。ただ、動画を見返してみて、得点に結びつかない(=評価されない)演技であることは理解できます。

第一に、片足で滑っていない、滑ったとしてもエッジを生かしていないこと。

第二に、スケーティング、ジャンプ、スピン、ステップの各エレメンツの技術が中途半端であること。

第三に、動作がせわしなく、バタバタした印象を与えること。

これらは、昨年の動画からも感じ、反省した点でもありました。でも、改善はされていなかったようです。

ただ....言い訳でも、負け惜しみでも、強がりでもないのですが...これらの問題点は、自分の可能性でもあるように感じています。いわゆる伸び代とか、改善の余地、というものなのかもしれませんが、クラブの先生がおっしゃって下さった、「努力の方向性は合っているが、ジャッジの評価とはズレている(でも、いずれ、合ってくるだろう...)部分」が、上記の三点にあるように感じます。

自分のことなので、肯定的な断言をするとインフレーションにつながるおそれもありますが、あの曲を、あの振付で、あれだけ跳びはねられた自分に、可能性を感じます。同時に、以前のクラブの先生が、最初の曲として「夜のタンゴ」を与えて下さった意図も理解できます。やはり、自分の身の丈にあったテンポや雰囲気で、十分にエッジに乗せた滑走がフィギュアスケートでは大事なのでしょう。

なので、「夜のタンゴ」で4年間勉強させていただき、それとは、ま逆をいく”アフリカンシンフォニー”を2年挑戦させて頂けた、この経験は、とても貴重だと感じております。

エレメンツが中途半端ということについては、実際のところは、非常にゆゆしき問題なのですが、バッジテスト挑戦を見据えて、先生の指導を受けつつ、技術を身につけていきたいと考えております。特にステップで、エッジを十分に使っていない、あるいはトゥで立つべき部分でエッジを氷に着けているという欠点も見えてきました。この点は、今まで以上の頑張りが必要なのでしょう。また、スピンをきちんとできなければ、現在のポジションからの進展は望めないと思います。

やはり、最下位というポジションは、辛いものではありますが、受け容れるべきものでもあると思います。これも強がりではないのですが、このポジションのメリットを、今後は生かしたいとも考えています。それは「脱最下位」というものではなく、”底辺を生きる者の自由”がテーマになります。(最下位であることを嫌い、そこから抜けることを考えても、誰かは最下位になるわけですし...そういう考えは面白くないと思います)。

私は、フィギュアスケートは自己満足の世界ではなく、コミュニケーションの世界だと考えております。

相手は、基準の体現者であるジャッジや、応援して下さる方々(会場だけでなく、練習場所でも、本当に沢山の方々に支えて頂きました)、そして、音楽です。ですので、順位に構わずに勝手なことや、基準を無視したことをやるのが自由とは考えておりません。でも、意見が対立したり、合意に至らないながらも意見交換を諦めないのもコミュニケーションではないでしょうか?

採点競技の場合、ジャッジの判断する基準に適合するのが望ましいのですし、そこから最も逸脱している者が最下位になるのだと思います。なので、その逸脱をなるべく減らしていくことが、競技者には求められるのでしょう。でも、その逸脱を減らしていく過程を楽しむ自由が、下位に沈んでいる者には与えられているのではないでしょうか?

例えば、レフェリーから指摘された、動きの不自然さ....。何度も、お気楽さんが撮影して下さった動画を見返して、感じてくるものが見えてきました。でも、それが本当にジャッジがいわんとしている問題なのか、あるいは、どうすれば、ジャッジが求めている「自然な動き」になるのか? そういう宿題を考える時間と自由が、私には与えられているのです。しかも、昨年に続き、今年も先生に来て頂きました(今年はクラブの先生も!!)。

マスターズの雰囲気と上位(自分以外の全員...笑わせて下さい!)スケーターの滑りを実際に観て、先生方も感じるものがあったそうです。それらが、きっと今後の自分への指導に生かして下さるはずです。だから、ジャッジの求める基準に、自分がどうしたら近付けるのか、それを、先生や仲間達と、一緒に考えていける時間があるのです。きっと、楽しいと思います。

