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2010年3月

2010年3月25日 (木)

リア充~ながらも~現役続行の宣言

ネタがないので書いてしまうが....。

意外なことに、2月24日の婚活の経過が順調なのだ。既に、トントン拍子で具体的な日程を話し合い、入籍の時期まで決まっている。

こんなことをブログで書くと、「もしかして、結婚サギじゃないの?」と心配される方もいるかもしれない。でも、たぶん、それはないと思う。相手の方には、何かにつけて「スケートばかりの日々なので、お金がない」と言っている。うそではなく、本当なのだ。だから、結婚の資金なんて一銭もなく、既に諦めの境地にあることは、理解してもらった。それでも拾ってくれるのだから、サギだとすれば、加害者は私になるだろう。

「無い袖は振れない!」 このスタンスは、今後も変えられないし、変えるつもりはない。スケート以外には....(超弩汗)。

もっとも、それで生活を破綻させることもできないので、スケートに全力を傾けていた生活を見直し、改めることはするつもりだ。なので、支出の中に占めるスケート費も段々と絞っていくだろう。仕方ない、そういうのが人生なのだろうから...(泣。

でも、スケートそのものを辞めるつもりはない。というか、多分、辞められないと思う。結婚ごときで辞められるくらいなら、既にスパっと切れていたはずだから。自分とフィギュアスケートとの関係は、そんなに軽いものではないと思いたい、思い込みでもいいから...。時間、支出ともに絞るとしても、お金のかからないトレーニング法はいくらでもある。たとえば、ランニングとか。幸い、浜松のリンクは定額でジムもプールも使わせてもらえる。しかも、競合施設ができた影響で....なんと、月額5000円弱という破格のお値段!!もちろん、営業時間フルに使えてで。

正規のリンク代4回分くらいで、一ヶ月使い放題(ジムから何から)というのだから、泣けてくる。この代金で利用するためには、申請が必要で皆行っているのだが....私はなんだか申し訳なくて....いまだに月額9000円の会費を払っている。条件はほぼ変わらない(正確に言うと、9000円の会員にはタオルがレンタルされる、それだけ)のに。それを、相手の方に言ったら怒られた。結婚(まだしてないが)というのは、多分、そういうものなのだろう。よくわからないが...。

リンクは季節営業なので4月上旬で終わってしまうので、それを期に、月5000円弱の会費の申請をして、プールやジムでのトレーニングだけは続けようと思う。マスターズに備えては、幸いゴールデンウィーク頃まで、豊橋のリンクが営業しているので、そちらで頑張る。

それらと並行して、新生活の準備となるだろうが、それほど大仰なことはしない(オジさんと、それなりの年齢の方なので....)から、若い人達のように大変ではないと思う。

で、相手の方と先日、モリコロに行き、それぞれに....(一緒に滑るには、技術差が....スミマセン)滑って楽しみ、邦和で明子さんの足跡を見てから、私だけ夕方からのモリコロ貸し切りに出た。スケートそのものは、楽しんでもらえたので、また、一緒に行く機会もあると思う。オリンピックのおかげで観ることも好きなのは知っていたが、滑ってくれたので、ちょっと安心した。私がフィギュアを始めた年齢の方なのだが、あの頃の自分よりかは上手だった。でも、5年後に、自分と同じくらいに滑ったり、跳んだりする姿を想像できるか?と言えば、考えられない。傲慢かもしれないが、自分の成長曲線を、今更ながら感じてしまった。本当に、一生懸命だったんだなぁ....と。

5年前、リンクを半周するのが精一杯で、転ばずに1周できるのが目標だった。片足を挙げたら2秒ともたず、「1..2..3..」と心の中で数えながら、片足滑走の時間を延ばしていった。今でも、よく、覚えている。でも、あの頃が一番幸せだった。もちろん、今も幸せなのだが....。真央選手が金メダルを獲れなかった、あの日が過去となったように、私達も現実の中を生きているのかもしれない。でも、夢は終わってはいない。目標が先に延びただけなのだ。思い通りにならない、でも、それが人生。イリーナ・スルツカヤの言葉は、今も胸に残っている。

