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2009年6月

2009年6月21日 (日)

今日の氷上練習('09.6.21.日)

マスターズより1ヶ月ぶりにリンクに降りた。

邦和はいつもの日曜日と同じで、ボーイスカウトや子ども会の団体客が沢山来ていた。教室も相変わらず盛況。リンク経営の収支の状況はわからないのだが、休みの日に沢山のお客さん達が来ているのは、良いことだと思う。

ジャンプは早々に禁止になったが、今日は氷の感覚を戻すことが主な目的だったので、自分には関係がなかった。ブランクが長いといつもそうだが、今日も最初はブレードの乗り位置がわからず、後ろの方に重心がいきすぎてバランスを崩しそうになる。ただ、この時にあわててお腹を曲げたりして重心を戻そうとすると、今度はトゥが氷にひっかかって前につんのめりそうになることがある。なので、練習歴がある程度ある人なら、あわてずにバックバランスのままで滑走姿勢を維持し、少しずつ正しい乗り位置を探る方が安全だし、スムーズだと、私は感じている。

バランスが後ろにいったまま滑るのは怖いこともあるし、持ちこたえられなければ、当然尻餅をつく。でも、慣れてくればバックバランスでも粘りというか、その状態を我慢しながら滑れるし、アウトサイドモホークのターン(真央選手が上手だが)の時などは、重心は後ろの状態で維持していると思うのだ。

で、少しずつ乗り位置を思い出しながら、フォアのスケーティングの練習をしていった。お客さんが多いので、スピードは出さずに、乗り位置を慎重に思い出しながらだったが、自分的には良かったのではないかと思う。ある程度滑ったら、感覚は普段通りになっていた。

昼食休憩でお客さんが引けた時に、バックのスケーティングの練習もした。こちらは重症だった。乗り位置も、滑走中のエッジコントロールも、姿勢の保持も、ほとんど忘れてしまっていた。どちらかというと、私はバックスケーティングの方が好きだし、慣れていると思っていた。でも、ブランクの影響はフォアよりもバックの方が顕著だったようだ。もちろん、滑りながら段々に思い出していったが、バックエッジでの重心の位置は最後まであいまいだったように思う。あと、片足を保持してバック滑走するのが大変になっていた。途中で氷の溝にはまったりして、ひどく転倒したことがあった。普段でもそういうことはあるが、今日は特にひどかったし、バランスを崩した後の修正がきかなかった。

でも、できなかったところは今後取り戻せば良いと思う。今日は、ブランクの影響が確認できただけで成果があったと考えている。バック滑走をしていて、背部の筋力の低下を痛感したので、そこはプールでのトレーニングで戻せていけたらとも考えた。

先生にレッスンしていただき、トゥジャンプの踏み切りのタイミングとループジャンプでの上半身の向きをみてもらった。人は少なくなった時間だったのだが、ジャンプ禁止は解除されていなかったので、踏み切り段階までで回転はしなかったが。過去に指導していただいたのに、自分の中で忘れてしまっていたポイントが多いなと反省した、すみませんでした。それと、マスターズで指摘された事柄を先生に報告し、フットワーク改善の練習法を指導していただいた。

基本的には、今までやっていたスケーティングの練習の難度を少しあげ、コンパルソリに1級課題のフォアのチェンジエッジを入れること(今まではサークルばかりを描いていた。時々はチェンジも練習していたが、あまり一生懸命ではなかった)、スネークのフリーレッグを前に出して上半身の捻りと膝・足首の屈伸を使って大きくエッジを使う練習をすることを言われた。今までのスネークは、両手を広げてバランス保持をしていたのだが、腕に頼ったバランスではなく、フットワークだけでバランスを保つことがフィギュアでは要求されるようである。このあたりの、エッジワークだけでバランスが保てるという部分に、私の大きな不足があり、それを指摘されたのかもしれない。

正直、私にとっては一番苦手なところなのだが(エッジに乗るというのは、言うは易いが行うのは難しい)、良い機会なので、少し頑張ってみようと思う。あくまでも、家計と仕事とのバランスをとりながらなのだが。

エッジに乗ると言えば、逆の体験なのだが、氷上整備が終わってリンクに戻るときに、エッジケースをつけたまま出てしまった。当然、転倒した。でも、エッジケースを外していないことを知らないながらに、「あ、エッジにかからない」とすぐに感じて、あわてずに転倒体勢をとれた。詩子先生の目の前だったので、ご心配をおかけしてしまったが...。