大切なのは、その結果がノルマでないということです。

競技者である以上、基準の理解と尊重は求められると思います。そこが、いわゆる「自己満足」との違いではないでしょうか? でも、良い演技でもってジャッジを満足させねばならない義務を、私は負うつもりはありません。ジャッジとのコミュニケーションはしていくのですが、コンプライアンス(遵守)を問われるいわれはないと、理解しています。

ここの部分がわかりにくいのですが....コンプライアンスが求められるルールもあります。例えば、参加資格に関する規程や、使用音楽に関する規程、衣装に関する規程などです。そういうルールは、守って当然ですし、競技者ならば遵守できるはずです。でも、いわゆる基準(スタンダード)については、競技参加者として尊重はせねばなりませんが、遵守義務はないと思うのです。

例えば、ルッツはアウトサイド踏切であることを「遵守せよ」と言われても、「できないかもしれません...汗」としか言えませんし...。スピンにしても、膝よりも低い位置でのシットスピンが望ましいのは理解していますが、「できないならシットはするな!」というのも乱暴な話だと思います。要するに、採点の基準は、いわゆる努力目標であり、基準に近づくほど得点が高くなる、でも、基準を満たさないから失格というものでもないと思うのです。

ならば、基準を理解し、それに近づくための過程を楽しむことは可能でありますし、最下位の者は、その楽しみを最も享受できる者なのかもしれません。今回は、ルッツ+トゥループを2-2でという、無謀な挑戦をしました。で、転びませんでしたが、基準からは大きく逸脱したジャンプになりました。ならば、次回は...それをどう改善していくか、先生と一緒に考えていきたいと思います。いわゆる、GOEでプラス評価をもらえるジャンプを夢見ることも、許されるのではないでしょうか?もちろん、できなくても、失格にはなりませんし。あるいは、現実的な線で、”ダウングレード”を”アンダーローテーション”にもっていくとか、-3評価を‐1評価に近付けるとか、そういうことにも取り組めると思います。

目標設定は自由であり、むしろ基準から逸脱しているほど、(基準を尊重した)目標設定の自由度は高いのかもしれません。これは、各エレメンツだけでなく、プログラム作成にも言えると思います。

来年のマスターズは、「カルメン前奏曲」でお願いしますと、随分前からクラブの先生に申しております。1分間バージョンは既に出来上がっていますが、おそらく2分間バージョンを作って下さると思います。その時に、このエントリーの始めに記した、私が感じている3点の私の演技に関する問題点を、先生に相談しながら作っていただくことも、きっとできます。それが、今年のマスターズでの惨敗からの一番大きな収穫になると考えています。

”アフリカンシンフォニー”を演じきれたというのは、私にとって、一生の思い出になります。素晴らしいプログラムでした。ただ、良い意味でも、(フィギュア的に)悪い意味でも、自分の癖が出てしまうプログラムだったのかもしれません。

ですので、あぶり出た問題点を把握しつつ、次のプログラムに移る時期なのだと思います。それと並行しつつ、基本練習は欠かさないようにしていきます。

2010年5月16日 (日)

暖房室の動画を見て

スケートコムコム「暖房室」のお気楽さんが、早速、動画を掲載して下さった。

先ほど帰宅したので、確認した。

一番感じるのは、滑っていないということ。焦りからだと思うが、ストレートラインはテンポよりも動作が早く入って、その分タメがとれていない。そのタメの間は滑らなくてはいけないのだが、それがないので、ステップからステップへと陸上を歩いているような動きになっている。

レフェリー講評で藤森氏から、”ウォーキングステップ”と指摘を頂いたが、そういう意味なのだろう。

特に、バックインで滑ってからアウトサイドに踏み出す、大事な部分ができていなかった。

ジャンプは、最初のアクセルでパンクしてしまい、空中でなく、着氷後にターンしてしまったのは、演技中にもわかっていた。でも、その後のルッツ→トゥループで、前降りで左足を着いていたのは、自分では気付かなかった。右足だけで降りていたと思っていた。いずれにしても、ルッツ→トゥループは、プログラムではシングルにすべきであったのだろう。完全な前降りであり、あれでは評価されるわけがない。