その日の夕方からの貸切で、インストラクターの先生にマオ・ステップを入れたいことを申し出た。その前日にクラブの先生との個人レッスンで了解を頂いており、”アフリカン・シンフォニー”の振り付けをして下さった、インストラクターの先生にも許可を頂けば、自信をもってマスターズに臨める。なので、曲かけの時はかなり緊張した。

肝心なステップで失敗することはできないので、演技中もそこにピークをもってくるように意識しながら滑り、なんとか滑りきった。プログラム前半で、シングルルッツがツーフットになったり、サルコウ前に失速するなど、本来なら看過すべきでないミスがあったのだが、目的のマオステップが音楽のテンポで踏めたので、良かった。クラブの貸切練習では”カルメン前奏曲”を優先しており、マスターズの練習はしていないので、曲かけはぶっつけ本番だった。それでも、音楽に合わせられたので、本当にホっとした。

演技後、インストラクターの先生のところに行ったら、やはり、ルッツ~サルコウまでの滑りが小さいことを指摘された。リンクの半分側しか使っていないとのこと。いつものことなので、振り付けの大幅な見直し(滑走方向を前後逆にする!!)も提案されたが、とても対応できないので、滑走スピードを頑張ってサルコウに入れるように努力することで、許して頂いた。話はそれだけだったので、私の方からステップ追加のことをうかがったら、「あれ、いいんじゃないですか?」と明るく言って頂けた。

それでホっとして、真央選手のウォームアップステップとクラブの先生から習ったので、どうしても入れたかったのだと白状した。「ああ、あれね!」とインストラクターの先生も笑顔になられたのが、嬉しかった。真央選手を応援したいという自分の気持、そして、自分のステップと真央選手のそれとの共通点、その二つを先生が認めて下さったようで、嬉しかったのだと思う。

何より、ステップを追加しても演技中に息が上がらなかったこと、それが一番嬉しかった。まだまだ、できる。頑張れると思う。

制約はいろいろある。でも、まだ、頑張れると思う。だから、嬉しいのだと感じた練習であった。

2010年3月16日 (火)

挑戦

カミングアウトするのはちょっと恥ずかしいのだが...。

「愛のアランフェス」という少女マンガが、フィギュアスケートとの出会いであった。あ、決して、少女マンガ愛好家とか、そういう訳ではありません。槙村さとるのマンガは好きで、”NYバード”とかは単行本が出るたびに買っていたし、現在のフィギュアブームに押されて描いたという、”ヒロインの条件”も読んだ。”ヒロインの~”は、あまりピンとこなかったというか、モデルがあまりに透けて見えるので、ちょっと面白くなかった。野辺山合宿などは、リアルすぎるだろう...。

他にも、山岸涼子(”テレプシコーラ”は、本当に勉強になる)とか青池保子(”イブの息子達”にタルカスが出てきたのには笑った、”エロイカより愛をこめて”は、気がつけば、こち亀に匹敵する長寿連載らしい)のマンガも好きだが、基本的には少年マンガのファンである。あと、ゴルゴ13とか...。

で、「愛のアランフェス」なのだが、姉から借りて読んでいた。マンガならばどんなものでも読んだ濫読の時代だったし...。その中で、ヒロインの森山亜季実が小さい頃、コーチでもあった父親から天然リンクの沼で厳しい指導を受けて帰宅し、母親に慰められる回想場面があった。夕ご飯が出来ているからと言う母に彼女が言ったのが...「ダブルルッツできた。初めてできた」(記憶に頼ってますので、詳細は異なるかもしれません)の一言であった。

その場面を妙に覚えており、ルッツのダブルは難しいという思いをずっと抱いていた。

そのマンガを読んだのは中学生の頃であり、四十間近にフィギュアを始めてからは、このジャンプがひとつの目標でもあった。で、昨日、初めて、ダブルルッツを降りた。ただ、まだ回転不足なのだが...「立てたね」と先生に言っていただけた。幼少の亜季実にしても、初めて降りた時は、きっと回転不足だっただろう。だから、いいのです...ちゃんと立ったのだから....。