焦らずに転べたことを振り返って、なんというか、自分にもエッジを感じ取る目みたいのがあるのだなと思った。ただ、ズルっと滑ってあわてるのではなく、「これじゃぁ滑れない」と、氷に着いた時点で感じたというのなら、逆に、「ここなら滑れる」というセンサーみたいなものが、氷と自分との間にあるということなのだろう。この感覚を育てていけば、少しずつ、エッジに乗る感覚の精度もあがっていくのではないかと思ったのである。

今日から練習再開します

おはようございます。

相変わらずの日々を過ごしていますが、今日は時間をつくることができ、予算も立ったので、レッスンを受けにリンクへ行きます。氷に乗るのは、5月のマスターズ以来です。靴の点検もしましたが、大きなトラブルはないようです。

陸上トレーニングは、ポツポツとやっていますが、感覚の変化はありません。ただ、部屋に缶詰になって仕事をしていたこともあり、脂肪が腹部・背部、胸部につきはじめ、走るとタルみを感じます。もともと体脂肪が多い体質なので、ちょっと油断するとせっかく落ちた分以上についてしまい、悩みの種になっています。

でも、大人の趣味ですので、真剣にダイエットということはしないつもりです。運動で落ちる分、節制で避けられるだけの体脂肪コントロールが良いかと...。食事量や間食の制限によって、仕事の集中力や心理的なゆとりがなくなる方が、私には由々しきことです。一日中机に向かい、時々間食もすれば太るのは当然ですが、それが仕事なら仕方ありません。摂った分を運動で消費できれば良いですが、運動すらも許されないくらいに切羽詰まった(6月は英論文の和訳の仕事があり....まともに英語に接するなんて、大学入試以来でした。それでも、仮定法とか過去完了形とか覚えている自分がすごいと思った)状態の日々もありますので、

太る=怠け=罪悪という構図は、自分の意識から断ち切りたいと思っています。

余分な脂肪はパフォーマンスにはマイナスなので(とにかく、重い!)、脂肪燃焼と節制には心がけますが、あくまでも、「ある程度」が大事だと思うのです。

お金の方は、かなり苦しいです。この仕事に就いて以来、書籍を買い込んでいますし、スケートにも湯水のように使ってきました。そのツケがいよいよ重みを増してきた感じです。なので、今年はDOIを諦めました。THE ICEも無理だと思います。それで、スケートを辞めて、まだお金のかからないスポーツを探そうと思ったのですが、15万円もしたスケート靴を無駄にして、新規スポーツを始めるための初期費用(テニスだったらラケット、バスケットボールなら靴とか必要ですし、スクール入学金も馬鹿になりません)を工面するのはおかしいと考えました。すごく当たり前の感じもしますが...。で、自分の予算が立てられる範囲内にスケート費用を減額し、それプラス、”つもり貯金”を加えてなんとか続けられる目処が立ちました。

このように、脂肪とツケで重くてアップアップの状態ですが、とにかくリンクに行きます。1ヶ月ブランクが空きましたので、今日は感覚を戻すような練習で終わりになると思います。マスターズの動画を見て、ジャンプの踏み切りに相変わらず難があることがわかりました。ですので、今後は、踏み切りの見直しと改善(特に、ルッツとループ)、それとプログラム中のステップの精度(特にブラケットとループ、あとチョクトゥ...酷すぎ!)あげを当面の課題としたいと思ってます。

今後とも、よろしくお願いします。

2009年6月14日 (日)

しばらく休みます(続きです)

前のエントリーは、かなり欝っぽい状態の時に書きました。病気そのものは完治(かなり理想的な経過をたどったようです。これは、スケートのおかげと感謝しています)していますが、疲れが貯まるとまだ、落ち込みはあります。でも、それは健康な人でもある、いわゆる「生理的反応」の範囲だと思いますし...(笑)。

もうひとつ付け加えで申し上げれば、落ち込みの反動で攻撃的になる自分がいることは、度重なる失敗で認めております。攻撃=口撃で、人様に手を上げることはありませんし、実社会では滅多にないのですが、辛らつな口調になって関係を悪くした失敗はあります。その反動で、普段は慇懃なほどに丁寧なのですが...。特にネットでは、相手の表情が見えませんし、相手からの反応も即座に返ってこないので想像や誤解が膨らみやすく、リアルでのやり取りよりもはるかに、フラストレーションがたまることがあります。それで、お互いに疲労し、感情の摩擦ばかりが大きくなり、結局分かり合えないまま傷つきあうというケースもあります。