ストレートラインの後のステップからシングルループは、インストラクターの先生から綺麗に入れられたと演技直後に言われた。バックインロッカーの部分で滑りきれずに、すぐに反対の足に入ってしまうところがあるのだが、ジャンプは良かったと思う。右インスリーの足だけで踏み切るループなのだが、深夜の江戸川で集中しておさらいした甲斐があった。

このループの出でつまづくが、転ばなくて良かった。つまづかなければもっと良かったのは、言うまでもないが...。

スピンは、回れて良かった。ポジションや回転軸を問題にできるレベルではないので、曲に合わせて回転を続けただけが、私の精一杯である。とにかく、二か所で回れて良かった。

演技後、センターに向かう姿がみっともないのだが、目の前が真っ白になってしまい、立っているのも大変だった。演技後に見せるべき姿ではないのだが....。

レフェリーからの講評では、冒頭に、「大きな体で...」と言われたのが、ショックだった。1.7という評価からすれば、好意的な意味で言ったのではないのだろう。体は隠すことはできない。細くすることは、原理的には可能かもしれない。でも、私は、私の許される範囲で節制している。82kgの体重は、今の仕事と生活を維持しながらの節制で、ギリギリの線なのである。

身体の上と下との動きが別々との指摘もあったが、おそらくは、動きに足がついていってないことなのだと思う。これは、音楽に上半身で踊っており、足がテンポから遅れまいとゆとりがなかったことと同じなのだと思う。足の動きにタメをつくれれば、もう少し見栄えがしたのかもしれない。

最後に、身体の動きが不自然との指摘をされた。

これについては、何も言えない。レフェリーがそう言われるのなら、そうなのだろう。

でも、最後のフリップ→トゥループ~(ホップ)~サルコウの流れで、サルコウで軸がとれずにバランスを崩してしまった。でも、私は転ばなかった。あそこで空中での軸をとれなかったのは私のミスなのだが、それでも転ばなかったのは、頑張りである。普通なら転ぶところを持ちこたえた。それだって、自然の流れには反していることだと思う。

私の演技全てがそうなのだと思う。

とにかく頑張った。転ばなかった。ただ、それだけである。私がフィギュアスケートをやること自体が、不自然であり、無理なことなのであろう。でも、頑張った。精一杯演じた。反省点は多いが、あれが私の精一杯である。

あとのことは、辛すぎるので、ここには記したくない。

でも、点数の後、ジャッジからは評価されない自分の演技について、クラブの先生に率直に相談した。先生からは...

・努力して上手になっていることは確かであり、方向性は間違っていない

・ジャッジの評価は出ていないが、それを求めている間は、出ないのかもしれない

と言われた。金言なのかもしれない。

お忙しいなか、二人の先生がいらして下さったことの重みを、私は理解せねばならないのかもしれない。看護でも、なんでもそうなのだが、最後にものを言うのは、ハートだと信じている。その意味で、観客の方々から頂いた拍手は、本当に感謝している。

それと、”アフリカンシンフォニー”を演じ切った。

このことに、感謝します。

2010年5月15日 (土)

試合終了

頑張った。

最後まで全力を尽くせた。ジャンプは全部、右足で降りた。転ばなかった。スピンは怪しかったけど、とにかく回った。

とにかく、頑張った。会心の演技だった。

でも、最下位だった。いままでで、一番低い点数だった。無様な演技なら、反省して練習を続けられる。でも、練習の成果を発揮できた全力の演技が最低の評価なら、諦めるしかないのでは?

やはり私は、この競技に適さないのだろうか?

