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2010年4月

2010年4月30日 (金)

独身最後の戦い

昨日の練習後に電話して、マスターズの応援は来ないでほしいと、相手の方に伝えて了解をもらった。

結婚の準備は順調である。

既に生活の拠点となるアパートも6月1日入居の申し込みをし、翌2日に入籍という予定を立てている。4月は仕事の休日のほとんどをそれらの段取りにあて、相手方の実家への訪問や相手方の来訪への応接なども済ませた。それと並行して、新しい職場での仕事に慣れるように努力もしている。

その合間を縫うように練習も続けていた。正直、かなり忙しいというより、大変である。結婚と転職だけで精いっぱいなのに...試合が待っている。「こんなに苦しいなら、早く本番を終えてしまいたい」と思いながら、仕事の後に高速を走らせて、豊橋のリンクに向かっていた。それでも、営業終了までに30分滑れれば上等という具合で、プログラムの一部分だけを集中して練習する日々だ。もちろん、それだけでは不安なので、営業後にリンクの駐車場で振付全体をさらっていた。それでも、しないよりかはマシなのだと思う。

慣れない事務処理や利用者さんの体調不良などで残業となり、リンクに行けない日はプールでの水中トレーニングにあてている。あと、15分でもと朝のトレーニングも量はできないながらも続けてはいる。

ブログの更新やコメントへのお返事が滞ってしまって申し訳ないのですが、その時間を惜しんで練習していたとご理解して下さい。

だから、努力は精一杯していると思う。でも、練習量が足りない。特に、リンクに立てる時間があまりに無さすぎた。昨日、早出勤務を終えてリンクに向かい、久しぶりに貸し切り練習に出た。ホームリンクが営業終了しているので、クラブで遠方のリンクを貸し切れる機会はあまり無い。そこに、私の勤務がハマった貴重な練習機会だった。でも、久しぶりの曲かけは散々だった。それ以前に、滑りの感覚が全く違っていた。

先ほども記した通り、仕事後などを利用して、リンクには通っていた。休日も、わずかな時間でもと用事を済ませた後にリンクには行っていた。でも、自分が下手になっていくのが、薄々は気づいていた。そして、昨日は...惨めだった。上手・下手というよりも、氷と接するエッジの感覚に反応できない自分が許せない。

クラブの先生からは、ジャンプの軸が全然まとまっていないことを指摘された。シーズン中に比べて後退していることは、明確に言われてしまった。

ジャンプは、踏切に恐怖を感じるようになった。助走から踏切までで加速する感覚に、身体が反応できないのだ。力はあるので、無理にもっていってシングルは降りられる。でも、今まで頑張って積み重ねてきたものとは、全然違うジャンプになっている。「軸の獲得」が、今シーズンの一番の収穫だったはずなのに...。

大人のフィギュアスケートの場合、いわゆる”リセット”、出来たはずのものができなくなることは、よくある。なので、仕方ないことなのだろう。でも、跳べたはずのダブルが跳べなくなったとか、ターンが出来なくなったという、出来るor出来ない、の問題ではなく、備わっているはずの資質を失うのは、大問題なはずだ。滑りの質が悪くなる、軸を失う、姿勢が悪くなる、スタミナが続かない、といった根本的な問題は、ある課題ができなくなることよりも、修正が難しいのではないかと心配している。だからこそ、日ごろから水中や陸上トレーニングに力を注ぎ、身体能力の維持に腐心してきたのだ。でも、悲しいかな...氷上で練習できなければ、いわゆる「畳の上の水練」、感覚はどんどん鈍ってしまうらしい。

もうひとつ、悲観的なことがあった。身体が、かなり疲れている。

先月・今月と色々なことがあり、気持ちの面でも大変であった。今まで経験したことのない、忙しいふた月だったかもしれない。でも、それ以上に、仕事で身体が疲れているようだ。看護の現場に戻ったのだが、実質は介護の仕事である。それこそ、一日中、高齢者のお世話で身を屈めたり、相手の身体を持ち上げたりしている。介護職者の仕事のキツさはよく報道されているが、実際、そんな感じである。なので、腰を痛める方々も多い。

幸い、私自身は、新卒の頃からそのような現場ばかりで(看護短大も卒後の病院も母体は日本最大級の福祉事業団だった)、自分や相手に負担をあまりかけない介護法には慣れている。ある種の技術を身につけていたので、看護学科の大学で教員になれたと言っても良いかもしれない。それでも、大学を辞して現場に戻った1ヶ月目である。特に背中の筋肉が、かなり疲れている。

