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2008年5月

2008年5月27日 (火)

”先生”と呼ばれる者だからこそ

マスターズが明けた先週は、心底打ちのめされていた。

1月末の事故以来、ショックを受けるニュースが身の回りに続いたが、先週のニュースで動揺がピークに達した。予断を許す書き込みは慎みたいので、報道されたことについては記したくない。ただ、ただ、ショックである。

同時に、正直に思った。「明日は我が身かもしれない...」と。

現在のところ、私はクリーンに仕事をしていると思う。特に、訴えられることをした覚えはない。でも、私は思う。「先生と呼ばれることに慣れてしまったら、人は過ちを犯しやすい」と。特に男は、権力を持つことに畏怖の念を忘れたら、容易に堕落してしまう。権力を振りかざす対象を異性に向けたら、セクシャルハラスメントを、意図しないとしても、知らず知らずに犯す可能性はあるのではないだろうか。

多分、今は大丈夫だと思う。でも、5年・10年後の自分には、全く自信が持てない。祈るのは、永遠にペーペーの下っ端のままでいさせてもらえることだ。いつまでたってもうだつがあがらねば、容易に首を切られる時勢ではあるが、なまじの権力や権威は持たない方が自分のためだと考える。

今の私は、とても格好悪い。学生達と議論をしても負けてしまい、「自分が間違っていた」と頭を下げることもしばしばだ。もちろん、人を教える立場との自覚はあるし、努力もしている。でも、人に礼を言われると、ひどく恐縮して、手を振りながら「そんな...いいです」と愛想笑いをしながら後ずさりしてしまう。頭を下げられれば、負けじと自分も下げ続ける。学生にも、同僚にも、セールスマンにも、誰に対しても。すごく、格好悪いと思う。

でも、本音を言えば、そういう自分に安心している。これだけ格好悪ければ、よもや過ちは犯さないだろうし、そういうチャンスも巡って来ないだろうと。看護教育は、学生の内面に触れるデリケートな指導場面もあるので、言葉上のハラスメントには細心の注意を払っている。時には、一対一で学生と対峙せねばならない時もある。でも、それは臨床実習での特別な時間であり、プライベートでは、私はフィギュア以外では異性と接する機会は全くない。仕事とプライベートは、極力分けるようにしているし、仕事上の人たちも私のような変人とは、プライベートまでも付き合いたくないと思っているだろう。だから、救われている部分もある。

というのも、公金横領の始まりは、仕事上のお金を自分の財布で管理することだと聞いたことがあるからだ。これは、厳に慎まねばならない。仕事で得るものと、プライベートで欲しいものとを混同すること、これをしてはならないことは、プロフェッショナルの鉄則だと思う。社内恋愛を禁じないまでも、公にすることを憚る風潮もその意図からだと思うし、「商品に手を出すな」との決まりもそうだろう。あるいは、インサイダー取引を禁ずるのも、職務上有利な立場にある者(会社の上司や取引上の顧客)が商品の圧力販売をしてはいけないのも、公と私とを区別するルールの表れではないかと思うのだ。

他所の世界のことは、そんなによく知らない。ただ、私自身は、私的な世界に学生達を招く振る舞いは、慎みたいと考えている。

もちろん、自分の趣味の話を秘密にするつもりはない。マスターズ出場は、その時期に学生達に課題を出していた手前もあり、おおっぴらには言わなかった。でも、ある学生は、その課題を早々に片付けて部活の遠征に行くつもりと言っていたので、「私もフィギュアの大会に出るから、お互い頑張ろう」と伝えた。「私も頑張る。だから、頑張れ!」というのが、基本的なスタンスだ。だから、自分の頑張りは、無理のない方法で学生達にも伝えていくつもりではある。

でも、土俵はあくまでも、仕事の場にとどめねばならない。自分の出場する大会に職場の人達を招くか?と尋ねられたら、多分ノーと答えると思う。引退試合とか、とんでもない晴れ舞台とかなら許されるかもしれないが、自分のプライベートな場所に公を導いたら、やはり何かが崩れてしまう、そんな心配があるのだ。一度だけ、一般営業中に練習していたら学生達にカチ合ってしまったことがあった。リクエストがあったので、少しだけ滑走のコツを伝えたが、早々に練習を切り上げて失礼した。やはり、住む世界が違うと思う。

私は、看護という言語でしか、彼女・彼らとは話ができない。たとえ、フィギュアの話をするにしても...だ。「安藤さんが、”辛い時には空を見る” と言っていたよ」と学生達におしゃべりしたとしても、私が見ている先は、看護師になった時の彼女・彼らであり、仕事中に辛くなった時のために馬鹿話をするにすぎない。真央ちゃんが、いかに年長者に対して謙虚であったかを話したとしても、それも社会人になった時の参考になればと思ってのことだ。自分が練習で体験したことも、同様である。学生達も、「看護」という共通のバックボーンを意識できるからこそ、私の馬鹿話を聴いてくれているのだと思う。