ネットは、誤解やわだかまりの吹き溜まりと言っても良いかもしれません。2ちゃんねるくらい、割り切っていれば、楽なのですが...。

失敗の連続で閉鎖した前のブログ(タイトルは同じでした)以来、ネットでの自分の立ち居地や語る内容、そして頂いたコメントの受け留めと、色々考えさせられ、勉強させてもらいました。本当にありがたいことに、現在のブログで頂くコメントは、本当に温かく、フィギュアスケートに対する愛情のこもったものばかりです。本当に、ありがとうございます。細々と、不器用ながらにもブログを続けている者としては、ブロガー冥利に尽きるお言葉です。

ただ、それなので、このブログと今後の自分については、今、すごく悩んでいます。

フィギュアスケートを止めますとは、言い難いです。一部の身近な方々には、引退をお伝えしていますが、先生とクラブの代表には、「しばらく休ませてください」とお願いしてあります。ほとんど毎年のように、止めたいと言ってきたので、次に引退を言った時が最後だと思っています(笑)。でも、私にとっては、それだけ続けるのがしんどかった、本当に、「もうできない、続けられない」と思いながらも、その都度引退を撤回して続けさせてもらってきたというのが、この4年間です。

私のクラブに数人いました大人スケーターは、私を除いたら滑っていません。みな、クラブを去ったか、あるいは練習(役員としては残っていますが)を休止している状態です。それだけ、私の地元でフィギュアを続けるのは、社会人には厳しいのです。

何より、お金が大変です。名古屋までの交通費、先生へのお礼、リンクでの滑走代、その他こまごまとした経費で、毎月4万円の予算を組まねばなりません。冬も先生は名古屋でレッスンをしますので、地元のリンクがオープンしても交通費は変わらずにかかります。シーズン中はそれに、地元リンクでの貸し切り練習代が毎月2万円くらい、プラスされます。

同様に、時間や労力もかなり負担であり、休日出勤ができない状況は、仕事のしわ寄せとなっています。

それでも頑張った成果を発揮する場として、マスターズのような大会があるのですが、5月中旬という、少なくとも私にとっては一番ありがたくない時期というのも、辛いものがあります。3月で地元リンクのシーズンが終わり、4月は新学期で非常に忙しく、氷上はもちろん陸上でのトレーニングもままならない。5月の実習の合間を縫ってのギリギリのスケジュールで、深夜の貸し切りでなんとか氷上の感覚を戻しての演技です。正直、半分くらいのパフォーマンスしか発揮できませんし、「あのくらいしかできないのか...」という惨めさが強く残る結果でした。特に今回は、フットワークの悪さをレフェリーから言われましたが、動画をみたら、確かに足がぜんぜんついていってなかったです。それが自分の実力と受け入れる反面、この状況でそこまで求めないでと思ってしまう自分も認めざるを得ません。それをジャッジに言うことはできませんが...。

社会人として、どうしようもない事情はあります。でも、そこで味わった悔しさ、惨めさが、この一年間の成果・結果だとしたら、今までの頑張りは何なんだろう? マスターズ以降、どうしようもない迷いの中にあります。多分、来年まで頑張っても、同じような不全感は残るでしょうし、炎天下に塩水を飲んで渇きを増していくような矛盾を思うのです。

「もう、頑張れない。これ以上頑張ったら危険。」という水域に差し掛かっています。なので、マスターズ以降、細々と陸トレはしていますが、名古屋には向かえずにいます。仕事もそれを許してくれませんし。

でも、「引退」の二文字を自分から語る勇気がないというのも、正直なところです。

まだできるんじゃないか、なんとか続けられるのではないか?と未練が残る自分もあるのです。何より、音楽が好きな自分だけは否定できないのです。

今、中森明菜の”石狩挽歌”ばかりを車の中で聴いています。彼女は、きっとこれから名を残す歌手になると思います。もちろん、1980年代に一時代を築きましたし、最初のレコード大賞をとった”ミ・アモーレ”は歌謡曲の集大成とも言える完成度だと思います。翌年の”DESIRE”は、当時の彼女のスタイルの完成形のように思えますが、実際には、打ち込み系でミュージックコンクレートを意識したようなアレンジの実験的試みが評価されるべきだと、私は感じています。”ミ・アモーレ”のアレンジは、日本のラテンミュージシャンの松岡直也によるものですが、ホーンセクションの使い方は従来の歌謡曲風で、”歌謡ロック”で一世を風靡したアン・ルイス風に言えば、”ラテン歌謡”の極地のような素晴らしさです。