ただ、ストレートラインの時、誰かが率先して手拍子をして下さった。それで、会場から手拍子が聞こえてきた。

本当に、嬉しかったです。ありがとうございました。

江戸川 個人貸し終了

東名は御殿場あたりまで混み、思うように時間が稼げなかった。
神奈川にはいってからはスムーズで、ナビのおかげで首都高のジャンクションも間違えずに済んだ。
30分車内で仮眠をとり、江戸川のリンクへ。さすがに疲れており、曲の通しは無理せず、やめにした。代わりに、ストレートラインを、曲にあわせてみっちりやった。

成果がでてくれると嬉しい。

2010年5月14日 (金)

モリコロを発つ

21時50分、少し早く貸し切りをあがらせてもらい、江戸川へ向かう。

先生方のアドバイス、ご父兄の励まし、そして、子供達の懸命な姿に、力を頂いた。

本当にありがとうございます。安全運転でいきます。

モリコロにて

食堂で一休み。

リンクでは、携帯プレーヤーで曲に合わせてみる。ところどころのつなぎで、音楽から遅れる。

部分練習を繰り返すが、明日に間に合うのか?

ルッツ-トゥは転ばない。それだけがとりえ。

自販機のイチゴのココアが美味しい。飲み終わったら、17時まで頑張ろう!

出発準備 完了

準備が出来たので、これから出発する。モリコロで練習し、インストラクターの先生のクラブでの貸し切り練習にも20時30分から参加し、それを終えた足で江戸川に向かう。

明日午前3時30分からの貸し切り枠をとってあるので、そこで最終調整をし、すぐに東伏見に向かって、午前8時からの公式練習にも乗る。

昨年・一昨年の行程に、今年は名古屋での練習を加えることができた。昨年までは、本番前日も仕事で、夜になってからの出発であった。前日昼・夜と練習できるのはありがたい。

本番に向けて、十分な準備ができたとは言い難い。そこは社会人スケーターの制約がある。スケートだけに注力し、存分に練習できる環境ではないし、それは望むべきでもないだろう。でも、制約があるなかで、できる限りのことはしてきたと思う。「こんなに苦しいのなら、早く当日になってほしい」という気持ちを、以前のエントリーに記した。本当に、苦しかった。練習だけが辛かったのではなく、様々な事柄と試合準備とのバランスをとることに苦しさを覚えていた。

「こんなんで良いのか?」という葛藤は、二つの側面で痛感していた。

ひとつは、スケートの練習ばかりしていて、仕事の準備や家庭の準備ができていないのではないか? もうひとつは、社会人であることを言い訳にして、試合の準備(=練習)に身が入っていないのではないか?

要するに、両立ではなく、どちらも中途半端にしているのではないか?という迷いは、常に頭にあった。なので、十分な準備がしてあるとは、マスターズに対しても、仕事や家庭に対しても、言うことはできない。それでも、それが自分...と思う気持ちもある。きっちりできなくても、不器用でも、とにかく頑張る! 頑張り続ける!! 全部ではないだろうが、頑張ることで打破できる課題も多いと思う。

スケートに関して言えば、私の演技は、あまり人に評価されないものだと思う。「不器用」が前面に出ているのは、自分でもわかる。スマートさが身上のフィギュアスケートでは、あまり愛されないのかもしれない...と、一人で悩んでいる。

その点については、専門の先生のご指導をいただく幸いを得ているので、少しずつ、話し合っている。”アフリカンシンフォニー”にしても、プロの眼から観たらどこに問題があるのか、ちょっとずつアドバイスを頂いている。あれこれ沢山言われると、私が凹んでしまうので...。もちろん、先生の要求に十分に応えられる訳ではない。それに、結局は、自分の演技なのである。演技する自分自身が、最終的には演技の責任をとらねばならない。

だから、自分の性格や人柄が演技に出てしまい、それが専門の眼からは辛い評価となったとしても、甘んじて受け容れようと思う。その気持ちになれたという意味で、4月以降のスランプは、とても良い勉強になった。エントリーにも記したが、「無様な演技になったとしても、腐らずに練習を続けていけるか?」は、私に突き付けられた問いだと気付いた。

今回の演技では、ルッツ+トゥループのコンビネーションに2+2を予定している。

私達、大人男性5人衆の振付をして下さった、インストラクターの先生だけでなく、私のクラブの先生も来て下さることになったので、先生の許可を頂き、跳ぶことにした。今シーズン、先生の指導を頂いて、一番伸びたと感じているトゥジャンプに、私が出来る限りのものを発揮したいと考えたのだ。もちろん、回転は不足するだろう。でも....