それを、自分には魅力があるからとか、カリスマ性があるからとか、とんでもない勘違いをして、職業意識を逸脱したところで若い子女達を振り向かせようと企図したら...たぶん、そこで終わってしまうだろう。あるいは、巧妙に権威を用いて同様の企図をたくらんでも、やはり身の破滅を招くと思う。

決して、職場恋愛を否定はしないし、教師と教え子との恋愛を非難するつもりもない。ケースとしてあり得るとは聞いている。でも、私には難しいし、不器用で不恰好だからこそ、女性ばかりの世界でなんとか生き残ってこれたとも考える。私見であるが、看護の世界で男性がカリスマ性を持つことは、至難のことであるし、職業上の寿命を縮めることになるかもしれない。公の世界に徹して仕事しているからこそ、公でそれなりに生きられる。私は私として区別しているからこそ、間違いを犯さずにこれたのだと信じている。

だから...できれば、5年後、10年後もこのスタンスで行ければと思う。「先生、もっとしかりして下さいよ」といわれ続けてもいい。馬鹿にされても、厭わない。こんな頭でよければ、いくらでも下げ続ける。ただ...お天道様に顔向けできないことだけは、したくない。悲しいかな、そういう過ちを犯してしまったというニュースが、あまりに多すぎる。極論を許して頂きたいのだが、助平が悪いのではない。助平な欲求を公の土俵でなんとかしようと目論むのがマズいのではないか?そこだけは、気をつけねばと、自戒を篭めて考える。数年後に、私もニュースのネタにされてしまうのではないか?そんな危惧を覚えずにはいられない。

ただ、一つだけ救いというか、誇りに感じていることがある。

プロフェッショナルを育成しているという自負だ。看護教員は、将来、看護師として第一線で働くプロフェッショナルを育成する仕事である。そこは、一般の大学教員や学校の先生、スポーツ施設のインストラクターとは異なる。どちらが偉いとかという問題ではないが、プロフェッショナルの育成は、やはりプロフェッショナルにしか務まらないと信じている。だから、看護教員は、プロ中のプロであるべきだ。

少なくとも、この自負を失わない限りは、そうそう過ちは犯さないだろう。そんな余地が生まれるはずはない。プロは、人に認められてナンボの世界であり、常に観られている存在だからだ。場合によっては、個室で学生の個別指導もせねばならない。時には泣かれることもある。仮に、その場面でセクハラを訴えられたのなら、当然弁明は試みるが、基本的には職の継続を諦めると思う。看護教育の土俵で、学生からそのような疑義を訴えられた時点で、自分が至らなかったと観念した方が筋が通ると思うのだ。顧客である学生から退場を要請されるのであれば、プロとして進退を考えるのは自然なことだと思われる。もちろん、相互の誤解に起因するものであれば、その修復を努力することが先決だとも思うが。

結局のところ、私の存在は、とても脆弱な基盤に立っているのだろう。学生達や上部の方々の意図に左右される部分が大きいかもしれない。サラリーマンであるので、法で保護されている身分でもあるが、”先生”と呼ばれる者であるからこそ、弁えねばならない分もある気がする。でも、そういう危うさを忘れて、我が身は安泰との幻想を抱き、多くの方々の支援によって公に生かされていることを自覚しなくなったら...それこそ、身の破滅に至る危機ではないか?

敬愛する先生に、何があったのかはわからない。その先生から直接指導を受けたことはない。でも、同じ氷の上で同じ時間を過ごしていたので、私にとっても先生であると今でも感じている。

ただ、我が身を振り返りつつ、絶対に守らねばならない事柄を、改めて自覚した次第だ。もしも、報道が事実であると認められたのなら、この一点を先生から教えていただけたと理解する心積もりだ。でも、何かの間違いであってほしい。

2008年5月18日 (日)

マスターズに行ってきました

5月17日(土)に東京のダイドードリンコ アイスアリーナで開催された、第14回マスターズチャレンジカップに参加してきました。先ほど帰宅したところです。

会場でも多くの方々の応援をいただき、演技後も感想やアドバイスをいただきました。本当にありがとうございます。

既に暖房室に動画が掲載されていたので、見てみました。演技中からわかってはいましたが...足に来てます。全然足が動きませんでした。別エントリーで報告するかもしれませんが、前日からの強行軍がたたったのと、初出場で緊張したのと、両方だと思います。演技の始めから終りまでつまづいている映像をみて、よく転ばなかったと、つくづくホっとしています。フリップの後のバックスリーは上手くいったのですが、細かいフォアクロスでつまづいて、ジャッジ席前でする予定だった、スリージャンプ+トゥループのコンビネーションが抜けてしまいました。

