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2008年1月

2008年1月31日 (木)

それでも滑り続ける

一昨日の1月29日、仕事を終えてリンクに向かう途中で事故に遭った。右折ウィンカーを出して止まっている車が前方にあったので停車したところ、それに気づかない後続車が私の車に突っ込んできた。

後方から衝撃を感じた瞬間に、何があったのか察しがついた。思いっきり前方に体が飛ばされたが、首回りに渾身の力を込め、ブレーキを踏んだ右足とハンドルを持った両手、そしてシートにある腰の三箇所で踏ん張った。そのおかげで、反動で首を振られるのは避けることができた。でも、路面が濡れていることもあり、前方の車に玉突きでぶつけてしまったことも見えてしまった。

車から出ると、びっくりした顔でこちらを見る前方車の運転手が居た。後方から追突されたと説明し、簡単に謝罪して、110番をお願いした。私の車は後ろ半分が大破していた。バンパーはもちろん脱落しており、トランクルームもひしゃげ、後ろタイヤのフェンダーまで歪んでいた。突っ込んだ車も無事ではなかった。エンジンまでやられているようで、運手者が再始動を試みているが、回らない様子だった。

どのみち、破片が路上に散らばっているので、事故車を路肩に寄せても後続車を通せない。唯一自走可能な最前列の車(私が玉突きをしてしまった車)だけ、中央分離帯の切れ目に退避してもらい、最後尾(私に突っ込んだ車)にハザードランプをつけてもらった。見通しの良い直線道路なので、事故に気づかない後続車がスピードを出して次々とやってくる。私達の近くで2車線のうち内側1車線が塞がっているのに気づき、減速して車線変更を試みている。ボヤボヤしていたら、後続車から2次的な事故が起こるかもしれない。非常用の三角表示板をトランクから出そうとするが、ひしゃげたトランクは開かなかった。他の運転手達も持っていないという。仕方ないので、最後尾にいた運転手と交通整理をしようとするが、彼は呆然自失としており、依頼に応じてくれない。110番をお願いした最前列の運転手に警察への連絡はついたかと問うと、彼はペルー人で日本語はほとんどできないと、片言の日本語で話す。私の携帯は、車内のどこかに飛んでしまったようで、あるはずの場所にない。

とにかく...警察には連絡せねば...。ペルー人に携帯をお借りして、110番に第一報を入れる。続けて、家族に事故と場所の連絡をして、携帯と三角表示板を持ってきてもらうように依頼する。最後尾の彼は、天を仰ぎながらどこかへ電話している。お互いの連絡先の確認は、警察が来てからで良いだろう。私ひとりで、現場から少し離れた場所で、事故車の存在を合図し始める。やっと流れに秩序が見え始める。

痛みは、腰部と首の後ろ側に鈍痛が間断なくある。正直、座って休みたかった。でも、現場の安全確保は事故当事者の義務でもある。中央分離帯のガードレールの中から、懸命に腕を振り、外側車線に移るように合図を送る。そして、車線移動に難儀しているドライバーに頭を下げつづける。「なぜ、私が...?」とも思う。私は被害者ではないのか?どうして、迷惑をかけたと頭を下げ続けないといけないのか?

そう思いつつも納得していた。結局、加害者であれば当然だが、被害者であっても、あるいは見知らぬ第三者であっても、頭を下げつづける。それが、私なんだと。だから、秩序を保てるためなら、いくらでも頭を下げつづけるだろう、いつでも。

親が携帯と三角表示板を持ってきてくれた、すぐ後に警察も来てくれた。これで、交通整理からは解放された。不要になった三角表示板は親に返し、状況を簡単に説明したうえで、親には帰ってもらった。幸か不幸か、3台のうち2台は自走できずに現場に置いたままだったので、警察官達は状況をすぐに把握できたようだ。手際よく後続車の誘導をすると同時に、最後尾の運転手から事情聴取を始めた。私は、親から受けとった携帯電話で、やっと保険会社に連絡を入れることができた。腰と後頭部から首にかけて痛みが強くなる。同時に、右脚全体が痺れている。それでも、自分で歩くことはできた。

警察官に求められるままに車検証や免許証、自賠責保険証などを提示し、簡単に自分からの事情説明をして、私は解放された。今回の事故は、最後尾の車に全面的な責任があるだろうと、警察官も言ってくれた。玉突きの勢いで私も前方の車に追突してしまったので、その責任はどうなるのか少し不安だったので、ちょっと安心した。その、突かれてしまったペルー人は、持っているべき証明書を所持していなかったとのことで、警察官が手を焼いていた。でも、代理人が持ってきてくれることになったらしく、話はついたようだ。