「軸を締めれば、何かができる」 「(失敗しても)転ばなければ、プログラムへのダメージは少ない」

と、先生が背中を押して下さった。だから、跳びたい。

ただ、このジャンプが成功したからといって、私の演技の評価が高まるかは、わからない。いわゆる、フィギュアスケート的な表現と、自分の演技とは、大きく異なるのではないかと、ちょっと悩んでいる。自分のは、あまりにゴツゴツし、力押しばかりが目立つのではないかと...。なので、無難に1+1のコンボで、全体をまとめるように努力すべきだと、自分でもわかっている。その方が、ジャッジの評価も高まるのかもしれない...。

でも、子供達が挑戦しているのに、自分だけ無難な選択というのが悔しいのである。クラブの子達が、果敢に難易度の高いジャンプを本番で跳んでいる。成功もすれば、失敗もする。失敗をすれば、無理しなくても良かったのに...との意見も出るかもしれない。それに対して、子供達の挑戦を支持し、護って来たクラブの先生が、私の試合に時間をとって下さった。だったら、跳ぶしかないじゃないですか!!

39歳からのフィギュアスケートである。どうしても、背負ってきた人生とか、生き様とか、そういうのが身体動作から出てきてしまう年代でもある。浪花節でオペラに挑戦するようなものかもしれない(笑)。だから、浪花節でフィギュアスケートをするしかないのだろう。これからも...(笑^2)。

結局は、子供達には大きく水をあけられている。ダブルルッツと言っても、質を問われれば、お話にもならない、笑われてしまう代物だろう。でも、それでも、頑張る!! 制約はあるけど、とにかく頑張って準備してきた。

それを、明日の演技で出せれればと願っている。

選手を目指す子供達がサラブレッドだとしたら、私達大人は、駄馬かもしれない。でも、サラブレッドには出来ない、「仕事」という役目を果たせる作業馬なのだ。日々、汗を流し、そしてリンクに向かい、また汗を流して精進する。農耕馬には、サラブレッドには出せない味があると信じている。それは、競技の世界での基準とは異なるのかもしれないが。。。。私は、私なりに頑張っていきたいと考えている。

大好きで、大好きで、心から大好きな”アフリカンシンフォニー”。このプログラムを練習できるのも、明日で終わりになる。もう、来年に向けての準備も始まっている。明日の演技で2-2の感触をつかめたのなら、”カルメン前奏曲”にダブルのコンボを入れてほしいと、先生にメールした。 明日は、本当に大切な日 なのだ。

2010年5月12日 (水)

本番リンクの下見

昨日(5月11日)にマスターズの試合会場である、ダイドードリンコアイスアリーナ(東京都西東京市)に行ってきた。

新幹線に乗っての結構な遠征だったが、その日は午前9時まで夜勤で、どうせ明けの日中は全力での練習ができないので、それならば...と、新幹線乗車中を仮眠時間にあてて、行ってきたのだ。無理して名古屋で半端な練習をするよりかは、試合会場の氷を踏んだ方が有益だろうという計算だった。

で、大正解だった!

リンクの氷はとても滑りやすくなっており、緊密に固まっていた。昨年もツルツルの綺麗な氷(一昨年はお世辞にも試合向きとは言えない状態)だったが、エッジのかかりが悪くて怖い思いをしながら滑った。でも、今年の氷はその点でも滑りやすく、特にトゥのかかりが良いように思う。これは、とても大きな安心材料だ。あと、すり鉢状の客席はリンクとの一体感があり、滑っていて気持ち良い。このことも、昨年・一昨年には感じなかった。本番が楽しみである。

マスターズを主催している”銀盤サテライトFSC”の服部先生にもご挨拶ができた。昨年、私のクラスでもある男子H組(40代)を「ある意味、一番面白いクラス」と言って下さったので、今年も、先生の期待を裏切らないように頑張りたいと思う(笑)。