「スケーティングが駄目なら、自分の何を評価してもらうんだ...」と半ばパニックになりながらジャッジ席前を素通りしたのを覚えています。

とにかく、滑れませんでした。5分間練習からエッジの乗りが悪く、時間のほとんどをスケーティングのチェックに費やしました。残り1分のアナウンスを聞いてから、やっとジャンプを試し始めたと思います。それでも、感覚はくるったままで、演技中は、フォアとバックのいずれも、アウトに入れるべきエッジがインに入ってしまい、バランスを保てませんでした。

このプログラムは、ステップシークエンスと5のジャンプ、そして最後のスピンのいずれも、フォアやバックのクロスでつないであります。ですので、クロスでつまづくとかなりマズい状況になるはずです...。とにかく...転ばなくて良かった...あと、スリージャンプ+トゥループは抜けましたが、他の4回のジャンプはなんとか降りることができて良かったです。トゥループとフリップの踏み切りが不安定で、いわゆる「またぎ」ジャンプになっていますが、足元がおぼつかないままでの踏み切りでしたので...それどころではなかった...というのが本音です。

帰り路は、悔しさで一杯でした。1分間のプログラムですので、転ばないことが第一ですが、スケーティングは一番力を入れていた課題です。特に、クロスはこのプログラムの肝でもあるので、集中的に練習していました。なのに、全然駄目だった...やっぱり悔しいです。ですので、地元の駅に車を置き、名古屋のリンクで練習してきました。

マスターズの素晴らしいことの一つですが、演技終了後にレフェリーから講評をいただけます。Jスポーツの中継での解説でお馴染みの、杉田秀男先生でした。国際審判の経歴を持ち、現在もISUの役員である方に演技をみていただけることは、本当に貴重な経験です。先生からは...

1.演技にメリハリがあり、タンゴで表現したいことは伝わった

2.動きは悪くない

3.全然滑れてない、練習不足ではないか

とのことでした。3.については、自分でもわかっていましたので、やっぱり言われたか、という気持ちでした。練習不足については、確かに5日間リンクに降りる機会がありませんでしたし、感覚が戻らずに本番を迎えたのは事実です。でも、そういう事情は多くの方々が抱えていることですし、それでも素晴らしい演技をされた方もいらっしゃいました。ですので、「練習不足」と言われないように自分でなんとかするしかないと思います。

もう少し付け加えると、ホームリンクが季節営業のために、4月以降クラブ貸切での曲かけ練習ができない事情は、自分でもなんとかしようと考えていました。それで、試合当日の午前3時半から1時間半、江戸川スポーツランドを一人で貸し切って曲かけ練習をしました。自分でも、そこまでやる必要があるのか?とも思いましたが、むしろ、練習不足を指摘していただいたおかげで、そこまで努力しての結果なのだから...と、悔しさを飲み込むことができました。

この深夜の貸切のために、ほぼ徹夜で試合に臨みました。そのために、足が動かなかったかもしれません。でも...あの曲かけをして、各エレメンツに入るタイミングをチェックをしなければ、たぶんフリップに入るタイミングが遅れて、もっとひどいミスをしたと思います。結果的にはスケーティングはメタメタで、スピンもろくに回れない、そしてコンビネーションを一つ省くというものになりましたが、曲かけ練習をせずに本番に臨むよりかはマシだったと考えています。動画を見直しても、ジャンプに入るタイミングはくるってなかった。このことは、大満足です。全力を尽くしました。これだけは、胸を張って申し上げたいです。

杉田先生から、もう一つ言われました。「1分間のプログラムでは、できることは限られるから」

順位は、H組(40歳代)男子の11人中8位でした。点数が低かった理由は、やはり滑れなかったことと、スピンが回れなかったことが大きいと思います。それと、他の先輩方が3分近くのプログラムを用意されましたので、評価のポイントとなるエレメンツの数が私とは全然違いました。今回は、様々な事情で、初級用の1分間の曲を使わせていただき、その中にできる限りのエレメンツを詰め込みました。ですが、レフェリーからも助言をいただきましたので、個人レッスンの先生にお願いして、2分間のプログラムを作っていただくことになりました。曲は、私が用意してよいとおっしゃって下さったので、決めました。

”アフリカン シンフォニー”を考えております。

もちろん、編集の都合や先生のご意見もありますので、まだわかりません。でも、辛い時、悔しい時に、いつも励ましてくれた曲です。ですので、次は、この曲で頑張りたいというのが、今の私の気持ちです。

8位という順位は、とても嬉しいです。というのも、マスターズでは8位までを入賞として表彰状をくださいます。とても立派なものをいただきました。初出場で表彰状をいただけた。何よりのご褒美です。ですので、このことを足がかりにして、できたら...来年は杉爺...をびっくりさせるような滑りを...でも、相手が手ごわすぎるかなぁ。

とにかく、頑張ります!!