事故発生から2時間近く、寒空の路上にいて、やっと帰宅できた。愛車は、警察が手配してくれたレッカー車に乗せられて、どこかへ行ってしまった。警察官からも言われていたので、親に送ってもらって病院の夜間救急に受診し、診断書を警察署に提出する。医師からは、レントゲン上は大きな問題はないが、頚椎捻挫の可能性があるので、今後症状が出てくるだろうと言われた。頸部保護のカラーは処方されなかった。ホっとすると同時に、軽いめまいが断続的にあった。

昨日、本日と、仕事を休む。正直、集中して事務仕事ができる自信はなかった。

普段お世話になっている整形外科に、昨日受診する。保険会社から来る再三の電話に閉口したが、そのおかげで受診料の心配をせずに診ていただけるのは、安心できた。まだ、首の後ろ側に鈍痛が残り、めまいも時々あったが、良い経過で治っていくだろうと医師から告げられた。ただ、三日間の休業と一週間のトレーニング自粛を言われた。一週間、体を動かさなかったら、何キロ太るだろうか...目の前が暗くなる。それでも、あんな事故でこのくらいのケガで済んで良かったと色んな人に言われて、一週間の休養で復帰できるのなら感謝すべきだろうと、思い直す。

本日、相手側の保険会社から私の車の査定が報告される。やはり、全損扱いとのこと。仕方ない。今回は、当方は過失ゼロということで話が進んでいるのだが、相手側から提示された賠償額に納得がいかない。時価額を基準に算出するという理屈はわかるのだが、原状回復(要するに私が同程度の車を再取得する)ためには、提示された額と同額以上の自己負担をせねばならないだろう。それが保険での補償の範囲内と言われれば仕方ないし、多少の上乗せをしてもらうように交渉はしていくが、一言でいえば、”もらい損”、交通事故は過失の有無を問わず遭わない方が幸せだと、つくづく感じる。

昨日、本日と休養をとり、身体の全ての痛みや不調は消失する。でも、天候や疲労によって症状がぶり返すこともあると、様々な人たちからアドバイスをいただいたので、しばらくは無理をしないことにする。それにしても...私のカラダはどうなっているのか...普通ムチウチだよな...全損だもん。

自覚症状はなくなったが、不安は大きく残っている。事故車と同様、私の体のアライメントもくるったのではないかとの懸念が強くある。このブログでも、軸についてしつこく書いているが、フィギュアスケートの極意は、体軸の生かし方にあるのではないかと、素人ながらに考えている。でも、今回、頸(くび)を痛めた。症状は軽かったが、微妙な頚椎のくるいが軸の方向性に影響を及ぼさないかと心配している。傍目で観るよりもはるかに、フィギュアスケートは微妙な精度を要求される。だからこそ、私は腹筋や背筋、そして頸回りの筋肉を強化して、軸のブレを抑えるように努めてきた。でも、要である頚椎を痛めたとしたら、ジャンプやスピンで回転した時に、痛みを覚えないか、痛みはなくても違和感で軸が保てなくなってはいないか...最大の懸念である。今は、リンクに復帰すべきではないので、それを確認するのは来週になるだろう。でも、仮に軸がくるっていたとしても...

私は、それでも滑り続けると思う。

たいして上手でもないし、いい歳をして、何を頑張るのかと、自分でも思う。正直、もう潮時だろうと事故直後は考えていた。「事故で頸を痛めました。なので、フィギュアは諦めます。」なら、言い訳としても格好がつく。それに、リンクへ向かう途中で事故に遭ったことにひっかかりを感じている。もう辞めろという神様のお告げではないか?そうかもしれない。

でも、多分、私は、まだリンクで滑り続けると思う。

"Tha's life..."。リンクには、嬉しいことや楽しいこともいっぱいある。でも、それだけでなく、辛いことや悲しいこともあることを、私はすでに教えてもらっている。だから、仮に頸を痛めてパフォーマンスが下がったとしても、それはそれとして、淡々と自分のすべきことを続けると思う。リンクに降りれば、私のメニューは決まっている。フォアでストロークを5周。それからアウトサイドとインサイドのクロスロールを5周ずつ。続けて両足と片足のスネークを5周。靴の中が温ったまったら、スィズルを4種類、5周ずつ...同様のメニューをバックでも...。不調を感じながらも、きっと滑れるだろう、いつもやっていることだから。

だから、私は滑り続ける。

determinationという言葉を、私はあまり強調したくない。特に、大人のスポーツの場合、状況や事情を加味しながら、妥協を図ることも大事なことである。なので、確固たる意志を貫かずに変更の要請に応じることは、決して恥ずかしいことではない。でも、今回は、滑り続けるという意志を貫きたいと思う。もしかしたら、ジャンプの軸が保てないかもしれない。スピンが回れなくなっているかもしれない。ムチウチの症状が出たらどうしよう?不安は多々ある。でも、滑りたい。ここで止めたくない。