全体として、リンクの雰囲気がかなり変わったように思う。

フィギュアのクラブチーム主体のリンクに生まれ変わった影響なのかもしれないが、エレガントな雰囲気を感じた。ロッカールームなどは、古びたシャワー施設や、リンクマナー遵守を促す貼り紙など、ホッケー時代の名残もあるが、氷の上は、明らかにフィギュアの世界であった。なんとなく、「自分達の練習場所」という居心地の良さを覚えた。これは、大きいと思う。今までの東伏見は、ホッケー主体の氷であり、設備であった。そこの場所を借りて演技させてもらうという居心地の悪さを覚えていた。それの象徴が、「滑り難い氷」だったのだろう。

でも、今年からは違う!!

私達のフィールドであり、私達が、今までの努力と成果を発揮できるアリーナなのだと思う。もちろん、本番で存分に力が発揮できる保証はない。むしろ、「練習の6割程度」が本番の常である。でも、今年のマスターズは、きっとリンクの氷も味方してくれるはずである。そのことがわかって、すごく嬉しい。良い遠征になった。

本日は、夜勤明けの休み(夜勤の後は必ず1日休みを頂ける)なので、モリコロで練習。昨年までと違い、本番直前の平日でも練習機会が作れるのが、今年のありがたい点である。「練習の6割」なので、練習でのポテンシャルをあげられるように頑張っていきたい。

5月15日が終わるまで、コメントへのお返事を待って下さい

せっかくコメントを下さったのに、ブログ主が返事を書かないのは、本当に申し訳ないのですが、ただ、5月15日マスターズ本番に集中するために、あと数日の猶予を下さい。

エントリーは、進捗状況の報告として、続けたいと思っています。それでも、普段に比べれば短く、薄いものになるかもしれません。

読んで下さる方にとっては迷惑なのかもしれませんが...「いただいた文の3倍の字数でお返事する」のが、私のスタンスです。沢山書けば良いというものではないのはわかっておりますが、一生懸命お返事すれば、コメントを頂けた嬉しさや、感謝の気持ちが伝わるかな、と思い、とにかく真剣(自分なり)に返事をさせて頂いております。なので、エントリーを記したり、他所様のブログにお邪魔するよりも、はるかにエネルギーを使っております。

それは、私の勝手なことなのですが、お返事をするまでは、「どんな風に書こうか」と、頭がいっぱいになることもあり、とても幸せな時間でもあります。

ところが、今は、5月15日の本番にどう臨み、どう演技をするかで一杯なのです。なので、そこを過ぎるまで、待って下さいとお願いする次第です。「返事がまだダゾ!」と誰からもお叱りを頂いてませんが(すけーとおばさん さんとは、この前の日曜日にリンクでお会いできましたし)、今の状態が私にとっても心苦しいので、お詫びと説明を記させて頂きました。

不義理をお許し頂く分も、演技のための準備に専念します。

2010年5月 4日 (火)

三銃士と共に

「三銃士」と聞いて、”仮面の男”と応える人は、よほどのフィギュア通だと思う。もちろん、長野のキャンデロロの方が有名なのかもしれないが。

このブログにコメントを下さる、すけーとおばさん さんも記して下さったことがあるが、名古屋のスポーツランド邦和で練習をしている男性3人が、今年のマスターズを目指している。ただ、非常に残念なのだが、一番若い方が仕事の都合で当日に出場できなくなってしまった。先日の、私のクラブでの貸し切りにビジター参加して下さったのだが、次の機会を目指して頑張るそうだ。

彼のそういう姿を思うと、出場できることを感謝せねばと、ひしひしと感じる。

人間だから欲もあり、見栄もある。虚栄心から称賛を求める気持ちが自分にあることを、私は否定できない。もちろん、純粋で真摯な気持ちからフィギュアに向かっている自分もいるのだが、格好良いところを見せたい、という思いはある。なので、無様な演技では惨めになる。それでも、目標を抱いて頑張れることは幸せであり、それ自体に価値があることを忘れてはならないのだろう。5月15日が無理ならば、次の目標を見つめながら練習を続ける姿から、私は学ばないといけないのだと考えている。

