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2008年6月

2008年6月29日 (日)

The ultimate Sport

もう、死んでもいいと思ってしまった。

あの、男声のカントによるイントロを聴いた時、ためらわずにそう思った。

いや、正確に言えば、せめて4分30秒は生かしてほしかったのだが、ランビエールのフラメンコをもう一度観られるのなら、それ以上は何も望まないと一瞬で感じたのだ。

東京ワールドの余韻がまだ残る、昨年のDOIでもランビはアンコールでフラメンコを演じた。私は、台風で足止めされてチケットを無駄にしてしまったのだが。でも、それは終盤のストレートラインからだったらしい。今年は、冒頭から始めてくれた。

本日の昼公演を観に行った。日本でのアイスショーではもう馴染みの顔になっていたので、ランビエールの出演にはあまり感慨を抱いていなかった。むしろ、鈴木明子選手の演技後の涙にもらい泣きしそうだったし、川口・スミルノフ組の凱旋に一生懸命拍手を送っていた。安藤選手のボレロの後、MCが、2年連続世界チャンピオンと彼を紹介する。続けて、今回はコリオグラファーのアントニオ・ナジャロとのコラボレーションとも言う。

リンク端にしつらえられている小さな舞台に、赤と黒の衣装をまとったナジャロが立つ。彼の踊りには、なんとなく見覚えがあった。帰宅後に調べたらやっぱり! 2006年のチャンピオンズ・オン・アイスでフラメンコを披露したダンサーだ。確か、スペイン国立バレエ団の振付師でもあったと記憶している。

師である彼が、力強くステップを踏む。大地の怒りを鎮めるかのように、あるいは、その一撃で地から水脈を呼び出すかのように、その足から響くリズムが空っぽのリンクを埋めていく。少し遅れて、弟子であるランビエールが陰から登場。エッジの研がれた靴のまま、舞台へと上がる。二人はそれぞれの腕を差し出し、互いにクロスさせて回り始める。

そして、あの、男声のカントがこだまする。

その後のことは、あまり覚えていない。無我夢中で、師と弟子のコラボレーション、そう言うには生々しすぎる、二人の天才の競演を観ていた。

眼前に置かれた手のひらを押し出す振付を、二人で重ねてから、闘牛の角のように頭から指を立て、弟子はリンクへと飛び降りる。その後も、舞台に残った師は、まるで鏡を立てているかのように、氷上の弟子と同じように腕を、体をしならせる。にわかに曲が盛り上がったところで、アクセルジャンプ。多分、トリプルだったと思う。東京体育館と同じように会場がざわめく。でも、トリプルか、ダブルかなど、今日はどうでも良かった。途中、ループ(多分)がシングルになったが、それでも夢中で拍手を送る。

ジャンプが終わる度に、まだ夢が覚めていないこと、彼らのフラメンコが続いていることを確認して安堵していた。

師は、ランビがスピンをしている間は優雅に両腕を広げていた。まるで、空を飛ぶ鳥のように。そうか...ナジャロはランビエールに空を舞ってほしかったのかと理解した。回転は日常にはない動作。それは、飛べない人が精一杯の空への憧れを表現した動作だと読んだことがある。氷とブレードと卓越した身体能力により、フィギュアスケーターは信じられないほどに空に近づく動作ができるようになった。どんなダンス、スポーツよりも激しく回り、高速で宙を翔ける。人として極限まで近づけた空への憧れを、師は弟子のスピンに託したのだろうか...。

ランビエールは、時々、ナジャロに近づき、視線を送っていた。弟子は、師に挑みかけていたのかもしれない。「あなたにこのような動きはできますか?」と。それに対し、師は弟子に応える。「ならば、氷の上でスペインの魂を表現できるのか?」と。

二人の動きは常にシンクロしていたが、根本は対比だったのだろう。場末の酒場の雰囲気を小さな舞台に醸し出すナジャロに対し、冷たくも優しい流れを広大なリンクに描き出すランビエール。ダンサーとスケーター。お互いにシンクロし合うからこそ、やはりフラメンコとフィギュアは異なる文法で表現していることを認識した。

そして、観衆は最後にランビエールを選んだのかもしれない。

直前のフリップが入ってなかったようなので、ステップシークエンスの前にショートカットがあったのだろう。でも、師ゆずりの激しいステップで氷上を滑りきった後、クライマックスのコンビネーションスピンへと向かう頃には、会場のボルテージは上がりきっていた。師は、弟子の回転を見守るかのように両手を開き続けている。途中で、くるっくるっとダブルのターンを入れていたが、ランビのそれに比べたらはるかに控えめなものである。師の後押しを受けて、ランビエールは燃え上がっていた。東京ワールドで、確かに彼が来てくれたことを証明したあのコンビネーションスピンを、最後のバックスクラッチを、もう一度みせてくれた。