明日から、少しずつ陸トレを始めていく。本当は、一週間は休養なのだが、自己責任で負荷をかけていく、ごく軽度なものだが。一週間何も動かずに、来週いきなりリンク復帰からトレーニングを始める方が恐いので、早期リハビリのつもりで受傷後4日目の明日から少しずつやっていきたい。その方が、筋肉も落ちずに関節にも良いと思う。同時に、頸の様子をみつつ、冷房の効いたリンクでのトレーニングに耐えられるかを検討していきたい。きっと、上手くいくと思う。

来週、スーパーボウルで頂上を目指す、ニューイングランド・ペイトリオッツ。ディフェンスにブルースキーという選手がいる。彼は、脳梗塞に倒れてシーズンを棒に振ったことがある。疾患の程度がわからないので、なんともいえないが、脳梗塞からカムバックしたアスリートというのは、私の想像を越えた出来事だ。ペイトリオッツが逆転劇を演出した際には、よく彼が映し出される。ディフェンスの選手なのに。

「不屈の闘志」

ブルースキーを観るとこの言葉を思い出す。21世紀のエリート集団とも言われるペイトリオッツだが、苦境からの大逆転を演出し続けたアスリート達でもある。モスだって、「彼はもう終わった」と言われたレシーバーだったし、ブレイディだってスポーツヘルニアに苦しんだシーズンもあった。ハリソンもケガで戦列から離脱したシーズンがあったし、ベリチックは...まぁ...あれだな、罰金で済んでよかったな...史上最高額だったらしいが。

私は、ペイトリオッツの勝利を信じている。もちろん、結果はわからない。でも、最後の2分間になっても、ドラマを信じられる集団といったら、やはり、彼らしかないと思う。彼らなら、土壇場になっても闘志を燃やしつづけるだろう。ブレイディを中心としたオフェンス陣なら、信じられる。

来週の月曜日のスーパーボウルを観て、それから、リンクにもう一度向かおうと考えている。だから、明日から、また走り始める。

2008年1月14日 (月)

自分を信じること

スポーツの世界では、"confidence building"という言葉がある。自分が信じたことを積み重ねて本番でパフォーマンスを発揮する意味だと理解している。本番、例えば競技会とか、バッジテストとか、とかく緊張する場面である。「緊張するな」と言っても無理な相談だと思う。

そういう局面で何が自分を支えてくれるか...?やはり、それまでの積み重ねを信じることである。「自分はこれだけやったんだ。だから、大丈夫。」これが、スポーツだと、私は思う。

自分のことを語るのは面映いが...スケーティングについては、徐々に評価して下さる声をいただくようになった。専門の先生や選手経験のある方からそういう評価を頂くのは、正直、とても嬉しい。だけど...生意気かもしれないが、当然だと思う。

私は、努力してきた。「クロスの時に上体が安定している」と、ある先生が言われたが、そのために足腰・腹筋・背筋を強化してきた。土台の構築には余念がなかった。走りこみは、どのスポーツにも欠かせない訓練だと思う。スケーティングの滑らかさについても、それにこだわり、できる限りの練習を氷上でしてきた。

だから、嬉しいのは、専門の方々から評価されたことだけではない(もちろん、それも嬉しいのだが)。それ以上に、自分が信じて続けたことを、今後も続けていける確信をいただけたことだ。"building"は続けてこそ意味があると思う。いつまで続くか...は、わからないのだが...。

この大切さを教えてくれたのは、トム・ブレィディであった。アメリカンフットボールの最高峰、NFLで今、一番輝いているクォーターバックだ。彼の栄光は21世紀初頭から始まっており、別に、今シーズンになって急にブレークしたわけではない。でも、味方が怪我や移籍などでチームとして十分な戦力が得られない時にも、勝利を信じて奮闘してきた彼が、おそらく最高であろう、今シーズンを戦っているのを観ると、涙が出てくる。

やらなくてはいけない仕事をきちんとやり、努力を続けた、それに裏打ちされた"confidence"があるからこそ、どんな局面でも動じずに勝利を築きあげていけるのだろう。才能とかセンスとか、もちろんそういう要因も必要だと思う。でも、スポーツの世界では、もっと大切なことがあると私は信じている。

獰猛なラッシャー達が襲い掛かるなか、ひるまずに局面を打開するブレィディを支える背中はとても厚く、足腰は根が生えたようにゆるがない。そのために、どれだけの努力、準備をしてきたのだろうか?確かに、ペイトリオッツは戦力の増強ですごく強くなった。でも、トム・ブレィディはずっとブレィディであったように思う。

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