トゥジャンプの時に、背中の筋肉が全然言うことをきいてくれないのに、愕然としてしまった。ジャンパーにとって、広背筋が重要であることは既知の事実である。トゥを突いたのと同時に身体を持ち上げる動きそのものは、下肢の働きであるが、実際には広背筋の収縮がシリンダーの圧縮のような働きをして、エネルギーを生む。感覚的な表現で申し訳ないが、トゥジャンプを踏み切る度に、”ドカ~ン”と背中で火薬が弾ける感じを私は持っていた。

その背中のシリンダーが湿っけてしまったのだ。

もっと直接的な表現をすれば、緩んだパンツのゴムのように、言うことを聞いてくれない。スケートだけでなく、介護の仕事で使い続けた代償なのだと思う。正直に言えば、背中だけではなく、体中が疲れている。とにかく、休みたい。でも、休んだ後は、また仕事である。休養をとったからスケートのパフォーマンスが上がるという期待はない。むしろ、ただでさえ少ないリンクでの練習時間を更に減らすだけだろう。

結論を言えば、マスターズは負け試合になるだろう。2年前、「練習不足」とレフェリー講評で言われた。その繰り返しになると思う。でも、あの時だって...確かに練習時間は不足していた。それでも、できる限りの努力はしていたのである。本番直前の1週間は全く氷に乗れないのがわかっていたので、当日深夜に江戸川で個人貸し切りをして、1時間30分の練習時間を確保した。オフリンクでの練習の充実は、リンクで滑れない地域で練習する大人なりの努力なのであるし、氷を求めての移動には、最大限の努力をしているつもりだ。

でも、スポーツの眼は厳しい。本番でのパフォーマンスが評価の対象であり、そこに至るまでの経緯や背負っている事情は斟酌されない。もしも、そういう事柄まで評価に含まれるとしたら、私よりも苦労されている方々の多さに圧倒されるだろう。だから、「練習不足」と言われるのなら、その小言を飲みこむ覚悟は既にしている。

そのうえで、今、できる限りの努力を続けたいと考えている。失った軸やエッジの感覚がどこまで戻るのかはわからない。ただ、結婚に関しては、今後はそれほど大きな用事はないので、5月15日まで休日の大半を練習にあてることはできるだろう。それで、どこまで改善できるかである。それでも、ジャッジや観客の方々の眼に適うパフォーマンスを発揮できる自信はない。なので、彼女には「来ないで」と言った。今後の生涯を共にする仲間なので、格好悪いところを見られるのは別に平気である。

でも、今回のマスターズは、独身の自分の最後の戦いである。

だから、結婚準備とは別の意識で集中したいのである。それを5月15日に終え、6月からの新生活に向かいたいと相手の方に伝え、了解して頂いたのだ。

結婚後も、フィギュアは続けるつもりではある。おそらくは、家庭を持っておられる先輩方のように、沢山の制約をかかえながらの練習になるだろう。今までは、存分に練習時間をとり、沢山のお金をかけてきた。でも、これからは、思い通りにはできなくなるだろう。その時にこそ、自分のフィギュアスケートへの愛情が問われるのではないかと思っている。

たとえ、無様な演技になっても...それでも、腐らずに練習を続けていけるか?

存分に練習を続け積み上げてきたものが崩れてしまった今、それを再獲得する戦いでもあるのと同時に、フィギュアスケートに対する自分の思いが問われる戦いなのだと考えている。

2010年4月 4日 (日)

シーズン営業最終日

前に、シーズン突入前夜である9月は1年で楽しみな時期と記したが、4月はその意味で寂しい季節である。なので、桜の花びらは、ホロ苦い思いで見ることが多い。

本日、浜松スポーツセンターのシーズン営業が終了する。

10月下旬の営業初日と4月上旬の最終日は入場が無料のサービスデイのため、10時の開場前から親子連れの方々が列を作っていた。このため、名残惜しいが営業時間は滑らず、朝の貸し切り練習でお別れとした。今年の秋の終わりにまた、このリンクに乗れるのか、一抹の不安は感じている。というのも、製氷機の調子が良くなく、今シーズンの開始も綱渡り状態だったらしいからだ。次のシーズン前に、氷を作ってくれるか...もう、祈るしかない。