会場一杯のスタンディングオベーション。

ナジャロの踊りが必要だったのかは、意見が分かれるかもしれない。実際、ランビエールとナジャロの両方を同時に観るのはとても忙しかった。でも、光と影、赤(生)と黒(死)、何より師と弟子という対比で演技を観られたのは、非常に貴重な機会だった。それは、究極のスポーツとしてのフィギュアスケートの可能性を垣間見た思いだった。もしも、ランビエールが、スペインの魂を込めて氷上で卓越した動作を、独りで演じたならば、きっと比類無き時間となるかもしれない。それは、他の選手達も同様だろう。魂と技術とが一体となった演技は、他でもなく、フィギュアスケートに託された課題なのだろうと、感じた。例えば、鈴木明子選手の見事なトリプルルッツ、彼女はあの一瞬にどれだけの思いを込めていたのか。

「究極のスポーツ」は、アメリカンフットボールに冠されたキャッチフレーズだと思う。身体能力、技術、戦略、そしてファイティングスピリット、全てが揃っているのがこのスポーツだと思う。でも、それは”チームスポーツ”としての「究極」である。フィールドには数多くのアスリートを必要とするし、”凝縮”というにはあまりに長い試合時間を必要とする。

「最後に5分間与える。好きなことをせよ。」と言われたなら、私は間違いなく、”ランビエールのフラメンコをもう一度”と願うだろう。私にとっては、世界チャンピオンの重荷を背負いながらも、東京へと挑んで来た彼こそが、「究極」なのだから。

2008年6月21日 (土)

little World

午前中に'08Worldのダビングを終えたので、走りに行った。

お昼近くのランニングで、ヘトヘトになりながら家に戻った。

汗を拭き、畳に6分間、横になる。

「さぁ、起きよう」と両腕を挙げた時に発見した。

天井へと向けた右腕の内側を、汗の玉がつたっていく。

手首のあたりから、肘の内側に向けて降りて行く。

無事に肘のくぼみを抜けても、歩みは止まらない。

玉の後ろにはっきりと、軌跡を描く。それでも、前進は続く。

我が身を削って軌跡を描いているのに、玉は無くならない。

むしろ、勢いを増し、確信したかのように、

半袖の中へ飛び込んでいった。

汗の玉は、自分の向こうにいる、小さな仲間達を

味方にしながら前進を遂げた。

無数の歓声を糧にして、精進を続ける競技者達のように。

2008年6月15日 (日)

<ATC2K>夕闇

現在、第三弾を準備中のマスターズ参戦記にも記しているが、長距離のドライブをすることが時々ある。素晴らしい車窓の景色を見ると、なんとか映像に収められないかと思うことも多い。

今回、富士急ハイランドでの撮影にこだわったのも、昨年の山梨からの帰り道に、見事な赤富士をこのあたりで見た印象が大きかったからとも言える。今回の撮影では、帰りの車窓の撮影は芳しくなかったが、色々と工夫している最中だ。

助手席側の窓からの景色は、ナビのモニターにATC2Kのアタッチメントで挟み込めば撮影できることは、以前のエントリーでも確認できた。難しいのは、フロントガラスだ。同じアタッチメントをバックミラーの付け根に引っ掛ければ前方撮影もできそうなのだが、車が揺れる度にカメラの傾きが変わっていき、思うような映像が残らない。まさか、片手でカメラを押さえながら運転するわけにもいかないし...。

そんな四苦八苦の中、私としては気に入っている映像がある。

シーズン中に練習していたリンクに向かう道中を撮影したものだが、数十分の撮影にもかかわらず、カメラの向きは安定していた。ただ、画面のほとんどは道路が占めている。今回は、道路上の車の行き来と画面の端に背景となっている空の色の変化を楽しんでいただけたらと思うので、これでオッケーかとも感じる。でも、車窓の風景をメインに撮りたい場合には、もっと工夫が必要なのだろう。

エントリーのタイトルは、「夕闇」とした。

リンクに向かっている間に、少しずつ夜へと近づいていく雰囲気を感じていただけたら幸いです。元々は20分以上の撮影時間であったのを、できる限りカットした。それでも、100MBという共有サービスのファイルサイズの制限をクリアできなかったので、二つに分割した。両方とも、3分(合計6分余り)の再生時間だが、何の変哲もない景色なので暇つぶしの気持ちで眺めていただけたらと思う。

「夕闇」(前半)

「夕闇」(後半)

もう少し進むと、左手にリンクの建物が見えてくるようになる。

<ATC2K>ドドンパの高架下

富士急ハイランドシリーズの最後です。

ドドンパ横の特設リンクや、クリスタルラグーンでの高架下など、富士急ハイランドのリンクはドドンパと馴染みがあるなと感じておりました。私は、ジェットコースターは苦手ではないのですが、あまり縁がありません。ですので、今回もアトラクションには乗りませんでしたが、ドドンパは、チャンスがあれば乗ってみたいなと感じました。

同行の方が撮影したXactiの映像と、私の頭で撮影したATC2Kのものと、両方に高架を走り抜けるドドンパが映っていましたので、それで富士急ハイランドを締めくくりとします。

Xactiです。

ATC2Kです。狙って撮ったというよりかは、「映ってた!」という感じです。

<ATC2K>2度目の富士急ハイランド(2)