嬉しいというよりも、とにかく必死だった。「ルッツの時は顔が真剣になる」というのは、田村岳斗氏の言葉だと思うが、本当にそうである。軸をとれなければ全然回れないジャンプなので、ルッツは、必死である。ダブルは、1年くらい前から、少しずつ練習していたのだが、シングルの踏み切りの改善を優先していたので、全然進展していなかった。でも、現在のクラブに移籍し、平日も先生の指導を受けられるようになってから、空中での軸の取り方やランディング時の流れの感覚が変わってきたと思う。なので、下地は着実にできていたはずである。

そして、昨日....シングルルッツの練習中に、LBOでの踏み切り時に加速するようになった。そのスピードにナチュラルに乗ってダブルを回ったら、自然と右片足で降りられた。回転不足なので、ランディング後に氷を削るが、ジャンプの上達の過程では回転不足は避けられない(少なくとも自分は)ので、仕方ない。右片足でのランディングを定着させつつ、空中で回りきれるように、着氷のタイミングを覚えるしかない。

ポイントは、やはり、踏み切り時の加速なのだと思う。私の場合、サルコウで顕著なのだが、踏み切り時にトゥで氷を削ってブレーキをかけながら跳ぶ。それを先生から注意される。それでも、ファントム(現在使用しているブレード)のトゥ形状のおかげで、トゥジャンプならば滑走スピードが乗っていても垂直運動に転換することはできる。でも、エッジ系ジャンプでは、悪魔の角のように飛び出ているファントムのトップトゥを使えない(ボトムの第一トゥは使うが)ので、85キロの巨体を宙に持ち上げるには、スピードが出すぎるとキツイのである。翼があればスピードが揚力に転じるが...。とにかく、水平移動するカーリングのストーンを垂直に放るような運動である。ある程度のスピードを超えると、かなりキツい。

でも、今回の練習で、助走ではなく踏み切り時の荷重でスピードに乗ることを覚えたので、この技術はエッジ系ジャンプにも生かせると思う。”グッ”と踏みしめた時にエッジに更に乗り、そのスピードをフリーレッグの動きとシンクロさせながら第一トゥを瞬間的に氷に噛ませれば良い....のだと思う....できればだが....orz。

とにかく、挑戦である。感覚を掴んだダブルルッツを忘れないこと。踏み切り時の加速を大事にしながらジャンプを跳べること、そうすれば、プログラムにダブルジャンプを入れることも夢ではなくなるかもしれない。

シングルアクセルも、まだ回転不足のままだが、右片足で降りる確度はかなり上がった。あとは、回数をこなして空中で回りきることができるようになれるか...であろう。正直、ランディングの安定性と回転の過不足は、自分の場合には反比例の関係にあるように思う。着氷時にイン側にとられてしまうくらいの酷い回転不足は論外だが、ある程度足りなくても、軸を保っていればグリ降りできてしまう。なので、空中で思い切って回りきるよりかは、適当なところで降りて着氷後のバランスを確保する方を無意識のうちに選んでいるのではないかという懸念を持っている。

だから、回転不足の壁を破るためには、空中で回りきる意識(=勇気)と着氷時にバランスを保てる調整力(=冷静さ)の両方が大事なのだろう。思い切って跳んで回るが、着氷に失敗して自爆するのでは面白くない。コストナーのジャンプは見ていて清清しいが、ファンには心臓に悪いだろう。勇気と冷静さの両方を実現するには、まだ時間がかかるのかもしれない。マスターズは旧採点だから、DGはつかないが....杉田先生は厳しいだろうなぁ...今から覚悟しておこう。