2008年5月15日 (木)

出発前夜

明日の夜に東京に向けて出発するので、現在荷造り中である。

今週は月曜日から明日金曜日まで、全然氷に乗れない。当日に6日ぶりに滑るのだが、このブランクに上手く対応して良いパフォーマンスを発揮できるのか、それが一番の心配事だった。今週日曜日の個人レッスンでは、営業中にもかかわらず、先生が曲かけをして下さり、マーキング程度の踊りだったが、良い仕上がりとの評価をいただいた。プログラムの変更箇所も、なんとか曲に対応できているみたいだ。なので、今週は疲労を抜いてコンディションを整えるようにと、先生からは言われている。

その言葉で少し安心し、陸上でできることを少しずつやっている。

一つは、ランニングと水泳。いつものトレーニングだが、疲労を貯めない程度に続けている。もう一つ、エッジケースをつけたままで、自宅や職場でスケート靴を履く時間を作っている。インソールを入れてから靴の中が窮屈になり、何日か靴を履かずにいると、ブランク明けに痛みを覚えることがある。主に足の裏からなのだが、結構辛い。1時間くらい滑っていると靴と足とがフィットしてくれるようになるのだが、今回は、それでは間に合わない。なので、陸上でも靴を履いて、足を慣らすようにしている。こうしたことは、今回が初めてなので効果があるのかはわからないが、やらないよりはマシだろう...きっと。

一つだけ、安心なことができた。駄目もとで、東京近郊のリンクを調べていたのだが、深夜に個人で貸切のできるリンクをみつけた。かなり厳しい時間帯だが、17日未明に空きがあったので利用させてもらうことにした。なので、16日(金)の夜に出発し、17日未明に東京のリンクで最終チェックをし、そのまま東伏見の公式練習へと向かうことになると思う。きちんとした貸切での曲かけ練習は、3月以来になる。集中して練習できるチャンスを得て、本当に嬉しい。結果はともかく、精一杯の努力をして、本番に臨みたい。

不安要素もある。頸の調子が悪い。仕事が忙しすぎて、リハビリに通えないのが良くないのだが、首を回す度に”ミチッ ミチッ”と嫌な音がする。肩こり体操のおかげか、まだ、四十肩の症状は出ていないが、耳鳴りとめまいに悩まされている。今日の日中は、本当に辛かった。それでも、1時間くらい仮眠をとったら楽になった。

当日、この症状に悩まされないかは、正直、不安だ。でも、氷に乗ればなんとかなると思う。今までだって、滑ってこれたのだから。「神様、お願いします...」と祈りたい気持ちになる。あと、2日だけ、頸がもってほしい。事故の方は、先日、示談書を交わして解決とした。なので、今後の症状は、それこそ自己責任となる。

とにかく、頑張っていきたい。

2008年5月11日 (日)

目線を下げずに

個人レッスンや教室で習っている人なら、「下を向かない!」と先生に注意された経験は誰でもあると思う。もちろん、私も頻繁だ。最近では、スリーターンの度に下を向く癖を発見されてしまった。

ある程度は、この癖は直すようにしたい。でも、心の半分くらいは、「仕方ない」ですませてもいる。目線を下げる癖を、私は否定したくない。

これがバレエとかなら全然別だ。確か、ケネス・マクミランの振付の特徴を、目線での演技と鈴木晶氏が書いていたと思うが...(違っていたらどうしよう!)、バレエの表現では目線は非常に重要だ。バーレッスンの段階から首のむき方と目線の方向は指導される。たいては、指先の向うを見るのだが。だから、ステップの度に下を向くことはありえない。

でも、フィギュアスケートは違うと思う。というか、私達おとなの事情なのだが...。バレエのように彼方へと目線を向けていたら大変なことになる。バレエが平原での踊りだとしたら、フィギュア(というかスケートリンク)はジャングルなのだ。いつ、横から人が割り込んでくるかわからない。しかも、割り込んできた子が初心者で、あやうく衝突しそうになることも結構ある。あるいは、ボーとしていたら、すぐ側で子供がジャンプ!で肝を冷やすこともしょっちゅうだ。何より怖いのは、リンクを砂場だと思っている小さな子達。ジャンプコースであろうと、周回コースであろうと、おかまいなしに、しゃがんで氷の団子を作っている。一度転んだら、なかなか起き上がろうとしない子供もよく見かける。

本気で思うのだが、私達が目線を下げる癖は、そういう子供達を怪我させないための、配慮の結果かもしれない。言い訳ではなく、守りたい事実として、そう思う。

貸切練習の時も似たようなものだ。曲かけの人優先というルールはあるが、クラブには初心者の子達も居る。曲をかけてもらっている最中でも、小さな子達の動きに配慮して、目線を一定に定められない事情は、やはりある。演技よりも安全を、これはやはり譲れない。

