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2007年9月 1日 (土)

軸について

軸については、とても奥深い事柄なので一回のエントリーでどこまで考えることができるのかはわからない。考えながら、随時進めていけたらと思う。ブログも練習も...。

「軸ができてる」とか「軸が細い」など、フィギュアの練習では、「軸」という用語をよく耳にする。特に大人の場合は、軸ができない、あるいは軸が太いなど困難な壁として悩む時に口にするようにも思える。私にとっても、体の「軸」を意識することはイコール、フィギュアの難しさを実感することでもある。

ただ、若干だがバレエを習った経験があるので、体に軸を作る訓練は少しだけアドバンテージがある。だからといってスピンが綺麗に回れるわけではない(スピンは嫌いです...)のだが、軸に対する基礎的な意識は、スケートから入った大人の方々とは異なるものがあるんじゃないかと...思っている。それが過剰な自意識というか、自惚れになったらみっともないが。

軸への意識があってもスピンができないのは、ひとえに自分が下手で鈍いからなのだが、例えて言えば、いくら計算ドリルが得意でも数学の応用問題ができるとは限らないのに似ているとも考えている。

話題がそれるのだが、私は陸上トレーニングは結構一生懸命やっていて、走るのも好きだ。いずれは、それがスケートの技術向上にも役立つと信じてはいる。でも、毎日走っているからといって、ジャンプやスピンがたちどころに上手になるわけではない。下肢筋力や持久力の強化にはなっていると思うが、ジャンプならジャンプで必要な筋肉を上手に使えるようになるためには、やっぱりそのための専門の練習をしなくてはならない。応用問題を解けるためには、計算ドリルばかりではダメで、幾つもの問題にあたる必要があるのと一緒だと思う。むしろ、暗算は苦手でも電卓片手に難しい問題をスラスラ解ける人は沢山いると思う。

では、なぜ基礎訓練が必要なのだろうか?

答えは沢山あるのだが、「軸」に関して言えば、軸を保ち続けるのに不可欠だからだ。もう少し陸トレの話を続けさせてほしいのだが、走るにしても、マラソンを目指す人のランニングとフィギュアの練習での走りでは、少しニュアンスが違うと思う。マラソンを目指す人は、所定の長距離をなるべく速く走り抜けるためのフォームを追求していると想像する(私は全然経験がないのだが)。でも、少なくとも私は、上半身をしっかり起こして、なるべく姿勢を良くして走る。ちょうど滑走する時の上半身のように、前傾や横ブレを極力抑えて安定した姿勢で走るようにしている。坂道などは結構苦しい。でも、下半身を激しく使っている時にも上半身は優雅さを失わない、それがフィギュアスケートなのだと思う。優雅だから楽勝というのではない。全然違う。むしろ苦しいし、辛い。でも、練習でその段階を沢山経験していれば、プログラムを滑る時に役立つ。どう役立つかと言えば...

「苦しくなっても、軸を失わないですむ」

と思うのだ。演技の後半で大きく崩れる場合、もちろんスタミナ切れとか下半身に疲労がたまって跳べなくなったとか、そういう問題が生じていると思う。でも、そういう状態になった時に何を失うかと言えば、体の軸だとも思う。ちょうど、ランナーが疲労を覚えると顎が上がってきたり、上半身が左右に揺れ始める、そういうのに似た状態にフィギュアスケーターがなることもあると思う。スピードランナーにとっても重大だが、フィギュアスケーターにとっても,十分な表現ができなくなるとか、転倒の危険が大きくなるという意味で深刻だろう。結局のところ、フィギュアスケートの演技においては、「軸」の問題はジャンプ、スピン、ターンといった個々のエレメンツだけでなく、スケーティングや踊りといった演技全体に関わる普遍的な事柄なのだと、私は考えている。そういう話はあまりされないのだが。

そして、演技全体を通しても、あるいは長時間の練習をしても、スタミナが切れない、あるいは軸を失わないだけの筋力を維持するために、私は陸トレをしているのだと思う。それは、計算ドリルが単に計算力を身につけるためだけでなく、長時間の学習を可能にするだけの集中力を養うのに役立つのと似ているかもしれない。

まとめると、「軸」はフィギュアスケーティングの始めから終わりまで関わる普遍的な事柄であり、それを維持するには基礎的な体力が必要、ということだと思う。

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