”アフリカンシンフォニー”では、ジャンプ以上にステップに力を入れている。

昨年、課題として指摘された、「両足で滑っている時間が長い」ことへの取り組みとして、ステップひとつひとつを見直し、どちら側の片足で、どのエッジを使って滑るのかを意識するように心がけている。この取り組みは昨年もしていたつもりなのだが、ジャッジの先生から言われて振り返ると、やはり取り組みの甘さを痛感させられる。特にストレートラインは、ツィズル、チョクトゥ、ループ、ロッカーと難しいターンがてんこ盛りである。チョクトゥは私から希望したのだが、本当に、よくぞこれほどのステップシークエンスを組んで下さったと、名古屋の先生に感謝したい。

更に、足替えダブルスリーからチェックしてストレートラインを終えた後、次の単独ループ(シングル)に入るまで、今までは単にフォアストロークで数歩走るだけであった。ここが、息継ぎの場所だったのだが、今年はここにもつなぎのステップを入れたいことを先生に伝えてある。この箇所、音楽ではトランペットが超絶的なハイトーンで旋律を奏でている。

演奏者がそれだけ頑張っているのに、自分だけ息継ぎというのは、したくない。

だから、とびっきり難しいステップを入れることにしてしまった...まだ、先生に許可を頂いていないのだが...できるか否かを試してからお願いするつもりだ。具体的には、前エントリーのコメントに書かせて頂いたものだが、反時計回りのモホークをしながら上体をダウンさせ、起こしながら踏み替え無しでバックインロッカーをつなげるというものだ。クラブで外部の先生に指導して頂いた時に子供達が教わったらしい。私は仕事で欠席したのだが、クラブの先生の個人指導の時に教えて頂けた。真央選手のウォームアップの時に使うステップらしく、先生は”マオステップ”と読んでいた。「真央ちゃんがやっていると言えば、みんな目の色を変えて練習するでしょ」と先生は笑って言われてたが、子供達はいつもと同じようにマイペースに見える。シーズン開始からみれば、見違えるように上手になっているが。

むしろ、一番目の色を変えて必死になっているのは、当たり前だが...自分だろう...(笑)。

「そっかぁ、真央選手はこのステップを踏みながらバンクーバーを目指していたのか」と...先生の思惑に見事にはまっている。ウォームアップ用ステップは5種類教えていただいたが、そのうちの3番目が上に記したもの。これが、アフリカンシンフォニーの旋律に合いそうなので、集中して練習している。ただ、ハイテンポな中で体が追いつくか....練習するしかない。

挑戦なのだ!!

2010年3月 4日 (木)

それでもフィギュアを続けないといけない理由

結局は、靴の処分が切ないという理由だった。

もちろん、まだリアルでは、引退を口にはしていない。ネットでは愚かでも、実生活ではそれほど馬鹿ではないので。仕事の多忙(これは事実)を理由に、しばらくの休みを先生にお願いしただけだ。そして、了解を頂いている。

その冷却期間を使って、今後のことを考えている。

この間お会いした方とは具体的な話をし始めているので、実生活ではフィギュアスケートどころではなくなると思う。滑るにしても、滑らないとしても、先方からは理解をもらっている。でも、自分には捨てられないものがあったことに気がついた。それが、靴とブレードである。

知人に使ってもらうなど、処分の方法を考えたが、廃棄だけは考えられない。愛犬と同じだけの重みが、自分の靴にあることに気がついていなかった。それは、愚かであった。自宅に放置してカビだらけになるのも忍びない。既に、以前使っていた靴は使用しないための劣化にさらされている。その状態を見ても耐えられるのは、今使用している靴を大事にしているからだ。命の受け渡しが、そこにある。これは、私にとっては、事実である。

それでも、フィギュアスケートとは距離を置いてから、新しい生活に進みたいという気持ちはある。

フィギュアスケートは、センターに向かうところから始まり、レヴェランス(お辞儀)で終わる。拍手から拍手の間が演技なのだ。つまり、観て頂く方(人数は問題ではない)がいることが、前提のスポーツである。だから、誰が観るかというのは、演技する側にとって大問題である。ネットで口角泡を飛ばすような人達に観賞されたなら、私の演技なぞなんと言われるだろうか...(実際に、2ちゃんねるで名指しで批評されたことがある)。私は、それが怖い。