もう一度、バレエレッスンの話に戻るが、アンシェヌマン(ステップの連続)をフロアでやっている最中に、誰かが位置を間違えて、他の人の邪魔をしてしまったら、きっと怒られると思う。通常なら、そういうバッティングは考えられない。でも、リンクではそういう場面は日常茶飯事だ。もちろん、曲かけ練習中の人を邪魔したら謝罪する。それはマナーだと思う。でも、万が一衝突して相手に怪我をさせたとしたら、一方だけを責めるわけにはいかないだろう。だから、集中力の何割かは、演技ではなく安全へ向けることが、フィギュアスケートの練習では求められるのだ。

例えて言えば、私達はいつでも(貸館中でも)、公道でスポーツ走行の練習をしているようなものだ。だから、スポーツそのものだけに没頭はできない。

そういった事情がありながらも、今回のプログラムでは、目線のことを課題にしている。

私のプログラム、「夜のタンゴ」は、1937年のドイツ映画の主題歌だ。音源は、多分アルフレッド・ハウゼ楽団のものだと思う。CDを購入して確認したのだが、先生が作って下さったものとそっくりなので。映画では、ポーラ・ネグリという女優が歌っているそうだ。残念なことに、映画そのものは入手できないようなので、ストーリーとかどんな場面で曲が使われているのかは、わからない。ただ、悲しいストーリーとネットには記されていた。

ポーラ・ネグリは、ポーランド出身でハリウッドで活躍した女優のようだ。チャップリンの恋人と噂されたこともあったようだが、この映画の頃にはピークを越えていたようだ。スキャンダルなどでハリウッドでは活躍の機会がなくなり、ヨーロッパに渡ってきたと、wikipediaに書いてあった。今は、とにかくネットがあるので、調べたい情報が簡単に手に入り本当に助かる。更にドイツの歴史を見ると、ヒットラーが総統に就任したのが1934年なので、この映画が作られた1937年頃には、かなりきな臭い時期に入っていたのではないだろうか?1939年には、彼女の故郷のポーランドにヒットラーは侵攻し、この年に彼女はアメリカに戻っている。

この映画、日本では昭和16年(1941年)に公開されたそうである。その年の暮れに太平洋戦争へ突入したのだが。

こう思うと、この曲で演技する時には、下を向いてはいけないのだろう...。気持ちだけでも、夜空の向こう、を思う目線を忘れないようにと感じる。ポーラ・ネグりは、どんな気持ちでこの曲を歌ったのだろうか...?(注1)  私は、なるべく空を仰ぐような気持ちで演じたいと思う。滑りながら視線を上に向けるのは、実は結構難しい。首が動けばバランスも崩れやすくなるので。でも、ちょっと頑張りたい。

シングルフリップのランディングからフォアへ戻る時に、いつもの踏み替えではなく、右のバックアウトスリーで前を向くように先生が直して下さった。この時、右手を上に挙げるようにとのことだ。できたら、目線も上に向けたい。こういう部分は、大事にしたい。東伏見の本番中に、子供が寝転がっていることはないだろうし...。この時、右のエッジがフォアインにしっかり入っていないとグラついてしまうが、ここは頑張りどころだろう。今、一番練習している部分だ。

このターンからすぐに、小刻みに反時計回りのフォアクロスを踏んで、ジャッジ席の前を通過する。ワクワクしてくる。ジャンプは難しいのはできないので、こういう細かい部分でアピールをがんばりたい。

普段の練習では、目線を上げて滑ることには慣れていない。下を見なければいけない事情もあるのだから...。そして、目線をずらすだけで、バランスを崩すくらいフィギュアスケートは微妙な部分がある。実際、近くに人が接近してきた、それだけで何度怖い思いをしただろうか...。今回のプログラム、イントロのスリージャンプが終わると、すぐにステップシークエンスがある。豊橋で教わった、足替えのダブルスリーのところだ。結構なスピードで入っていくので、エッジを間違えると簡単に転んでしまう。何度か、ひどい転び方をした。でも、この曲を演じる時には、なるべく目線を下げないようにと思う。気持ちだけでも、勇気をもって、夜空を眺めたい。

(注1) 「夜のタンゴ」は、門田ゆたか氏が日本語の歌詞をつけています。

      http://www.jp.sonystyle.com/Style-b/Yo-yo-yo/Diary/2005/1125.html

     この歌詞は懐古趣味の雰囲気があり、原曲の歌詞に忠実なのか疑問をもってます。

2008年5月 7日 (水)

東伏見の氷

ゴールデンウィークに休日出勤をしていたので、本日、休日をいただいて東京に行ってきた。せっかくなので、5月17日のマスターズの下見の目的で、西武新宿線東伏見駅の近くにある、ダイドードリンコアイスアリーナで滑った。

昨年、一昨年とマスターズは先輩スケーターの方々の応援で観戦していたし、プリンスアイスワールドや2005年10月のジャパンインターナショナルチャレンジでも来たことがあった。でも、リンクに降りるのは今日が初めてだった。