前エントリーからの続きです。

クリスタルラグーンは、広々とした庭園風のリンクでした。

Photo_2

多くの人達(当然、子供連れが圧倒的)でにぎわっていましたが、適度な混雑がいっそう楽しさを増していたようにも思います。それと、動画にも出てきますが、ドドンパの高架をくぐり抜ける箇所があり、下からコースターを眺めるのも面白い体験でした。観覧車のシャイニングフラワーや、ええじゃないかも間近に観れて、乗ってみたい!と思わずにはおれませんでした。残念ながら、アトラクションを楽しむ時間はなかったのですが...。

最初は、同行の方が滑りながら撮影した、Xactiでの映像です。

MPEG4からアップロードしたためなのかはわかりませんが、ATC2Kの動画に比べて動きがスムーズに映っているように思えます。あと、液晶モニターでチェックしながらの撮影なので、撮影対象がフレームにバランス良く収まっているのではとも感じます。

次は、私の頭に付けたATC2Kでの撮影です。

両手が自由なのは、滑る側にとっては助かります。Xactiを持っての撮影に比べると、滑走スピードは上げやすいと思います。撮影中はどんな具合に映っているかモニターできませんので、撮影対象がフレームからはみ出すことも多々ありますし、余分なものを長々と撮りつづけている場合もありました。でも、意図しない(できない)分、作られた映像ではなく、自然な生の雰囲気が出ているようで、面白い部分もあるかもしれません。

記録で残すのなら、Xactiを、何が映っているのか予測できない面白さも楽しむ遊び感覚ならATC2Kかなという感じです。

2008年6月14日 (土)

<ATC2K>2度目の富士急ハイランド(1)

マスターズの参戦記の第三弾を準備中だったのだが、ニフティーからメールが来た。「ATC2Kのモニター期間終了まであと2日なので、よろしくお願いします。」とのことだった。

頭にはあったのだが...とうとう来てしまった。

2月からお借りしていた、小型の防水ビデオカメラATC2Kの4ヶ月のモニター期間が終わってしまう。それまでに、このブログに10本の関連エントリーをアップせねばならない約束だ。マスターズの準備と、その後の仕事の忙しさですっかりサボってしまっていた。すみません。

こんなこともあろうかと...(?)、2月にスタートダッシュをかけて、既に5本のエントリーはしてある。あと5本分も、ネタやコンテンツの用意はあるので、ラストスパート(というか、土壇場での間に合わせ)を今日、明日でしたいと思う。

以前のエントリーでも記してはいたのだが、2008年2月16日(土)に引き続き、1週間後の2月23日(土)にも富士急ハイランドに行っていた。初回は様子見を兼ねてで、単独であったため、十分な撮影ができずにいた。なので、2回目である23日には、リンクで一緒に練習している方にお願いして、同行してもらった。

動画を4ヶ月間放っておいた理由は、一重にMPEG4の編集に苦労していたからだ。ATC2KはAVI形式で記録されるので、Windowsに標準で付属しているムービーメーカーで簡単な編集はできる。ところが、23日には手持ちのDV(サンヨーのXacti)も持っていって、同行の方に撮影していただいたのだが、これがMPEG4形式で記録されてしまい、編集に非常に苦労した。付属のneroの使い方がよくわからず、CyberLinkのパワーディレクター6というソフトを購入して編集できるようになったのだが、それをwmv形式に変換した後で動画共有サービスにアップすると、画像の乱れが著しい。MPEG4形式でもアップできるのだが、編集後の出力をその形式にすると、どうも再生が上手くできない。要するに、使いこなせないのだ...。そんなこんなで、4ヶ月が過ぎてしまった。

幸い、同行者の方が、Xactiの方でも比較的短い録画時間で収めてくれたものもあったので、それだけを使うことにした。本当は、ATC2Kで撮影している様子をXactiでも撮影して、お互いの動画を見比べるようなつくりにしたかったのだが...。

とにかく、雨上がりに蒸す時期なので、少しでも涼しさを感じていただけたら幸いです。

この日も、最初はドドンパ横の特設リンクから入った。1週間前の反省を踏まえ、私の頭にATC2Kを装着した後で、同行者の方にカメラの向きを確認していただいたので、今回は空ばかりを映すということはなかった。まずは、周回しながらの滑走から...。

今回は、リンク半分が緑色のコーンで仕切られ、向こう半分は親子でのスケート教室を行っていた。どうも、JAFのイベントらしい。スピードスケートの元選手と、フィギュアのインストラクター、同じくフィギュアの現役のような雰囲気の人と、3人で先生をしていた。

あまり広くないリンクを更に半分にするので、クロスでグルグル回るだけの滑走となってしまった。ジャンプをするにも助走がそれほどとれないので、コンパルソリを撮影してみた。

フォアアウトのサークルエイト。頭がグラグラするのは、頭の片方に重みが偏っているカメラのせいと、強風に吹きさらしの環境のせいとご理解下さい。バックアウトでもやってみたが、こちらは自分の手や腕ばかりが映り、上手く撮れなかったので、映像はカットした。スピンもやってみたのだが、頭がグラグラ動いて軸がとれていないのが動画からもわかる。