ここのところが、いわゆる草サッカーや草野球とは全然違う。ギャラリーの関与する余地がフィギュアスケートではとても大きいのだ。フィギュアの技術を正確に知らないままに、オリンピックの金メダリストでさえも、コキおろす人達である。その人達の目に自分を晒すなど、恐ろしくて、とても出来ない。ならば、プログラムを人様に観て頂くことなく滑る練習を続ければ良いのだろうか?それも、ひとつの方法である。しかし、なぜか...私は初心者の頃から、今のような道を与えられてしまった....それに背を向け、プログラムと発表の場を放棄してまで、フィギュアを続けるのも忍びない。

だから、止めたい、もう嫌だ...と言い続けているのである。ネットで議論が沸騰するたびに、「この人達に自分の演技が観られるのか」と思い、気持ちが挫ける。「親父の目」というブログに、ためらいながらもコメントを寄せ続けたのも、滑る側の辛さを少しでもわかってもらいたかったためだ。不格好に、無様に見える演技でも、やる方は必死なのだ。ふざけている訳ではない。その気持ちを知ってもらいたく思い、コメントを寄せていた。そして、過激なコメントを寄せる人達と対話を試み、ある人とは衝突しながらもわかりあい、ある人からは罵倒され、ある人とは喧嘩してしまった。コミュニケーショと言うには、あまりに殺伐とした意地のやり取りを、あそこでは続けていた。でも、幾人かの方々とやっとコミュニケートできる状態になったと思ったら、また別の過激発言の方が出てくる。本当に、きりがなく、絶望を感じ始めていた頃、ある意図が見えてきた。それで、心が折れてしまった。

ブログ管理人とも喧嘩しているので、二度と訪れることもないだろうが、フィギュアスケートに関するブログがああいう場だけで良いのだろうか?とも思う。別に、義侠心や義務感を発揮して、避難場所を私が提供することもあるまい。なので、靴を生かし続けるためにまだリンクに降りるのなら、リアルでの自分(引退表明はしていないのだから)だけで続け、このブログを始めとしたネットの人格だけを引退させれば十分であると思う。前のエントリーはかなりのものの言い方だと思うが、私は、ジャッジの先生方を信頼し、その採点のもとに優劣を競うフィギュアスケート競技そのものを否定はしていない。むしろ、フィギュアスケートの本来の在り方を危うくしているのは、マニア化したファンとその動向に流されるメディアではないだろうか?

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/n_kim_yuna__20100227_13/story/menscyzo_27Feb2010_1826/

「親父の目」で繰り広げた一連の議論について、私は、負けを認める。

真央選手が、3Aに多くの加点を望んだ記事が出たことで、私は負けを悟った。それで記したのが、前のエントリーである。勢いに任せて「糞ったれ!!」と言うのがみっともないことは認めるが、本当に、そう言いたい気持ちである。議論に負けたからではない。ジャッジングへの疑義を選手達も言い始めたことに、絶望感を覚えるのである。試合に負けた選手達が、加点や評価で不満を言い始めたら、フィギュアスケートのジャッジングへの権威はどこに求めるべきなのだろうか?ファンが不満をネットで漏らしても、不正の疑惑を喧伝しても、ジャッジングの権威を保たれていたのは、選手達がその結果を尊重していたからではないか?