目的は二つあった。一つは、氷の質を知ること。もう一つは、リンクの広さを覚えることだ。

氷質はかなり固めと色々な方からうかがっていた。それで本番で苦労するとも聞いている。ただ、自分が滑ってみたところでは、確かに固いが心配したほどではなかった。先生のアドバイスもあって1週間前に研磨したばかりだったので、エッジが上滑りすることはなかった。むしろ、かなり滑りやすい印象を受けた。しかし、インエッジでは膝をしっかり曲げて重心をたっぷり乗せないと力が氷に伝わらない感じもした。なので、他のリンクよりも一生懸命、力を使わないと思い通りに滑ってくれない。だから、結構疲れるリンクでもあると思った。

固い氷の割にストロークの伸びがないようにも感じたが、これには理由がありそうだ。ホッケーでのゴール裏になる両サイドが共に氷がゆるくなっている部分があり、特に東側サイドは表面は凍っているが、中は水になっていた。ここから中央に向かって筋状に水が浸潤しており、表面にも盛り上がりができている。一応、表面は全て氷になってはいるが、その下は場所によって状態が全然違っており、氷の密度が均質ではないようだ。しかも、屋外リンクのように表面にも筋が入っている。なので、同じようにストロークしても、スピードが出てくれる場所とあまり滑ってくれない場所とがあるようである。

特に、東側のゴール裏は注意が必要だと思う。ジャンプのランディングで滑らずに詰まったり、細かいステップワークが思うように進まない可能性があるかもしれない。私のプログラムの場合、ステップシークエンスはスピードをつけてこなしていくので、これは問題ないようだ。ただ、シングルのトゥループとフリップがこのあたりで予定されている。ランディングが詰まって、曲から遅れてしまわないように注意しようと思う。

リンクの広さも要注意だと感じた。滑ってすぐにわかったのだが、横幅が狭い。職員の方にうかがったら、はっきりしたことはわからないが、ホッケー用のベンチを設置した関係で若干狭くなっているのではないかとのことだった。2005年の世界ジュニアの会場であったキッチナーのリンクについて城田氏がコメントしていたのだが、カナダでもホッケー用で横幅が30メートルないリンクがあるそうだ。東伏見もおそらくそうだと思う。ストロークに伸びがないわりに、プログラム通りに滑るとフェンスにぶつかりそうになる。

これは、ジャンプからジャンプへと向かっていく角度を少し変えれば問題ないと思う。でも、当日だったら面くらっていただろうから、今日の段階で下見ができて本当に良かった。

初めてのリンクで慣れなかったというのもあっただろうが、4時間滑ってひどく疲れた。最後の1時間は完全にバテていた。練習内容はいつもの通りだったのだが、疲労度はかなりのものだ。おそらく、先に記した通り、頑張って滑らないと思うように進まない氷質なのだと思う。固い氷なら、スイスイ滑るはずなのに...。でも、エッジにはしっかりかかってくれるし、苦手のスピンも回りやすかったので、私には向いているリンクかもしれない。

リンク回りの観客席と看板が前後同じであり、スピン中にどちらを向いて止まればよいかがわかりにくいとも聞いたことがある。確かに、ダイドーの缶コーヒーの看板が北と南の両側に同じように掲げてある。でも、私の回転速度が遅いためか、今日の練習ではさほど苦労せずにジャッジ側(北側)を向いてポーズがとれた。たぶん、大丈夫だろう。

あとは、当日の30分間の公式練習と、競技前の5分間練習がある。そこで、氷の機嫌をうかがい、各エレメンツの場所をチェックして、本番に臨みたいと思う。

2008年5月 4日 (日)

滑走しているということ

「バレエは空間をどれだけ支配できるかという芸術だから」と、東京のバレエ学校の校長先生がおっしゃっていた。駅へお送りする車中での短い時間だったので、その深い意味についてはうかがうことができなかった。先生は、どんな意味でおっしゃったのか、今でも考えている。

おそらく、タイトルロール(題名になっている役柄)にはそれにふさわしい空間が、ソリストにはソリストの空間、そしてコールドバレエ(群舞の担当)にもそれに要求される空間があるのだろう。その空間を把握し、その中で最大限にパフォーマンスを発揮できた時に、観衆に何かを伝えられるのかもしれない。だから、より広い空間を支配できるか否かが、ダンサーの資質を分ける指標みたいなものになるのかも、と私は考えている。

この意味では、フィギュアスケートは更にわかりやすい。誰しもに60m×30mのリンクが与えられている。この空間をいかに支配し、更に観客席まで演技を伝えられるかに神経が注がれているとも言える。シングル競技の場合には、誰もがソリストとしての資質を問われているのである。これは、凄いことだと思う。バレエの世界で、1分でもソロの機会が与えられることは大事かもしれない。「この1分間に命かけます」という気持ちで練習に励むだろう。同時に、与えられた時間、自分の踊りで十分に空間を保ち続けられるのか不安に駆られることも想像できる。だから、みんな一生懸命練習していたのだろう。