雰囲気は、初回の富士急ハイランド撮影とそれほど変わらないので、30分くらい滑って撮影したら、目玉のクリスタルラグーンへと移動した。

その様子は、次のエントリーにしたいのだが、導入の部分だけ...。頭にATC2Kを取り付けてクリスタルラグーンに降りる様子を、同行の方がサンヨーのXactiで撮影して下さった。

2008年6月 8日 (日)

'08年マスターズ参戦記(2)

東名高速に乗ってから、ここまではトイレ休憩はなし。

リンクの夜間出入り口を探し、係員に貸し館の申し込み手続きと代金支払いをする。今回は遠方からの申し込みということで、利用直前の手続きで受け付けてもらえる約束になっていたが、本来は前日までに手続きが必要と言われていた。詳しい情報が必要な方は、江戸川スポーツランドに直接確認して下さい。貸し館の料金もサイトに案内があるが、とてもリーズナブルだと思う。それでも、この料金を一人だけで負担して1時間半を滑るのは、余程のことがなければしないだろう...多分。今回は、私には余程の事情であったし、洋服を買ったと思えば許容できる散財でもあったと思う。

リンクでは、アイスホッケーの練習がされていた。背中に”Sophia”と記してあったので、多分上智大学なのだろう。確か、”St.Paul's”なら立教大学だと記憶している。

手続きを終え、トイレに寄ってから車に戻り、2時30分くらいだった。予定より大幅に遅れたが、少しでも眠らないととシートを倒すが、全然眠くならない。まだ...アドレナリンが脳内を巡っている感じ。せめて、体だけでも休めようと、街灯がほんのりと照らす駐車場の車内で静かに過ごす。江戸川の川ベリを時々車が走るが、それほど気にならない。3時15分くらいに携帯電話のアラームが鳴り、リンクへと向かう。結局全然眠れなかった。ホッケーの練習も終わり、たった一人で夜勤をしている係員が、私のために整氷作業をして下さっていた。

ところが、怪我人が出たということで、作業は中断された。ホッケーの練習中に顔を切った学生がいて、救急車を呼ぶことになったそうだ。その旨を係員に告げられた時、応急処置くらいなら手伝えるかなと思ったが、それは既にされており、怪我人も独力で歩行していた。それなら救急車でなく、自分達の車で夜間救急外来に行くべきかとも思ったが、余分な口出しは遠慮して黙っていた。こんな深夜に受け付けてくれる江戸川区の病院なぞ、私が知る由もなかったし。

結局、事態が落ち着いて、整氷作業が終わったのは3時45分過ぎだった。「予定から遅れた15分間は余分に滑って下さい」と、係員の方はすまなそうに言って下さったが、私も予定が詰まっているので5時にはあがると返事をした。というのも、5時にリンクを出ないと、7時35分から東伏見で予定されている公式練習に間に合わないと思ったからだ。本番会場のリンクを体験せねば、何のためにここに居るのか、意味がなくなってしまう。

たった一人での滑走はとても快適だった。でも、体は既にお休みモードに入っていた。ウォームアップのスケーティングをしながら、なんとか感覚を戻そうとしたが、体が重くて仕方ない。それに、この日までの5日間は仕事でリンクに降りる機会がなかったので、その影響もあったのだろう。10分で済ませるつもりだったスケーティングを15分まで伸ばし、それから曲かけを行った。

リンクではラジカセもお借りしたのだが、MDをリピート再生する仕方がどうしてもわからなかった。係員の方にも伺ったが、要領を得ない様子だった。仕方がないので、リピートは諦めて、再生ボタンを押したらすぐに滑走開始位置に向かうようにした。でも、本来位置のリンク中央まで戻る間はなかったので、ラジカセ近くに開始位置を定めて、ズレは最初のジャンプまでに修正する仕方で繰り返した。

リンクを貸し切っての曲かけをして、本当に良かったと思う。心配していた通り、営業中の練習では気づかなかった問題点が次々とあらわになった。特に、マスターズ用に追加したシングルフリップから細かいクロスの部分で、曲から大幅に遅れてしまうのには焦った。これは、フリップの入りのスリーターンのタイミングを早めることで解決できた。動画を見ると、細かいクロスでつまづいたために次のジャンプ(スリー+シングルトゥループ)に入れなくなってしまったが、フリップからクロスに行くタイミングは間違いがなかった。曲かけ練習の成果だと満足している。

前後するが、イントロ後の最初のメロディーの部分での、ステップシークエンスは曲の速さに対応できていた。ここも今回変更した部分だが、個人レッスンで指導していただき、繰り返し練習した部分なので、ある程度の仕上がりになっていた。

半面、フリップからクロスに続いてのスリージャンプ+トゥループには、大きな不安が残った。スリージャンプを大きく跳ぶようになってきたので、ランディング後の勢いが止まり切れず、セカンドのシングルトゥループの軸が流れてしまうのだ。スリージャンプを小さめに跳ぶか、セカンドを根性降りにすれば、なんとかごまかしは効くが、きちんと跳んで降りるのでは一度も成功しなかった。先ほども記した通り、この部分は本番では跳べずに流してしまった。やはり、練習不足が露呈してしまったと反省している。

