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2008年6月29日 (日)

The ultimate Sport

もう、死んでもいいと思ってしまった。

あの、男声のカントによるイントロを聴いた時、ためらわずにそう思った。

いや、正確に言えば、せめて4分30秒は生かしてほしかったのだが、ランビエールのフラメンコをもう一度観られるのなら、それ以上は何も望まないと一瞬で感じたのだ。

東京ワールドの余韻がまだ残る、昨年のDOIでもランビはアンコールでフラメンコを演じた。私は、台風で足止めされてチケットを無駄にしてしまったのだが。でも、それは終盤のストレートラインからだったらしい。今年は、冒頭から始めてくれた。

本日の昼公演を観に行った。日本でのアイスショーではもう馴染みの顔になっていたので、ランビエールの出演にはあまり感慨を抱いていなかった。むしろ、鈴木明子選手の演技後の涙にもらい泣きしそうだったし、川口・スミルノフ組の凱旋に一生懸命拍手を送っていた。安藤選手のボレロの後、MCが、2年連続世界チャンピオンと彼を紹介する。続けて、今回はコリオグラファーのアントニオ・ナジャロとのコラボレーションとも言う。

リンク端にしつらえられている小さな舞台に、赤と黒の衣装をまとったナジャロが立つ。彼の踊りには、なんとなく見覚えがあった。帰宅後に調べたらやっぱり! 2006年のチャンピオンズ・オン・アイスでフラメンコを披露したダンサーだ。確か、スペイン国立バレエ団の振付師でもあったと記憶している。

師である彼が、力強くステップを踏む。大地の怒りを鎮めるかのように、あるいは、その一撃で地から水脈を呼び出すかのように、その足から響くリズムが空っぽのリンクを埋めていく。少し遅れて、弟子であるランビエールが陰から登場。エッジの研がれた靴のまま、舞台へと上がる。二人はそれぞれの腕を差し出し、互いにクロスさせて回り始める。

そして、あの、男声のカントがこだまする。

その後のことは、あまり覚えていない。無我夢中で、師と弟子のコラボレーション、そう言うには生々しすぎる、二人の天才の競演を観ていた。

眼前に置かれた手のひらを押し出す振付を、二人で重ねてから、闘牛の角のように頭から指を立て、弟子はリンクへと飛び降りる。その後も、舞台に残った師は、まるで鏡を立てているかのように、氷上の弟子と同じように腕を、体をしならせる。にわかに曲が盛り上がったところで、アクセルジャンプ。多分、トリプルだったと思う。東京体育館と同じように会場がざわめく。でも、トリプルか、ダブルかなど、今日はどうでも良かった。途中、ループ(多分)がシングルになったが、それでも夢中で拍手を送る。

ジャンプが終わる度に、まだ夢が覚めていないこと、彼らのフラメンコが続いていることを確認して安堵していた。

師は、ランビがスピンをしている間は優雅に両腕を広げていた。まるで、空を飛ぶ鳥のように。そうか...ナジャロはランビエールに空を舞ってほしかったのかと理解した。回転は日常にはない動作。それは、飛べない人が精一杯の空への憧れを表現した動作だと読んだことがある。氷とブレードと卓越した身体能力により、フィギュアスケーターは信じられないほどに空に近づく動作ができるようになった。どんなダンス、スポーツよりも激しく回り、高速で宙を翔ける。人として極限まで近づけた空への憧れを、師は弟子のスピンに託したのだろうか...。

ランビエールは、時々、ナジャロに近づき、視線を送っていた。弟子は、師に挑みかけていたのかもしれない。「あなたにこのような動きはできますか?」と。それに対し、師は弟子に応える。「ならば、氷の上でスペインの魂を表現できるのか?」と。

二人の動きは常にシンクロしていたが、根本は対比だったのだろう。場末の酒場の雰囲気を小さな舞台に醸し出すナジャロに対し、冷たくも優しい流れを広大なリンクに描き出すランビエール。ダンサーとスケーター。お互いにシンクロし合うからこそ、やはりフラメンコとフィギュアは異なる文法で表現していることを認識した。

そして、観衆は最後にランビエールを選んだのかもしれない。

直前のフリップが入ってなかったようなので、ステップシークエンスの前にショートカットがあったのだろう。でも、師ゆずりの激しいステップで氷上を滑りきった後、クライマックスのコンビネーションスピンへと向かう頃には、会場のボルテージは上がりきっていた。師は、弟子の回転を見守るかのように両手を開き続けている。途中で、くるっくるっとダブルのターンを入れていたが、ランビのそれに比べたらはるかに控えめなものである。師の後押しを受けて、ランビエールは燃え上がっていた。東京ワールドで、確かに彼が来てくれたことを証明したあのコンビネーションスピンを、最後のバックスクラッチを、もう一度みせてくれた。

会場一杯のスタンディングオベーション。

ナジャロの踊りが必要だったのかは、意見が分かれるかもしれない。実際、ランビエールとナジャロの両方を同時に観るのはとても忙しかった。でも、光と影、赤(生)と黒(死)、何より師と弟子という対比で演技を観られたのは、非常に貴重な機会だった。それは、究極のスポーツとしてのフィギュアスケートの可能性を垣間見た思いだった。もしも、ランビエールが、スペインの魂を込めて氷上で卓越した動作を、独りで演じたならば、きっと比類無き時間となるかもしれない。それは、他の選手達も同様だろう。魂と技術とが一体となった演技は、他でもなく、フィギュアスケートに託された課題なのだろうと、感じた。例えば、鈴木明子選手の見事なトリプルルッツ、彼女はあの一瞬にどれだけの思いを込めていたのか。

「究極のスポーツ」は、アメリカンフットボールに冠されたキャッチフレーズだと思う。身体能力、技術、戦略、そしてファイティングスピリット、全てが揃っているのがこのスポーツだと思う。でも、それは”チームスポーツ”としての「究極」である。フィールドには数多くのアスリートを必要とするし、”凝縮”というにはあまりに長い試合時間を必要とする。

「最後に5分間与える。好きなことをせよ。」と言われたなら、私は間違いなく、”ランビエールのフラメンコをもう一度”と願うだろう。私にとっては、世界チャンピオンの重荷を背負いながらも、東京へと挑んで来た彼こそが、「究極」なのだから。

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