体調を崩してバレエを辞め、療養を続けて回復してからはフィギュアの先生を紹介していただいた。それから3年間滑り続け、おそらく今後も続けると思う。最初の1年目で今のプログラムをいただいた時には、本当に嬉しかった。「たった1分」というよりも、「1分間もいただけるの?」という気持ちだったし、それは今でも変わらない。そして、この世界では、発表や競技の機会が大人にもある。子供達と一緒の試合に出ることは、競技人口が爆発的に増加している状況なのでやめることにしたが、今回のマスターズのような素晴らしい大会も用意して下さっている。本当に感謝している。せっかくの機会なので、できる範囲での練習に励み、なるべくクォリティーの高い1分間に仕上げられたらと願っている。

シーズンオフになってしまったので、貸切練習の機会がなくなり、プログラムの一部変更を曲にあわせて確認することができずにいる。一般営業中にスペースを見つけて、携帯音楽プレーヤーで曲を聴きながら振りを確認するつもりではいるが、制約は多いだろう。それと、大会1週間前は、仕事の関係で全く氷に乗ることができない。試合当日の30分間の公式練習と、午前中1~2時間近隣のリンクで足慣らしをするつもりだが、ブランクをどこまで解消できるか、今から不安に思っている。なので、演技中は緊張で足がガチガチに固まっているかもしれない。慣れない氷でエッジが外れて転倒することも考えられる。変更された振り付けにパニくって往生する可能性もある。

でも、できる範囲で...あくまでも、自分に可能な部分で、頑張りたいと思う。与えられた1分間なので、存分に力を注げたら...きっと楽しい思い出になるんじゃないかと考えている。もしも転んだら、世界選手権での浅田選手の姿を思い出そうと思う。

ところで...本論なのだが...時間の範囲内でのパフォーマンスという意味では、バレエなど音楽を振付けてのダンスとフィギュアスケートは共通している。両者とも、曲の始まりから終わりまでがパフォーマンスに与えられた時間(フィギュアの場合には動作を始めた時点から動作を終えた時点までが競技時間とされるが)である。

ところが、フィギュアスケートにはダンスにはない全く異質な時間が内在している。ダンスが空間支配の芸術だとしたら、フィギュアスケートは時間を支配せねばならないスポーツであると、私は感じている。その時間の本質とは、”滑っている”ということである。

フィギュアを習い始めた初日に、モホークターンを教えて頂いた。子供の頃にリンクで遊んだ経験があったので、全くの我流ではあったが大人になってもフォアとバックは少しだけできていた。なので、先生はモホークを教えてくださったのだろう、全然できなかったけど...。あれから3年がたった現在でも、モホークターンの本質は理解できていない。ただ、フォアからバックに向きを変えるだけというのなら、それほど難しい動作ではない。反時計回りのインモホークの場合...

  1. 右フォアイン(RFI)
  2. 左バックイン(LBI)
  3. 右バックアウト(RBO)

これだけである。1.から2.への動作で多少のコツはあるが、バックインのハーフサークルが描けるなら、十分可能な動作だ。

でも、モホークは難しいし、非常に大事なターンでもある。例えて言えば、歯車のようなもので、地味ではあるがその精度に全体の質が関わってくる。モホークがきちんとできなければサルコウは跳べない、ループは全く無理である。というか、ジャンプは全てそうだろう、ルッツだってアウトモホークからLBOに入るし、アクセルだってモホークからRBOにいく。同じことがスリーターンにも言えるが...。

そして、モホークの精度とは、「いかに滑るか?」だと感じている。上記の右→左→右の動作の渦中でも、滑っているのである。このことの重大さは、理解しにくいかもしれない。でも、動作の最中でも滑り続けねばならないということこそ、フィギュアスケートの難しさだろと私は考えている。

似たようなステップは、ジャズダンスにもある。パドブレターンといって、やはり足を踏み替えながら転回していく。この場合は前→後の半回転だけでなく、1回転することもあるが。あるいは、無回転で横や前方へ移動するだけならば、バレエにもあるし、回転するパドブレもあったと記憶している。(手元に用語辞典がないので、後で調べます。すみません。)

しかし、右→左などと足を踏みかえるステップでも、ダンスでは足に重心が乗った時点では移動することはない。重心に乗った足から次の足へと踏み替えの時に大きく移動するのである。ところが、フィギュアでは、一方の足に重心が乗っている時でも滑走している。むしろ、足を踏みかえる際よりも重心が乗っている時間の方が移動は大きいかもしれないのである。自分も、踏み替えという動作をせねばならないが、その動作をしている最中も「勝手に(この表現は語弊も大きいが)」滑っているのである。