係員には、予定通り5時に終了すると言っていたが、進捗が芳しくないため、許可をもらって5時10分まで練習を伸ばした。最後の10分間は、脚が脱力してまともに降りれなくなっていた。それでも、ジャンプのタイミングだけは覚えないといけなかったので、無理を承知で曲かけを続けた。ほとんど、ツーフットでのランディングだったが、なんとか、1分10秒のプログラムの変更部分を曲で覚えることができたと思った。

係員に礼を言ってリンクを出ると、もう夜が明けていた。1時間後には早朝貸し切りが始まるということで、早速ザンボニーを走らせていた。ちなみに、私が利用させて頂いた時間帯は、夜間貸し切り5という枠だった。まさに、不夜城。ほとんど24時間営業なのか。

私も、寝る間もなく、東伏見へと車を走らせた。この道中はスムーズだった。途中から首都高7号線に入り、昨日間違えた4号線から外苑出口を横目で見ながら新宿も抜け、結局中央高速道路の調布インターで降りた。手前の高井戸で降りようか思案したのだが、昨年は東名川崎インターから北上して、調布→武蔵境→東伏見というルートをとっていたので、今年も慣れた道ということで、調布まで高速を使うことにした。

6時30分には、東伏見のダイドードリンコ アイスアリーナ駐車場に入った。アリーナの中に入ってみたが、受付はまだのようだった。とりあえず車に戻り、7時15分くらいまで仮眠をとり(少し眠れた)、それから再度会場入りをした。クラブと思われるグループが練習していたが、同じ時間帯に申し込みをしている人達が準備をしていた。軽くアップをして、まだ少し湿っている靴を再び履いた。

体の重さはさほど感じなかった。エッジのかかりがとても良く、すごく滑りやすい印象をもった。特に、トップスピードでもステップが踏みやすい。軸の安定もまずまずだと感じた。ジャンプも入りが良く、ランディングで乱れることも、さほどなかった。ただ、こういう状況で練習することに慣れてない年配の方々が幾人かいるようで、曲かけで滑っている人がいてもコースを空けてくれないのには閉口した。私の時も同様で、結局マーキング程度で、たった一度の曲かけは終わってしまった。その意味でも、独自に貸し切りをしておいて良かったと思う。

8時くらいまでの、30分間の公式練習が終わったら、出場エントリーを済ませ、着替えをして、後はひたすら仮眠をとった。

といっても、せっかくの記念なので開会式には出たし、普段お世話になっている先輩スケーターの方々の応援はしたかったので、細切れの仮眠となり、合計でも2時間くらいだっただろうか。コンディションは気になったが、ここに居る意味を考えると、やはり大会を楽しみたかったというのが本心である。

11時に昼食を摂り、12時くらいから本格的なアップを始めた。やはり、体は眠っている。いつもなら、ランニングで体を起こすのだが、周辺の地理に明るくないし、荷物も心配だったので、リンクの外でダッシュを数本やった。ある程度、体は動いたが、アドレナリンが足りない気分でもあった。昨日のドライブで消費し切ったのかもしれない。時々、めまいを感じた。でも、もう本番は間近。ここで頑張れなかったら、今までの練習は無駄になってしまう。

そう思いつつ、ゆっくり体をほぐし、13時過ぎくらいに更衣室へと向かう。それでも不安だったので、更衣室の近くで、携帯ステレオに合わせて振りをおさらいする。やはり、スリージャンプ+トゥループの足の運びに不安を感じる。すごく微妙な問題なのだが、フリーレッグがいいかげんなままの気がした。

更衣室は、楽しかった。文字通り、和気藹々という感じで、順位を競い合うというよりも、お互いの健闘を願うという雰囲気。特に、チョクトゥさんの衣装に皆が注目した。当然、何かやってくれるだろうと思ったが、期待に応えて下さる気持ちに拍手を贈りたい。ご自分で手づくりの衣装とのこと。チョクトゥさんとは、神宮でご一緒させてもらったことが何度かあった。私の友人の先輩でもあり、一度だけシンクロナイズドスケーティングの練習に出させてもらった時にもお世話になった。スケートに対する真摯な姿勢と、ハンドルにもなっているチョクトゥを始め、ステップのキレの良さは、是非記させてほしい。エンターティメントでの受けの良さは、そういう真面目さがバックボーンにあってのものと感じている。

13時40分には更衣を済ませ、靴も履き終える。ところが...ここで最大のミスを犯す。普段は使わない靴カバーが、試合用の衣装として用意してあったのだが、これは靴を履く前に足を通しておかねばならない。それなのに、いつもの通りに靴を履いてしまったので、もう一度靴を脱ぎ、靴カバーを通してから靴を履きなおした。これを、左右両方でやってしまった。結局、左右共に靴を脱いでは履いてという作業を繰り返したのである。