ネットのファンと選手サイド(一部かもしれないが)との主張が一致し始めたのを感じ、私の中で急激に崩れ始めたものがあったのだ。この流れに抗することは、多分できないだろう。私は、負けたのだ。

もう一つ記せば、高難度ジャンプへの挑戦を評価してほしいとの主張は、私達、大人の演技者にも大きな影響を与えるだろう。「4回転か3回転か」ではなく、「2回転か1回転か」の選択なのだが。マスターズの試合で、私の年代では、ダブルを綺麗に降りれる選手はいない。「綺麗に」とは、片足降りをして、流れのあるチェックをしっかり入れられるという意味なのだが。2Tはもちろん、2Rまで挑戦する選手は多いが、たいていは両足降り、あるいは片足でもランディングがつまってしまう。それを嫌って、シングルで綺麗に降りる演技を目指すとしたら、どちらを評価すべきなのだろうか?私は、難易度は下がっても、完成度の高い技術の方が望ましいと考える。もしも、両足降りでも転倒しなければ良いと言うのなら、ダブルルッツも私はプログラムに入れられる。でも、そうまでして、得点を稼ごうとは思わない。そんなことをしたら、自分の技術が歪んでしまう。

やはり、できる限り綺麗なジャンプを、観客の方々に観て頂きたい。そして、拍手を頂きたい。それが、私のフィギュアスケートなのだ。フィギュアスケートの演技は、拍手に始まり、拍手に終わる。観客がどんなであっても...。基本的に、観られるスポーツなのだ。

もしかしたら、それでもランディングが乱れるかもしれない。あるいは、回転不足をとられるかもしれない。でも、できる限り、完成度の高い演技を目指したい。キム・ヨナの様にとは言わないが...。

もしも、その想いが時代の流れと異なるというのなら、むしろ、私は存在すべきなのかもしれない。無様であり、不格好かもしれないが、精一杯の演技を目指すべきなのだろう。流れのある、綺麗なランディングを、音楽の調べに合わせたポーズと動作の組み合わせで、一つのプログラムにまとめていくべきに、違いない。

それが、私の戦いなのかもしれない。ネットで「止めたい病」にかかるまでに、フィギュアの怖さを吐露し、それでもフィギュアの魅力を発見しようと腐心する。議論はなるべく穏やかに...、頂いたコメントには圧倒的な文字数で、お返事する。そして、不格好は覚悟しながら綺麗な演技を目指す...。そんなネット人、リアリストに、私はなりたい。

マスターズの本番、どんな演技がどんな評価になるのかはわからない。ダブルジャンプの戦いになるのかもしれない。あるいは、ライサの悲哀を味わうチャンピオンが出てくるかもしれない。競技がフィギュアスケートである以上、オリンピックの縮図がマスターズに浮き出てくることもあるはずだ。だから、オリンピック後の喧騒には敏感になってしまう。

正直、フィギュアスケートは怖い。色んな意味で怖いスポーツだ。

だけど、今は止めれないのかもしれない。靴を買ってしまったので。音楽を頂いてしまったので。仲間達との約束があるので。そして、既に始めてしまっているので。止め方がわからないスポーツに、身を置いてしまったのかもしれない。止めたいと思っていても、止められないのだ!!

いっそ、それならば、馬鹿になってしまった自分を晒しつつ、喧騒好きなファン達とは一味違う、マイナーブログを続けるのも、私の生き方なのかもしれない。「止めます、やっぱり続けますと、何度もみっともない」という意見は、ごもっともだと思う。でも、フィギュアスケートは、そういうものなのかもしれない。よく、わからないのだが....。なにより、リアルでは、「止めます」とは、まだ言ってないので、ご容赦をお願いします。

※コメント欄を再び設けます。ただ、辛辣な意見は勘弁して下さい。著しく、自分が傷つくような意見は、削除させて下さい。

2010年3月 2日 (火)

糞ったれ!!

バンクーバーが終わった後、2日ほど寝込んだ。

真央選手が負けたのは、自分にとって悪夢だった。でも、現実は認めないといけないし、直後には悔し涙にくれた真央選手本人が、翌日には銀メダルを喜んでいることに救われた。

本当の悪夢は、それからだった...。

男子シングルでもそうだが、オリンピックの勝者を讃えられない、この競技の根性は腐っている。本当に、糞ったれどもだ...。

採点に不服がある、ルールに不備があるというのなら、試合に出るな!!