でも、最良のシーズンを送れたことを感謝している。

シーズン開始前より悩んでいた、クラブ移籍に踏み切り、平日もプロ・インストラクターの先生に指導していただけるようになった。子供達の背中を追い、一生懸命ジャンプ練習を続けてきた。タイトな軸で小回りも効く子供達と同じスピードで、狭いスペースで短い助走でのジャンプ練習をしたおかげで、力任せではなく、足首と膝と上半身の締めを意識してのジャンプを習得できていると思う(もちろん、まだまだ...だが)。

リンクを一杯に使い、十分な助走距離とスピードで跳ぶことは、プログラムにジャンプを入れるためには必須であるが、その前提として、助走に頼らずタイトに跳ぶことも大事だと、勉強させてもらった。

実は、3月一杯で大学助教の職を辞し、4月からは高齢者福祉施設の現場に戻った。アカデミックな研究業績は全くなく、看護師の資格だけで、看護学科といえども、国立大学医学部の正規教員を経験できたのは望外の幸いであったのであろうが、やはり、自分の性に合わないことは痛感した。現場で揉まれ、実地で汗をかくことこそが自分の生き方であることに気づかされた3年間であったと言えば生意気だろうか?それでも、優秀な学生達に恵まれたことは、心底感謝している。やはり、受験競争も意味があるのかもしれない。

この転職のために、3月は十分な練習ができずにいたが、今日の朝練の調子は、まずまずだった。今シーズン取り組み始めた2Fも根性で降り、2Tをつけられる時もあった。もちろん、回転は不足している。全てが根性降りである。でも、「千里の道も一歩から」、回転不足でへこたれていたら、純回転には至らない。頑張るしかない。何より、転ばないこと、これが自分の一番の強みかもしれない。片足バランス、あるいはバランスを崩した時のリカバリーについては、人一倍意識している。一応、その手のリハビリテーションは専門領域なので...(笑)。

この1シーズンで獲得した、一番の成果は、上記のジャンプへの自信であろう。

この自信が慢心となってボロが出ないように、更に練習を重ねていきたい。でも、繰り返し記すが、子供達の背中を追いながら、先生の叱咤(でも、大人にはとても優しい先生です)を背中に受けながら、頑張ってきたシーズンであった。

営業中も時間が許す限り練習してきた。昨年のマスターズで、レフェリーの杉田先生から課題としてアドバイスされたフットワーク、この一事を、いつも頭に置いていた。優れたフットワークとは何か?滑りながら、あるいは、Jスポーツの中継で杉田先生をはじめとした専門家の解説を聞きながら、考え続けた。結局は、「軽やかさ」なのかもしれない。重心をしっかりと置いた、着実な滑りを身上としても、上半身や足の運びは軽やかな方が、フィギュアスケートは評価が高いように感じる。その極致にあるのが、ヨナのバンクーバーのFSだと思うのだが....。だとすると、真央選手の「鐘」が不利というのは当然なのだろうが、あの曲を”重苦しいだけ”にならずに演じ切った感動が、真央選手にはあったはずである。やはり、真央選手だからこそ、真央選手にしかできない”キレ”が「鐘」にはあった。

斬鉄剣ではないが、鐘の重厚さに負けない切れ味と芯の強さを、真央選手の演技に感じる。それは、軽やかな曲で軽やかな演技を目指すよりも、はるかに厳しく、感動的な道だったはずである。だから、きっと、「鐘」は再評価される時期がくるはずである。もちろん、世界チャンピオンの演技として、今も十分に評価されているが...。

話が逸れたが、重く演じては、フィギュアでは良くないようである。これは、体重とは関係ないレベルの話なのだが。そうすると、日々の練習から、ターンだけでなく、足の踏み替えひとつひとつから、常に意識を持つことが大事なのかもしれない。やはり、「千里の道も一歩から」なのだろう。

でも、反対に考えれば、毎日の練習の一歩、一歩が、本番の演技へとつながっているのである。これは、本当に幸せなことであり、感謝すべきことかもしれない。とにかく、頑張るしかない。

「楽しかったね!」と、貸靴を脱ぐ子供達、若いカップルや友達連れの言葉を、耳にすることが多かったシーズンでもあった。リンクでは、ビールマン(もちろん、ポジションをそこまではもってこれず、正確にはキャッチフット)が流行していたようである。真央ちゃんばりに、ワンフットに拘る人は見なかったが...(笑)。あと、”トリプルアクセル”が流行語のようであった。

頂点を目指し、到達する選手達が、日本にはいる。この事実は、リンクに遊びに来てくれる人達からも、ひしひしと感じた、そんなシーズンであった。来シーズンも、是非、そんなであってほしい。

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