この日は、5時からの貸し切り、7時35分からの公式練習と、それまでに2度靴を履いている。更に、試合用の準備の間にも靴を履きなおしており、その都度、靴紐を固く締めてしまった。スケート靴の靴紐は、使用時間に伴って伸びてくる。それを考慮せずにきつく締めてしまったので、普段よりもかなり固く足を固定してしまったのだろう。本番を終えてから、このミスに気づいたのだが...。

それでも、いつもの練習ならば、しばらく滑っているうちに靴紐が伸びてくれるので、それほどの問題はない。でも、今日は既に延び切っていた状態できつく締めていたようだ。結局、固く締め付けられた足のままで本番を滑る破目に陥った。今回の失敗の最大の原因だと思われる。

13時55分から、競技前の5分間練習となる。既に違和感を覚えていた。エッジが全然入らない。靴が固すぎて、感覚が全然違う。もう、手遅れなので、とにかく滑る。先生(この日はレッスンの予定があったので帯同はしていない)からは、スケーティングは2~3周程度にして、ジャンプの確認をするようにと言われていた。でも、それどころではなかった。とにかく、滑らないなりに滑り、エッジの確認をした。フォアのアウトサイドは大丈夫なようだが、インサイドがなぜかアウトに入る。なので、クロスがすごくし難い。バックはそれほどでもないようだ。しばらく滑って、なんとなく落ち着いたので、スリージャンプから跳び始める。トゥループは、一回目でひどく軸が右に傾き転ぶが、踏み切りの感覚は悪くなかった。2度目は成功。拍手が嬉しかった。後のことはあまり覚えていない。ステップの練習やフリップもやったと思うのだが、すぐに5分間は過ぎてしまった。

先生に、居てほしかった。でも、仕方ない。自分で頑張るしかない。

同じグループに、練習でお世話になっている先輩がいらっしゃったので、他の方々と一緒にリンクサイドで応援する。思わぬところで転倒され、東伏見には魔物がいることを肌で感じた。本当に、多くの出場者が、ジャンプ以外の場面でつまづき、転倒していた。事前の下見で、このリンクの氷の質は均等でなく、滑走の伸びがマチマチになりやすいことは感じていたが、魔物の正体はそれだけではないかもしれない。

でも、一生懸命応援した。そして、誰もが、精一杯の演技をされていた。

全体のレベルは、年毎に向上していると思う。特に、女子の全般と、男子では30代と50代の空中戦が凄かったが、私達男子の40代もひけをとらないと思う。ダブルに挑戦し、見事に降りた方も幾人かおられた。私自身は、とても挑戦するレベルではなかったが、今後は意欲的に取り組んでいきたいと、先輩方の演技をみつつ考えていた。そして、一番感動したのは、エレメンツではなく、演技そのものだった。自分がそうなので想像してしまうのだが、ふんだんな練習環境や体力に恵まれた、大人スケーターは皆無に近いのではないだろうか。誰もが、様々な制約を抱えつつ、それでも果敢に挑んでいる。ステップの一つ一つ、ジャンプの一つ一つに、どれほどの思いと勇気が詰まっているのか?

全日本クラスの選手達から見たら、確かに稚拙な部分、見劣りするものは多々あると思う。でも、だからといって、観るべきものはないのだろうか?もしも、トップスレベルの方々との差を理由に、私達の演技が省みられないとするならば...それは、「演奏会で聴くべきはN響やプロの演奏家のものだけで、市井のオーケストラや吹奏楽団は行くだけ無駄」という意見と、同じ理屈になってしまうと思う。

やはり、そうではないと思う。技術的には全然歯が立たないが、市民レベルの演奏や演技にも、やはり聴くべき、観るべきものはあってほしい。限られた資源や環境の中で、なんとかやりくりして努力した成果、それが認められるからこそ、文化の裾野は広がっていくのではないだろうか。そして、広い裾野がなければ頂も高みを増してはいかないだろう。

今回は、マスターズに出場する機会を頂けた。でも、私が練習するリンクでは、黙々と毎週リンクに通いながらも、個人レッスンやクラブ加入の機会を得ず、プログラムも持たずに技術習得を頑張っている人達がいらっしゃる。それぞれの方々のお考えや事情があると思うので、皆がマスターズを目指すとは思えない。でも、そういう方々のことも覚えつつ、私は私として与えられた機会を感謝したいと思うのだ。別に、どこかの代表とか、誰それの気持ちを引き受けてといった大それたものではないのだが、同じリンクで同じ時間を過ごしている人達のことは、忘れない方が良い気がする。

だから、精一杯の演技をしたいと思う。

靴の中の足は、もう痺れを覚えていた。もう一度履きなおすか、思案もしていた。あるいは、更衣室に戻って足をマッサージするか...。でも、そういう試みをするには、もう時間がなかった。履き直しをしても、そこから足をフィットさせるように滑る時間はない。ならば、5分間は滑っておいた現状で本番に臨んだ方がマシに思えた。