ルールや採点システム、ジャッジングの意向は既に理解して試合に臨んでいるのだろう。リンクサイドに立ったからには、結果についてとやかく言わんでほしい。見苦しくてかなわんし、じゃぁ、自分達が勝利しても異議を出せるのか?と言いたい。

自分達が負ければ、「間違っている」 勝てば文句はない....。子供のようだし、およそ、採点競技に適さないふるまいである。およそ、フェアとは言えない醜態である。

幻滅したのは、世界最高の試合の後で、そういう醜いゲームを見せられたことである。

私的には、ヨナの演技で満足した。理想の演技がそこにあった。でも、今の風潮が続けば、このような高度に洗練された技術と表現を要求するほどに厳しい採点システムは存続しないであろう。ファンが許さないから。

ジャッジやジャッジングシステムが選手を鍛える、演技の質を向上させるという、本来なら自明な事実を、ファンは全く理解していない。むしろ悪意に誇張された自説を論じることに狂喜しているのだ。文字通り、そのような活動に心を腐らせている。彼らは、ジャッジの選手への期待に耐えられず、悲鳴の代わりに抗議の声をあげている。自分達は選手でも、選手達の保護者でもないにもかかわらず。

このようなイントレランス(不寛容)なファンのおかげで、フィギュアスケートは、また時代を逆行すると思う。スポンサーはファンの動向に無関心ではいられず、競技団体はスポンサーの機嫌を損ねることはできないから。ゲームの後でのドタバタを楽しむ輩達の嗜好は、必ずしも競技それ自体とは無縁ではない。

頂上がそんな世界なのに、末端でフィギュアを楽しむことなど、それこそ馬鹿馬鹿しい。総理大臣が”平成の脱税王”なのに、税金を天引きされる身分と同じくらいの悲哀である。でも、税金は国民の義務であるが、フィギュアスケートは自発的な意志である。

何より耐え難いのは、このような愚かな競技に身を置くものと、自分が見られることである。ファンの質がどんどん悪くなることはわかっていたが、メディア、そして選手の発言すらも質が悪くなっている。その急先鋒がプルシェンコなのだが...。

私は、自分の人生を大切にしたい。生活を堅実に営みたい。もう、こんなドタバタにつきあうのは糞食らえである。くだらない、無益どころが害悪に満ちた中傷合戦を見るのは、もうコリゴリである。

ということで、フィギュアスケートを終わりにする。

別のことに、人生のエネルギーを費やしたい。多分、幸せを掴めるだろう。フィギュアスケートとは無縁の場所で、訪れた幸福を大事にしたい。さようなら、皆さん。

ヨナの演技を観て、満足できた。自分が夢見たものが、ヨナにはあった。だから、私がフィギュアスケートで頑張る必要はなくなった。フィギュアスケートを愛する人は、あの日のヨナを観れば、もう十分である。

今、気づいたが...ヨナという名前は深遠である。神の使命から逃れているうちに大魚に飲み込まれ、その腹の中で神を知った、預言者ヨナ。韓国人の名前がユダヤの言い伝えからきているのかは知らないが、大いなる腹の中で、ヨナは定めを知り、それに従ったのかもしれない。定めとは、一人のシャイなティーンネイジャーが、世界中の人々の耳目を驚嘆させる演技をするまでの道筋である。この深遠さは、日本人の脳では理解できないだろう。

真央選手は、ヨナにはなれないだろう。目指すものが違うのだから...。でも、真央選手は真央選手として頑張るだろうし、最高の演技をみせてくれるだろう。そういう素晴らしい選手達を比べること自体が、本来は野暮なのだ。でも、その野暮を敢えて試みるが、フィギュアスケートのジャッジングなのに、それがわかる人があまりに少ない。

野猿のように、顔を真っ赤にして、「採点がおかしい」などと言うのだから...。

まぁ、採点競技を楽しめるほどには、人類は進化していないということなのだろう。

旧人類達よ、おおいに前時代的な6点満点2項目の採点法を懐かしんでくれ。私は、もう知らない。

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