その彼を含めて、頑張っている三人組を見ていて思い出したのが、「三銃士」だった。

今回は出場できない若手の彼がダルタニャン、だから物語はまだ始まったばかり。ガスコーニャから出てきたばかりで、銃士隊に加わっていない時期なのだろう。アトスは...最年長で取りまとめ役の彼、アラミスは。。。ハウスも踊れる彼、ちなみに、リシュリュー卿は、私達が居候のようにお世話になっているクラブで子供達の指導をされている方(私と同組で出場)と...。私は、快楽主義の考え方や体型からも、ポルトスが適任かと。太陽のように燦然と輝くルイ14世は、皆の振付をして下さった先生がいいな...と、願っている。

最近NHKでも、三谷幸喜による人形劇も放映されているようだが、私は那須田稔氏による本で初めて読んだ。有名な、"One for All,All for One"を「みんなは一緒」と訳しているので、この言葉の出典が「三銃士」であることを知るのに何十年もかかった。知るきっかけになったのが、”仮面の男”(映画の)だったのだが(笑)。

余談になるが、上記の言葉について、平尾誠二氏の新訳を取り上げているサイトを見つけたが、どうしようもない駄文だと思う。”All for One”を”All for Won”に言い換える根拠はどこにあるのだろうか?ワンという語感が似ているからというのでは、こじつけというのにも苦しい。私は、勝利至上主義の肯定のための詭弁でしかないと理解した。

もしも、”All for One”を「みんなは一人のために」と訳すのに疑問があるとするのなら、”One”という言葉の理解に焦点を当てた方が良いと思う。「一人」だけでなく、「一つ」という意味を込めて、「皆が一つとなるように」という訳し方もできるのではないだろうか?いかにも日本人的発想との批判も聞こえそうだが...それは、甘受します。

私自身は、「全員が一人のために」という発想は斬新だし、「99匹の羊を残して1匹の羊を探しに行く」というイエスの言葉にも通じる、西洋的ヒューマニズムの雰囲気がとても好きだ。私が提案する「皆が一つとなるように」という訳し方も、個々を大切にする全体というニュアンスを壊さないと思うし、全体(all)が目指す高みを示すという意味では優れた点もあるのではないかと思う。なんにしても、”One”という英語の含蓄の深さの勝利であり、それ以外の何ものでもないが...。もっとも、原文のフランス語も同様なのかは、全くわかりません。

ただ、社会人として思うのだが、企業や事業体は個々の集合体(all)であるだけでなく、それ自体が一つ(one)の何かでなければならないと思う。それが、ブランドと呼ばれるものなのかもしれない。フィギュアスケートに話をもって行けば、ひとつひとつのエレメンツとひとつのプログラムとの関係にも通じるのかもしれない。

一つ(one)ひとつのエレメンツは、その集合体(all)としてのプログラムを構成する。でも、エレメンツの集合体=プログラムと、すぐには言い切れない。単なる集まりを脱して、プログラムという一つのもの(one)に昇華することが大事なのではないかと思うのだ。そういうoneを目指していると、当然のように、一つひとつのエレメンツも価値が高まっていくのかもしれない。練習で跳ぶジャンプよりも、プログラムで跳ぶジャンプの方が難しい。技術的に難しいだけでなく、ジャンプ自体に意味が込められた分、あだやおそろかにできない難しさが生まれてくるのだ。プログラムの中で、ジャンプそれ自体が意味を持ち始める。それが、”All for one”というものではないだろうか?この場合の”one”は、であるのと同時に全体を包含するものでもある。

哲学的ではあるが、oneをwonと言い換える解釈よりも潔いと思うのだが...。

その意味で、バンクーバーの女子シングルの戦いは見応えがあったと私は思う。

浅田真央の凄さは、二回の3A成功だけでなかったと思う。「鐘」というプログラムに挑み続け、戦い続けたことでもあった。比較せずにはおれないのだが、アルベールビルの伊藤みどりはどうなのだろうか?彼女の前半での3Aの失敗はなぜ、悔やまれないのか?後半で3Aを成功させたからである。「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」は語られることがない。プログラムではなく、3Aというたった一つのエレメンツだけが、価値を持っているからであろう。そこが、「鐘」と戦い続けた真央選手との違いだと考えている。

「鐘」というプログラムにこそ価値があるから、3Tの失敗が悔まれるのである。あのプログラムの完成形を見たい!という声が、どれほど高かっただろうか?その声を聞くたびに、日本のフィギュアスケートファンの意識の高さを感じずにはおれない。皆が、エレメンツの集合体を超えた一つのプログラム(ONE)を見たかったのではないだろうか?