それに、懸命に氷上で戦っている先輩スケーターの方々を観ていて、なんだかどうでも良くなってしまった。決して投げやりになった訳ではないのだが、自分の演技を心配するよりも、今、この人の演技を見ておくこと、それの方が大事な気がしたのだ。だから、自分のすぐ前の方の演技まで、応援の気持ちで観ていた。もう、競技者ではなかった。ただの観戦者として、リンクサイドに立っていた。

そして、すぐ前の方の演技も終わった。その方がリンクサイドに戻ってくるのを待ち、リンクに降りた。

                       (3に続きます)

'08年マスターズ参戦記(1)

今年のマスターズに初出場したのが5月17日なので、もう3週間が経つ。

仕事は相変わらず忙しいし、スケートはシーズンオフなので週末スケーターの活動サイクルになっている。今日は、クラブの先生のご尽力で、ちょっと遠征してクラブの早朝貸切練習ができた。でも、夏季はこのような機会は滅多にない。

それでも、日曜日は名古屋で個人レッスンの機会があるだけ幸いだと思う。クラブの先生のご了解をいただけたので、来年のマスターズ用のプログラムの振付を先週から個人レッスンの先生にしていただいている。曲は、私の希望がかなって”アフリカンシンフォニー”。ただ、4分40秒あまりの曲を、私が2分24秒に編集(使用したアプリは、 yuujiさんお勧めの”Sound it!”です)したものなので、手作り感は否めない。でも、個人レッスンの先生が振付をして下さるので、きっと素晴らしい仕上がりになると思う。一番のネックは私が踊れるか...ということだが...。

こんな風に、既に来シーズンに向けて動き始めているのだが、記念として、マスターズ参戦の顛末を記しておきたい。反省も多々あるが、自分としては頑張ったと思っている。また、頑張れるように、文章を残しておきたいのだ。

5月16日(金)から振り返る。本番の前日だ。

午前中は病棟実習があり、お昼に大学に戻って、担当の6名の学生達と個別に面談。それを踏まえて、学生達は週末に看護計画を作成せねばならない。その支援のための面談なのだが、終わったのは18時過ぎ。それから事務処理をして、業務終了が20時になってしまった。予定では、16時に面談を終えて、17時の定時であがり、18時くらいから3時間は仮眠時間をとるつもりだったのに。予定が上手くいった試しがない。

しばし思案し、思い切ってそのまま東京へ出発することにする。靴や衣装など翌日の用意は既にしてあり、荷物は車に積んである。なので、早めに出て、現地(リンクを貸し切った江戸川スポーツランド)で車内仮眠をとるしかないだろうと考えたのだ。インターまでの間に、ガソリンスタンドとコンビニに寄る。スタンドでは給油と安全点検(含むタイヤ圧のチェック)をお願いし、コンビニで夕食と運転中の飲料水と眠気覚ましを購入する。夕食はそのままコンビニ駐車場で食べる。飲料水は缶コーヒーやペット茶、ジュース類など多数。なるべく多くの水分をこまめに摂ることが、長距離運転での疲労回避のコツのように考えている。理屈というよりも、経験から得たものだが...。眠気覚ましは、いつもはカフェイン入りのガムだが、効果があった試しがない。今回は、たまたま見つけたビーフジャーキーを試してみた。これが、大正解!!。噛み応えと味わいが良く、とても快適なドライブになった。

21時には東名高速道路に乗り、一路東京へ。とにかく、現地での仮眠時間を確保したかったので、途中休憩はなし。一気に東京インターチェンジまで走った。

23時30分くらいには、首都高速道路に入ったと思う。渋谷駅や六本木ヒルズ、東京タワーを横目で見ながら、渋滞なくトラックの後ろをついていく。だが、ここから苦難の道のりになる。予定では、首都高3号線から都心環状線に入り、竹橋ジャンクションを経て7号線に向かうはずであった。ところが、三宅坂ジャンクションで間違えたらしく、4号線に入って新宿に向かってしまう。Uターンはできないので、外苑で一度降りてもう一度竹橋方面へ目指すことにするが、それが運命の分かれ目だった。

今、ネットで調べたら、正解は新宿を過ぎたところで中央環状線に乗り、北池袋で5号線に入って一直線に竹橋へ戻るルートのようだ。でも、私の車のナビは2000年現在の道路マップしか記憶されていない。2007年12月開通のそんな便利な環状線は知らなかった。

外苑で降りたら、そこは...花金(死語?)の都心だった。しかも眠らぬ街のミッドナイト...(冷汗)。国立競技場や神宮外苑アイススケート場でおなじみの場所だが、いつもは電車で来ている。ここを車で走ったのは、20年も前の大学生の頃。最近では、グランツーリスモのレースくらいか...。もちろん、後者はゲームでのバーチャルな体験である。名古屋も結構な都会だが(必要があって車で行くことがある)、東京の交差点はもっと怖かった。片側4車線はあるのではないか...。下手すると中央分離帯の反対側に迷い込んで逆走しかねない。もう、首都高へ戻るどころではない。とにかく、事故を起こさない、それが第一課題となってしまった。