なので、フィギュアスケートの場合、振り付けに指定された動作(モホークの場合は足の踏み替え)だけでなく、滑走という動作とは別次元で起こる現象にも配慮せねばならない

この滑走という現象は、時間軸と大きな関係があると思う。等速で滑っているのなら、重心を置き続けている時間だけ長く移動する。モホークの場合、

  1. RFIで2拍
  2. LBIで1拍
  3. RBOで1拍

が一般的だと思うが、当然、最初のRFIでの移動距離が長くなる。でも、気をつけなくてはいけないのは、LBIの1拍である。踏み替えに注意を置きすぎて、この1拍をしっかりと「滑らない」で、すぐに次の右足(RBO)を置いてしまうことがある。これでも、所期の動作は達成しているが、滑走(スケーティング)という次元ではマイナスかもしれない。ましてや、上半身にも振り(動作)がついたら、とてもじゃないが、滑走のコントロールにまで意識がいき辛くなるのは想像できる。ここに、ダンスにはないフィギュア特有の難しさがあると思うのだ。

先ほど、モホークは歯車のようなものだと記したが、サルコウジャンプの踏み切りを意識する時に、特に感じる。モホークからサルコウを踏み切る時に、やはり踏み替えたLBIでの滑りが重要になる。私も先生から、「もっと滑ってから!」と注意されるが、LBIで十分に滑り、跳ぶための力を貯めないと、いわゆる「飛び急ぎ」になってしまう。この時、動作としてはフリーレッグ(右脚)を後方に伸ばしてスケーティングレッグ(左脚)の膝は十分に曲げたチェックの姿勢をとり、しばらく静止している。ここからフリーレッグを横方向に回して両脚で”ハの字(この時、本来フリーレッグである右足を氷に着けて滑らせている選手もいるようだ)”にするタイミングが難しいのだが、比較的ゆっくりと右脚は動かしているにもかかわらず、その動きの変化にスケーティングレッグというか、左足のバックエッジは敏感に反応している。

フリーレッグを回すにつれて、滑っている弧はどんどん小さくなって中心へと向かってスパイラルを描こうとするのだ。もちろん、LBIでの滑走の弧が半回転もしないうちに踏み切ってしまうので、なるとの模様のようなスパイラルを描くことはない。でも、自分の跳んだトレースを見ていると、サルコウの踏み切り動作の最中に、いかにLBIエッジが鋭く反応しているかを感じる。

サルコウは、私の場合は3拍

  1. RFI
  2. LBI
  3. 跳ぶ

なのだが、この2拍目に、動作(フリーレッグをゆっくり回転)と、エッジコントロール(速度と鋭さを増すLBIエッジを安定させて左足のトゥで踏み切れる状態を保つ)を両立させることが難しい。でも、これができなければ、サルコウは大変だと考えている。

私は元々文系なので、物理は教わったことがない。なので、語るのは憚るのだが、摩擦を考えない場合、一定のエネルギーでの回転速度は重力と回転角に影響されると聞いたことがある。数式も教えてもらったのだが、忘れてしまった。回転角が小さいほど回転速度は増すので、スピンでポジションを変えると回転速度を上げることができるという理屈らしい。同様なことが、このサルコウの踏み切りでも言えると思う。後方に伸ばしたフリーレッグを回転させると、フリーレッグの端が重心に近づくので、多分回転角は小さくなるのであろう。ならば、滑走速度が増すのは理屈にあっていると思う。

この時にびっくりして、あわてて跳んでしまうと筋力が氷に上手く伝わらない。なので、ジャンプが抜けてしまう。滑走速度が増しても、上手にバックインでのエッジコントロールを保ち、最終的にその加速をも利用してスケーティングレッグのトゥで離氷(エッジ系ジャンプだからトゥを使わないということはない)するのが理想だと思う。

先に記したとおり、動作の最中に別次元で起こっているこの現象は、「滑走」である。滑走は動作の最中にも、あるいは動作を静止している時にも生じており、動作の影響は受けるが、演技者が止めない限り止らない。スピードや性質を変えることはできるが、動作しつつ滑り続けることこそ、フィギュアスケートの本質だと思っている。なので、動作だけでなく滑走をもコントロール=支配できないと、フィギュアスケートでは良いパフォーマンスは発揮できないだろう。これが、ダンスにはない、フィギュアスケート独特の時間なのである。この時間(=滑走を伴う動作)を上手に生かせたら、質の高い演技になるのだろう。

こういったことについては、子供の頃から練習を続けている選手達は自明のことだと思う。特に意識しなくても、上手に滑りながら演技している。でも、経験の乏しい私達、大人初心者ならば、滑走という軸もあることを意識に置いた方が、動作中にあわてなくて済むのではないかと考える。

私自身は、ルーチンのトレーニングでスィズル(ひょうたん)をしながら上半身を前屈させたり、捻ったりするのをしている。初心者の頃に教わったメニューだ。上半身の動きにとらわれずに滑り続けるスキルを磨くための練習だと理解している。正直、あまり格好の良い練習ではなく、周囲から「何?あの人??」みたいに見られている気がして恥ずかしい。でも、”良薬口に苦し”というか、抵抗のある練習も我慢して続けることも必要かと思う次第だ。

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