その中森明菜は、1989年の騒動以来迷走を続けていましたが、カヴァーアルバムでの成功もあり、80年代とは違った歌い方(独特のヴィヴラートは健在ですが)、情感の込め方で今も歌手を続けています。彼女は、私とたった5日しか誕生日が違わないので、なんとなく応援したい気持ちが強いです。基本的には、私は”聖子派”なのですが,,,(チェリーブラッサムは名曲です)。

私たちが10歳の時に北原ミレイが歌った”石狩挽歌”を、40歳を過ぎた中森明菜が歌うのを聞き、なんというか、音楽を大切にすることの原点を感じます。どんなに貧しくても、食うものに困っても、口にできる唄がある。

練習してて時々感じるのですが、自分は音楽のある星に生まれてきた。大気や水の星であると共に、文化や音楽のある星であることに感謝しないといけないのかなと思うのです。今は、楽器もできませんし、歌も歌いません(カラオケなんて、何年間行ってないやら...)。だから、自分にとっての音楽表現は、フィギュアスケートしかないのです。ボロボロになったとしても、みすぼらしい成果しかないとしても...でも、体が動くならば、もしも動かなくなったとしても、それなりに...跳びたい、滑りたい、回りたいという思いはあります。中森明菜の歌を聴くと、「ああ、本当にこの人は、歌うために生まれてきたんだなぁ...」と思います。私の方が5日早く生まれたのですが、同時代にこのような歌手がいてくれるのは、とても心強いものです。

結論としましては、当分は氷に乗れません。経済的な事情が大きいですし、時間の制約もあります。でも、陸上トレーニングは続けていこうと思います。頸の調子は悪く、今もめまいや耳鳴りに悩まされています。でも、筋トレのおかげで症状の悪化を防いでいるという側面もありますし、運動を止めれば身体の不調は更に出てくるはずです。きっとどこかで滑れなくなる時が来るとは思います。あと、私は眼にも病気をかかえていますので、そちらで限界を悟るかもしれません。

でも、まだ、その時ではないと思います。

そして、大学院の勉強もしていますので、そちらを優先させないといけないという事情もあります。来年は修士論文を書きますし。でも、それだけで、スケートを諦める理由にはならないとも考えます。スケートを止めればいい論文を書けるとも限りませんし...。結果としてスケートができなくなるのでしたら、それはその時に判断すれば良いと思います。

家計、心身、仕事、勉強など、さまざまな要因のバランスをとりながら、あくまでも自分にできる範囲で可能ならば、練習していきたいと思います。難しい状況でバランスを保つ、これこそ、フィギュアスケートの極意であり、求められるスキルです。だから、バランス良く、折り目正しく、生きていきたいのです。今は、陸トレをしながら、機を待つしかないでしょう。来年のマスターズは、まず無理だと思いますが、可能性は模索していきたいです。でも、チョクトウさん達と気まずい思いをするのも、良くないかなぁ...と。

今年の演技は、反省も多いし、やり残しも沢山あります。ただ、このブログで、きんときさんがコメントして下さった、「自分たちが頑張った頃を思い出した」という言葉に、救われました。あの曲は、そういう曲ですし、そういう思いを共有したかったので、頑張ってみました。ほんと、大変なんですよ、あの曲。死ぬかと思いました。特に最後の方なんて...。

でも、”アフリカンシンフォニー”が大好きで、あるいは野球選手達を応援するために、吹いてきた、耳にしてきた人達は多いはずです。「曲を聴いて、ああ、この曲か」とmitoさんはおっしゃって下さいましたし。そういう思いを共有するために、頑張ってみるのも、自分たちの楽しみなのかな、とも考えています。