幸い、タクシーがあふれかえっているので、その後をついていく。夜の都会を走って稼ぐ人達なので、よもや車線を間違えることはないだろう。そうして、幾つかの大交差点を越える度に、外苑からどんどん遠ざかっていく。後でナビの走行記録をみてみたら、何気にカナダ大使館や首相官邸の近くを走っていたらしい。確かに、ハイソな雰囲気あふれる景色だった。

でも、「そんなの関係ねぇ!!」(やはり死語か)。

グランツーリスモならいくらぶつけてもレースは続行されるが、今はリアルな都内走行。車や人にぶつけたら、そこで私のマスターズは終わってしまう。おのぼりさん気分に浸る余裕など微塵もなく、とにかく、どうすればこの喧騒から逃れられるのか?それだけを必死で考えていた。幸い、人と同様にタクシーがあふれかえっており、ひたすら渋滞の洪水。おかげで、ナビとゆっくり検討し合う時間だけはあった。

で、出た答えは、虎ノ門経由で新橋を抜け、山手線内側から脱出。

道路の案内表示によると、今居る道(調べたところ、外堀通りだったらしい)を真っ直ぐ進むと新橋駅に行くことがわかった。とにかく花金なので、酔っ払ったオジさん達が大挙しているのは予測できたが、今はとやかく言っている状況ではない。オジさん達を抜けてでも、都心から脱出しないと、私の練習時間がふっとんでしまう!!

しかし、それは試練の30分間(くらい)だった。

都内のタクシー達は、なぜか右側車線から私の車を遮るように左折を試みる。私は直進せねばならないのに、どないせいというのか...。もう、強気で割り込んで(どっちが?)交差点に進入させてもらった。さすがに相手もプロなので、商売道具の車を私とぶつけることは避けて下さった...良かった。でも、一番怖かったのは、新橋駅のガード下。とにかく、酔っ払ったオジさんやOL達が横断歩道に鈴なりになっている。交差点に進入する勇気はとてもない。でも...逃げれない。次から次へと後続車が居るので、戻ることはできないし、進むしかない。でも、酔っ払い。さすがに、強気に進んで相手に譲ってもらう暴挙は避けねばならない。いや、暴動で押し寄せる群集たちの中を車で進んでいる、そんな感覚でもあった。彼らは、歩行者信号なぞ関係なさそうに横断歩道を闊歩している。とても切れ間など見いだせそうもない。

「おい、本当に今日ーとっくに0時は過ぎているー、フィギュアの試合に出るのか?」と心の中でつぶやく。先生に報告したら張り倒されそうな、段取りの悪さ...。予定では、とっくに江戸川スポーツランドについて、3時半からの貸切に備えて仮眠しているはずなのに...。体中のアドレナリンが逆流しそうな緊張感。でも、アクセルはふかせない。でも、後続車のクラクションが気になる。歩行者信号が赤になって、いいかげんたち、やっと間隙を縫うことができた。その先も大渋滞で、やはり右車線から沢山のタクシーが左折しようとしているので、今度はその流れに従って左折(そこにも横断歩道がある...)した。

とにかく、酔っ払いと人身事故を起こさなくて良かった...。今、思い出しても冷や汗が出る。

タクシーの後をついて新橋駅を左折して5分ほど進むと...そこは銀座だった。

いったい、オレは何しにここに居るのか...?今でも悩む。

文字通り、黒服の男の人達が、大きな四輪駆動車に乗り込む強面の人を見送っている。自分には縁のない、別世界が車窓の向こうにありそうな雰囲気だった。とりあえず、タクシーが並んで停車している後ろに停車する。たぶん、信号待ちだろう。そうしたら、化粧をした中年女性の乗った軽自動車が駐車場から出てきて、タクシーの車列の右側をス~っと走り抜けていった。「へぇ、銀座でも軽自動車が走るんだ」と、新鮮な驚きで眺めていたら、すぐ後ろのタクシーがクラクションを鳴らす。どうも、退けと言っているようだ。仕方ないので、今の軽自動車に倣って、車列の右側を直進していく。

それでわかったのだが、タクシーの車列は信号ではなく、客を待っていたようだ。そこに私の車が割り込んでいたのだから、クラクションを鳴らすだろう。でも、おかげで、更に無駄な時間を費やさずに済んだ。感謝したい。

多分、数寄屋橋の交差点だと思うのだが、晴海通りの表示が目に入る。直進しても交通量は多いままのようなので、ナビと相談して、この交差点を右折し、築地から八丁堀に向かい、そこから京葉道路を目指すことにする。

この選択は正解だった。もう深夜1時近かったので、下町は寝静まっている。あとは、快調に車を飛ばす。京葉道路は比較的混んでおり、しかも帰り道を急ぐ車ばかりのようだったが、なんとか2時くらいには、江戸川のリンク駐車場を見つける。ちなみに、ナビはすぐ隣の団地で案内を終了してしまったので、細かい入り口は、タイミング良く通りかかったバス(江戸川スポーツランド行き)の後をついていった。こんな深夜でもバスは運行しているのか...と、少し不思議に思う。回送だったのだろうか...?

バスは隣の操車場に入り、私の車はスポーツランドの駐車場のゲートを通過した。

                                        (2に続きます)

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