ヨナのプログラムに至っては、いわんやである。あのプログラムのどこが良い?と言われるのは、褒め言葉以外の何物でもないかもしれない。ウリとなるエレメンツがないのだから...(笑)。確かに彼女のトゥジャンプのコンビネーションは凄いし、鮮やかだ。でも、冒頭に持ってくるお約束には、私は飽きている。水戸黄門やウルトラマンのように、フィニッシュなら拍手喝采なのだが...。それでも、あの演技は真央選手を超えた次元であることの理由は、幾つでも見つけることができる。

ジャンプのランド後の工夫のバリエーションについては、まりりんさんのブログでコメントしたが、なにより凄いのは、上半身と脚とで別の演技をしていることである。ストレートラインで顕著なのだが、彼女は上半身でカウンターメロディーを、ステップワークで主旋律を奏でているように、私は感じる。あれは、尋常ではない。

バレエの場合は、脚でリズムやテンポ、腕で旋律を表現するように指導されることがある。でも、フィギュアスケートでは、「滑り」で旋律を奏でられるのだ。だから、上半身では別の表現も可能になる(のかもしれない...極めて困難な課題ではあるが...)。この、常識では考えられない常識(滑りで曲を表現するというのは、よく考えれば、フィギュアでは当然のことである)は、ある種のコロンブスの卵であり、ヨナはその先駆者なのかもしれない。もっとも...私が先例を知らないだけかもしれないが。

なんにしても、身体全てを使ってひとつの世界を創り上げた真央選手に対して、身体の上下で違う雰囲気を表現してのけたヨナが優った、そういう戦いだったのだろう。

あと、プログラムの勝利という点では、レピストとポイキオの健闘も触れねばならない。両選手とも、欧州選手権よりも格段に優れた演技だったと思う。特にレピストは、なにか可能性を感じた。それがどんな可能性なのかは、考えている暇がないので、ヒマが出来たら見直してみたい。ただ、「欧州の復権」を賭けた演技だったように思う。タンゴにしても、ジャズにしても、アメリカ原産だが、欧州で育った文化もあるし...。

「三銃士」から、思いっきり話が逸れてしまった。

とにかく、ポルトスにはそれなりの役回りがあるし、キャラ的にも魅力があると思う。でも、”仮面の男”のように引退したわけではないのだから、技術的にも光ったところをみせねばならないだろう。出場できない方々のためにも、感謝して頑張る所存である。

それが、マスターズなのだろう。一人だけではなく、皆と共に、何かを目指して頑張っていきたい。

2010年5月 3日 (月)

8年ぶりの夜明け

フィギュアスケートとは関係がないのだが...。

4月からの新しい職場で、昨日夕方から初夜勤に入った。業務を覚えるための見習いだったのだが。経管栄養の準備の仕方を朝5時前に教わっている頃に、しらじらと夜が明け始めた。夜勤業務は8年ぶり、それ以来の景色だった。

駆け出しの看護師時代。。。深夜勤務の病棟で、そらがだんだんと青みをましていくのを見ると、ホっとしたのを覚えている。この気持ちは、夕方5時から午前9時までの、施設での長い夜勤でも同じようだ。最近の8年間は、体調や職種の関係で昼間の仕事のみ(やむを得ず徹夜になることは茶飯事だが...)だったので、久しぶりであった。

世の中の常識だが、福祉の仕事は食っていくのが厳しい。なので、夜勤手当は欠かすことができない。食っていく、食わせていくために、今後も見続ける景色になるのだろう。

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