まだ、元気は出ませんし、気力もわきません。でも、止めますとは言えない自分もいます。多分、来年は今年以上の頑張りはできないと思います。杉爺からボロクソに言われるかもしれません(運よく出れたらの話ですが...)。でも、それでも、自分と思いを共有して下さる方がいるのなら、やっぱり頑張れるかな...とも思うのです。

このブログと同じで、細々と、時には厳しいお叱りも受け、時にはわだかまりで反目し合って別れたとしても、それでも命まで捕られる訳ではありませんので、一人でも応援して下さる、共感して下さる方がいらっしゃるのなら、できそうかな...とも思います。

ちょっと休み、仕事に専念してますが、お許し下さい。

なお、ブログの更新はチョボチョボやっています。フィギュア以外のことが多くなりますが、氷に乗れない間のつなぎとしてご理解下さい。お別れの言葉をもらうのが怖いので、コメント覧を一時閉鎖しましたが、もう少ししたら開きます。とにかく、過去のトラウマがあり、時にコメント覧閉鎖をすることがありますが、どうかご勘弁下さい。

どこまでできるのか、わかりませんが、最後までがんばります。

2009年6月12日 (金)

しばらく休みます

マスターズからリンクに降りてません。仕事の関係と体調でしんどい状況にあり、少しずつトレーニングはしていましたが、色々な状況で今後の継続は無理そうです。

マスターズまで、思いっきり頑張れたので、それを思いでにすればいいかなと思います。

止めるとかどうかではないのですが、今は抜け殻みたいな感じです。

こんなブログでも、毎日30人位の人が来て下さったことがなによりの励みでした。コメントを下さった方々一人ひとりに感謝してます。

ありがとうございました
あと、お返しの言葉は結構です。前のブログを炎上させた時のトラウマがあり、円満なブログの閉じ方がわからないのです。あの時のことは反省してますが、今のフィギュアに関するネットの状況をみると、あの時はああせざるを得なかったと思います。
つくづく、業の深いスポーツですね。審(美)と神(聖化)、探(索)の三つのSinがフィギュアをオタク化させ、素人の老化を早めていると思います。でも、自分よりも上手で、自分よりも熱心な大人のスケーターを知ることができて嬉しかったです。
たとえオタクの天下になっても、フィギュアにマニアの情熱は尽きないと思います。

2009年6月 2日 (火)

八木沼純子さんの婚約

昨日、ニフティのサイトで記事を目にした(記事はこちら)。

あんなに素敵な人なのに。。。というか、素敵すぎて結婚できないのかと思っていたが、伴侶は決まっていたらしい。ちょっと残念...でもないか(笑)。やはり、いつまでも輝く女性には支える男性が居るものだなと、改めて感じた。

活況の日本フィギュア界だが、八木沼さんがいなかったら...?と思うこともある。

何より、フィギュアがまだマイナーな時代からプリンス・アイスワールドを引っ張ってきた人だ。伊藤みどりさんという大看板が不在となりながらも、プリンスが続いていたのは、この人の功績が大きいのではと想像する。

現役時代の伊藤みどりさんは孤高の存在のように語られるが、「ジュンジュンや有香ちゃんは、こんなことやっているらしいよ」と山田コーチにはっぱをかけられながら練習していたことが、本(確か”タイムパッセージ”だったと記憶している、時間がなくて確認できません、すみません)に書いてあった。伊藤みどりさんの成長の軌跡には、きっと八木沼さんの姿が映っていたのだろう。

もう一つ、コアなファンの方々にはあまり評価されていないが、タレント性のある解説者としての存在は、荒川静香さんがメジャーになるまでは非常に大切な役割だったと、私は考えている。今のフィギュア人気はテレビ主導であることは、多くの人たちが認めていると思う。それが良いか悪いかは別だが、真央選手や安藤選手達が国民的な人気を博す過程では、八木沼さんの解説ぶりがお茶の間に馴染みやすかったというのは、とても大切なことであったと思うのだ。

乱暴な例えで言えば、塩原アナの(かなり)しょっぱい実況に、八木沼さんの甘みのあるややクールな解説は、塩スィーツのような感じでマッチしやすかったと思う。スィーツというには、塩気が効きすぎているが...。でも、2008年世界選手権、サラマイヤーのフリー演技での二人の中継は見事だったと思う。

結婚は秋ごろということだが、八木沼から改姓されるのだろうか...。

でも、いつになってもジュンジュンは変わらないのかもしれない。

ご多幸とご活躍を祈ります。

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